登山家

島崎藤村と日本山岳会=上村信太郎

 文豪・島崎藤村は、ある時期「日本山岳会」の会員だった、と聞けば意外に思うかもしれない。藤村が登山をしたということは年譜などにも記されていないし、そもそも何のために山岳会の会員になったのか解らないからである。

 藤村は明治5年(1872)、信州木曽の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市)に生まれた。明治学院卒業後、明治女学校、東北学院、小諸義塾で教鞭をとるかたわら、詩人として活躍。その後、不朽の名作『破戒』『夜明け前』などの小説を発表。そのほか、「日本ペン・クラブ」を設立して初代会長を務め、昭和18年(1943)に71歳で亡くなっている。

 明治38年(1905)10月、城数馬、小島烏水、高野鷹蔵、高頭仁兵衛、武田久吉、梅沢親光、山川黙の7人によって「日本山岳会」が結成された。これは、山岳に関する研究・登山の指導奨励・会員の親睦などを標榜する人たちによる我国最初の山岳会誕生であった。初期の会員には多くの著名人が名を連ねた。たとえば、植物学者の牧野富太郎、『日本風景論』の著者志賀重昻、民俗学者の柳田國男、後の外相藤山愛一郎、西本願寺の大谷光尊門主の三男大谷光明、岩倉具視の四男岩倉道俱、与謝野鉄幹、田山花袋、日本画の竹内栖鳳、等々。

 「日本山岳会」設立の翌年に藤村入会。会員番号は84。『破戒』発表直後である。日本山岳会の会報『山岳第二年第一號附録』の会員名簿に、本名の島崎春樹の名前がある。住所は、東京市淺草區新片町一番地(現在の台東区柳橋)となっている。

 山岳会創立会員の小島烏水は、藤村入会の直後に『山水無盡藏』(隆文館刊)を出版。その序文を藤村が書いている。これ以外、藤村が山岳会会員として何かしたという形跡は見られない。ではなんのために藤村は山岳会に入会したのだろうか。また、いったい誰が藤村に入会を勧め推薦人になったのであろうか。名作「千曲川のスケッチ」のなかで、水彩画家B君として登場している小諸義塾時代の僚友、丸山晩霞に入会を誘われたのであろうか。それとも自らすすんで目的をもって入会を希望したのだろうか。

 実をいうと、藤村と烏水は山岳会が結成されるずっと以前から知己の間柄だったのだ。そのことは、藤村没後、烏水が書き残した「藤村覚え書き」(大修館書店刊『小島烏水全集』第十二巻に収録)に記されている。小諸義塾当時、雑誌『文庫』の記者として知られていた烏水に藤村が手紙を書いた。学校の職員で文集を本にするので序文を書いてほしいという内容。烏水は序文を書き、後に『山水無盡藏』出版にあたり、今度は新進気鋭の藤村に序文を依頼したのだった。

 これらのことから、藤村が山岳会に入会した動機は、烏水に自分が推薦人になるからと勧められたから、と考えるのが自然であろう。
 こうしてみると、宣教師ウェストンに影響され、英国の「アルパイン・クラブ」を倣って創立された日本山岳会は、結成当初は文化人たちが集う社交場だったことがうかがえる。

(ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№186から転載)

 


立ちはだかる月の輪熊を想像させられた、丹沢・檜岳 =岩淵美枝子

 檜岳(ひのきだっか)(1167m)
 平成26年12月10日(水) 曇り時々晴れ
 参加者:L関本、武部、佐治、岩渕(4名)
 コース:寄沢登山口8:30~雨山峠10:30~檜岳11:40(お昼~12:30)~下山口14:00~寄バス停14:45

 今日は、渋沢駅8:00集合だった。目覚まし時計は4:00にセットし、5:00に家出る。渋沢駅から登山口まではタクシー。途中、薄っすらと白く霜の降りた茶畑の中をいく。運転手さんが近道を通ってくれたのだ。有難うございます。

 出だし、幸先いいなぁ。料金も3250円と、リーダーの予想していた金額より安かったし。
 さあ、身支度を整え、登山計画書をポストに入れてから、樹林帯の中へ。看板が、この森の紹介をしてくれる。色鮮やかな木々の写真、鳥、花、観ると、ここは豊かな森のようだ。
「成長の森」と表示された看板だった。なるほど手入れの行き届いた森である。バックには企業の応援あるのだろうか、トヨペット、タカナシ乳業の他、保全林の看板があった。ほんと嬉しくなる。

