登山家

壮大なパノラマがあった大菩薩峠 = 松村 幸信

 平成26年5月19日(日)晴れ ~20日(月)晴れ
 参加メンバー:L武部実、石村宏昭、中野清子、松村幸信

 コース:塩山駅~裂石~丸川峠~大菩薩嶺~大菩薩峠・介山荘泊~石丸峠~小金沢山~牛奥ノ雁ヶ腹摺山~川胡桃沢ノ頭~黒岳~湯ノ沢峠~湯ノ沢峠入口~やまと天目山温泉~甲斐大和駅        


【1日目】
 塩山駅に集合し、8:30発のバスで柳沢峠に向かう計画でしたが、アクシデントによりひとり遅れ、9:30発の大菩薩峠登山口(裂石)行きに乗車する。
 裂石から舗装道路を歩き出して間もなく、雲峰寺の山門が見える。25分程で丸川峠入口を過ぎると山道となる。
 日に照らされた新緑が眩しく、時折青空の下に、真っ白な富士山が顔を覗かせ、気分は最高。丸川峠への後半の急坂の辺りより、上の木々はやっと芽吹き始めたところでした。
 12:20丸川峠に着いた。昼食休憩を摂り、13:00出発。40分位進むと、今年の大雪の名残りの雪が現われ、この時期はまだ凍った部分もあり、注意して進む。

 14:30大菩薩嶺に着。映画などで、誰もが名前は知っている山なので、初登頂に期待も膨らんでいたが、達成感も眺望もなくがっかり。14:50雷岩に着。

 壮大なパノラマが目に飛び込む。富士山、南アルプス、乗鞍岳、八ヶ岳の山々には雪が残り、真っ白に光って実に美しい。15:40大菩薩峠・介山荘着。
 夕食後、18:35の日の入に合わせ、夕日と富士山の両方を見るために、親不知ノ頭まで走る。その後は部屋に戻り、持参した焼酎を飲んで20:30就寝。


今年の西暦同じ 小金沢山2,014mにて

【2日目】
 4:35奥多摩方面からの日の出。西側には今日も南アルプスが美しく見える。
 6:50介山荘を出発。7:20笹原の中の石丸峠に着。石丸峠から湯ノ沢峠までの尾根を小金沢連嶺と呼ぶ。
 8:35今回の山行のメインである2,014mの小金沢山に到着した。9:30牛奥ノ雁ヶ腹摺山に着。途中、山道の真ん中に、子鹿の死骸を発見。今年の大雪で餌がなくなり、餓死したらしい。11:00に黒岳着。
 途中道が深く抉れているため、笹原を切り開き、新しく作られたルートを進むが、出来て間もなく刈り取った笹の根が邪魔をして実に歩き辛い。

 11:50湯ノ沢峠に着。避難小屋の近くに腰を下ろして、やっと昼食である。ここから水場を抜け、柳木場沢沿いの道を渡渉を繰り返しながら下る。
 13:05湯ノ沢峠の登山口。残りはやまと天目山温泉までの舗装道路を1時間強歩くことになる。この最後がうんざりするほど長い。
 ところが温泉まで半分くらい歩いた頃だろうか、疲れ切った顔をして歩いていた最後尾の中野さんの前に一台の車が止まり、バラバラに歩いている我々を次々に拾って、やまと天目山温泉まで送ってくださったのです。
 ひとりで登山に来ていた方でしたが、まさしく地獄で仏に会った思いです。

 13:50やまと天目山温泉に着。汗を流した後生ビールで喉を潤す。残念ながら駅までのバスは17時台までないので、タクシーで移動する。
 15:55甲斐大和駅に着いた。17:15高尾駅近くの居酒屋で反省会を以って終了する。

                 記録・松村幸信


【関連情報】

 ハイキンク・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№179から転載

迫りくるドカーンと大きな浅間山 = 栃金 正一

1.期日 : 2010年7月31日(土) 天気:晴れ
2.参加メンバ : L 栃金正一 上村信太郎 武部実 
3.コース : 浅間山荘~火山館~湯ノ平口~前掛山~火山館~浅間山荘


 4:30、天狗温泉浅間山荘に車にて到着。駐車場はまあまあ混んでおり、奥の方の空いている場所を見つけ駐車する。
 朝食をとり準備を終え5:00に出発。山荘の脇の林道を沢に沿って登って行く。林道の終点が一の鳥居である。
 ここは分岐になっており山側の道を進む。白樺や唐松のあざやかな緑に囲まれた傾斜の緩やかな道をゆっくり登る。
 二の鳥居に到着し、休憩をとる。更に行くと左手に外輪山の大きな岩壁が見え、右手には牙山が大きく尖ってそびえている。

