登山家

全国「山の日」フォーラム:みんなで山を考えよう(1)=東京・有楽町

 2016年8月11日から、国民の祝日が増える。それを記念した全国「山の日」フォーラムが、東京・有楽町の「東京国際フォーラム」で開催された。メインテーマは『みんなで山を考えよう』で、3月28日(土)、29日(日)の2日間にわたる。
 主催は全国「山の日」フォーラム実行委員会(磯野剛太事務局長 写真・奥)である。

 ミス日本「みどりの女神」の佐野加奈さん(静岡出身・東京農業大学)が各イベント会場を廻っていた。


 初日の28日(土)は10時から、特設ステージで、トークショーが開催された。トップバッターの司会者は8000メートル高所登山家で名高い近藤謙司さん、モデルのKIKIさん、花谷康広(山岳ガイド)とあって、開始時間にはすでに長椅子がいっぱいだった。近藤さんの歯切れのよい口調で、山のエピソードをくり広げていく。

「ぼくは4000メートルの山に行ったら、もうちょっと高い山と5000メートル、いつしかエベレストに何度も登っていた」
 近藤さんは高所登山家になったプロセスを紹介してから、KIKIさんに登山好きになった、山との出会いを訊ねた。
「登山歴は9年です。最初は八ヶ岳の赤岳に登りました。赤岳鉱泉小屋が、きれいで素敵でした。登攀(とうははん)中は霧で視界がなく、山頂に着いた途端に、パッと晴れて、見事な景色で、その感動から一気に山好きになりました」
 彼女はそう語ってから、子どもの頃に両親がキャンプなど、アウトドアに連れて行ってくれた。そこに山好きになる下地があったと思う。

 左から、花谷康広さん、KIKIさん、近藤謙司さん、


「赤岳の山頂に来て見て、自分の脚で登れて感動できた。もっと行かないともったいないと思いました」
 彼女はその後、アイガーに登ったり、TVの登山番組に出演したりするなど、現在の活躍ぶりがモニターで紹介された。

 花谷康広さんは、子どもの頃の体験で、
「小学生の頃、六甲山キャンプに一人で参加し、『ひとりできたの、先生が友だちになってあげよう』と言われました。その初対面の先生との出会いが、山好きになる、大きなきっかけになりました」
 家族、友だち、先生との絆を考えてみる。そうした祝「山の日」であって欲しい、と花谷さんは強調した。



 エキシビジョンゾーンでは自治体、企業、山岳団体などのアピールブースがあった。登山、ハイキング、スキーなどに関連する、最新情報が得られるので、山ガール、中高年登山者などで賑っていた。それぞれがブース担当者から、ウェア、ドリンク、地図などの説明を受けていた。
 「山の日」クイズラリーが行われていた。ザックや各地の名産品、招待券などが当たるので、若者たちの参加が目立った。

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身も心も洗われた『出羽三山』=野上とみ

・日 程 2014年7月29~31日

・コース(1日目)羽黒山(晴):鶴岡~羽黒センター~羽黒山山頂
    (2日目)月 山(晴):羽黒山山頂~月山八合目~仏生池小屋~月山頂上小屋
    (3日目)湯殿山(小雨):頂上小屋~装束場~湯殿山神社~湯殿山参籠所~鶴岡

・メンバー L武部実、渡辺典子、中野清子、松本洋子、野上とみ


『羽 黒 山』

 バスを降りると、すぐに随身門(13:42)、いよいよここから神聖な地に入って行く。石段を下り神橋を渡ると、目に入るのは延々と続く石段(2446段)、両側には樹齢300~600年の杉並木が続いている。
 左奥には1070年前に平将門が建立したといわれる五重塔がある。杉の大木の中に佇む姿は幻想的であり、心を和ませてくれる。
 五重塔を過ぎると、一の坂、二の坂の石段。二の坂の茶屋で氷を食して休憩、三の坂を登り切ると大きな赤い鳥居があり、羽黒山山頂である。
 山頂の手前左手奥に今日の宿(斎館)がある。荷物を置いて羽黒山山頂へ(15:30)。大きな広場状になっていて、厳島神社、蜂子神社、他に7~8社が並んでいた。
 その中でも三神合祭殿は羽黒山、月山、湯殿山の三神を合祭した日本隋一の大社殿で、厚さ2m程もある茅葺屋根は迫力があり、驚きでもあった。