 森が豊かであれば、水も綺麗なんだろうなぁ。いいな、西丹沢って。以前は何年か前に行った。丹沢の大山三峰では、赤土で石ころを抱いたスギ林があった。思いだすと、あのスギの木たちが可愛そうになった。

 ここのスギ林は葉も緑も黒々として、下草も豊かに生い茂っている。
「いいな!いいな!」
 こんな所を、今日は歩けることに、幸せを感じる。

 先月21日、熊本から帰り、飛行機の中から富士山がみえた。ふわーっと白い衣を纏った日本一の富士山を、スマホでパシャり。何枚も撮りながら、山に行きたいと思う。9月の剱で捻挫して以来、、この頃は山らしき山は行ってなく、帰ったら絶対行こうと思った。
 鍋割山、棒の嶺、そして今日の檜岳、雨山峠コースを行く。

 雨山峠までは4.2キロ、2時間ぐらいかな。川原に出た、ここから渡渉が始まる。水かさは、殆んど無く、渡りやすい。大きな石ころの上を、バランスよく飛んでいく。

 7から8回くらい渡渉があったが、面白い。両岸を見上げると、ブナの落葉樹が、すっかり葉を落とし、我々4人にむけて、ここまで上って、登ってこれるかなぁと、上から見守っている。

 あまりの静寂さに、さっきゲートのところにあった、大きな月の輪熊のイラストの看板を思い出した。目の前に、がオーッと立ちはだかる熊の顔を想像すると、背筋がぞぞぉーとする。皆には教えなかったが、あきらかに熊の糞が墜ちている。
 糞は時間経っており、黒く涸れていた。だが、あの糞は熊にまちがいない。野犬の糞だよ、と自分に言い聞かせたが、怖い……。鹿の糞、ウサギの糞みたいなのも墜ちていた。

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祝「山の日」記念全国大会の第1回・開催地が決定=長野県・上高地

 国民祝日「山の日」が衆参の国会を通過し、法案が可決したのが、昨年(2014)の5月28日だった。施行は2016年8月11日である。

 実施まで、約2年間において、国民が親しめる祝日として、全国「山の日」協議会(会長・谷垣禎一)を中心として、山岳団体、官公庁主催がこの祝日の意義をつたえるイベントを展開している。


 今年度(2015)は、東京・有楽町の国際フォーラムで、全国「山の日」フォーラムが開催された。2日間の総入場者数は約1万8000人で、盛況だった。特徴としては、最近は「山ガール』ブームであり、それを反映した若手登山愛好者の参加が目立った。

 全国「山の日」協議会の平成27年度総会が、5月23日から、衆議院議員第2会館の多目的会議室で、16時30分から開催された。
 今年度は、大分県・九重町で、プレ「山の日」記念、全国大会を開催することになった。

 衛藤征士郎(えとうせいしろう)さん(大分県選出・第64代衆議院副議長)とは、国会内の初映画試写会に招かれた縁である。プレイ「山の日」は伺いますよ、と言うと、ぜひ来てね、と握手された。


 2016年「山の日」記念全国大会の開催は、富士山か、上高地か、と意見が二分していた。5月28日の協議会の審議を通して、長野県・上高地に決まった。

 第1回の記念・全国大会に関する要望書が、阿部守一・長野県知事、菅谷昭・松本市長、上條敏昭・松本市上高地町会長から、同協議会に提出されていた。それが可決されたものだ。
 富士山となると、山梨、静岡、どちらが主体になるか。むずかしい調整があり、場合によると2県に分散した大会にならざるを得ない。それを避けた面がある。

 真夏の上高地は若者、家族連れ、槍穂への登山者が大勢集まる。全国に名高い。これらで、団体代表41人、個人13人(わたし穂高健一も個人会員)、合計54人による満場一致で決まった。

 私個人としては、来年8月11日の祝「山の日」にむけた、歴史山岳小説を取材・執筆している。その小説は槍ヶ岳登山、幕藩体制の下で安曇平と飛彈との間に、天保時代にできた「飛州新道」が背景のひとつである。
 
