登山家

優しい風景と荒々しさの谷川岳に挑戦する=大久保多世子

谷川岳(1,977m)=大久保多世子

登山日:2013年9月28日(土)晴れ

参加メンバー:L佐治ひろみ、後藤美代子、栃金正一、武部実、関本誠一、大久保
 
コース:上毛高原駅―天神平―オキノ耳―1の倉岳―茂倉岳―駐車場―湯沢駅 

 JR東京駅に6:20に集合した。6:32発のたにがわ401号に乗り、7:53上毛高原駅に到着。バスは8:00発。ロープウェイで天神平に着いたのは9:10だった。

 身支度をして9:15出発。ナナカマドの真っ赤な実が美しい。10:00、熊穴沢避難小屋の前で水分補給。[土曜日+紅葉の季節]なので登山者も多い。
 
 ここからの登りはかなりハードで、大きな石や大きな段差の連続する。「よいしょ!」と声に出しながら、コンパスの短さを実感しながら登っていく。高度が増すにつれて、登山者の数も増え、ほとんど行列に近い。
 足場の悪い所では、下山する人とのすれ違いにも神経を使う。それでも予定より早く、10:30なオキノ耳に到着した。

 隣のピークまで進んで11:50~12:20は昼食。尾瀬方面の山々や動いて行く雲を見ながらの食事は最高だった。
 一の倉岳に向かって間もなく、ものすごく急な登りが目の前にドーンと現れ、弱音をはいたら、関本さんが、
「こんなの15分もあれば登れる、登れる」
 と励ましてくれた。


 半信半疑で登ったら、20分かからなかったので、人間の足の力を見直した気分になれた。オキノ耳を過ぎたら、出会う人もまばらで歩きやすい。
 好天に恵まれ、快適な空中散歩が続く。
 山頂は紅葉の最盛期だったが、霜でも降りたのか、あまり綺麗ではない。13:00「ノゾキ」という看板があり、恐々下を覗いた。断崖絶壁のものすごい岩場があり、残雪も見られた。
「上村さんや飯田さんは、あの岩場を登ったんだよ、すごいな」
 などと、しばらく岩登りの話で盛り上がる。


 13:30、一の倉岳に到着した。13:55、茂倉岳に到着。大きなドラム缶を置いたのかと思える避難小屋があったので、覗かせてもらった。
 座った状態なら、数人は入れそう。雷や雨の日は、助かるだろう。

 振り返れば、今日歩いてきた道がくっきり見渡せる。肩の小屋が豆粒のように見え、
「こんなに遠くまで歩いて来たんだ!」
 と口々に感嘆の声をあげる。

続きを読む...

神社はお参りしておくべきだった、大岳山=針谷孝司

大岳山(1267m)=針谷孝司

期日…2015年3月11日(火)  曇り時々晴れ

メンバー…(L)佐治ひろみ、武部実、中野清子、針谷孝司

コース…御岳駅8:58→御岳山駅9:30→御岳山→大岳山11:55→鋸山13:40→奥多摩駅16:30

 昨日の荒天も今日はまずまずの天気となった。
 青梅線の車中で全員がおち合い、御嶽駅からバスとケーブルカーで御岳山駅に到着した。身支度もそこそこに出発。
 御岳山神社までは蝋梅(ろうばい)が見ごろに咲き誇り、かすかな香りがただよう。東に開けるパノラマの中には新宿の高層ビル、更には横浜のランドマークタワーをはるか遠くに眺めながら、なだらかな舗装道に足を進める。


 町場通りでは、中野さんがみやげ物やの女将に声がけなどしながら、御岳山神社入り口に到着した。今日はスルーし、先に進む。ここで参拝しなかったのが災いとなったのか、後ほどハプニングが起きるとは、誰も予想できず、目指すは大岳山へ。

 芥場峠を過ぎると、ハイキング姿はいなくなり、登山道らしくなる。我々の口数は少なくなり、ひたすら大岳山を目指す。露岩にはクサリがついていて、片側が切れ落ちている場所もあるが、リーダーの佐治さん、武部さんはすいすい先にいく。中野女史は慎重に足を進める。