 今年は140年ぶりの出羽三山開祖の蜂子神社の一般公開に当たり、私達もお祓いを受け、お札を頂き、身も心も洗われた気分になった。
 斎館は山伏達が住んでいた遺構として残る唯一の建物であり、月山山麓で採れる山菜を素材にした精進料理は格別な趣があった。


『月 山』

 羽黒山山頂からバスに乗り、月山八合目に着く(9:00)。レストハウスの西の方を巻いて登って行くと、弥陀ヶ原の広大な湿原で、小さい池塘が点在し、ニッコウキスゲ、ワタスゲ等が咲き乱れている。
 一周し本道に戻り、鳥居をくぐって月山へと登って行く。
 足元には高山植物が次々と現れ、立ち止まる回数も増えていく。やや勾配のきつい鍋割を過ぎると、現れ出した雪渓周辺の植物が美しい。ピークを登りきったところが仏生池小屋(12:55)。小屋の周りにはフウロウ、イワカガミ、シャジン等の大群落で雲上の楽園のようだ。

 ここから先は緩やかな登りが続いている。色とりどりのお花畑の中を進む。チングルマは既に花の時期を終え、穂が風車のように風に揺れていた。
 霧が出てきた。霧の切目から月山神社が見えた。目指す月山山頂は近い。大きな雪渓の横を登り進めると月山神社に到着(14:30)。月山頂上小屋で休憩後お花畑の散策に出かける。どこまでも続く緑の草原、花の群れ、雪渓、池塘と岩との絶妙な配置に感動した。


『湯 殿 山』

 目覚めると、小屋の周辺は霧におおわれ、風が強く吹きつけている。湯殿山に向かって出発(7:00)。外に出ると風は予想外に静かである。
 霧で周りは見えないが、目の前にある花々の群れがぼんやり見える。石ゴロの急坂を下って行くと牛首に着く(8:15)。牛首から金姥までは整備された歩きやすい道。金姥からは修験の道に入る(8:39)。
 雨が降り出してきた。かっては登拝者がワラジを履き替え、衣装を正して月山に向った場所である装束場跡(現在避難所)で休憩(10:02)。ここから、いきなり標高差200mの月光坂である。

 前半は鉄梯子と鎖にすがって下る急坂の連続、後半は沢の中の岩の道を慎重に下って行くと、本殿も拝殿もない湯殿山神社に着く(12:19)。シャトルバスで湯殿山参籠所へ。下界は真夏の太陽が照りつけて暑かった。


 記録・野上とみ


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№183から転載】

花と景色、そして達成感の滝子山(1590m)=佐治ひろみ

・日程:2014年5月13日(水)晴れ

・メンバー:(L)大久保多世子、渡辺典子、蠣崎純子、脇野瑞枝、松村幸信、中野清子、佐治ひろみ

・コース:笹子駅8:35~寂ショウ入口9:27~山頂12:45/13:30~桧平14:10~初狩駅17:00


 夜中に降っていた雨は朝になっても止まず、傘をさして家を出た。予報では天気回復というが、岩場は濡れていないだろうかと心配しつつ、電車に乗った。高尾を過ぎる辺りから、道路は全く濡れていなかったので、ひと安心。

 笹子駅で7人集合し、吉久保集落に向かう。庭先にはジャーマンアイリスや花々が綺麗だ。中央高速の上を通り桜森林公園を過ぎると、ひっそりと寂ショウ庵の看板が立っている。
 そこを入って行くと、廃屋があり大きなサラサドウダンの木が赤い花を付けていた。ここからやっと登山道。30分位で林道に出て小休止。息を整えて急坂を登って行くと、両側は美しい自然林になり、あちこちに山ツツジの赤い花が目立ってきた。

 そのうち大久保リーダーが何かを発見。足元に落ちていたクルクルした葉っぱを手に持ち、「おとしぶみ」といって、中の虫が葉を折り曲げて住処にしている、と教えてくれた。リーダーのレクチャーは続き、今度はブナの実を見つける。三角形でちょうど蕎麦の実のようだった。

 こんな風に山道も飽きずに登って行くと、1時間ほどで岩場が現れる。大きな岩場を右に行ったり、左によじ登ったりしながら、高度をかせいでいく。リーダーのペースは常に一定でとても登りやすい。
 一段落すると岩の間には、今回お目当てのコイワカガミが現れ、一同黄色い歓声を上げる。あっちにもこっちにも小さくてピンクの可愛らしい花が咲き乱れて、疲れも吹き飛ぶ。花を見ながら、岩山をよじ登る事1時間半で、ようやく尾根に出る。
 ここから小さなピークを3つ超えると頂上。踏ん張りどころだ。