 主人公は、18歳の「湯屋」(旅宿)の知的な女性・岩岡志由である。豪農の4女の彼女が上高地の一軒家に入るのだ。幕藩体制(飛彈・信州)が、上高地の山奥にもつよく影響してくる。桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、幕府の圧力で飛騨新道は閉鎖される。志由は山を下りていく。江戸時代の上高地はここで一度歴史から消える。


 単に山の小説に閉じ込めず、天明天保は大飢饉に襲われた。一方で文化文政の華やかな旅ブームだった背景を織り込む。餓死する農民や農民一揆、栄華を極める豪商たち。当時の日本人の姿を克明に描いていく作品だ。

 務台(むたい)俊介代議士は長野県選出である。「上高地に決まって良かったですね」と声掛けすると、喜んでいた。小説取材先の紹介など、ご協力してもらっている。

 2016年「山の日」記念全国大会の開催が、長野県・上高地に決まった。私の作品もフォーラムの一環に間に合わせたい。その上で、可能ならば、超党派議員などのコンセンサスをとり、祝「山の日」記念出版に持ち込みたい考えである。

ことしの登山計画は?「とりあえず飲みながら決めよう」。

 毎年、IT会社インフォ・ラウンジの社員(平均年齢30代初め)と北アルプスに登っている。6-7人である。それに、「すにーかー倶楽部」が加わっている。約10人のパーティーである。
 
 2014年秋の紅葉シーズに、計画は剣岳(標高2,999m)だった。山荘の予約がとれず、すにーかー倶楽部は剣岳、ITグループは立山連峰の雄山(おやま、標高3003 m)、大汝山(おおなんじやま、3015 mの縦走だった。
 
 2015年秋は剣岳の再チャレンジ。昨年の段階では、誰もが信じて疑わなかった。

 4月29日に、「今年の登山はどこに決めるか」と、それを口実に、IT社員が横浜から、葛飾・立石にやってきた。

 立石仲見世の寿司屋「松ずし」で昼食をたべよう。長い列ができている。40分ほど並んで、店員が「もうネタがあまりないですよ」という前置きがあるも、せっかく並んだのだから、とカウンターで寿司を食べた。

 一級河川の中川の「中川七曲り」を散策した。
 最近、この七曲りに新たな河岸道路ができた。行政が洪水対策で、過去3度にわたり、土手をつくり、補強してきた。だから、川と並行して3列の道路が延々と続く。森永牛乳の近くでは、古い道路が残っているから、4列の道路がある。

 日本国内でも、きっとめずらしいと思う。それを売りだせば、と思う。「国家100年の計」からほど遠く、「場当たり的な治水対策だ」とばれてしまうからか、行政は音なしのかまえである。

 皆して、堤防をつぶさに観察すれば、盾のひび割れ(クラック)がいっぱい入っている。「近い将来、大津波が東京湾に来れば、堤防にこんなにもクラックが入っているから、2-3メートルの津波でも倒れるよな」
「岩手県・田老町の世界最強の防潮堤だって、津波は押し倒したのだから、もっと簡単だな」
 ここら海抜ゼロメートル地帯である。津波の恐怖を語りながら散策した。
 
(写真は逆光だから、フラッシュ・モードにセットして、シャッターを頼んだ年配者に手渡したのに、遠くで写すから、光りが人物に届かず、暗くなった。まあ、いいか、人物が入っているだけでも)

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壮大なパノラマがあった大菩薩峠 = 松村 幸信

 平成26年5月19日(日)晴れ ~20日(月)晴れ
 参加メンバー:L武部実、石村宏昭、中野清子、松村幸信

 コース:塩山駅~裂石~丸川峠~大菩薩嶺~大菩薩峠・介山荘泊~石丸峠~小金沢山~牛奥ノ雁ヶ腹摺山~川胡桃沢ノ頭~黒岳~湯ノ沢峠~湯ノ沢峠入口~やまと天目山温泉~甲斐大和駅        


【1日目】
 塩山駅に集合し、8:30発のバスで柳沢峠に向かう計画でしたが、アクシデントによりひとり遅れ、9:30発の大菩薩峠登山口(裂石)行きに乗車する。
 裂石から舗装道路を歩き出して間もなく、雲峰寺の山門が見える。25分程で丸川峠入口を過ぎると山道となる。
 日に照らされた新緑が眩しく、時折青空の下に、真っ白な富士山が顔を覗かせ、気分は最高。丸川峠への後半の急坂の辺りより、上の木々はやっと芽吹き始めたところでした。
 12:20丸川峠に着いた。昼食休憩を摂り、13:00出発。40分位進むと、今年の大雪の名残りの雪が現われ、この時期はまだ凍った部分もあり、注意して進む。