 イオウ臭い沢を横切ると7:10火山館に到着した。ここはトイレ、水場もあり絶好の休憩ポイントである。火山館の裏手の道を少し行くとお花畑になっており黄色のマルバタケブキが群生している。
 その隣の草原にはアザミに似たタムラソウやクルマユリ、ヤマボタルフクロ等が色あざやかに咲いており目を楽しませてくれる。

 湯ノ平口を過ぎ前、掛山登山口に到着する。このあたりから周囲は灌木になり、左手には黒斑山が見えてくる。更に登ると右手にドカーンと大きな浅間山がせまってくる。あまりの大きさに圧倒される。火山灰のザレた道をひたすら登る。

 傾斜が緩やかになったところには、避難ドームが二つ設置されており、その向こうのやせ尾根の先に前掛山が見える。
(火山活動により山頂火口への登山が禁止されていた。)
 そのやせ尾根をどんどん行き9:30前掛山頂に到着。ここの山頂からは眼下に黒斑山を眼下に見ることができる。

 記念写真を撮り下山し、避難ドームで少し早い昼食をとる。展望はすばらしくさっき登った前掛山が小さく見える。

 10:50下山を開始した、ザレた道をピッチよく軽快にとばす。12:15火山館到着、休憩後、一気に二の鳥居まで下り、ここからは沢沿いの道を行き豪快に落ちる不動の滝を見て、14:00に浅間山荘に到着。早速、山荘の温泉に入り汗を流す。

 このコースは時間がかかるが、危険なところがなくスケールの大きな浅間山を充分堪能でき、変化に富んだお勧めのコースである。

                     記録・栃金正一

【関連情報】

 ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№131から転載

木々の新緑が美しい・御岳山 = 渡辺 典子

 平成26年5月20日(火) 曇のち晴
 参加者:L横溝憲雄、針谷孝司、脇野瑞枝、松本洋子、渡辺典子、その他1名    

 行程:御嶽駅(バス)~滝本駅(ケーブルカー)~御岳山駅~御嶽神社~長尾平展望台~日の出山(902m)~金毘羅尾根~武蔵五日市駅 

 御嶽駅に9:15集合、9:21発の滝本行きバスに乗車。滝本駅よりケーブルカー6分乗車し、御岳山駅に着。身支度をして10:00スタートした。

 道標に従い急坂のある舗装道路を歩く。旅館や宿坊を眺めながら、階段を登りつめ御嶽神社へ10:30着。以前、来た時は大勢の人達で賑わっていたが、平日の為か、又、天気予報が前日悪かった為か、かなり少ない。
 ゆっくり参拝を済ませ、リーダーお勧めの展望の良い長尾平展望台を目指す、10:45着。広々としたヘリコプター離着陸場がある。
 ガスがかかり眺望は少ないが、木々の新緑が美しい。東屋で休憩し、いよいよ日の出山に向かう。畑が広がる道をしばらく進み樹林帯に入る。ゆっくり登ると鳥居が見えてくる。 

 段々と急坂になり、左手には東雲山荘、右手に山小屋風のトイレがある。一段上の山頂迄ひと踏ん張りの急坂。ジャスト12:00日の出山、山頂に着いた。
 山頂は広いが人出は少なく東屋に3人程、やはり展望は余り無く、御岳山、大岳山等近くの山々が連なる。早速東屋にて昼食。昼食が終わる頃次第にハイカーが増え、20~25人位になり賑わってきた。


 12:50に、金毘羅尾根下り出発。このコースはマウンテンバイクで走る人達には有名なコースらしい。おだやかな下り一辺倒の道が続く。麻生山を通過。樹林帯が続きタルクボ峰あたりで視界が広がりホッとする。
 誰にも会わずバイクの走者もいない。同じ景色の道が続き少し疲れが出て来た時、ひときわ綺麗な黄色の花が目に入る。全部で10本位見ただろうか。皆に元気を与えてくれた。
 山野草ガイドブックで調べると“キンラン”でした。雑木林に咲く花で減少しているようだ。

 静かな下りをひたすら歩くこと3時間、15:45に金毘羅山に到着。昨年、交流山行で宴会をあげた琴平神社横の広場は閑散、ツツジも終わっていた。
 見晴台で五日市の市街地を眺め、駅へと下る。登りはわずかで美しい新緑を楽しみながら下り続けた山行は6時間の歩行、16:45五日市駅に着いた。横溝さん復帰でき、立川で反省会をして解散。お疲れ様でした。

