登山家

貸し切りの山だった 奥多摩・大塚山(鉄五郎新道)= 栃金正一

1.期日 : 2015年4月17日(金)晴れ時々曇り

2.参加メンバ : L佐治ひろみ 栃金正一

3.コース : 古里駅~金毘羅神社~広沢山~大塚山~大楢峠~小楢峠~鳩ノ巣・城山~鳩ノ巣駅

 古里駅に8:30に集合。準備をして出発。青梅街道から左に入り、大きな橋を渡り切ってすぐ、右手の登山道を行く。
 更に少し行くと沢があり、小さな橋を渡り立派な滝を眺めながら道を右に分けて登ると大塚山への道標がある。杉の植林された道をどんどん行くと金毘羅神社の鳥居がある。鳥居をくぐり右手の高台に祠があるのでお参りする。

 登山道に戻り尾根伝いの道を行くと、道の脇の枝に「岩団扇保護地」の標識が付けてあった。あたりを見回すと、白い小さな「イワウチワ」が咲いていた。
 この辺りは、自然林になっており芽吹いたばかりのうす緑の若葉もきれいだ。道は傾斜が急になりジグザグの道を登りきると尾根上の広場に出て、ここから平坦な道になり、少し行くと10:50広沢山に到着。木に広沢山の標識が付いている。

 更に尾根上の平坦な道を行くと電波塔があり、少し登ると大塚山に11:15到着。山頂には、人は誰もいなく貸し切り状態でゆっくりと昼食をとった。
 標識の前で記念写真を撮り11:55に出発した。

 ここから道はハイキングコースになっており、途中の富士峰園地では、大きな「カタクリ」の花が咲いていた。
 ワラぶき屋根の宿坊のところを右に曲がり山道に入り、延々と山腹をトラバースして行くと大きな「コナラ」の木がある大楢峠に13:15到着した。

 今にも倒れそうな巨木の脇を通り上坂方面の道に入り、途中から道標に従い鳩ノ巣・城山方面に行く。

 小楢峠までは、急斜面の下りで慎重に足を運ぶ。小楢峠には、すごく小さな標識が付いていた。ここからは前方に鳩ノ巣・城山が大きくそびえているのが見える。
 登りはかなり急だが道がしっかりしているので、思ったより苦労しないで鳩ノ巣・城山に14:00に到着。

 山頂は、広々としていて「ヒノキ」の30m位ある立派な植林に囲まれており三等三角点もある。展望はないが静かで何故か気持ちが落ち着く。

 ここからは、尾根伝いに急な下りが続くが、道はしっかりしているのでゆっくり歩けば問題はない。最後に杉林のジグザグの道を下り14:40道路に出た。大きな橋を渡ると鳩ノ巣駅はすぐそこである。駅の近くのおいしいお蕎麦屋さんで反省会を行った。
 天気も良く花や新緑もきれいで、人のいない静かな山行でした。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№189から転載

なぜ板橋区に? 植村冒険館・見学 = 武部 実

平成27年8月13日(木) 

参加メンバー:L武部、伊東、三浦、蠣崎、中野の5人

 この日は御岳山の山行が予定されていたが、雨天予報で中止になったので急遽計画したのである。
 植村冒険館という名の通り、冒険家植村直己を顕彰するために設立したものであるが、生誕地の兵庫県日高町(現在の豊岡市)には、植村直己冒険館が設立されているのである。

 なぜ板橋区に、と思うが、植村直己が東京にいた15年間を板橋区に住んでいて、ここからエベレストの登頂や北極圏の犬ゾリ単独行が行われたという縁で設立したということだ。

(冒険館の写真パネルより、エベレスト登頂)

 【植村直己の簡単な足跡】冒険館パンフより
1941年 兵庫県日高町生まれ
1966年 モンブラン、キリマンジャロ単独登頂
1968年 アコンカグア単独登頂
1970年 エベレスト日本人として初めて登頂
 
 マッキンリー単独登頂(世界初の五大陸最高峰登頂者)
  注;8月30日マッキンリーを、先住民が読んできたデナリと改称。

1977年 北極点単独犬ゾリ到達(世界初)
1984年 冬季マッキンリー単独登頂(世界初)登頂成功を伝える無線交信を最後に消息を絶つ(43歳)
      
 冒険館に入って1階は図書館だ。冒険、探検、登山、アウトドアに関する本が5000冊もあるそうだ。ちなみに上村代表の書かれた本も、ざっと見つけただけでも4冊はありました。『山と渓谷』『岳人』『新ハイキング』といった雑誌のバックナンバーも揃っているということだ。

