登山家

話題にはこと欠かない、真鶴半島自然観察&ハイク =  市田淳子 

日時:2017年3月18日(土)JR真鶴駅9:00集合


メンバー:L市田淳子 渡辺典子、栃金正一、中野清子、開田守

 コース : JR真鶴 ~ 真鶴港 ~ 貴船神社 ~ 灯明山 ~ 森林浴 ~ 遊歩道 ~ 番場浦遊歩道 ~ 潮騒遊歩道 ~ 三ツ石海岸(昼食) ~ ケープ真鶴 ~ 御林遊歩道 ~ 中川 ~ 一政美術館 ~ 岬入り口 ~ 真鶴港近く(反省会) ~ JR真鶴駅


 真鶴は話題に事欠かない場所だ。

 石材業は漁業と並ぶ産業で、「小松石」は江戸城の石垣にも使われた。所々に見られる歌碑も小松石なのだろうか。
 歴史的にも面白い場所のようだが、今日の主役は海と山。真鶴駅から海を眺めながら下って行くと、真鶴港に着く。

 カモメたちが集まりイソヒヨドリの美しい声が聞こえ、山行とは違う趣だ。海の反対側に貴船神社がある。この日一番の難所と言ってもいい急な階段を登ると、本殿が現れ周囲にはサクラが咲いていた。

 海の神様を祀った神社で、漁の無事と豊漁を祈る。貴船神社をあとにして、港の岸壁に整備されている遊歩道を歩く。釣りをする人、岩場で遊ぶ親子、海をぼーっと眺める人、犬と散歩する人…山と同じように海は人々を魅了する。


 港の橋まで行くと、真鶴半島がだんだん大きくなって来て、いよいよ御林に向かって歩く。アスファルトの車道は車で岬に行く人たちのためだが、できれば土の道が欲しい。

 少し歩くと山道の入口があり、やっと土を踏みながら歩ける。地元の人たちは、海に恵みをくれる森を「御林」と呼んで大切にしてきた。
 その御林は「魚つき保安林」として保護されている。

「木々の枝から海面に落ちる虫を求めて魚が集まる」

「樹木の影を魚が好む」

「森から海に注がれる栄養豊富な地下水に、魚が好むプランクトンが集まる」

 などの諸説があるようだが、どれも本当に思える。

 御林には巨木が多く、5人で手を繋いでやっと木の周囲を囲むことができるようなものがたくさんあった。クスノキ、スダジイ、アカマツ、クロマツといった照葉樹の森で、奥多摩や丹沢の山々と違い鬱蒼としている。
 半島にしっかり根を張って強い潮風を受けながら、何百年もの月日を過ごしてきたのだろう。


 暫く歩くと道は下り坂になる。
 三ツ石海岸が近い。潮騒の音、潮風、明るい太陽の光、海岸の植物、山から海に到着。海抜4mの海岸で昼食にした。上空を時折トビが飛翔するが、トビの食事は自然食にしてもらおう。


 昼食後はケープ真鶴に登り、再び御林を歩いて中川一政美術館へ向かった。
 御林の片隅にひっそりと佇む美術館。97歳で亡くなるまで、描く欲望を捨てなかった中川一政氏の人生と作品を始めて知って圧倒された。

 自然ばかりでなく同時に芸術にも触れることができたことは本当に贅沢なことだ。さらに贅沢なのは、港の近くにある定食屋さんで、地元の魚をお腹いっぱいいただいたことだ。

 アジが有名で、アジのたたき、豆アジのフライ、そして、たたきに使ったアジの頭と骨を揚げてもらった。こうして、山、海、芸術、味覚の四つを楽しんだ贅沢な一日だった。(森林インストラクター)