 大岳神社からはきつい急坂がはじまり、露岩にクサリのついた道を登る。
 先を行く武部さんが、なにやらきれいな小屋が見えているが、あれは大岳山荘なのか? 建替えたのかと、久しぶりに見る山荘の姿に懐かしさを感じているようだった。

 しかし、山荘に着くと、そこは廃屋のままで、洋館風の別館が幻かのような姿で、我々を迎えてくれた。 
 簡素な鳥居の大岳神社を過ぎると、きつい急坂がはじまり、雪が残るクサリのついた道を登ること20分。肌に汗を感じる頃、上に続く樹林には空の色が混じる。程なく大岳山頂上が現れた。

 あいにく快晴とは言えないが、1266mの山頂からは、丹沢山塊、富士山がはるかにそびえ、そしてすぐ隣には御前山がどっしりとある。
 いくつもの尾根が重なって全く素晴らしい展望だ。しばしパノラマを眺めて楽しみ、静かな山頂で昼食をとる。

続きを読む...

はなじょろ道(花嫁さんの道)を登る、高松山=石村宏昭

高松山(801m)=石村宏昭

日時:2014年7月20日(日)曇り

メンバー:L武部・飯田・岩淵・原田・市田・中野・赤羽(ゲスト)・石村(8名)

集合:小田急・新松田駅に8:55

コース:~(バス)田代向~はなじょろ道登山口~尺里峠~ヒネゴ沢乗越~高松山山頂~ビリ堂~さくらの湯~JR山北駅


 台風の影響もあり、今週はぐずついた空模様が続いた。
 天気予報が思わしくなく、とにかく、早めに下りてくれば雨にはあわないだろう、という判断で、8時55分、小田急線・新松田駅に集合した。9時5分のバスに乗車。田代向で下車する。
 案内板に従って林道を進み、ヒネゴ橋を渡ると、左には手製の鐘と,「はなじょろ道入口」の案内板がある。


 はなじょろ道とは、明治末期まで、沢虫地区と山北町の八丁地区を結んだ生活道である。と同時に、花嫁さんが通った道であることから、こう呼ばれてきたそうです。
 登山の安全を願って、静かに鐘を鳴らし、登山道に入る(9:35)。しばらく、杉林の中をジグザグに登って行く。杉の丸太の階段等で、よく整備された道が続く。尺里峠の分岐を過ぎ、40分程杉林を登りきると、「ヒネゴ沢乗越分岐」に着く。

 ここで、小休止をとる。天気が良ければ、ここから10分程の「富士見台」へでも、という気持になるところだが、360度の遠方は視界無し。休憩もそこそこに出発した。

 途中、鹿除け柵を横に見ながら、緩やかな坂をのぼっていくと、やがて、運動場のように広い、芝地の高松山山頂(801m)に到着する(11:35)。


 残念ながら、富士山は雲の中だった。眼下には大野山の牧場がのぞめるくらいだ。好天だったら、霊峰富士を目の前に臨む、すばらしい山頂なのだろう。ここで、昼食休憩とする。

続きを読む...

たまには茨城の山もいいですよ、吾国山=関本誠一

 吾国山(わがくにさん)(513m)
 日時:2015年2月28日(土)  晴れ時々曇り
 メンバー:L武部、佐治、関本
 コース:JR羽鳥駅(バス)⇒瓦谷BS~団子石峠~難台山~道祖神峠~吾国山~JR福原駅

 今日行くところは、筑波山の東側にある吾国山。関東百名山のひとつということでリーダーが計画。集合はJR常磐線羽鳥駅(8:40)。上野駅から約1時間半で思ったより近い。

 8:45発のバスに乗り、瓦谷バス停で下車(9:00)。ここから尾根上の団子石峠までは緩やかな舗装された車道を歩くこと約1時間。峠で小休止していると、尾根伝いに来るハイカーがいた。愛宕山から縦走している人たちの最適なコースになって、地元では笠間アルプスといわれているそうな……。
 峠から登山道に入りいきなり急登だ。一登りすると大きな岩が鎮座……。これが団子石とか。峠の名前もここから来ているそうな。さらに登りつめたところが、三角点のある団子山である。