 貸出もできるが、遠くの人は返却が大変だ。郵送での返却もOKだが、郵送料と交通費とどっちが安いか考えますよね。
 オリジナルグッズも販売しているので、お求めになるのも記念になっていいかも。

 2階は展示室。1970年に日本人として初めてエベレストに登頂した時の装備品、写真パネルはエベレストのほか北極点犬ゾリ単独到達などが展示してある。国民栄誉賞の楯や賞状も展示されている。
 DVD「植村直己の世界」が1時間10分おきに放映されていて、ゆっくりと鑑賞するのもいいだろう。
 2階建ての小さな記念館だが、いまどき入場料無料は立派。ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

【植村冒険館の行きかた】

所在地 東京都板橋区蓮根2-21-5
 TEL 03-3969-7421

開館時間 10:00~18:00

交通 都営三田線 蓮根駅 徒歩5分

   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№193から転載

山岳エッセイ・梅雨空に白 = 市田淳子

 今日7月7日は二十四節気の小暑。昨日6日は朝から雨で次の日が小暑とは思えない気温だった。
 職場では窓を開けっぱなしにしておくと寒くなって、春先に着るパーカーを羽織るほど。蒸し暑いばかりの梅雨だけではないと、ちょっとホッとする。

 少し遡って7月2日は七十二候の半夏生(はんげしょう)。農家ではこの日に天から毒気が降りてくるから、この頃までに農作業を終えなければならないという言い伝えがあるそうだ。ちょうどこの頃咲く花にハンゲショウがある。

 音が同じでも直接の関係はないというのが面倒だ。ハンゲショウが花開く頃、花に近い葉の一部またはほとんどが白くなる。花と言っても花弁も萼もない。

 だから、花粉を運んでくれる昆虫に目立つように、雄花と雌花のめぐり逢いのお膳立ての時期が近づくと白くなるらしい。植物は肉食だ!

 誰もが知っている同じ仲間のドクダミも、よく似た特徴がある。

 花弁のように見える4枚の白い部分は総苞片といい花弁ではない。ハンゲショウ同様、昆虫を誘惑するためのものらしい。この二つ、私は匂いも結構似ていると思う。

 ドクダミの白い部分は花が終わるころには枯れて茶色くなるが、ハンゲショウの白い部分は、再び緑色になるのは凄いと思う。
 白いままだと光合成できないから、確かに枯れてしまっては不経済だが、そんな戦略を進化の過程で選択したのだろう。

 ハンゲショウと同様、マタタビも花が咲く時期になると、花が咲く枝の先端の葉の一部かほとんどが白くなる。(左の写真は葉、右は花)。

 山に行っても目の前で見られることは少なく遠くの山肌に白く見えるだけ。花は下向きなので、遠くから見ると白く変わった葉だけが目立つのだ。

 動物たちは動き回ってパートナーを見つけられるが、植物は自力でパートナーを見つけることが難しい。動物よりはるかに下等な植物がこうして長い年月をかけて進化してきたことを知れば知るほど、植物が愛おしくなる。

 そんな健気に生きる植物満載の山に登り、山頂で写真を撮るだけではもったいない。彼らの生き方に目も心も向けたい。心惹かれたら、下界に下りてから誰かに話して、山の素晴らしさをたくさんの人に伝えられたらと思う。
                           (森林インストラクター)

         ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№191から転載

【読書の秋・推薦図書】 山の不思議 事件簿=上村信太郎 

 山は不可思議な現象が起きる。登山中に体力を使いきると、幻覚、幻聴に襲われたりする。しかし、数多くの登山者が、そうとばかり言えない奇異な経験するようだ。

 上村信太郎著「山の不思議 事件簿」山と渓谷社・900円+税では、ミステリアスな事件が国内外で、こうもあるのか、とおどろかされる。作者・上村さんも、類似的な経験をしている。

 実は、私にも2度ある。それを先に紹介しておこう。一度は奥多摩・川苔山だった。滝の寄り道しようと予定外のルートに入った。「道に迷ったかな」と疑心暗鬼になった。

 さっきから、後に誰かついてきているな、と思っていた。こちらは不確かなルートになっているし、私の後ろに付いてきても迷ってしまうぞ、と教えたい気持ちだった。
 ふり返ると女性だった。単独行か。わずか数分後、足音の気配が消えた。えっと思ってふり返ったが、そこには誰もいなかった。
「幻覚だったのか」
 そう自分に言い聞かせても、不気味だった。この付近に女性死体が埋まっているのかな、と考えると、早くその場から立ち去りたくなり、滝の探索は止めてしまった。