 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№210から転載

《日本百名山の達成》 その想いを語る = 関本 誠一

 55年前、大菩薩嶺が最初の登山…日本百名山は筆者にとって登山人生そのものになった。

 当初、気ままな山行を繰り返していたが、20年後転機が訪れる。…、八ヶ岳(24座目)山頂小屋で同年代登山者との出会いを機にピークハンターとなる。


 だが、80座で頓挫し諦めかけていたが、当倶楽部入会にあたりリベンジ。今夏7年目にして達成する。応援してくれた山仲間に感謝の気持ちで一杯だ。


 阿寒と知床連山の中間にそびえる斜里岳は知名度低く目立たないが独立峰なので、近づくにつれ徐々に大きくなるその姿に一種の感動を覚える。

 見晴らしの滝、七重の滝、霊華の滝、竜神の滝と続き、やがて傾斜が緩くなり流れがみえなくなると新道と旧道が合流する上二股だ。

 沢沿いに進む旧道は次から次へと現れる滝を楽しんでいくと、自然に高度を稼いでくれて疲れを感じさせないが、ところどころ滑りやすくとても危険だ。

         【作品から一節】


 今後は身の丈あった登山を楽しみたいと思ってます。


       ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№209から転載

霧のなかで硫黄が鼻を突く、 那須三山 = 松村幸信

平成25年10月7日(月)~8日(火) 二日間とも晴れのち曇り

参加メンバー : L石村、武部、野上、市田、中野、松村

ルート:

【一日目】  那須塩原駅 ~ 那須ロープウェイ ~ 茶臼岳 ~ 硫黄鉱山跡 ~ 牛ヶ首(姥ヶ坂) ~ 姥ヶ平・ひょうたん池~姥ヶ平下~沼原分岐~三斗小屋温泉

【二日目】 三斗小屋温泉~大峠~三本槍岳~熊見曽根~朝日岳~峰の茶屋跡~
    那須ロープウェイ山麓駅~鹿の湯~那須塩原駅        



 今秋は、台風が次々と襲来し、雨が多く天候が安定せず、出発の間際までやきもきしていた。

【一日目】

 8:12に到着の東北新幹線で、三々五々と那須塩原駅に集合した。駅前から、8:30発の那須ロープウェイゆきバスに乗車する。車内で購入できるフリーパス券は、2日間は何回でも、乗り降りできて往復料金よりも安く実にお得だった。

 9:45、山麓駅に到着するや否やロープウェイに飛び乗る。
 紅葉時期にはまだ早いと思っていたが、ロープウェイから見える鬼面山は、見事に色づいていて、他の乗客から歓声があがる。

 4分で、頂上駅に到着する。準備をして、茶臼岳を目指し、歩き出す。だが、ガスが掛かり見晴らしはよくない。
 風に乗って、硫黄の臭いが鼻を突く。
 10:45 茶臼岳の山頂に到着した。眺望もなく、集合写真を撮ると、直ぐ先に進む。ガスに巻かれ方向を見失い、お鉢の回りをうろうろ。

 11:35 硫黄鉱山跡分岐に着いた時には、ガスも晴れ、姥ヶ平の鮮やかな紅葉が、目に飛び込んでくる。

 11:41 お腹も空き、山道脇に腰を下ろし、眼下の紅葉を楽しみながらの昼食である。12:36 姥ヶ平、ひょうたん池に写る逆さ茶臼岳と紅葉は見事だった。
 紅葉を思う存分満喫し、今晩の宿である三斗小屋温泉に向かう。

 14:48 煙草屋旅館に到着した。楽しみにしていた露天風呂は基本混浴だが、15時から17時の間は女性専用のため、残念ながら男性陣は内風呂へ。

 16:30 夕食をとり、21:00 消灯。

【二日目】

 4時過ぎに目を覚まし、暗闇の中を露天風呂に向かう。ひとり満天の星を見ながら、静かにゆっくりとお湯を楽しむ。
 夜が白み始めると、次々と人が入ってきて、あっという間に芋洗い状態となる。