 一旦下ってまた急登。登りつめたところが大福山。『美味しそうな山名が続くね』と言いながら、また急な下りと登りの連続である。登山道脇に高さ10mほどの巨石が……。屏風岩とか。

 登山道はよく整備されており、笠間トレイルの一部となっている。さすが『xxアルプスと言うだけのことはある』と言いながら登りつめた所が、本日の最高峰(553m)で、三角点がある難台山。

 山頂には数人のハイカーが休憩していた。山名表示板も設置されて、近くには筑波山、加波山が見えて、次なる山行に期待が膨らむ。
 難台山からの下りも急だ。急斜面を下り切ると、ようやくなだらかな登山道だ。スズラン群落地に下りる分岐を過ぎ、まもなく道祖神峠に出る。車の往来が結構ある舗装された道路に出る。
 道端には、道祖神の石碑がポツンとあるだけの簡素な峠だ。ここから、いよいよ今回の目的地の吾国山への登り。青少年のための施設・洗心館を過ぎると、息も切れそうなくらいの急登となる。山頂に近付くにつれ、徐々に緩やかになってゆき、石垣の上に祠がある山頂に到着した。(12:30)。

 集合写真を撮ってランチタイム。

 下山はJR水戸線(初めて乗ります!)の福原駅に向けて下り。山頂直下のカタクリ群生地を過ぎ『xx丁目石』を見ながらの快適な下りだ。標識に従って進み、福原駅に到着(14:30)。友部駅で常磐線に乗り換え、一路上野へ。

 時期が早かったので、お花がわずかしかなかったが、シーズンともなるとカタクリ、スズランをはじめたくさんのお花が見られるコースだ。茨城県の山は遠くに感じていたが、電車に乗ってしまえば、奥多摩に行くのと変わらないくらいことがわかった。
 たまには茨城の山もいいですよ。ぜひ出かけてみてはいかがでしょうか……。

                記録・関本誠一(吾国山頂・祠前にて)

ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№187から転載

島崎藤村と日本山岳会=上村信太郎

 文豪・島崎藤村は、ある時期「日本山岳会」の会員だった、と聞けば意外に思うかもしれない。藤村が登山をしたということは年譜などにも記されていないし、そもそも何のために山岳会の会員になったのか解らないからである。

 藤村は明治5年(1872)、信州木曽の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市)に生まれた。明治学院卒業後、明治女学校、東北学院、小諸義塾で教鞭をとるかたわら、詩人として活躍。その後、不朽の名作『破戒』『夜明け前』などの小説を発表。そのほか、「日本ペン・クラブ」を設立して初代会長を務め、昭和18年(1943)に71歳で亡くなっている。

 明治38年(1905)10月、城数馬、小島烏水、高野鷹蔵、高頭仁兵衛、武田久吉、梅沢親光、山川黙の7人によって「日本山岳会」が結成された。これは、山岳に関する研究・登山の指導奨励・会員の親睦などを標榜する人たちによる我国最初の山岳会誕生であった。初期の会員には多くの著名人が名を連ねた。たとえば、植物学者の牧野富太郎、『日本風景論』の著者志賀重昻、民俗学者の柳田國男、後の外相藤山愛一郎、西本願寺の大谷光尊門主の三男大谷光明、岩倉具視の四男岩倉道俱、与謝野鉄幹、田山花袋、日本画の竹内栖鳳、等々。

 「日本山岳会」設立の翌年に藤村入会。会員番号は84。『破戒』発表直後である。日本山岳会の会報『山岳第二年第一號附録』の会員名簿に、本名の島崎春樹の名前がある。住所は、東京市淺草區新片町一番地(現在の台東区柳橋)となっている。