 南アルプスでの体験は、私が40歳くらいで単独行だ。いまでも鮮明だ。登山ブームも去り、3日間の強い雨のなかの縦走で、ほとんど人に会わなかった。まして、雨続きだと、稜線から日ましに登山者がいなくなった。やっと雨が上がった。
 農鳥岳(標高3,026 m)から下山を開始した。岩稜から森林地帯に入った。誰も会わない。森はうす暗く、私にしては妙な冷気を感じていた。下りが得意なのでハイスピードだった。「重力に逆らわなければ、スピードが出る」。それがモットーだから、転倒しないためにも、足もと(一歩ずつ)から目を離せない。

 ふいに前方にひとの気配を感じた。視線をあげると、30歳前後の女性が登ってくる。すれ違う距離感を捉えてから、ふたたび視線を足もとに落した。「豪雨のあと、こんなにも早くに登れって来れたの? 女性が一人で。軽装すぎる登山服だな」とふしぎに思い、早めに眼をあげると、無人だった。えっと、おどろいた。

 山腹の山小屋から標高差100mくらい上部だ。女性が殺されて埋められているのかな、と思うと、さすがにぞっとした。山小屋を横目で見て、見透しのよい川原に降りた。
 ここで気持ちを落ち着かせないと、事故ると判断した私は、コーヒーを沸かして飲んで気持を落ち着かせた。バス停まで、不気味だった。いまでも、女性の年恰好はことばにできる。だが、幻覚だろうと、殆どはなしたことはない。

 「山の不思議 事件簿」の紹介に入ろう。新聞で目にしたふしぎな事件も数多くある。北海道・大雪山に残されたS0S文字の謎である。平成元年、遭難者をさがすへリーが、湿地帯で、巨大なS0Sを見つけたのだ。男性の遺品に、助けてくれ、というテープが入っていた。白骨体は女性だった。
 
 世界一遭難者の多い、谷川岳の一ノ倉で、著名登山者がテントを張っていたら、深夜に雪を踏みしめて近づく足音がある。テントのまえでぴたり止まる。

 昭和13年に、黒部渓谷で、第3発電所の建設現場で、作業員の宿舎の3-4階が深夜跡形もなく消えていた。100人あまりの作業員もいなくなかった。雪崩だろう。しかし、2人の遺体しか見つからなかった。

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仙丈岳と甲斐駒岳に登った男たちと、山頂に登らない奴の物語り。(下)

 黙々と登る。ひたすら登る。これしか道はない。

 青い空に、地球の美を感じる。雄大な心にもなれる。

 でもさ、イジケルのもいる。

 「ぼく、疲れたんだもの」

 だれも背負ってくれない。

 それが山里の厳しさだ。


 
 まだ、あんなに遠くにあるの、きょうの目標は。

 泣き言をいっても、距離は縮まらない。

 ひたすら歩くのみ。

 笑顔で歩く者もいれば、うつむいて、うな垂れて、ただ歩く者もいる。
 

 「えっ、うそっ。ここはまだ頂上じゃないの」

 山は偽のピークがたくさんあるのさ。

 蝶々にも、心する。

 ゆとりが欲しいね。

 甲斐駒ヶ岳は快晴だった。


 仙丈岳は、寒かったな。

 ともかく、2座を登れた。

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仙丈岳と甲斐駒岳に登った男たちと、山頂に登らない奴の物語り。(中)

 山岳で遭難しない、最大のコツはなにか。それは「ムリしない」ことである。なにをもって無理だ、無謀だと判断するか。これがむずかしいね。

「ムリに山頂に登ろうとしない」。これが安全登山の一つ指針だ。『山頂まで登らない訓練』が、いま開発ちゅうだという。

 隠忍自重の精神を養う。それが安全登山教育だ

 集団登山でありながら、最初から単独行だから、被写体がいない。「モデルになってくれますか」と声がけすれば、快く応じてくれた。

 東北大学・山岳部の部員だった。

 将来の日本山岳会のメンバーかもね。

 

  

 9月12日(土)10時の広河原行きのバスが集合だった。
 早朝。東京に強い地震があった。JR電車、私鉄、高速バスの交通機関はガタガタに狂ってしまう。もう、ここから7人のパーティーはずっこけていた。