 東側に山を背にしているので、日の出が見えないのが残念である。

 6:30朝食をとり、7:05に出発、天気は晴れ。大峠までの間に、三回の渡渉があり台風による増水もなく、全員が無事に渡り9:00に大峠に到着した。

 ここからは尾根道で木立も無くなり、日差しが強く、肌を突き刺す。

 11:14 くたくたになりながらも、三本槍岳に到着し、やっと昼食を摂る。ここまで、予定時間より大幅に遅れる。
 三本槍岳から清水平へ下り、登り返すと、茶臼岳が目の前に現れ、終点がみえたことでほっとする。那須三山の最後の朝日岳に13:19に登頂した。
 バスの時間に間に合うよう、急ぎ下山していく。バス発車時刻の5分前の、14:50に山麓駅バス停に到着する。那須湯本で、途中下車し、硫黄泉質の鹿の湯で汗を流す。
 さっぱりしたところで、再びバスに乗車、17:10に那須塩原駅に到着。今回は天候にも恵まれ紅葉と温泉を存分に堪能した山行でした。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№173から転載

秩父宮殿下のマッターホルン登頂=上村信太郎

 スイスとイタリアの国境に優美な山容でそそり立つ名峰のなかの名峰マッターホルン(標高4476m)は、世界中の登山者を引きつけてやまない。

 この名峰に、アルプスの日本人登山者はまだ数えるほど少なかった大正15年に、昭和天皇の弟宮、秩父宮雍仁(やすひと)殿下が登頂に成功されたことはあまり知られていない。宮様24歳。若き日の英国留学中の山旅であった。


 では、宮様のアルプス登山はどのように実現されたのであろうか。まず英国最高峰のベン・ネヴィス(標高1344m)登頂後、念願のマッターホルン登攀計画を日本に打診した。すると宮内庁は「とんでもない。けがでもしたら誰が責任をとる! 」と猛反対。断念を強く説得されるも、宮様の意思は固かった。
 結局、アルプス登山実施が決まり、準備が進められた。

 肝心の宮様の案内役は、すでに宮様と山スキーの経験があった槇有恒に決定。槇は、すでに11年前に英国に帰国していたウォルター・ウェストンに助言を求めた。同行する人たちは松方三郎、松本重治、渡辺八郎の各氏で、彼らは準備のために一足先にスイスに入った。

 8月12日、宮様が登山基地のグリンデルワルドに到着。ウェストンらの出迎えを受けた。同時期、スイスには細川護立侯爵(細川護熙首相の祖父)、浦松佐美太郎(後にウィンパーの『アルプス登攀記』翻訳)、麻生武治(後に日本初の冬期オリンピック選手)、東京朝日新聞の特派記者藤木九三などが駆け付けた。

 一行はトレーニングを兼ねて周辺のいくつかの山々を登攀後、ツェルマットへ移動。8月31日、朝3時に山小屋を出発。マッターホルンの頂をめざす。宮様と槇の前後はスイス人ガイドが付いた。6時40分ソルベイ小屋着。8時15分イタリア側頂上着。ここで宮様から少量のブランディが振る舞われた。30分後、イタリア側へ下山開始。シュワツゼー・ホテル着は深夜になっていた。

 宮様とウェストンの親交は、じつはこのアルプス登山のみではなかった。同年5月、ウェストンは宮様から午餐に招かれていた。さらに昭和12年には、国王ジョージ五世の戴冠式参列のため渡英した宮様に招かれた他、アルパイン・クラブ(英国山岳会)の総会に出席された宮様をエスコートしている。


 アルプス登攀後の宮様は穂高岳、槍ヶ岳、小槍を登攀され、その後もアルパイン・クラブの会報に山の紀行文を寄稿されるなど、終生、山への関心を持たれた。
 宮様がアルプス登山の際に使用されたピッケル、ザイル、登山靴などの記念の品々は、昭和34年に開設された東京・国立競技場内の「秩父宮記念スポーツ博物館」に一般公開されている。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№57から転載


     写真:Google写真フリーより 

三浦アルプス(二子山)立派な一等三角点、横須賀~横浜まで一望=武部実

 山行日 : 平成28年10月12日(水) 