 山岳会創立会員の小島烏水は、藤村入会の直後に『山水無盡藏』(隆文館刊)を出版。その序文を藤村が書いている。これ以外、藤村が山岳会会員として何かしたという形跡は見られない。ではなんのために藤村は山岳会に入会したのだろうか。また、いったい誰が藤村に入会を勧め推薦人になったのであろうか。名作「千曲川のスケッチ」のなかで、水彩画家B君として登場している小諸義塾時代の僚友、丸山晩霞に入会を誘われたのであろうか。それとも自らすすんで目的をもって入会を希望したのだろうか。

 実をいうと、藤村と烏水は山岳会が結成されるずっと以前から知己の間柄だったのだ。そのことは、藤村没後、烏水が書き残した「藤村覚え書き」(大修館書店刊『小島烏水全集』第十二巻に収録)に記されている。小諸義塾当時、雑誌『文庫』の記者として知られていた烏水に藤村が手紙を書いた。学校の職員で文集を本にするので序文を書いてほしいという内容。烏水は序文を書き、後に『山水無盡藏』出版にあたり、今度は新進気鋭の藤村に序文を依頼したのだった。

 これらのことから、藤村が山岳会に入会した動機は、烏水に自分が推薦人になるからと勧められたから、と考えるのが自然であろう。
 こうしてみると、宣教師ウェストンに影響され、英国の「アルパイン・クラブ」を倣って創立された日本山岳会は、結成当初は文化人たちが集う社交場だったことがうかがえる。

(ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№186から転載)

 


立ちはだかる月の輪熊を想像させられた、丹沢・檜岳 =岩淵美枝子

 檜岳(ひのきだっか)(1167m)
 平成26年12月10日(水) 曇り時々晴れ
 参加者:L関本、武部、佐治、岩渕(4名)
 コース:寄沢登山口8:30~雨山峠10:30~檜岳11:40(お昼~12:30)~下山口14:00~寄バス停14:45

 今日は、渋沢駅8:00集合だった。目覚まし時計は4:00にセットし、5:00に家出る。渋沢駅から登山口まではタクシー。途中、薄っすらと白く霜の降りた茶畑の中をいく。運転手さんが近道を通ってくれたのだ。有難うございます。

 出だし、幸先いいなぁ。料金も3250円と、リーダーの予想していた金額より安かったし。
 さあ、身支度を整え、登山計画書をポストに入れてから、樹林帯の中へ。看板が、この森の紹介をしてくれる。色鮮やかな木々の写真、鳥、花、観ると、ここは豊かな森のようだ。
「成長の森」と表示された看板だった。なるほど手入れの行き届いた森である。バックには企業の応援あるのだろうか、トヨペット、タカナシ乳業の他、保全林の看板があった。ほんと嬉しくなる。

 森が豊かであれば、水も綺麗なんだろうなぁ。いいな、西丹沢って。以前は何年か前に行った。丹沢の大山三峰では、赤土で石ころを抱いたスギ林があった。思いだすと、あのスギの木たちが可愛そうになった。

 ここのスギ林は葉も緑も黒々として、下草も豊かに生い茂っている。
「いいな!いいな!」
 こんな所を、今日は歩けることに、幸せを感じる。

 先月21日、熊本から帰り、飛行機の中から富士山がみえた。ふわーっと白い衣を纏った日本一の富士山を、スマホでパシャり。何枚も撮りながら、山に行きたいと思う。9月の剱で捻挫して以来、、この頃は山らしき山は行ってなく、帰ったら絶対行こうと思った。
 鍋割山、棒の嶺、そして今日の檜岳、雨山峠コースを行く。

 雨山峠までは4.2キロ、2時間ぐらいかな。川原に出た、ここから渡渉が始まる。水かさは、殆んど無く、渡りやすい。大きな石ころの上を、バランスよく飛んでいく。

 7から8回くらい渡渉があったが、面白い。両岸を見上げると、ブナの落葉樹が、すっかり葉を落とし、我々4人にむけて、ここまで上って、登ってこれるかなぁと、上から見守っている。

 あまりの静寂さに、さっきゲートのところにあった、大きな月の輪熊のイラストの看板を思い出した。目の前に、がオーッと立ちはだかる熊の顔を想像すると、背筋がぞぞぉーとする。皆には教えなかったが、あきらかに熊の糞が墜ちている。
 糞は時間経っており、黒く涸れていた。だが、あの糞は熊にまちがいない。野犬の糞だよ、と自分に言い聞かせたが、怖い……。鹿の糞、ウサギの糞みたいなのも墜ちていた。

続きを読む...