 甲府からの臨時バスはガラガラで、乗客は5人ていどだった。それでも、女車掌が美声で、ずっとガイドしてくれる。いまどき定時バスにガイドとは驚きだったな。

 年季が入っていたね、その内容には。

「よし。帰りは甲府城と信玄堤に立ち寄って帰えろっ」と気持はもはや下山後になっていた。

 

 登山基地の北沢峠についた。

 3日後の帰路のバスの時間を確かめる。平日と祝日は違う。季節によっても違う。それをAとBで表示するから、妙に解りにくい。

 あげくの果てに、いいや、下山してからでも、そんな時間は、となってしまう。


 最初から、仙丈岳と甲斐駒岳をめざす男たちと、頭から、山頂に登らない奴がひとりいた。


 交通費と3泊の山小屋の費用(ビール代を入れると、30000円強)、かなりのコストをかけてきて、頭から山頂をめざさない。これには精神力がかなり要求される。

「これからの登山には、山頂に登らない訓練が必要である。遭難しないためには、自制心を養う必要がある」
 ものは言いようだね。高所登山には体力が追い付かない。そんなことはおくびにも出さないし。

「体力に見合った登山も、自制心だよ」というならば、勝手にどうぞ、と若者は見下すのみである。


 古代から江戸中期まで、修験者たちは山腹の洞窟で念仏修行したり、滝に打たれたりしたものだ。日本人が競って山頂を目指すようになったのは、元禄時代の円空上人あたりからだ。山頂に祠をおいて開山・開闢(かいびゃく)するようになった。

 西洋登山は信仰よりも、貴族のスポーツとして、ひたすら険しい登攀(とうはん)をおこなっていた。やがて、それがエベレストなど、ヒマラヤ登山に結びついた。


 日本でも、江戸時代初期に、谷川岳の一ノ倉の大岩壁に仏像を奉納されているから、技量的な面では、たいしたものだと思う。

 決して、日本の岩登りの技術が劣っていたわけではない。それなのに、明治時代から、西洋式の貴族アルピニズムに支配されてしまった。

 劣るとすれば、技量でなく、装備だった。日本はワラジ・金剛杖、片や西洋はピッケル・アイゼンだった。つまり、お金持ちでなければ、山に登れなかった。


 孤独のなかで撮影する。これは芸術的な美の表現か、小学生でも撮影できる写真か。観る人によって評価がちがうはずだ。

 その実、著名写真家の撮影だといえば、すごい、というし。ずぶの素人が撮ったといえば、なんだ、こんな写真となる。

 人間の価値観って、そんなものだよな。写真展、絵画展に行けば、そんな人だらけだったな。

 9月13日(日)お昼時に、全員が会いましたね。小仙丈岳の手前だった。

 仙丈岳の山頂は、「寒かったな。風が強くて。とても長くいられなかった」という感想からしても、懸命に登ったのだろう。アルピニズムで。

 あと2か月もすれば、凍死していたかもね。この季節でよかったね。


 森林を舞台に、一つ余興でもやるか。動画で撮るほどの演技でもなかった。

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仙丈岳と甲斐駒岳に登った男たちと、山頂に登らない奴の物語り。(上)

 こうして威張っていなければ、山男じゃないよね。「その実、なんど音をあげそうになったか」という登攀(とうはん)ちゅうなど微塵(みじん)も、見せない。気づかせない。ほほ被り。
 山は達成感だよね。

 ここにも、一人いたよ。良い顔しているね。「双児山」って知っている? 知らないって。「長谷村」ってわかる? まったく聞いたことがないって。そんなこと言うと、村民の選挙でえらばれた、村長さんが怒るぞ。
 ともかく、山頂の達成感はたっぷりだよね。

 9月14日から、3泊4日の豪華な超ゆとりのある登山だった。
 だれだ、こんな山小屋を選んだのは、と登る前から、グチが出る始末だ。なにしろ、北沢峠のバス停から、まずは下るのだから。
「ふつうは登山口から登るよな」
 ぼやくこと、ぼやくこと。

 樹林帯の登山道は、森林浴だと言い、喜ぶ奴もいれば、こんなコースは選ぶなよな、もっと景観のよいところにしろよな、とふてくされる奴がいる。
 この性格の差だけは、親の代から引き継ぐから、治しようもない。