                      記録・渡辺典子

【関連情報】
 ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№177から転載

「山の日」から、安全のための知識と方法(6)=東京・有楽町


 3月29日は、日曜だが、国際フォーラムの会場には、山ガールも来ていました。トークショウを愉しんだり、登山用品関係をのぞき見たり、とても楽しそうな若者が多かった。それが特徴です。

 石井弘之(ひろゆき)さんは、成城学園の中学校高等学校の校長である。

 同校は1930年に、オーストリアからハーネスシュナイダーを招いて、スキーを学んでいる。「海の学校」「山の学校」は同校の伝統行事である。

 中学1年生は「海の学校」で、生命の教育、心臓マッサージの実習、ADEの使い方などを学んでいる

 中学2年生になると、240人が8班に分かれて、北アルプスに登っている。槍ヶ岳、白馬岳、唐松岳。大勢の生徒を安全登山させる対処法について語った。

 教師はふだんの部活動、大山登山などを通して、個人の体力、集中力、指示に対する反応力など、総合的な判断から、一人ひとり挑む山岳を決めていく。この振り分が安全への第一歩である。

 約100人の教員は、春と秋に、プロの山岳ガイドから指導を受ける。教員のなかにも、大学山岳部のキャプテンやマナスル登頂の経験者がいる。本隊に同行してもらい、次のリーダーとして学ぶ。

 生徒への注意事項として、

① 走るな。  遅れると追いつこうとする。
② 振り向くな  おしゃべりにつながる。
③ 荷物を谷側に置くな 
④ 石をけるな
④ 手に荷物を持つな 両手を開かせておくことはとっさの対処になる。

 前日に、登山に出かける装備で、登校させる。それぞれにチェックする。ヘアドライアーとか、缶詰とか、重いものを持ってくる生徒もいる。ザックの荷の計量を行う。

 
 7月下旬は、このごろあてにならない。ゲリラ豪雨もある。後退する、勇気と決断が安全登山の要になる。「山の学校」のあとは、次年度に向けた反省会を行う。


 


 山本正嘉さん(鹿屋体育大学・教授)は、人間の運動能力の限界を引き上げるために、瞬発力、持久力、疲労、回復などに取り組んでいる。その成果をもとにスポーツ選手への教育や指導を行っている。

「登山は想像以上に、ハードなスポーツです。その認識が甘い人が多い。役立つトレーニングができていない」
 そう述べたうえで、脚力が弱いとバランス能力と俊敏性に欠けてきて、事故につながります、とつけ加えた。

 登山歴10年以上で、60~70歳代のベテランが事故を起こしている。

 転ぶ事故が多い。つまずいたり、浮き石に乗ったり、踏み外したり、スリップしてバランスを失う。こうした事故は、全体の56%を占めている。

 太郎平小屋に掲示された『最近の事故』から、足首骨折、大腿骨折、頭部座礁が多い、と事例で示す。

「病気による事故もあります。とくに山の登りで、心臓に負荷がかかり、突然死が起きています」
 心肺機能が弱いことにも起因しています、と補足した。

 山本は「運動の強さ」を11段階に分けている。

 1レベルは座る、立つ、入浴、車に乗る

 5レベルはかなり速く歩く、野球、ソフトボール、

 6レベルは、ハイキング、ジョギングと歩行の組合せ、バスケット、水泳

 7レベルは、無積雪期の登山、サッカー、テニス、スケート、スキー
 
 8レベルは、雪山・岩山、ランニング(分速130m)、水泳(中くらいの速さ)

 10レベルは、柔道、空手、ラグビー

 11レベルは、速く泳ぐ、階段を駆け上る

【写真の上で左クリックすると、2倍の大きさになります】

 安全登山のためにも、ふだんのトレーニングが大切である。山本さんは図表で示した。、


 


 飯田肇(はじめ)さん(富山県・立山カルデラ砂防博物館学芸課長)は、「自然と危険を考える」という面で講演を行った。
 
『登山には4つのキーワード』

①身体の準備
  健康ですか。トレーニングしましたか。よく眠れましか。仕事や勉学の疲れはありませんか。

②計画立案
  まず地図を用意しましょう。どこに行くのか。どのくらい登り、下りがあるのか。逃げ道はあるのか。

③忘れ物はないか
  レインウェア、防寒具、ヘッドランプなど、絶対に忘れてはいけないものをチェックしましょう。  

④登山届
  山で最も大切な安全対策です。


『高さと風』
 高さを増すほどに、風が強くなる。規則性がないので、予測が難しい。山岳は地形によっては、強風になる。

 冬はジェット気流の基軸が南下するので、とんでもない強風になることがある。

 瞬間風速は平均風速の1.5~3倍になる。

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「山の日」から、安全のための地域整備を考えよう(5)=東京・有楽町