 14:30大菩薩嶺に着。映画などで、誰もが名前は知っている山なので、初登頂に期待も膨らんでいたが、達成感も眺望もなくがっかり。14:50雷岩に着。

 壮大なパノラマが目に飛び込む。富士山、南アルプス、乗鞍岳、八ヶ岳の山々には雪が残り、真っ白に光って実に美しい。15:40大菩薩峠・介山荘着。
 夕食後、18:35の日の入に合わせ、夕日と富士山の両方を見るために、親不知ノ頭まで走る。その後は部屋に戻り、持参した焼酎を飲んで20:30就寝。


今年の西暦同じ 小金沢山2,014mにて

【2日目】
 4:35奥多摩方面からの日の出。西側には今日も南アルプスが美しく見える。
 6:50介山荘を出発。7:20笹原の中の石丸峠に着。石丸峠から湯ノ沢峠までの尾根を小金沢連嶺と呼ぶ。
 8:35今回の山行のメインである2,014mの小金沢山に到着した。9:30牛奥ノ雁ヶ腹摺山に着。途中、山道の真ん中に、子鹿の死骸を発見。今年の大雪で餌がなくなり、餓死したらしい。11:00に黒岳着。
 途中道が深く抉れているため、笹原を切り開き、新しく作られたルートを進むが、出来て間もなく刈り取った笹の根が邪魔をして実に歩き辛い。

 11:50湯ノ沢峠に着。避難小屋の近くに腰を下ろして、やっと昼食である。ここから水場を抜け、柳木場沢沿いの道を渡渉を繰り返しながら下る。
 13:05湯ノ沢峠の登山口。残りはやまと天目山温泉までの舗装道路を1時間強歩くことになる。この最後がうんざりするほど長い。
 ところが温泉まで半分くらい歩いた頃だろうか、疲れ切った顔をして歩いていた最後尾の中野さんの前に一台の車が止まり、バラバラに歩いている我々を次々に拾って、やまと天目山温泉まで送ってくださったのです。
 ひとりで登山に来ていた方でしたが、まさしく地獄で仏に会った思いです。

 13:50やまと天目山温泉に着。汗を流した後生ビールで喉を潤す。残念ながら駅までのバスは17時台までないので、タクシーで移動する。
 15:55甲斐大和駅に着いた。17:15高尾駅近くの居酒屋で反省会を以って終了する。

                 記録・松村幸信


【関連情報】

 ハイキンク・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№179から転載

迫りくるドカーンと大きな浅間山 = 栃金 正一

1.期日 : 2010年7月31日(土) 天気:晴れ
2.参加メンバ : L 栃金正一 上村信太郎 武部実 
3.コース : 浅間山荘~火山館~湯ノ平口~前掛山~火山館~浅間山荘


 4:30、天狗温泉浅間山荘に車にて到着。駐車場はまあまあ混んでおり、奥の方の空いている場所を見つけ駐車する。
 朝食をとり準備を終え5:00に出発。山荘の脇の林道を沢に沿って登って行く。林道の終点が一の鳥居である。
 ここは分岐になっており山側の道を進む。白樺や唐松のあざやかな緑に囲まれた傾斜の緩やかな道をゆっくり登る。
 二の鳥居に到着し、休憩をとる。更に行くと左手に外輪山の大きな岩壁が見え、右手には牙山が大きく尖ってそびえている。

 イオウ臭い沢を横切ると7:10火山館に到着した。ここはトイレ、水場もあり絶好の休憩ポイントである。火山館の裏手の道を少し行くとお花畑になっており黄色のマルバタケブキが群生している。
 その隣の草原にはアザミに似たタムラソウやクルマユリ、ヤマボタルフクロ等が色あざやかに咲いており目を楽しませてくれる。

 湯ノ平口を過ぎ前、掛山登山口に到着する。このあたりから周囲は灌木になり、左手には黒斑山が見えてくる。更に登ると右手にドカーンと大きな浅間山がせまってくる。あまりの大きさに圧倒される。火山灰のザレた道をひたすら登る。