祝「山の日」記念全国大会の第1回・開催地が決定=長野県・上高地

 国民祝日「山の日」が衆参の国会を通過し、法案が可決したのが、昨年(2014)の5月28日だった。施行は2016年8月11日である。

 実施まで、約2年間において、国民が親しめる祝日として、全国「山の日」協議会(会長・谷垣禎一)を中心として、山岳団体、官公庁主催がこの祝日の意義をつたえるイベントを展開している。


 今年度(2015)は、東京・有楽町の国際フォーラムで、全国「山の日」フォーラムが開催された。2日間の総入場者数は約1万8000人で、盛況だった。特徴としては、最近は「山ガール』ブームであり、それを反映した若手登山愛好者の参加が目立った。

 全国「山の日」協議会の平成27年度総会が、5月23日から、衆議院議員第2会館の多目的会議室で、16時30分から開催された。
 今年度は、大分県・九重町で、プレ「山の日」記念、全国大会を開催することになった。

 衛藤征士郎(えとうせいしろう)さん(大分県選出・第64代衆議院副議長)とは、国会内の初映画試写会に招かれた縁である。プレイ「山の日」は伺いますよ、と言うと、ぜひ来てね、と握手された。


 2016年「山の日」記念全国大会の開催は、富士山か、上高地か、と意見が二分していた。5月28日の協議会の審議を通して、長野県・上高地に決まった。

 第1回の記念・全国大会に関する要望書が、阿部守一・長野県知事、菅谷昭・松本市長、上條敏昭・松本市上高地町会長から、同協議会に提出されていた。それが可決されたものだ。
 富士山となると、山梨、静岡、どちらが主体になるか。むずかしい調整があり、場合によると2県に分散した大会にならざるを得ない。それを避けた面がある。

 真夏の上高地は若者、家族連れ、槍穂への登山者が大勢集まる。全国に名高い。これらで、団体代表41人、個人13人(わたし穂高健一も個人会員)、合計54人による満場一致で決まった。

 私個人としては、来年8月11日の祝「山の日」にむけた、歴史山岳小説を取材・執筆している。その小説は槍ヶ岳登山、幕藩体制の下で安曇平と飛彈との間に、天保時代にできた「飛州新道」が背景のひとつである。
 
 主人公は、18歳の「湯屋」(旅宿)の知的な女性・岩岡志由である。豪農の4女の彼女が上高地の一軒家に入るのだ。幕藩体制(飛彈・信州)が、上高地の山奥にもつよく影響してくる。桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、幕府の圧力で飛騨新道は閉鎖される。志由は山を下りていく。江戸時代の上高地はここで一度歴史から消える。


 単に山の小説に閉じ込めず、天明天保は大飢饉に襲われた。一方で文化文政の華やかな旅ブームだった背景を織り込む。餓死する農民や農民一揆、栄華を極める豪商たち。当時の日本人の姿を克明に描いていく作品だ。

 務台(むたい)俊介代議士は長野県選出である。「上高地に決まって良かったですね」と声掛けすると、喜んでいた。小説取材先の紹介など、ご協力してもらっている。

 2016年「山の日」記念全国大会の開催が、長野県・上高地に決まった。私の作品もフォーラムの一環に間に合わせたい。その上で、可能ならば、超党派議員などのコンセンサスをとり、祝「山の日」記念出版に持ち込みたい考えである。

ことしの登山計画は?「とりあえず飲みながら決めよう」。

 毎年、IT会社インフォ・ラウンジの社員(平均年齢30代初め)と北アルプスに登っている。6-7人である。それに、「すにーかー倶楽部」が加わっている。約10人のパーティーである。
 
 2014年秋の紅葉シーズに、計画は剣岳(標高2,999m)だった。山荘の予約がとれず、すにーかー倶楽部は剣岳、ITグループは立山連峰の雄山(おやま、標高3003 m)、大汝山(おおなんじやま、3015 mの縦走だった。
 