 東京・有楽町の「東京国際フォーラム」で開催された。3月29日(日)は2日目で、フォーラムのメインテーマは「山と自然の安全」だった。

 藤原忠彦さん全国町村会会長(長野県川上村長)が冒頭の挨拶に立った。「山と、自然と、森を愛する人たちのあつまりです。飛行機、新幹線は人間の手で作ったもの。山の場合は、武田信玄の風林火山『動かざるもの山の如し』というように動かずしても、突如、危険が迫ります。安全を考え、山を上手く使っていきましょう」
 安全面からしっかり討議し、勉強してほしいと述べた。

宮崎茂男さん(長野県・山岳救助隊長)は、「遭難現場を知って、知識を持って、帰ってもらいたい」と述べた。

 遭難はここ10年間で、1.6倍になった。平成25(2013)年は2172件である。その中で、長野県は14%を占めている。


  携帯電話などで110番が入りやすくなり、GPG機能で所在地が判りやすくなった。それを受けて、警察、消防、民間の救助隊が出る。山は特殊な場所であり、航空隊が出られない場所、悪天候などは、地上隊員が遭難者を背負って降ろすことになる。

 その事例が画像で紹介された。

 八ヶ岳の遭難者がビーコンをもっていた。手袋の発見から、雪崩に埋まった遭難者を発見する過程が説明された。

 御嶽山の噴火災害は死者が57人、行方不明5人の事例に対する、救助活動が写真で紹介された。そこには傷ましい姿があった。

「へリーや通信機器の発達で、死者は少なくなってきました。しかし、救助隊員も命がけであり、二重遭難もある。これらも念頭においてほしい」
 殉職者の数が示された。

 平成21年9月は3人  岐阜県・穂高
 平成22年7月は5人  埼玉県・秩父
 平成26年9月は1人  愛媛県・石鎚

 登山者は自分の責任で登ってほしい。「体力、知識、技術、装備」の面でチェックして、山に入ってほしい。


杉下 尚(ひさし)さんは、岐阜県危機管理部の防災対策監である。

 最近の登山ブームで、岐阜県でも遭難事故が増えている。発生件数の6割が、北アルプスである。

 事故を見ると、技術不足、装備不足の無謀登山が多い。その上、登山届は6割しか出ていなかった。これらのことから、同県は「登山届出を義務化した」と、杉下さんは条例化の根拠を説明した。

 遭難事故の多い北アルプス地域と活火山地区を対象としている。登山届をしない、虚偽をした場合は、5万円以下の過料を適用する。登山時期によって、エリアを変更する。


         【写真の上・左クリックで、拡大されます】

 
 昨年の御嶽山噴火の折、登山届が出されていない人がずいぶん多かった。救助関係者は、遭難者数の実態がつかめず、初期捜索で混乱をきたした。その記憶がまだ新しい。

 

 昭和41年に東京消防庁に「消防防災航空隊」が初めて配備された。長野県は平成9年に配備された。山岳救助、水難救助、捜索に出動している。

 中山義明さん(長野県消防防災航空隊の隊長)である。

 長野県は標高3000メートル級が15座、日本百名山は29座ある。急峻な山が多く、登山者が多い。へリーは強風、突風だと、遭難現場の真上に来ても、ホバリング(空中停止)できない。

「朝の早い内は、割に安定しています。この日の救助はダメだと判断しても、へリーのプロペラ音を聴かせてあげようと、旋回したりもします」
 へリーが気づかなかった、と思うと、失望から死に至るケースが多い。厳しい天候のなかで、こうした配慮もなされている。

 信州ドクターヘリ―としても、活躍している。

「困ることは、地上で、誰もが手を振るので、どこが遭難現場かわからないことがあります」
 そんな笑えない事例も、中山さんは切実な問題だとして披露した。

「救助要請のタイミング(判断)には迷いがあるかと思います。へリーの早期発見には、早期通報が大切です」
 と結んだ。

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「山の日」から、地域の活力が生まれる(4)=東京・有楽町

 主催者のあいさつとして、磯野剛太事務局長(全国「山の日」フォーラム実行委員会)が、2日間のイベントやシンポジウムの概略を語った。

 祝「山の日」は山に親しみ、山の恩恵に感謝するものです。今回のフォーラムは、「山の日」をより知ってもらうためのものです。
 
 日本は海に囲まれた、7割が山の国です。山を通して、地方を創生していく。 現況は、森林の一部荒廃、水資源、里山、川、山の整備など、課題は多くあります。
「山が荒れると、海が荒れる」
 それは食生活にも直結してきます。
 新たに森を再生していく。みんなでこの取り組みを考えてみましょう。