 山頂に着くと綺麗な富士山がお出迎え。北に目を向けると、雁ヶ腹摺り山や小金沢連嶺、大菩薩の山々が見渡せる。みんな大満足して昼食をとる。
 ゆっくりお弁当を食べた後、初狩に向けて急坂を下る。分岐では男坂を通り桧平へ。ここで小休止し、また暫く尾根道を快適に歩く。今度は尾根を外れて暗い杉林をジグザグに下る。
 飽きてきた頃、沢の音が聞こえ始め、水場に到着。

 最後は沢沿いに何度か渡り歩くと、林道に出た。駅に向かい民家の花々を見ながら下ると、何やらけたたましい鳴き声が聞こえてきた。『ガビチョウ』という外来種で、この里に住み着いていると教えてもらった。その鳴き声は大音量で、遠く離れても響いていた。大きな桐の木には紫の花が満開だった。

 足も疲れてきた頃、5時のチャイムと同時に駅に着いた。
 電車の時刻にはまだ間があるので、駅構内のベンチで簡単な反省会。今日一日、本当に良く歩きました。お天気も、花も、景色も素晴らしい、達成感のある山行になりました。


     記録・佐治ひろみ


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№178から転載】

伝説の金時山(1,212m)はご存じ? 冬山は侮れません=横溝憲雄

 平成26年3月18日(火)は、曇り・みぞれ(春一番)でした。
 参加者:L横溝憲雄、渡辺典子、後藤美代子、野上とみ、中野清子、針谷幸司、他1名     
 行程:新宿(高速バス)~乙女峠バス停~乙女峠~長尾山~金時山~地蔵堂~新松田駅 

「まさかりかついだ金太郎伝説の金時山~」、3回目の登山です。天候が今一で気になったが、とんだ登山になるとは……。

 金時山は神奈川県足柄郡箱根町と静岡県駿東郡小山町の境に位置する山です。皆さんご存知ですか? 頂上の金時茶屋と金太郎茶屋の間が県境です。
 金時山は姿が、高く突き出たイノシシの鼻のように見えることから、猪鼻嶽とも呼ばれています。

 金時山の登山ルートは5ルートあります。今回は乙女峠バス停から登る乙女峠ルートです。頂上付近の急登が一番短いのと、以前丸岳へのルートで使った乙女峠への登りが楽であったことから選びました。
 無論、新宿から高速バスという利便性もあります。  

 山にはまだ残雪(20㎝)ありとの情報で、軽アイゼン持参です。乙女峠へ向けて登ると、程なく雪道になりました。
「アイゼンはきまーす」
 初参加の会社の女子にも、モンベルで、軽アイゼンの購入を勧めておきました。みんなザックからアイゼンを取りだしました。何やら箱を取り出しています。
「何!箱のまま持ってきた!」「アイゼンのつけ方がわからない?」
 となると、左足、右足と、苦労して装着の手伝いです。
 「若い娘には親切だねー!」「いや、いや.....」
 そんな軽口をたたきながら、20分? 30分? やっとの思いで、アイゼンの装着が完了しました。

 登山開始です。ゆっくり登り、やがて乙女峠へ。富士山も周りも全く眺望なし。集合写真もなし。

 次なるは長尾山へと向かう。これが意外と長い距離です。アイゼンを外して、またつけて、と結構大変です。天候も“春一番”の突風で歩きにくい。今にも雪が降りそう。

 長く下って登り返し、やっと頂上へ着きました。吹雪?のようなみぞれが降っていました。立っているのがつらい。視界が全く効かずです。
 みんな急いで金太郎茶屋の室内へ入った。
「駄目ですよ、アイゼンはいたままでは。床が木なので傷つけてしまう」
 吹雪? みぞれ、戸外で脱ぐ間もなく上り込んでしまったから、叱られた。寒い。みんな暖かいうどんを注文。持参した弁当は開く間もなし。でも、うどんはあったかい、旨い。

 さて、下山です。地蔵堂へ下る予定ですが、傾斜が強いので危険だ? 乙女峠に戻る方が長い雪道の下りでもっと危険? 判断に迷う。

 店主に相談し、急傾斜もてすりがしっかりしている地蔵堂へと下る。ゆっくり安全に30分程かけ、平地の鳥居へ出ました。もう安心、後は歩きやすいハイキングコースです。
 想定より時間を費やしましたが、無事に地蔵堂の茶屋につきました。ここでビール!、甘酒も。       