 ならば、視界の良いところに出ましょう。
 いいね。とても、好いね。この砂礫(されき)の白い山は……。
 前を視るか、後を見るか。山は自由がいっぱいだね。
 都会生活から、解放させるよね。おい、おい、田舎生活だって、悩みが多いんだべ。


 こんな貴重な写真は、生涯に2度と撮れないかもしれない。

 左を写す女性、右を写す男性、さらには足下を写すひと。この3人を撮った当事者がいるのだから、合計4人はまったくバラバラだ。

 登山はチームワークが一番大切だ。そんな山岳技術書を世に出した人も、このなかにいるくらいだ。書くこととやることは違う。
 これまた貴重な存在だよね。

 ともかく、とても良いシャッターチャンスだな。

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山は危険。淑徳大学・公開講座『初心者のためにの安全登山教室』

 淑徳大学・公開講座(池袋)で、安全登山の講座を開いてくださいと要望された。山は危険と背中合わせである。命を守る。登山学科として体形的に教えてほしい、と。
 登山はどこまでも自己責任である。わが身は自分の技量と知識で守らなければならない。その趣旨から、淑徳大学・公開講座『初心者のためにの安全登山教室』を開催します。10/29~12月24日(各木曜日)、5回シリーズでおこなう。受講料は10000円。

【なぜ、座学だけの登山教室なのか】


 山登りをはじめると、もう少し高い山に登りたい。山は危険だが、美しい雪山にも登ってみたい。ただ、死にたくはない。では、どうしたらよいか。まず山岳基礎知識を「学科」としてしっかり学ぶことである。

 運転免許にも学科試験があるのとおなじ。教習所のコース、仮免で一般道を走った、それだけで日常運転をつづければ、いつかは事故が起きるだろう。

 現在の登山で、安全登山の基礎知識(学科)を学ばずして、山に登っている。だから、知識・技量・能力はバラバラ。突然の危険・危機に対して、有能なリーダーの下だといわれても、ある者は助かり、ある者は死んでしまう。
 
 優れた山岳リーダーすらも、登攀(とうはん)中に、新人に地図の見方・読み方、天気図の見方、天候異変の対応など、まずおしえない。
 いまだに体育系の登山の伝統で、登りながら覚えろ式である。それは江戸時代の職人「技術は盗んで覚えろ」のやり方とおなじである。

 北アルプスの積雪期は無風で晴れていれば、ハイキング感覚で登れる。技量の差などさほど出ない。体力的なものだけだ。しかし、ひとたび荒れると、1時間にして、生と死に別れてくる。

 有能なリーダーがいるパーティーでも、安全登山のレクチャーなどしてくれない。教えてくれない。そう見ておいた方がよい。

 著名な登山家が、記者会見で詫びている姿は、多くの人が眼にしているだろう。しょせんは「おれについてこい」方式なのだ。
 死と向いあわせると、人間ならば恐怖からパニックに陥る。そこまで心象心理を読まずして、「このくらいはまだ大丈夫だ」と突き進んでいった結果が、リーダーは助かるが、仲間は死ぬ。
 仲間が山で死んでも、リーダーはどんなに泣こうが、法的な罪は問われない。最終的には、死んだ登山者の自己責任だから。
 安全登山の基礎知識を学んで山に入る。それは山岳保険なみ、それ以上に価値があるものなのです。
 


「関連情報」

 問い合わせ先 淑徳大学池袋サテライト・キャンパス 03-5979-7061

 『初心者のためにの安全登山教室』ネットはこちらをクリックしてください

これが有名な丹沢のヒルか 丹沢山麓・自然観察=佐治ひろみ

 丹沢山麓・自然観察=佐治ひろみ                         

 期日…10月25日(土)  晴れ

 メンバー…(L)市田淳子、後藤美代子、栃金正一、脇野瑞枝、佐治ひろみ

 コース…秦野8:35→蓑毛大日堂9:00~蓑毛自然観察の森「緑水庵」9:35~石庄庵11:30/12:50~実朝首塚・ふるさと公園14:30~くずはの森14:55/15:45→渋沢駅16:30

 久しぶりの丹沢である。お天気も晴れて、気分も上々だった。

 秦野駅に8:30に集合だったが、ダイヤの乱れで、35分発の蓑毛行きバスに乗れない人もいたので、最初の見学地の大日堂で待つことにした。

 大日堂は、下車したバス停から2分もかからない所にあり、仁王門に2体の木造仁王様が鎮座している。奥の大日堂には、平安時代後期の大日如来が扉越しに見られる。
 今まで大山から蓑毛に下山することも多々あったが、まったく知らなかったので、きょう立ち寄ることが出来て良かった。