 参加メンバー : L武部、中野、開田、武部弟の計4人

 コース : 逗子駅 ~ 長柄交差点 ~ 川久保 ~ ゲート ~ 二子山 ~ 阿部倉山の裾 ~ 川久保


 逗子駅から長柄交差点までは、バスで5~6分である。国道311号を東に向かって15分ほど歩くと川久保交差点。その横断歩道を渡り、5分で「葉山にこにこ保育園」入口の看板が見えてくる。
 道路を少し歩くと、保育園児たちのにぎやかな声が聞こえてきた。

 10:04、ゲートに着く。ここから車や自転車は通行止め。ゲートを潜り抜けると、ようやく山道らしい雰囲気だ。森戸川林道である。左岸には森戸川が流れる。樹木が濃いので、日差しがさえぎられて意外と涼しい。気持のいい林道だ。

 この辺から山頂まで、小鳥のさえずりが盛んだ。大きい鳴き声から、可愛らしい小さな鳴き声まで、何種類もの声を聴いたことだろう。だが、残念ながら、小鳥音痴の私にとっては、名前がわからず無念である。
 山頂の直下には「この森で見られる野鳥」の看板があり、15種類の小鳥が描かれている。今度行ったとき時に、確認してはどうですか。

 三浦半島中央道路の下を通り、15分ほど歩いたところが、林道の終点だった。(10:46着)。ちょっとした空き地になってベンチがあり、小休憩する。ここは分岐になっていて、東方向は中尾根を歩いて乳頭山に、北側は森戸川沿いに二子山に行くことになる。

 二子山コースには「マムシ注意」の看板があってドッキリさせられたが、ここから渡渉が始まる。小さい川なので、水量はもちろん少ないが、滑れば相当なケガはまぬかれないだろう。慎重に歩を進める。5~6ヶ所ほど渡渉し、この間にはトラロープが張ってある登りもあって、なかなかのバリエーションぽいルートだ。

 東逗子駅との合流点を過ぎれば、山頂はすぐそこだ。標高は低いが、立派な一等三角点の楚石を確認し、木材で組み立てられた展望台に登れば、眼下の横須賀はもとより横浜まで一望できる。見通しが良ければ、スカイツリーまで眺められるようだ。

 12:10 阿部倉山(161m)を目指して出発。樹林帯の中を小さなアップダウンがいくつも繰り返して歩く。なぜか一か所だけに、大きな50弁ほどの花をつけたトリカブトが咲いていた。もう、そろそろ阿部倉山に着くはずだが、一向に目的の山に着かず、とうとう川久保の登山口まで着いてしまう。
 どうやら阿部倉山を巻いてしまったようだ。これから登る、という地元の人に話を聞くと、わかりにくい場所らしい。それに阿部倉山は見通しも良くないと言われて、まあしょうがないかと納得した。
 13:10という早い時間に下山したので、帰りは逗子駅までのんびりと歩く。

     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№208から転載

標高2,415mから海岸Om 北アルプス北端・栂海新道縦走=栃金正一

1.期日 : 2016年7月26日(火)~29日(金)3泊4日

2.参加メンバ : L佐治 関本 藪亀 栃金

3.コース : 7/26日 移動日 平岩駅(バス)~白馬岳蓮華温泉ロッジ

7/27日 白馬岳蓮華温泉ロッジ ~ 白高地沢 ~ 花園三角点 ~ 吹上のコル ~ 朝日岳 ~ 朝日小屋

7/28日 朝日小屋 ~ 朝日岳 ~ 吹上のコル ~ 長栂山 ~ 黒岩山 ~ サワガニ山 ~ 犬ケ岳 ~ 栂海山荘

7/29日 栂海山荘 ~ 菊石山 ~ 下駒岳 ~ 白鳥山 ~ 尻高山 ~ 入道山 ~ 親不知海岸

【7/26】 今日は移動日で、平岩駅からバスに乗る。白馬岳の蓮華温泉ロッジに着くころは、雨が降ってきて、明日の山行が気にかかる。


【7/27】 早朝5:00の出発時には、ほぼ雨は上がっていた。

 ロッジ前のキャンプ場への道を進むと、整備された木道に出る。滑り易い木道を慎重に下り、いくつかの湿原を抜けると、大きな白高地沢の河原に出る。
 河原で休憩し、急斜面をグングン高度あげながら登ると、視界が開け、色とりどりのお花畑のなかに花園三角点を確認する。