 あした29日(日)は、山の遭難、救助、安全登山をテーマにしたシンポジュウムが行われます。

 

西栗倉村(にしあわくらそん)は、岡山県にあり、平成の大合併でも、市や町と合併せず、頑張っている村である。
 人口は、1530人。同村の上山隆浩さん(産業観光課長)が、遊休の山林対策と、都会の若者を村に呼び込む、斬新な取り組みを語った。


 近年は、木材価格の低迷と、山林所有者が村にいなくなり過疎化が進み、森が荒れている。それが全国的な傾向である。


 3-50年前に植林した杉、ヒノキの林は、人間の手で作られているから、そのまま放置すると、山が荒れてくる。
 無秩序に枝葉が茂り、太陽の光が地面まで届かなくなるからだ。すると、地表が荒れる。森林災害の原因になったりもする。

 その対策として、樹を間引きしたり、枝を伐ったりして、地面まで光りを入れてやる。この間伐材(かんばつざい)の作業がとても重要になる。しかしながら、山林所有者が高齢者だったり、村から出て行ってしまったりしているので、森の管理が疎かになってきた。

 同村は新たな取り組みとして『百年の森づくり』事業を着実に推し進めている。

 登記上だけの山林所有者から、10年間契約で森林を預かる。そのうえで、村の職員が間伐採、あるいは材木を切りだし、販売する。手数料を引いた後の収益は、村と所有者とで50%の分配を行う。

 間伐材は一般に品質が悪く、商品価値が低いとされてきた。しかし、若者の眼には、樹木の節目がユニークなデザインに見える。斬新な発想ができる。同村は若者たちの手を借りて、間伐材に付加価値をつけて世に製品として売り出している。

 マンションの床板として、板材の節目を組み合わせると、新鮮な床に生まれ変わる。人気だ。若者は玩具にも、目をむける。「東京おもちゃ美術館」とタイアップし、子ども対象のイベントで木製玩具の普及に努める。無印の大型小売店で、ユニークな木工品を展示販売する。
 割り箸も拡販していく。割り箸は間伐材の利用だから、森を活性化するのに役立つ。

 製品にできない端材は、同村の施設のボイラーの燃料にする。従来の灯油使用量が大幅な減となった。ボイラーマンも、都会からやってきた若者である。

 木材に付加価値をつけた商品化は、若者たちを魅了した。現在、51名が同村に移住してきた。
「1530人の人口の村ですから、東京都1200万人に換算すれば、約40万人の人口増加となります」
 上山さんは胸を張っていた。


 全国には、所有者の不明瞭な森林や休田が数多くある。行政は手が出せない。
「森を有効に生かすためにも、持主は行政などに相談をしてほしい」
 と全国に呼びかけた。
 新しい森林の創生からしても、これは重要な施策だ。
 
 

 今井通子さんはかつてマッターホルン、アイガー氷壁に登攀した、国際的な登山家である。982年に、「森林浴」が提唱された。ヒノキチュノールを浴びると、身体の維持になる。そこで、医者の今井さんは、森林セラピー運動を推し進めている。(森林環境を利用して、心身の健康維持、増進、疾病の予防をおこなう)。

「日本人は、山は登るもので、登山は途中で帰るものではない、という考えです。ヨーロッパでは、森林は歩いたり、ベンチを置いて本を読んだり、ひたすら自然と親しむ場所だと考えています」


 
「森林には、健康、癒(いや)し、機能障害のリハビリなど効果があります。NK細胞(ガンの免疫、インフルエンザになりにくい)が活性化します」
 風邪を引いたら、森に行くと良いと言われるゆえんである。

「脳卒中の人が4年間の登山で健康を回復してきました」
 と事例を紹介する今井さんは、『森林セラピー基地』づくりを推し進めている。2014年までには、57か所ができた。2015年には60か所の予定である。


 健康、観光、経済、環境の4Kを地元民が推し進める。森を整備すれば、環境が良くなる。そのためには、都会人がお金を払う。この循環が大切である、と今井さんは強調した。


 

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三浦家の究極の親子登山(3)「山の日」フォーラム=東京・有楽町


 「山の日」フォーラムの3月28日は、スペシャル・トークショーで、三浦雄一郎さん一家が壇上に登場した。3代にわたる登山・スキー一家で、日本を代表するアドベンチャー・ファミリーである。