 大日堂の庭でジョウビタキの観察をしていると、次のバスが到着し、全員が揃って次の自然観察の森「緑風庵」に出発した。


 緑風庵はバス通りを少し下がった水車小屋が目印だった。かつて車中から眺めてはいたが、同庵に入るのは初めてだった。
 この森はクヌギやコナラや杉林の傾斜地になっていて、野草や鳥たちが見られるそうだ。茅葺の古民家で少し休んでから、山の中を歩きはじめた。リーダーの説明で、秋の草花や実等を見て回る。

 奥の探鳥の森に向かって、じめじめした枯葉の斜面を歩いていた時、足に違和感があった。…ズボンの裾をまくり上げると、ナント、ヒルが2匹吸いついて、1匹は靴下の中に潜り込もうとしていた。
 エ~ッ、これが有名な丹沢のヒルか! たまたまGさんが塩を持っていて、パラパラかけてみると、コロッと落ちてしまった。
 とにかく森の出口まで戻り、それぞれ足の点検をしたが、それ以外はいなかった。まさに自然の体験ができて良かった。
 
 そんなことから、緑風庵は早めに切り上げ、昼食の「石庄庵」に向かう。地元のそば粉を使った蕎麦は美味だった。私達の頼んだ蕎麦会席で、お腹は一杯になり、後半のふるさと公園へと歩く。

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勘違いが事故につながる 飯縄山(飯綱山)=藪亀 徹

飯縄山(飯綱山・1917m)=藪亀徹
                                   
登山日:215年5月23(土)~24日(日)

メンバー:L佐治ひろみ、市田淳子、渡辺典子、中野清子、脇野瑞枝、藪亀徹(6名)

コース:長野駅(バス)~飯綱登山口バス停~南登山道~天狗の硯石~西登山道分岐~飯縄山~西登山道分岐(西登山道)~林道~戸隠神社中社~ペンション・タンネ~戸隠森林植物園~
鏡池~奥社~ペンション・タンネ~森林植物園越水ロッジ入口バス停~長野駅

 東京駅発6:28(5人)~大宮駅(1人)合流~長野駅に到着8:08。

 私にとって長野駅に降りたのは40年ぶりである。善光寺が7年に一度の御開帳と重なり、駅前は賑わっていた。
 8:30、駅前のバス停にはすでに多くの人が列をなしていた。心配していた座席の確保が、3台バスが来たので安心した。約1時間余りで、飯縄登山口バス停に到着した。

 9:45に、南登山道を出発した。緩やかな森林の登山道で、さっそく小鳥の鳴き声や花が迎えてくれた。
 一の鳥居から登る登山道は、現世、来世の道標として十三体の石仏が安置されていて、それぞれに標高が表示されていた。標識代わりになり、良い道しるべになった。

 11:10頃、最初の休憩予定の場所に着く、その寸前に事件が発生した。複数人の行動につきものの、1人見当たらないのに気が付く。一番後ろを歩いていた私は、見かけていない。前を歩いていると思うが、なかなか追いつかない。

 11:28、天狗の硯岩で展望が開けた。

 12:24、遠くに北アルプスが見えてきた!

 12:39、西登山道分岐点に到着した、この辺は景色が良い。花や遠くの景色の写真を撮りながらゆっくり登る。

 途中2mの鎖場が一か所あるが、ゆったりとした登山道で、湧水が途中2か所あった。最後の尾根で女性から声がかかり、
「すにいかあ倶楽部の方ですか?」
「そうです」
「連れの方が、山頂で待っています」
 ここで、やっと安心した。もし、山頂にいなかった場合どうしようと、ずっと悩んでいたが、ホッとした。もし、山頂にいない場合の状況を考えたらゾッとした。

 脇野さんは山頂に1時間早く着いたみたいだった。話を聞いたら、前に歩いている人が連れの人と勘違いして、一生懸命追いつこうとひたすら歩いたという。後ろの方は考えなかったそうです。
 山登りは、勘違いが事故に繋がる場合があるので、お互い十分に注意しましょう。

 13:15に山頂、ここまで3時間30分予定より45分オーバーしている。山頂は360度のパノラマが利き、天気も良くて、遠くの北アルプスも見えた。
 山頂での昼食は美味しかった。

 14:00に下山を開始した、下りを始めて20分ほどすると、脚がつり始めてしまい、9か月登らなかったつけが、ここで出てしまった。

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