 傾斜が緩やかになったところには、避難ドームが二つ設置されており、その向こうのやせ尾根の先に前掛山が見える。
(火山活動により山頂火口への登山が禁止されていた。)
 そのやせ尾根をどんどん行き9:30前掛山頂に到着。ここの山頂からは眼下に黒斑山を眼下に見ることができる。

 記念写真を撮り下山し、避難ドームで少し早い昼食をとる。展望はすばらしくさっき登った前掛山が小さく見える。

 10:50下山を開始した、ザレた道をピッチよく軽快にとばす。12:15火山館到着、休憩後、一気に二の鳥居まで下り、ここからは沢沿いの道を行き豪快に落ちる不動の滝を見て、14:00に浅間山荘に到着。早速、山荘の温泉に入り汗を流す。

 このコースは時間がかかるが、危険なところがなくスケールの大きな浅間山を充分堪能でき、変化に富んだお勧めのコースである。

                     記録・栃金正一

【関連情報】

 ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№131から転載

木々の新緑が美しい・御岳山 = 渡辺 典子

 平成26年5月20日(火) 曇のち晴
 参加者:L横溝憲雄、針谷孝司、脇野瑞枝、松本洋子、渡辺典子、その他1名    

 行程:御嶽駅(バス)~滝本駅(ケーブルカー)~御岳山駅~御嶽神社~長尾平展望台~日の出山(902m)~金毘羅尾根~武蔵五日市駅 

 御嶽駅に9:15集合、9:21発の滝本行きバスに乗車。滝本駅よりケーブルカー6分乗車し、御岳山駅に着。身支度をして10:00スタートした。

 道標に従い急坂のある舗装道路を歩く。旅館や宿坊を眺めながら、階段を登りつめ御嶽神社へ10:30着。以前、来た時は大勢の人達で賑わっていたが、平日の為か、又、天気予報が前日悪かった為か、かなり少ない。
 ゆっくり参拝を済ませ、リーダーお勧めの展望の良い長尾平展望台を目指す、10:45着。広々としたヘリコプター離着陸場がある。
 ガスがかかり眺望は少ないが、木々の新緑が美しい。東屋で休憩し、いよいよ日の出山に向かう。畑が広がる道をしばらく進み樹林帯に入る。ゆっくり登ると鳥居が見えてくる。 

 段々と急坂になり、左手には東雲山荘、右手に山小屋風のトイレがある。一段上の山頂迄ひと踏ん張りの急坂。ジャスト12:00日の出山、山頂に着いた。
 山頂は広いが人出は少なく東屋に3人程、やはり展望は余り無く、御岳山、大岳山等近くの山々が連なる。早速東屋にて昼食。昼食が終わる頃次第にハイカーが増え、20~25人位になり賑わってきた。


 12:50に、金毘羅尾根下り出発。このコースはマウンテンバイクで走る人達には有名なコースらしい。おだやかな下り一辺倒の道が続く。麻生山を通過。樹林帯が続きタルクボ峰あたりで視界が広がりホッとする。
 誰にも会わずバイクの走者もいない。同じ景色の道が続き少し疲れが出て来た時、ひときわ綺麗な黄色の花が目に入る。全部で10本位見ただろうか。皆に元気を与えてくれた。
 山野草ガイドブックで調べると“キンラン”でした。雑木林に咲く花で減少しているようだ。

 静かな下りをひたすら歩くこと3時間、15:45に金毘羅山に到着。昨年、交流山行で宴会をあげた琴平神社横の広場は閑散、ツツジも終わっていた。
 見晴台で五日市の市街地を眺め、駅へと下る。登りはわずかで美しい新緑を楽しみながら下り続けた山行は6時間の歩行、16:45五日市駅に着いた。横溝さん復帰でき、立川で反省会をして解散。お疲れ様でした。

                      記録・渡辺典子

【関連情報】
 ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№177から転載

「山の日」から、安全のための知識と方法(6)=東京・有楽町


 3月29日は、日曜だが、国際フォーラムの会場には、山ガールも来ていました。トークショウを愉しんだり、登山用品関係をのぞき見たり、とても楽しそうな若者が多かった。それが特徴です。