 雄一郎さんは2013年に、80歳で3度目のエベレストを登頂し、世界最高年齢者の登頂記録を更新した。偉業をたてた背景には、家族の大きな支えがあった。

 それを裏づける三浦家の想い出の登山写真が披露され、家族・親子の絆がエピソードとして語られた。


 三浦雄一郎さんは964年7月に、イタリア・キロメーターランセで、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立した。
 エベレスト 8000メートル地点からのパラシュートを使用した直滑降なども行った。

 その後、世界初の七大陸最高峰のスキー滑降達成など、数々の世界的な記録を打ち立てている。


 雄一郎さんは子どもの頃、父親・敬三さんに連れられて八甲田山のスキーをはじめた。当時はリフトがなかった。ゲレンデスキーは畑スキーとして軽視し、スキー板を担いで山を登り、そして滑降していた。

 北海道大学時代は、冬はスキー部員として、日高、知床の雪山で滑っていた。夏は山岳部で過ごした。

 結婚後、雄一郎さんは立山・剣岳で、ボッカをやり、子育ての資金を稼いでいた。
「立山・剣にTVクルーが来ると、撮影器材が重いので、良い値段になりました。現代の感覚では、日当10万円くらいです。私は積極的に荷を背負いました」(他の人は嫌がっていたけれど)。

「最大で、120㎏を背負ったことがある」というと、会場から驚きのどよめきが起きた。

 ボッカ稼業の合間のヒマな時に、立山の難しそうな雪渓を滑っていた。カントリー・スキーから冒険スキーに自然に変更していった。

「エベレストのベースキャンプで、シェルパーの子どもたちが遊んでいた。雄太を連れて来よう」
 それが親子の絆登山の着想の一つになったと話す。

 

 長女の恵美里(えみり)さんは、もの心ついた時から、ザックに入り、山に登っていた。4歳の時に、富士山に登った。それは最年少富士登山の記録となった。

「小学生時代、学校を休まされて、山に登らされていました。三浦家は12歳になると、海外に出されるのです」

 恵美里さんは中学1年から米国留学を行った。夏に帰国すると、「ヒマラヤに行くぞ」と言われました。つねに、登山がついて回っていた。

 3人兄弟だが、「お願いだから、学校に行かせ」と次男の豪太(ごうた)さんなどは、父親に訴えていたと明かす。


「親に感謝できたのは、20-30年後になってからでした。いま、アウトドアで生命の危険を感じるときに、幼いころから山に登っていたし、敏捷に対処できます。親のお蔭だと思っています」



 長男・雄太さんは、幼いころの父親の想い出を語る。

「天気がいい日は、学校に行かず、山に登らされました。飛行機を買ってくれるからといい、ヒマラヤに行きました。象やライオンに会えるぞ、とアフリカのキリマンジャロにも連れて行かれました」


「教育委員会で聞くと、小学校は半分出席すれば、卒業できると聞いていた」
 雄一郎さんが、口を挟んだ。


 キリマンジャロ(標高5,895m)は少年には厳しかったようだ。
 高所登山だから夜出発する。およそ氷点下25度になる。子どもには過酷だ。太陽が上がると、身体が温まってきた。
 どんな苦労でも、がんばれば、その先に太陽がある、と子どもながらに知りえた。


 雄太さんは、父親の80歳エベレスト登頂ではベースキャンプで、気象と通信を担当した。3度のエベレスト登頂から、家族は役割分担、共同作業から、親子の絆を強く感じとれたという。

「私自身が子どもをもってみて、親子登山の良さが実感としてわかります」
 雄太さんはそう強調した。

 

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「山の日」から、地域の活力が生まれる(2)=東京・有楽町

 全国「山の日」フォーラムは、3月28日(土)の午後からシンポジウムが展開された。この日のメインテーマは「山の日」と「地方創生」である。

 冒頭、超党派「山の日」制定議員連盟の 丸川珠代幹事長が、
「日本は7割が山林です。山は美しい景勝もあれば、自然災害も引き起こします。山の恩恵を正しく理解して、水源の環境保全、地域活性化など、将来につなげていきましょう」
 と挨拶された。


 シンポジウムA組は、「山の日」から地域の活力が生まれる。

 松田光輝さん(北海道・知床ネイチャーオフィス代表)は、知床ガイドを職業にしている。
「日本人は物心ついた時から、山があった。身近すぎて、山を考える機会が何かった」と前置きしてから、山がもたらす恩恵について述べた。

 
 ① 山は多様な気象条件を作り出す。
 ② 山は急峻な地形だから、美味しい清流をつくってくれる。
 ③ 山は湿潤な土壌で、森をつくってくれる。

 日本は70%がこうした森林です。

「知床は熊の生息密度が世界的にも最も高いところです。森の栄養素が川から海に流れて、植物性プランクトンが魚の餌となります。大きな魚が知床の川に上ってきます。だから、それは山と海があるから、熊の食料が豊富だからです」
 知床の山に入れば、400メートル四方のどこかに熊がいます。3日間滞在して、熊がみられないと、よほど不運なひとです、と述べた。