 2015年秋は剣岳の再チャレンジ。昨年の段階では、誰もが信じて疑わなかった。

 4月29日に、「今年の登山はどこに決めるか」と、それを口実に、IT社員が横浜から、葛飾・立石にやってきた。

 立石仲見世の寿司屋「松ずし」で昼食をたべよう。長い列ができている。40分ほど並んで、店員が「もうネタがあまりないですよ」という前置きがあるも、せっかく並んだのだから、とカウンターで寿司を食べた。

 一級河川の中川の「中川七曲り」を散策した。
 最近、この七曲りに新たな河岸道路ができた。行政が洪水対策で、過去3度にわたり、土手をつくり、補強してきた。だから、川と並行して3列の道路が延々と続く。森永牛乳の近くでは、古い道路が残っているから、4列の道路がある。

 日本国内でも、きっとめずらしいと思う。それを売りだせば、と思う。「国家100年の計」からほど遠く、「場当たり的な治水対策だ」とばれてしまうからか、行政は音なしのかまえである。

 皆して、堤防をつぶさに観察すれば、盾のひび割れ(クラック)がいっぱい入っている。「近い将来、大津波が東京湾に来れば、堤防にこんなにもクラックが入っているから、2-3メートルの津波でも倒れるよな」
「岩手県・田老町の世界最強の防潮堤だって、津波は押し倒したのだから、もっと簡単だな」
 ここら海抜ゼロメートル地帯である。津波の恐怖を語りながら散策した。
 
(写真は逆光だから、フラッシュ・モードにセットして、シャッターを頼んだ年配者に手渡したのに、遠くで写すから、光りが人物に届かず、暗くなった。まあ、いいか、人物が入っているだけでも)

続きを読む...

壮大なパノラマがあった大菩薩峠 = 松村 幸信

 平成26年5月19日(日)晴れ ~20日(月)晴れ
 参加メンバー:L武部実、石村宏昭、中野清子、松村幸信

 コース:塩山駅~裂石~丸川峠~大菩薩嶺~大菩薩峠・介山荘泊~石丸峠~小金沢山~牛奥ノ雁ヶ腹摺山~川胡桃沢ノ頭~黒岳~湯ノ沢峠~湯ノ沢峠入口~やまと天目山温泉~甲斐大和駅        


【1日目】
 塩山駅に集合し、8:30発のバスで柳沢峠に向かう計画でしたが、アクシデントによりひとり遅れ、9:30発の大菩薩峠登山口(裂石)行きに乗車する。
 裂石から舗装道路を歩き出して間もなく、雲峰寺の山門が見える。25分程で丸川峠入口を過ぎると山道となる。
 日に照らされた新緑が眩しく、時折青空の下に、真っ白な富士山が顔を覗かせ、気分は最高。丸川峠への後半の急坂の辺りより、上の木々はやっと芽吹き始めたところでした。
 12:20丸川峠に着いた。昼食休憩を摂り、13:00出発。40分位進むと、今年の大雪の名残りの雪が現われ、この時期はまだ凍った部分もあり、注意して進む。

 14:30大菩薩嶺に着。映画などで、誰もが名前は知っている山なので、初登頂に期待も膨らんでいたが、達成感も眺望もなくがっかり。14:50雷岩に着。

 壮大なパノラマが目に飛び込む。富士山、南アルプス、乗鞍岳、八ヶ岳の山々には雪が残り、真っ白に光って実に美しい。15:40大菩薩峠・介山荘着。
 夕食後、18:35の日の入に合わせ、夕日と富士山の両方を見るために、親不知ノ頭まで走る。その後は部屋に戻り、持参した焼酎を飲んで20:30就寝。