 石井弘之(ひろゆき)さんは、成城学園の中学校高等学校の校長である。

 同校は1930年に、オーストリアからハーネスシュナイダーを招いて、スキーを学んでいる。「海の学校」「山の学校」は同校の伝統行事である。

 中学1年生は「海の学校」で、生命の教育、心臓マッサージの実習、ADEの使い方などを学んでいる

 中学2年生になると、240人が8班に分かれて、北アルプスに登っている。槍ヶ岳、白馬岳、唐松岳。大勢の生徒を安全登山させる対処法について語った。

 教師はふだんの部活動、大山登山などを通して、個人の体力、集中力、指示に対する反応力など、総合的な判断から、一人ひとり挑む山岳を決めていく。この振り分が安全への第一歩である。

 約100人の教員は、春と秋に、プロの山岳ガイドから指導を受ける。教員のなかにも、大学山岳部のキャプテンやマナスル登頂の経験者がいる。本隊に同行してもらい、次のリーダーとして学ぶ。

 生徒への注意事項として、

① 走るな。  遅れると追いつこうとする。
② 振り向くな  おしゃべりにつながる。
③ 荷物を谷側に置くな 
④ 石をけるな
④ 手に荷物を持つな 両手を開かせておくことはとっさの対処になる。

 前日に、登山に出かける装備で、登校させる。それぞれにチェックする。ヘアドライアーとか、缶詰とか、重いものを持ってくる生徒もいる。ザックの荷の計量を行う。

 
 7月下旬は、このごろあてにならない。ゲリラ豪雨もある。後退する、勇気と決断が安全登山の要になる。「山の学校」のあとは、次年度に向けた反省会を行う。


 


 山本正嘉さん(鹿屋体育大学・教授)は、人間の運動能力の限界を引き上げるために、瞬発力、持久力、疲労、回復などに取り組んでいる。その成果をもとにスポーツ選手への教育や指導を行っている。

「登山は想像以上に、ハードなスポーツです。その認識が甘い人が多い。役立つトレーニングができていない」
 そう述べたうえで、脚力が弱いとバランス能力と俊敏性に欠けてきて、事故につながります、とつけ加えた。

 登山歴10年以上で、60~70歳代のベテランが事故を起こしている。

 転ぶ事故が多い。つまずいたり、浮き石に乗ったり、踏み外したり、スリップしてバランスを失う。こうした事故は、全体の56%を占めている。

 太郎平小屋に掲示された『最近の事故』から、足首骨折、大腿骨折、頭部座礁が多い、と事例で示す。

「病気による事故もあります。とくに山の登りで、心臓に負荷がかかり、突然死が起きています」
 心肺機能が弱いことにも起因しています、と補足した。

 山本は「運動の強さ」を11段階に分けている。

 1レベルは座る、立つ、入浴、車に乗る

 5レベルはかなり速く歩く、野球、ソフトボール、

 6レベルは、ハイキング、ジョギングと歩行の組合せ、バスケット、水泳

 7レベルは、無積雪期の登山、サッカー、テニス、スケート、スキー
 
 8レベルは、雪山・岩山、ランニング(分速130m)、水泳(中くらいの速さ)

 10レベルは、柔道、空手、ラグビー

 11レベルは、速く泳ぐ、階段を駆け上る

【写真の上で左クリックすると、2倍の大きさになります】

 安全登山のためにも、ふだんのトレーニングが大切である。山本さんは図表で示した。、


 


 飯田肇(はじめ)さん(富山県・立山カルデラ砂防博物館学芸課長)は、「自然と危険を考える」という面で講演を行った。
 
『登山には4つのキーワード』

①身体の準備
  健康ですか。トレーニングしましたか。よく眠れましか。仕事や勉学の疲れはありませんか。

②計画立案
  まず地図を用意しましょう。どこに行くのか。どのくらい登り、下りがあるのか。逃げ道はあるのか。

③忘れ物はないか
  レインウェア、防寒具、ヘッドランプなど、絶対に忘れてはいけないものをチェックしましょう。  

④登山届
  山で最も大切な安全対策です。


『高さと風』
 高さを増すほどに、風が強くなる。規則性がないので、予測が難しい。山岳は地形によっては、強風になる。

 冬はジェット気流の基軸が南下するので、とんでもない強風になることがある。

 瞬間風速は平均風速の1.5~3倍になる。

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「山の日」から、安全のための地域整備を考えよう(5)=東京・有楽町