 知床ガイドが職業として成り立つまでに、約10年間かかった。
「若い人にはピークハンター(山頂登山)だけでなく、知床に来て、山の魅力、山の豊かさなど認識度を高めていただきたい」
 知床に来てもらえる。そこから地方創生が生まれてくる、と話した。


 中村達さん(日本ロングトレイル協議会代表委員)は、「ロングトレイルのすすめ」について、語った。ロングトライアルとは何か。

「長い距離でつながる山の道を歩きながら、その地域の自然や文化を楽しむ」
 中村さんはスライドを使い、八ヶ岳、白山・白川郷、琵琶湖水源から中央分水嶺、牧場内の80キロにわたるコース、国東半島など、各地に広がるロングトレイルを紹介した。

 アロングトレイルをつくることは宿泊施設、弁当販売など、地域活性化へとつながっていく。JR駅弁までになった事例を紹介した。八ヶ岳では200キロに及ぶロングトレイルもある。学校教育の場としても、取り入れられてきたという。

 本場のアメリカやヨーロッパにおいては数千キロに及びコースがあるという。そこを半年、1年余り、それ以上かけて歩くようだ。海外では、徒歩と自転車が共有している、と写真で紹介した。


 上條敏昭さん(上高地町会長)は、「滞在型利用と外国人の受け入れ」について、一昨年には超党派「山の日」制定議員連盟の方々が、上高地で勉強会を行った。それが成就したは喜ばしいことです、と語った。

 上高地は、道は拡げられないし、通り抜けもできない立地だ。昭和50(1975)年からマイカー規制を行ってきた。平成19(2007)年に安房トンネルが開通した。観光バス規制をしたことから、上高地にくる人の数は減少気味になった。昨年度は127万人で、前年度に比べて92.3%である。

 長野県・白馬村では90軒の宿泊所に対して、30%は外国人経営者である。上高地はその傾向はない。
 外国人の観光客と登山者の比率が増えてきた。5月の連休が終わると、河童橋は外国人ばかり。槍ケ岳に背広姿でくる。あるいは団体日帰りで大勢が来て、マナーが違うので、日本人が敬遠しないか、という危惧はあると話す。

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全国「山の日」フォーラム:みんなで山を考えよう(1)=東京・有楽町

 2016年8月11日から、国民の祝日が増える。それを記念した全国「山の日」フォーラムが、東京・有楽町の「東京国際フォーラム」で開催された。メインテーマは『みんなで山を考えよう』で、3月28日(土)、29日(日)の2日間にわたる。
 主催は全国「山の日」フォーラム実行委員会(磯野剛太事務局長 写真・奥)である。

 ミス日本「みどりの女神」の佐野加奈さん(静岡出身・東京農業大学)が各イベント会場を廻っていた。


 初日の28日(土)は10時から、特設ステージで、トークショーが開催された。トップバッターの司会者は8000メートル高所登山家で名高い近藤謙司さん、モデルのKIKIさん、花谷康広(山岳ガイド)とあって、開始時間にはすでに長椅子がいっぱいだった。近藤さんの歯切れのよい口調で、山のエピソードをくり広げていく。

「ぼくは4000メートルの山に行ったら、もうちょっと高い山と5000メートル、いつしかエベレストに何度も登っていた」
 近藤さんは高所登山家になったプロセスを紹介してから、KIKIさんに登山好きになった、山との出会いを訊ねた。
「登山歴は9年です。最初は八ヶ岳の赤岳に登りました。赤岳鉱泉小屋が、きれいで素敵でした。登攀(とうははん)中は霧で視界がなく、山頂に着いた途端に、パッと晴れて、見事な景色で、その感動から一気に山好きになりました」
 彼女はそう語ってから、子どもの頃に両親がキャンプなど、アウトドアに連れて行ってくれた。そこに山好きになる下地があったと思う。

 左から、花谷康広さん、KIKIさん、近藤謙司さん、


「赤岳の山頂に来て見て、自分の脚で登れて感動できた。もっと行かないともったいないと思いました」
 彼女はその後、アイガーに登ったり、TVの登山番組に出演したりするなど、現在の活躍ぶりがモニターで紹介された。

 花谷康広さんは、子どもの頃の体験で、
「小学生の頃、六甲山キャンプに一人で参加し、『ひとりできたの、先生が友だちになってあげよう』と言われました。その初対面の先生との出会いが、山好きになる、大きなきっかけになりました」
 家族、友だち、先生との絆を考えてみる。そうした祝「山の日」であって欲しい、と花谷さんは強調した。