 ここの水場で早目の昼食をとる。ここからは、五輪尾根を一気に登り、山腹をトラバース気味に行くと、栂海新道の分岐である吹上のコルに到着。休憩の後は、広い歩きやすい斜面をジグザグに登って行く。

 13:30、朝日岳に到着する。山頂は広々していて、展望指示盤がある。記念写真を撮り、朝日小屋に向かう。
 広い平原のなかに建つ赤い三角屋根の、朝日小屋には14:20に到着した。


【7/28】 朝日小屋の豪華な食事をいただき、朝日を浴びながら、5:30に元気に出発する。6:30、朝日岳山頂に到着した。白馬岳、雪倉岳、剣岳・立山連峰が良く見える。

 7:00、吹上のコルに到着。ここからいよいよ長い栂海新道に入る。シラビソの林を抜けると木道になり、照葉の池があり、周りはキスゲ等のお花畑になっており、とにかく美しい。

 道は登りになり、途中ですこし道をそれ、長栂山に立ち寄る。アヤメ平の小さな雪渓を越えると、広々とした黒岩平の平原に出る。
 ここで冷たい水を補給し、急斜面を登ると、黒岩山に到着。ここからは登り、下りの多い稜線を行く。サワガニ山を登り、北俣の水場で水を補給し、さらに犬ケ岳を登り、14:20、栂海山荘に到着する。

自炊だが寝具もあり、ゆっくりと寝られた。


【7/29】 早朝5:00に出発する。途中、黄蓮の水場で水を補給し、菊石山を過ぎ、急登の下駒岳を登り、小屋の建つ白鳥山に到着する。

 ここからは下りとなり、標高が低く、とにかく暑い。最後の水場となるシキ割の水場で、水を補給し、尻高山を経て、最後のピークである入道山を登る。

栂海新道の入口のある国道8号には、14:20に到着。さらにここから海岸を目指し、階段を下り、目標の日本海海抜0メートルの親不知海岸に、15:00に到着した。


 朝日岳から親不知海岸まで下る、お花畑でいっぱいの長大な尾根歩きを全員が無事に、縦走できた。天気にも恵まれ、思い出に残る山行となりました。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№206から転載

前泊は温泉で心地好く、登る赤城山(1828m)は雨と霧=籔亀徹

日時 : 2016年10月8日(土)

メンバー : 籔亀徹・北山美香子・北山明親

コース : 黒檜山登山口8:43 ~ 黒檜山10:07 ~ 駒ヶ岳10:57 ~ 駒ヶ岳登山口11:52

 10月7日、栃金さんと別れて、創業が明治23年の赤城温泉の花の宿(湯ノ沢旅館)に宿泊した。山の中の温泉で、いろんな手作りの料理に興味を引かれた。
 いまはさびれて? 3件のみの開業になっているらしい。古いけれど、とっても趣きがあった。温泉は鉄分が強そうで、やや白く濁っていた。


 翌朝、本来ならば、8時からの朝食時間だが、山へ行くからというと、7時からにしてくれた。朝食もほんとうに丁寧にいろんな食材で、作られていた。
 ありがたくいただいて、7時半に出発する。1時間ほどで、大沼のそばの黒檜山・登山口の駐車場に到着した。天気予報は曇りのち時々雨・・。

 朝、宿を発った時から、ずーっとすごい濃霧で、車の峠越えは大変だった。雨が降り出したら、やめようかということだったが、なんとか雨は免れた。

 8時43分に出発する。登山道は思っていたより歩きづらく、大きい石が山頂近くまで延々と続いていた。
 10分くらい歩くと、霧のなかに大沼が見えた。これは晴れると思った。しかし、甘かった。途中から、霧と風と雨で、雨具(上着だけ)を着る。