 しばし休憩後は、始発のバスで新松田へ出ました。いつもの〝華の舞〝で無事下山を乾杯です。本日の山行は猛吹雪?のみぞれの中、全く視界が開けず、何の山に登ったかわからず仕舞でした。次回に期待します。

        記録・横溝憲雄


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№177から転載】

【新曲発表】 紫蘭会の『山の歌』(四十年の軌跡)

 紫蘭会の設立40年を記念して、平成26(2014)年8月に創作されました。そして、翌27年1月21日に、「紫蘭会40周年記念イベント」で、初披露されました。


                          作詞 小倉董子  (写真)


                          作曲 久新大四郎
                      
                        
『山の歌』、紫蘭会のコーラスがYou Tubeで聴けます。こちらをクリック                        


楽譜をダウンロード(印刷してお使いください)

歌詞をダウンロード(印刷してお使いください)

 

紫蘭会の『山の歌』  (四十年の軌跡)


    憶えていますか  出会った日のこと
    幸い棲むという  あの山に登りたい
    可憐に咲く高嶺の花たちに  出会いたい
    みんなの瞳が   キラキラとまぶしかった


    憶えていますか  山との出会いを
    雨と風に見舞われて  彷徨った不安を
    試練の先には   喜びがきっとある
    枯れ枝にきらめく 満天の星たちよ


    憶えていますか  歩けそう地球の果てまで
    ピレネーで     あなたがつぶやいた
    今度はどの山に  行こうかみんなで
    仲間と自然と    ちょっと冒険 (※リピート )
   ※喜びを分かち合い  支え合えば叶えられる
    絆は強く      笑顔がはじける

    

斜里岳はスリル満点で北海道随一の景観だ=関本誠一

 2014年、北海道山行、帯広でレンタカーを借りて『トムラウシ~雌阿寒岳~羅臼岳』をまわり、最終目的地・斜里岳の麓に到着した。

 阿寒と知床連山の中間にそびえる斜里岳は知名度低く目立たないが独立峰なので、近づくにつれ徐々に大きくなるその姿に一種の感動を覚える。


 登山ルートはいくつかあるが、最もポピュラーなのが清里町からの「清岳荘(せいがくそう)」ルート。当日は土曜日だったせいか、早朝5時で駐車場はすでに満車だった。


 登山道は林道のつきあたりから始まり、沢沿いに10ヶ所以上徒渉を繰り返すうちに、やがて新道と旧道の分岐である下二股に到着した。登りは沢(旧道)を、下りは尾根(新道)を通るよう推奨されており、ためらわず旧道を行く。

 沢沿いに進むと最初に水蓮の滝が現れる。さらに登って行くと溶岩流の上を流れるナメ滝状の羽衣の滝、そして万丈の滝と続くが、鎖などがあり助かる。
 雨が降ったあとなどは足元をさらわれないよう特に注意したい。

 この先、滝は流れの幅を小さくし、階段状の岩場となる。

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富山藩士の富士登山 = 上村信太郎

 江戸時代中期の享和3年(1803)、加賀・大聖寺藩主の命により、富士参詣をした家来である笠間亨が記した日記が残されている。『享和三年癸亥日録』という題名で一般には「笠間日記」の名で知られており、そのなかに富士登山の記録が含まれている。


  大聖寺藩は、現在の石川県加賀市にあった藩で、加賀百万石、前田利家の四男で加賀金沢藩主の利常が隠居に際して三男利治に分封。加賀藩の支藩(7万石)となったという経緯がある。また、大聖寺という地名は『日本百名山』の著者深田久弥の出身地でもある。

 笠間亨は明和5年(1768)に儒学者那古屋一学の次男として生まれ、16歳のときに笠間平馬の養子になる。元服後は小姓、近習、表御用人等を歴任した。享和元年から江戸詰。この間に富士代参を果たす。

 では、徳川家斉将軍(第11代)の頃の富士登山がどんなだったのか「笠間日記」を見てみよう。6月10日に藩主から富士山御代参を命じられる。同行者は藩士の大野文八。出発前に武州小仏の関所を通る通行手形を用意している。
 江戸出発は6月16日(旧暦)。内藤新宿、八王子を経て三日後、吉田村に着いて田辺次郎右衛門の宿に泊る。この人物は富士講の元祖食行身禄入定のときに最後まで付き添った御師田辺十郎右衛門の子孫という。