 東京・有楽町の「東京国際フォーラム」で開催された。3月29日(日)は2日目で、フォーラムのメインテーマは「山と自然の安全」だった。

 藤原忠彦さん全国町村会会長(長野県川上村長)が冒頭の挨拶に立った。「山と、自然と、森を愛する人たちのあつまりです。飛行機、新幹線は人間の手で作ったもの。山の場合は、武田信玄の風林火山『動かざるもの山の如し』というように動かずしても、突如、危険が迫ります。安全を考え、山を上手く使っていきましょう」
 安全面からしっかり討議し、勉強してほしいと述べた。

宮崎茂男さん(長野県・山岳救助隊長)は、「遭難現場を知って、知識を持って、帰ってもらいたい」と述べた。

 遭難はここ10年間で、1.6倍になった。平成25(2013)年は2172件である。その中で、長野県は14%を占めている。


  携帯電話などで110番が入りやすくなり、GPG機能で所在地が判りやすくなった。それを受けて、警察、消防、民間の救助隊が出る。山は特殊な場所であり、航空隊が出られない場所、悪天候などは、地上隊員が遭難者を背負って降ろすことになる。

 その事例が画像で紹介された。

 八ヶ岳の遭難者がビーコンをもっていた。手袋の発見から、雪崩に埋まった遭難者を発見する過程が説明された。

 御嶽山の噴火災害は死者が57人、行方不明5人の事例に対する、救助活動が写真で紹介された。そこには傷ましい姿があった。

「へリーや通信機器の発達で、死者は少なくなってきました。しかし、救助隊員も命がけであり、二重遭難もある。これらも念頭においてほしい」
 殉職者の数が示された。

 平成21年9月は3人  岐阜県・穂高
 平成22年7月は5人  埼玉県・秩父
 平成26年9月は1人  愛媛県・石鎚

 登山者は自分の責任で登ってほしい。「体力、知識、技術、装備」の面でチェックして、山に入ってほしい。


杉下 尚(ひさし)さんは、岐阜県危機管理部の防災対策監である。

 最近の登山ブームで、岐阜県でも遭難事故が増えている。発生件数の6割が、北アルプスである。

 事故を見ると、技術不足、装備不足の無謀登山が多い。その上、登山届は6割しか出ていなかった。これらのことから、同県は「登山届出を義務化した」と、杉下さんは条例化の根拠を説明した。

 遭難事故の多い北アルプス地域と活火山地区を対象としている。登山届をしない、虚偽をした場合は、5万円以下の過料を適用する。登山時期によって、エリアを変更する。


         【写真の上・左クリックで、拡大されます】

 
 昨年の御嶽山噴火の折、登山届が出されていない人がずいぶん多かった。救助関係者は、遭難者数の実態がつかめず、初期捜索で混乱をきたした。その記憶がまだ新しい。

 

 昭和41年に東京消防庁に「消防防災航空隊」が初めて配備された。長野県は平成9年に配備された。山岳救助、水難救助、捜索に出動している。

 中山義明さん(長野県消防防災航空隊の隊長)である。

 長野県は標高3000メートル級が15座、日本百名山は29座ある。急峻な山が多く、登山者が多い。へリーは強風、突風だと、遭難現場の真上に来ても、ホバリング(空中停止)できない。

「朝の早い内は、割に安定しています。この日の救助はダメだと判断しても、へリーのプロペラ音を聴かせてあげようと、旋回したりもします」
 へリーが気づかなかった、と思うと、失望から死に至るケースが多い。厳しい天候のなかで、こうした配慮もなされている。

 信州ドクターヘリ―としても、活躍している。

「困ることは、地上で、誰もが手を振るので、どこが遭難現場かわからないことがあります」
 そんな笑えない事例も、中山さんは切実な問題だとして披露した。

「救助要請のタイミング(判断)には迷いがあるかと思います。へリーの早期発見には、早期通報が大切です」
 と結んだ。

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「山の日」から、地域の活力が生まれる(4)=東京・有楽町

 主催者のあいさつとして、磯野剛太事務局長(全国「山の日」フォーラム実行委員会)が、2日間のイベントやシンポジウムの概略を語った。

 祝「山の日」は山に親しみ、山の恩恵に感謝するものです。今回のフォーラムは、「山の日」をより知ってもらうためのものです。
 
 日本は海に囲まれた、7割が山の国です。山を通して、地方を創生していく。 現況は、森林の一部荒廃、水資源、里山、川、山の整備など、課題は多くあります。
「山が荒れると、海が荒れる」
 それは食生活にも直結してきます。
 新たに森を再生していく。みんなでこの取り組みを考えてみましょう。