 10時7分に、黒檜山の山頂(1828m)に到着した。

 濃霧で、景色は何にも観えず、残念だった。早そうに下山することにした・・。
 当初の予定を変更して、きっと雨が降るだろうと思ってピストンにするつもりだった。せっかくここまできたのだから、そのうえ雨もたいして降ってないし、ということで、即座にまた変更して最初の計画通り、駒ヶ岳経由で行くことにする。


 こんどは山道がハイキングコース並みの、歩きやすい登山道に変わる。登りの時とはちがい、天気が穏やかになってきた。
 時どき、遠くの空が明るくなったり、大沼の湖面が観えたりしての歩きになってきた。55分で、駒ヶ岳(1685m)に到着した(10:57)。
 すぐに通過して、下山する。やはり天気が悪かったら、景色が観えず、楽しみが半減する。45分(11:52)で、駒ヶ岳登山口に下りたった。

 下の方は天気が良くなっていた。雨具を脱いで、赤城神社に立ち寄る。この神社はかつて地蔵岳の中腹にあったそうだ。

 赤城山は黒檜(くろび)、神庫(ほくら・・地蔵)、荒山、鍋割。鈴が岳の雄峰を中心に、峰峰が幾重にも重なっているそうだ。
 紅葉にはまだ早いけれど、赤く染まった赤城山にも、魅力を感じる。駐車した車には12時40分に戻り、帰路につく。

 妙義山と2日間の連続の登山だった。準備不足もあるが、脚と腰に疲れがたまり、がたがただった。でも、楽しい山行だった。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№207から転載

からだが凍っても、美観の魅力、冬の権現山(1312m) = 関本誠一

日時 : 2014年1月27日(月) 晴れ

メンバー : L関本誠一、栃金正一、武部実、佐治ひろみ、籔亀徹  (5名)

コース : JR猿橋駅(バス)⇒ 浅川BS ~ 権現山(1312m・昼食) ~ 高指山 ~ 不老山(570m) ~ 不老下BS(タクシー)⇒ JR四方津駅

 権現山は日本各地にある山名である。その数を数えたらなんと92座もある。中国・九州で半数近くあるが、東京近郊にも丹沢付近に3つあり分布は全国に散らばっている。
 権現とは徳川家康の死後に、東照大権現として祭られている印象か仰々しい名前だが、家康と関係があるのかは全く不明だ。

 きょう行く山は、大月市と上野原市の境にあり、標高は長野県(1749m)と愛媛県(1593m)に次ぐ第三位の立派な山だ。
 例年この時期になると、ほど良い積雪になっているだろう、との予想のもとに計画した。


 集合はJR猿橋駅8:10だった。一番乗りは、自宅から車を運転してきた籔亀さんだ。30分も前に到着していたそうな…。一番遠いところから来ているのに頭が下がる。

 この日はとにかく寒く、大月駅始発のバスを待っているだけでも、身体が凍えてしまうくらいだ。定刻(8:18)のバスに乗り込む。乗客は我われ5人だけである。バスに揺られること30分で、登山口のある浅川に到着した(8:50)。

 早そうに準備をして出発する。最初は林道を行くが、陽が射さないため寒さが身にしみる。50分ほどで浅川峠に到着した。尾根に出ると、風もなく日当たりがよく、温かくなってきた。

 木々の間からは、富士山をはじめ、まわりの山もだんだん見えるようになってきて、快適な登りだ。途中は休むことなく、一気の登り、権現山の山頂には10:55に到着する。

              (権現山山頂にて)


 山頂からの眺めは、これまた一段と素晴らしい。富士山はもちろんのこと、北側の奥多摩方面も一望できる。
 ただ、雪はほとんどなく、むしろ雪解けでぬかるんだ状態だ。すこし早い昼食をとる。50分ほどのたっぷりの休憩をとったのち、下山を開始する。
 まず目指すのは高指山。所どころ凍っていて、滑りやすい。これも山頂付近だけで、しばらく下降すると氷結はまったくない。