 20日、登山準備(300文で案内人を一人雇い、予備のワラジ・食料の餅など用意)をして出発。浅間神社裏口まで田辺次郎右衛門が見送る。中の茶屋を過ぎ、馬返しで馬を乗捨てる。道中、いくつも堂がありそこを通るようになっている。これは「銭ヲ貪ルタメナリ」と感想を記している。二合目で金剛杖を買う。夕立あり蓑を着用。五合目の茶屋で休む。右方に小御岳石尊大権現の鳥居がある。七合目に身禄の堂があった。

 八合目の石室に泊る。室は4軒、「八合目迄吉田領也、是ヨリ上ハ須走領也」と記す。
御師に借りた綿入れなど4枚着るがまだ寒い。宿賃3人分、飯、汁、粥、布団などで2朱。

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鍋焼きうどんは食べられず。紅葉も富士山も最高=市田淳子

 三連休の真ん中の11月23日(日・祝)は、晴天に恵まれました。
 気温も高め、次の日は天気が崩れるという予報のせいか、人、人、人。渋沢駅から時間稼ぎのため予約したタクシーに乗りましたが、登山客が多いため隣の駅(秦野)からの助っ人、アルバイトの運転手さんでした。

 道がわからず迷いに迷って予定より30分ほど遅れて二俣の手前に到着しました。あんなに人が多かったのに、登り始めるとそれほどではなかったのは、一般のコースとは逆回りをしたせいかもしれません。

 登山道で木々の隙間から、富士山が何度も綺麗に見えました。とても眺めのいいコースです。
 都内では紅葉の季節ですが、丹沢も山の下の方は絶好の紅葉の季節でした。赤、黄色、そして常緑樹の緑と青空がとても美しかったです。

 標高は大したことはないと思って登り始めましたが、山道はかなり急登で休ませてくれません。ですから、途中で見える富士山と紅葉はより感動が大きかったです。

 小丸に11時40分頃到着しましたが、小丸から鍋割山までが気分的に遠く感じ、鍋割山に到着したのは、12時半でした。山頂は人だらけ。座る場所もないくらいでした。

 それでも、楽しみにしていた鍋焼きうどんを食べようと、山小屋に入って聞いてみると、なんと! 2時間待ち!! そんなに待ってはいられないと、準備してきたパンやお菓子などの非常食で昼食を済ませ、下山することにしました。

 下山は少し早足で…前を歩くお二人の頭にはビールと鍋焼きうどんがチラついているのか、早い!途中でリンドウの花が咲いていたのですが…。そして、大倉のバス停から15時30分のバスに乗り、渋沢駅に20分ほどで到着し、反省会をしました。

 真っ先に鍋焼きうどんはないかと探しましたが、メニューにはなく、帰ってから(?)鍋焼きうどんを食べることにしました。鍋焼きうどん以外、お天気も紅葉も富士山も最高の山行でした。

                                    記録 : 市田淳子


『関連情報』

鍋割山(標高1,273m)

登山日 : 平成26年11月23日(日・祝)

参加メンバー : L石村、岩渕(美)、原田、市田

コース : 渋沢→二俣→小丸→鍋割山→後沢乗越→ミズヒ沢→二俣→大倉→渋沢


ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№183から転載

大惨事の1か月前だった、御嶽山(3067m)に登頂したのは=武部実 

 平成26(2014)年8月18日(月)に、新宿から高速バス(8時10分発)で、木曽福島に向けて出発した。渋滞も無く順調に、と思っていたら、なんと30分遅れ。
 木曽福島の美味しいお蕎麦屋さんであわただしくそばをかき込むはめになった。赤沢自然休養林で森林浴を楽しみ明日からの登山に備える。(木曽福島泊)


 翌19日、今回は黒沢口の登山コースなので、木曽福島からバス(8:40発)で御嶽ロープウェイの山麓駅までいく(約1時間)。
 
 山頂駅の7合目(2150m)に10時00分に着。雨が降っているので、レインウェアを着込んだりと身支度を整えて10時25分に出発した。

 樹林帯のコースだが、雨をさえぎるような大木もなく、ひたすら登り続ける。11時40分には女人堂8合目(2470m)着。ここで昼食タイムとなった。コーヒーやお汁粉を注文して休憩する。 

 12時15分に出発。雨もやんできたので、雨具を脱ぐ。いたるところにある石碑(霊神場)では、先達に先導された講の人達が祈祷する姿を見かける。
 信仰の山だなと改めて思い知らされた。