今年の西暦同じ 小金沢山2,014mにて

【2日目】
 4:35奥多摩方面からの日の出。西側には今日も南アルプスが美しく見える。
 6:50介山荘を出発。7:20笹原の中の石丸峠に着。石丸峠から湯ノ沢峠までの尾根を小金沢連嶺と呼ぶ。
 8:35今回の山行のメインである2,014mの小金沢山に到着した。9:30牛奥ノ雁ヶ腹摺山に着。途中、山道の真ん中に、子鹿の死骸を発見。今年の大雪で餌がなくなり、餓死したらしい。11:00に黒岳着。
 途中道が深く抉れているため、笹原を切り開き、新しく作られたルートを進むが、出来て間もなく刈り取った笹の根が邪魔をして実に歩き辛い。

 11:50湯ノ沢峠に着。避難小屋の近くに腰を下ろして、やっと昼食である。ここから水場を抜け、柳木場沢沿いの道を渡渉を繰り返しながら下る。
 13:05湯ノ沢峠の登山口。残りはやまと天目山温泉までの舗装道路を1時間強歩くことになる。この最後がうんざりするほど長い。
 ところが温泉まで半分くらい歩いた頃だろうか、疲れ切った顔をして歩いていた最後尾の中野さんの前に一台の車が止まり、バラバラに歩いている我々を次々に拾って、やまと天目山温泉まで送ってくださったのです。
 ひとりで登山に来ていた方でしたが、まさしく地獄で仏に会った思いです。

 13:50やまと天目山温泉に着。汗を流した後生ビールで喉を潤す。残念ながら駅までのバスは17時台までないので、タクシーで移動する。
 15:55甲斐大和駅に着いた。17:15高尾駅近くの居酒屋で反省会を以って終了する。

                 記録・松村幸信


【関連情報】

 ハイキンク・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№179から転載

迫りくるドカーンと大きな浅間山 = 栃金 正一

1.期日 : 2010年7月31日(土) 天気:晴れ
2.参加メンバ : L 栃金正一 上村信太郎 武部実 
3.コース : 浅間山荘~火山館~湯ノ平口~前掛山~火山館~浅間山荘


 4:30、天狗温泉浅間山荘に車にて到着。駐車場はまあまあ混んでおり、奥の方の空いている場所を見つけ駐車する。
 朝食をとり準備を終え5:00に出発。山荘の脇の林道を沢に沿って登って行く。林道の終点が一の鳥居である。
 ここは分岐になっており山側の道を進む。白樺や唐松のあざやかな緑に囲まれた傾斜の緩やかな道をゆっくり登る。
 二の鳥居に到着し、休憩をとる。更に行くと左手に外輪山の大きな岩壁が見え、右手には牙山が大きく尖ってそびえている。

 イオウ臭い沢を横切ると7:10火山館に到着した。ここはトイレ、水場もあり絶好の休憩ポイントである。火山館の裏手の道を少し行くとお花畑になっており黄色のマルバタケブキが群生している。
 その隣の草原にはアザミに似たタムラソウやクルマユリ、ヤマボタルフクロ等が色あざやかに咲いており目を楽しませてくれる。

 湯ノ平口を過ぎ前、掛山登山口に到着する。このあたりから周囲は灌木になり、左手には黒斑山が見えてくる。更に登ると右手にドカーンと大きな浅間山がせまってくる。あまりの大きさに圧倒される。火山灰のザレた道をひたすら登る。

 傾斜が緩やかになったところには、避難ドームが二つ設置されており、その向こうのやせ尾根の先に前掛山が見える。
(火山活動により山頂火口への登山が禁止されていた。)
 そのやせ尾根をどんどん行き9:30前掛山頂に到着。ここの山頂からは眼下に黒斑山を眼下に見ることができる。

 記念写真を撮り下山し、避難ドームで少し早い昼食をとる。展望はすばらしくさっき登った前掛山が小さく見える。

 10:50下山を開始した、ザレた道をピッチよく軽快にとばす。12:15火山館到着、休憩後、一気に二の鳥居まで下り、ここからは沢沿いの道を行き豪快に落ちる不動の滝を見て、14:00に浅間山荘に到着。早速、山荘の温泉に入り汗を流す。

 このコースは時間がかかるが、危険なところがなくスケールの大きな浅間山を充分堪能でき、変化に富んだお勧めのコースである。

                     記録・栃金正一

【関連情報】

 ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№131から転載