 途中、舗装された林道を横切る。だが、林業のためとはいえ、山奥までの自然破壊はむなしい。

 高指山に到着して、小休止をとる。次は不老山を目指す。アップダウンをいくつか繰り返したのち、南側が開けた不老山頂に到着する(13:40)。


 正面遠くには丹沢主稜がある。手前には、倉岳山から矢平山、高柄山と連なる尾根が一望できた。眼下には、中央高速の談合坂SA(下り)がある。四方津、上野原市の町なみがはっきりと見える。

 不老山という名前の山も、全国各地に沢山あると思っていた。ところが、九州にある徐副伝説のところを含めても5座しかないのは意外だ。

 小休止の後、不老下に向けて下山していく。バス停に14:50に到着。平日の昼間はバス便がないため、四方津からタクシーを呼び、駅に向かう。
 籔亀さんとは駅で別れた。残り4人は恒例の立川駅で途中下車し、反省会をしてから家路に向かう。お疲れさまでした。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№174から転載

高川山(975m) = 大久保多世子

1. 期日 :2016年6月12日(月)晴れ
                         
2. 参加メンバー : L武部、市田、原田、大久保 (計 4名)

3. コース :初狩駅―― 自徳寺 ―― 高川山 ―― 天神峠 ―― むすび山―― 大月駅 


 梅雨時にしては、珍しく最高のハイキング日和だった。
 初狩駅を9:40に出発した。駅前から右に進み、中央線のガードをくぐり、右手の自徳寺に入る。

 武部さんの案内で、色とりどりの花が綺麗な墓地の中を進む。大きなイチョウの傍らに、ビッキーのお墓はあった。可愛らしい墓石には「ビッキー安らかに」の文字と、ビッキーの絵がくっきり。硬貨がたくさん供えられていた。

 ビッキーは高川山の頂上辺りに住んでいて、登山者に人気の犬だった。そうとは知らず、私は友人と登ったとき出会い、「野犬だ!」と怖がったことを思い出した。


 登山道はしばらく道幅が広いが、山道は狭く急坂になる。
 女坂と男坂の分岐で、小休止をとり、当然のごとく男坂に進む。夏のように暑いが林の中は快適で、時折吹くそよ風が嬉しい。
 横1列に並んで、下向きに咲く清楚な白い花はネジキである。幹がねじれる木だが、地方によって、花の様子から「飯粒の木」とも呼ぶそうだ。


 11:40に頂上に到着する。 まさに大月市の秀麗富嶽十二景の十一番山頂!パッと開けた視界に雄大な富士山がそびえ、何とも清々しい。

 ヤマボウシ・コアジサイ・シモツケ・ウツギ・テリハノイバラなどが咲き、アオダモは実をつけていた。

 花と富士山を見ながら昼食をとり、記念写真。

 展望の良い頂上には30人ほどの人がいた。低学年の女子が3人で追いかけるのは、何と、トカゲだ。逃げ回るトカゲの藍色が美しい。
 標識の下に入れてあるビッキーの写真を皆で見て、12:30に、むすび山に向けて出発。すぐ林の道で、木陰の涼しくて、とても心地よい、コアジサイがたくさんあって、優しい薄紫の花には何度もカメラを向ける。アップダウンを繰り返しながら、なおも進む。

 禾生駅への分かれ道。さらに天神峠や田野倉駅への分かれ道を過ぎると、パタリと人に会わなくなった。
 道の上には植物が伸びていて、実に歩きにくい。

 ウルシも枝を伸ばしているので、半袖だと心配になるほどだ。むすび山までの道のりはかなりあり、「峰山585m」と木の幹に取り付けた標識を過ぎても、まだ着かない。
 少し焦れてきた頃、癒してくれたのがイチヤクソウの可憐な花だった。草の間、木の根元などにけっこうたくさん咲いていた。