 14時20分には九合目(2800m)着。中野さんの足取が重く、顔色も悪いようだ。覚明堂という登山指導所と避難小屋をかねているところで休ませてもらう。

 お茶を入れてもらい、血中の酸素濃度を測ったら、中野さんは、79%と低い値。典型的な高山病の症状だ。
 酸素吸入(1000円)をしてもらったら、顔に赤みがさして楽になったようだ。
 ちなみに全員測ってもらう。一人が82%のほかは、ほぼ90%台。ところが私は99%という高い値、管理人にほめられた。

 今夜の宿泊場所である二の池新館小屋まではすぐ近くなので、とりあえず小屋に向けて出発する。15時25分に到着した。夕飯まで間があるので、5人で頂上まで約1時間のピストンをする。


 20日は朝4:30に起床する。この時間から空が赤みを増して、好い天気の予感。5時過ぎには木曽駒の北側にある経ヶ岳(2296m)付近から、ご来光を拝むことができた。

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女性の登山パワーはすごい(下)=紫蘭会が40周年記念イベント

 女性だけのACC「紫蘭会」の40周年イベント会場で、
「山は連れていってもらう、連れられ登山ではなにも身につきません。それではだめですね。自己の責任において、自立した山行を目指す。皆にリーダーをやらせました」
 と会長の小倉董子(のぶこ)さんは強調した。

 最初は躊躇(ちゅうちょ)していても、進んでリーダーをやってくれるようになる、と話す。リーダーで苦労しても、山は辛い思い出が良い想い出に変わる、という。


 斉藤京子さん(元大学教授)が40周年記念イベントの実行委員長である。「作品はたくさん賑やかに」と呼びかけた。会場(江東区文化センター)には、会員たちの創作した絵画、書道、写真、陶芸品などが数多く展示されていた。

 小倉さんの著書もならぶ。最近の著作は「知識ゼロからの山歩き入門」(幻冬舎)である。靴・ウェアの選び方、地図の見方、天候の予測、疲れない歩き方がある。この点に関して、
「体力のない方でも、ゆっくり、小幅で同じペースで登る。ゆっくり歩けば、地球の果てまで歩けます。道なき道も登れます。それは入門者にも、ベテランも同じです。それが生涯楽しめる歩き方です」
 とインタビューでも強調していた。


 山に登る者には山岳遭難がつねに意識のなかにあると思う。心構えなど、その点の意見をもらった。
「自然(山岳)は何ごとが起きるか解りません。有名登山家でも雪崩に遭う。予想もせず、突然、火山が爆発していん石が落ちてくる。それが山の怖さです」
 そう前置してから、
「運・不運も才能のうち」
 そう割り切れない面があるが、とっさの判断でリュックを頭にのせて助かった人もいる。こうした瞬時の知恵やアイデアも、山で身につけていく必要がある。それはちょっとした冒険心が育ててくれるという。

 小倉さんはかつて女性4人2台の車で、サハラ・東欧女子地球走破隊(2万キロ)、南米女子縦断隊(3万2000キロ)などアドベンチャー・ドライブを行っている。フロントガラスが粉々に割れるなど、思わぬことが次々に起こる。その場の出来事ごとに臨機応変に処す。

「危険を前提にした知恵がないと、山には登れません。ちょっとした冒険心をくり返し、瞬時の工夫を重ねることで、安全に対処する知恵が身につけられます」
 小倉さんのことばには、実践してきた説得力がある。


 夫の小倉茂暉さんは麻布高校時代の山岳部員だった。谷垣禎一さんや故・橋本龍太郎さんが同山岳部に在席していた。
 国民の祝「山の日」は、谷垣禎一さんが推進委員会長として推し進めてきた。小倉董子さんに同祝日についてコメントをもらった。
「山の日を利用して、山のリーダーを養成する機運を高めてほしい。そして、育った学生、社会人たちが次の世代につなげていく。それを望みます」
 祝「山の日」は来年8月11日から施行される。


 40周年イベントの最終日は、大勢が積極的に参加する『40年の軌跡』の朗読劇が行われた。会員が5行ずつ朗読する。最後に、小倉さんが心をこめて「マイ・ウェー」を歌った。


                                写真:滝アヤ

                                【了】


【予告】朗読劇『40年の軌跡』は、『穂高健一ワールド』(みんなの作品)で紹介します。 

 撮影:佐藤京子(紫蘭会・会員)