 あした29日(日)は、山の遭難、救助、安全登山をテーマにしたシンポジュウムが行われます。

 

西栗倉村(にしあわくらそん)は、岡山県にあり、平成の大合併でも、市や町と合併せず、頑張っている村である。
 人口は、1530人。同村の上山隆浩さん(産業観光課長)が、遊休の山林対策と、都会の若者を村に呼び込む、斬新な取り組みを語った。


 近年は、木材価格の低迷と、山林所有者が村にいなくなり過疎化が進み、森が荒れている。それが全国的な傾向である。


 3-50年前に植林した杉、ヒノキの林は、人間の手で作られているから、そのまま放置すると、山が荒れてくる。
 無秩序に枝葉が茂り、太陽の光が地面まで届かなくなるからだ。すると、地表が荒れる。森林災害の原因になったりもする。

 その対策として、樹を間引きしたり、枝を伐ったりして、地面まで光りを入れてやる。この間伐材(かんばつざい)の作業がとても重要になる。しかしながら、山林所有者が高齢者だったり、村から出て行ってしまったりしているので、森の管理が疎かになってきた。

 同村は新たな取り組みとして『百年の森づくり』事業を着実に推し進めている。

 登記上だけの山林所有者から、10年間契約で森林を預かる。そのうえで、村の職員が間伐採、あるいは材木を切りだし、販売する。手数料を引いた後の収益は、村と所有者とで50%の分配を行う。

 間伐材は一般に品質が悪く、商品価値が低いとされてきた。しかし、若者の眼には、樹木の節目がユニークなデザインに見える。斬新な発想ができる。同村は若者たちの手を借りて、間伐材に付加価値をつけて世に製品として売り出している。

 マンションの床板として、板材の節目を組み合わせると、新鮮な床に生まれ変わる。人気だ。若者は玩具にも、目をむける。「東京おもちゃ美術館」とタイアップし、子ども対象のイベントで木製玩具の普及に努める。無印の大型小売店で、ユニークな木工品を展示販売する。
 割り箸も拡販していく。割り箸は間伐材の利用だから、森を活性化するのに役立つ。

 製品にできない端材は、同村の施設のボイラーの燃料にする。従来の灯油使用量が大幅な減となった。ボイラーマンも、都会からやってきた若者である。

 木材に付加価値をつけた商品化は、若者たちを魅了した。現在、51名が同村に移住してきた。
「1530人の人口の村ですから、東京都1200万人に換算すれば、約40万人の人口増加となります」
 上山さんは胸を張っていた。


 全国には、所有者の不明瞭な森林や休田が数多くある。行政は手が出せない。
「森を有効に生かすためにも、持主は行政などに相談をしてほしい」
 と全国に呼びかけた。
 新しい森林の創生からしても、これは重要な施策だ。
 
 

 今井通子さんはかつてマッターホルン、アイガー氷壁に登攀した、国際的な登山家である。982年に、「森林浴」が提唱された。ヒノキチュノールを浴びると、身体の維持になる。そこで、医者の今井さんは、森林セラピー運動を推し進めている。(森林環境を利用して、心身の健康維持、増進、疾病の予防をおこなう)。

「日本人は、山は登るもので、登山は途中で帰るものではない、という考えです。ヨーロッパでは、森林は歩いたり、ベンチを置いて本を読んだり、ひたすら自然と親しむ場所だと考えています」


 
「森林には、健康、癒(いや)し、機能障害のリハビリなど効果があります。NK細胞(ガンの免疫、インフルエンザになりにくい)が活性化します」
 風邪を引いたら、森に行くと良いと言われるゆえんである。

「脳卒中の人が4年間の登山で健康を回復してきました」
 と事例を紹介する今井さんは、『森林セラピー基地』づくりを推し進めている。2014年までには、57か所ができた。2015年には60か所の予定である。


 健康、観光、経済、環境の4Kを地元民が推し進める。森を整備すれば、環境が良くなる。そのためには、都会人がお金を払う。この循環が大切である、と今井さんは強調した。


 

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