 エキシビジョンゾーンでは自治体、企業、山岳団体などのアピールブースがあった。登山、ハイキング、スキーなどに関連する、最新情報が得られるので、山ガール、中高年登山者などで賑っていた。それぞれがブース担当者から、ウェア、ドリンク、地図などの説明を受けていた。
 「山の日」クイズラリーが行われていた。ザックや各地の名産品、招待券などが当たるので、若者たちの参加が目立った。

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身も心も洗われた『出羽三山』=野上とみ

・日 程 2014年7月29~31日

・コース(1日目)羽黒山(晴):鶴岡~羽黒センター~羽黒山山頂
    (2日目)月 山(晴):羽黒山山頂~月山八合目~仏生池小屋~月山頂上小屋
    (3日目)湯殿山(小雨):頂上小屋~装束場~湯殿山神社~湯殿山参籠所~鶴岡

・メンバー L武部実、渡辺典子、中野清子、松本洋子、野上とみ


『羽 黒 山』

 バスを降りると、すぐに随身門(13:42)、いよいよここから神聖な地に入って行く。石段を下り神橋を渡ると、目に入るのは延々と続く石段(2446段)、両側には樹齢300~600年の杉並木が続いている。
 左奥には1070年前に平将門が建立したといわれる五重塔がある。杉の大木の中に佇む姿は幻想的であり、心を和ませてくれる。
 五重塔を過ぎると、一の坂、二の坂の石段。二の坂の茶屋で氷を食して休憩、三の坂を登り切ると大きな赤い鳥居があり、羽黒山山頂である。
 山頂の手前左手奥に今日の宿(斎館)がある。荷物を置いて羽黒山山頂へ(15:30)。大きな広場状になっていて、厳島神社、蜂子神社、他に7~8社が並んでいた。
 その中でも三神合祭殿は羽黒山、月山、湯殿山の三神を合祭した日本隋一の大社殿で、厚さ2m程もある茅葺屋根は迫力があり、驚きでもあった。

 今年は140年ぶりの出羽三山開祖の蜂子神社の一般公開に当たり、私達もお祓いを受け、お札を頂き、身も心も洗われた気分になった。
 斎館は山伏達が住んでいた遺構として残る唯一の建物であり、月山山麓で採れる山菜を素材にした精進料理は格別な趣があった。


『月 山』

 羽黒山山頂からバスに乗り、月山八合目に着く(9:00)。レストハウスの西の方を巻いて登って行くと、弥陀ヶ原の広大な湿原で、小さい池塘が点在し、ニッコウキスゲ、ワタスゲ等が咲き乱れている。
 一周し本道に戻り、鳥居をくぐって月山へと登って行く。
 足元には高山植物が次々と現れ、立ち止まる回数も増えていく。やや勾配のきつい鍋割を過ぎると、現れ出した雪渓周辺の植物が美しい。ピークを登りきったところが仏生池小屋(12:55)。小屋の周りにはフウロウ、イワカガミ、シャジン等の大群落で雲上の楽園のようだ。

 ここから先は緩やかな登りが続いている。色とりどりのお花畑の中を進む。チングルマは既に花の時期を終え、穂が風車のように風に揺れていた。
 霧が出てきた。霧の切目から月山神社が見えた。目指す月山山頂は近い。大きな雪渓の横を登り進めると月山神社に到着(14:30)。月山頂上小屋で休憩後お花畑の散策に出かける。どこまでも続く緑の草原、花の群れ、雪渓、池塘と岩との絶妙な配置に感動した。


『湯 殿 山』

 目覚めると、小屋の周辺は霧におおわれ、風が強く吹きつけている。湯殿山に向かって出発(7:00)。外に出ると風は予想外に静かである。
 霧で周りは見えないが、目の前にある花々の群れがぼんやり見える。石ゴロの急坂を下って行くと牛首に着く(8:15)。牛首から金姥までは整備された歩きやすい道。金姥からは修験の道に入る(8:39)。
 雨が降り出してきた。かっては登拝者がワラジを履き替え、衣装を正して月山に向った場所である装束場跡(現在避難所)で休憩(10:02)。ここから、いきなり標高差200mの月光坂である。

 前半は鉄梯子と鎖にすがって下る急坂の連続、後半は沢の中の岩の道を慎重に下って行くと、本殿も拝殿もない湯殿山神社に着く(12:19)。シャトルバスで湯殿山参籠所へ。下界は真夏の太陽が照りつけて暑かった。


 記録・野上とみ


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№183から転載】