 目に優しい鮮やかな緑はカエデの木。たくさんあったので、
「ここは秋にも是非来たいね。」
「すぐ暗くなるから逆コースがいいね。」
 などと話しながら進む。


 九鬼山とリニア実験線が見えてきた。リニアモーターカーは九鬼山と高川山の真下を通っている。
 「この急坂はむすび山に違いない。」
 と頑張って登ると、大きな石があって、「おむすびにそっくり!」と一瞬喜んだが、GPSを見た原田さんの「むすび山はまだ先。」の声にガックリ。

 後日「ぼたもち岩」と呼ばれていると、佐治さんに教えてもらった。

 この岩からしばらく歩いて、ようやくむすび山に到着する。眼下には大月の街並みが広がっていた。ここからは下るだけで、4:00頃に大月駅に到着した。

 反省会の生ビールは格別においしかった。ゆったりと花々を観賞し、写真も撮り、体の芯まで緑色に染まった、楽しい日帰りハイキンクであった。

          ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№204から転載

高水三山(793m)=武部実

登山日 : 平成28年7月 2日(土) 

参加メンバー : L武部、渡辺、野上、中野、+武部友人(色川)の計5人

コース : 軍畑駅 ~ 高水山 ~ 岩茸石山 ~ 惣岳山 ~ 御嶽駅

 集合時間である軍畑駅9:10着の電車からは、登山客がぞろぞろと降りてくる。5~60人はいるだろうか。
 私はたまたま早く集合時間の30分前の電車に乗ったが、同じ状況の混みようであった。ここからは御岳渓谷のハイキングコースもあるが、ほとんどが高水三山に行くようだ。


 9:20に出発する。踏切を越えて、舗装路を歩くこと約30分で、高源寺に着いた。ここから少し登ったところが、登山口だ。いきなり、急登の長い階段が現れる。
 きつくて途中で、一回休憩をとる。天候が曇り空で、樹林帯の歩きなので、すこしはましだが、今日は30度超えの予報だから、こまめな水分補給は必須だ。

 登山路には、『合目』が彫り込んである石柱が設置してあり、三合目だ、四合目だ、と確認しながらのんびり歩くのも楽しいものだ。
 高水山直下の常福院に11:30に着いた。山頂はすぐだが、混み合っているのではないかと考えて、ちょうど通り道に誰もいない東屋があり、ここで昼食にすることに決めた。

 12:10に出発。5分で一番目の高水山(759m)に着く。曇り空とあって開けている南面の見通しが無く、集合写真の記念撮影をして、すぐに出発する。
 山頂直下は急降下だが、その後は緩やかな稜線歩きが続く。白いキノコの群生やギンリョウソウを発見したりしてのゆっくり歩きだ。
   
 ところが、二番目の山頂直下になると、急な登りになってくる。12:53に岩茸石山(793m)に着いた。三山の最高峰で、北方面が開けていて、手前には黒山が、その先は棒ノ折山が眺められた。

 小休憩して歩き始めたころには、お日様がでてきた。だが、樹林帯のコースなので日陰で快適だ。しかし三番目の山頂直下が急な岩登りで大変なところ。登り切ったところが、惣岳山(756m)で13:34に着。

 山頂には青謂神社奥の院が鎮守してある。見通しはないが、杉林に囲まれて広々とした気分が好いところだ。

 14:10に出発。ここからは御嶽駅に向かって下りのみ。杉林の中を歩くが、ここは『関東ふれあいの道』でよく整備されてあった。快調に歩いていたと、いいたい所だが、湿った登山路に見事にスッテンころり転ぶ。擦り傷だけですんだが、油断はまさに禁物だ。

 15:50に御嶽駅に着いた。恒例の反省会は、最近よく行くようになった立川の「弁慶」。焼酎のボトルを新たにキープし、8割方残っているので、早い者勝ち、遠慮はいりません。

  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№205から転載