登山家

前泊は温泉で心地好く、登る赤城山(1828m)は雨と霧=籔亀徹

日時 : 2016年10月8日(土)

メンバー : 籔亀徹・北山美香子・北山明親

コース : 黒檜山登山口8:43 ~ 黒檜山10:07 ~ 駒ヶ岳10:57 ~ 駒ヶ岳登山口11:52

 10月7日、栃金さんと別れて、創業が明治23年の赤城温泉の花の宿(湯ノ沢旅館)に宿泊した。山の中の温泉で、いろんな手作りの料理に興味を引かれた。
 いまはさびれて? 3件のみの開業になっているらしい。古いけれど、とっても趣きがあった。温泉は鉄分が強そうで、やや白く濁っていた。


 翌朝、本来ならば、8時からの朝食時間だが、山へ行くからというと、7時からにしてくれた。朝食もほんとうに丁寧にいろんな食材で、作られていた。
 ありがたくいただいて、7時半に出発する。1時間ほどで、大沼のそばの黒檜山・登山口の駐車場に到着した。天気予報は曇りのち時々雨・・。

 朝、宿を発った時から、ずーっとすごい濃霧で、車の峠越えは大変だった。雨が降り出したら、やめようかということだったが、なんとか雨は免れた。

 8時43分に出発する。登山道は思っていたより歩きづらく、大きい石が山頂近くまで延々と続いていた。
 10分くらい歩くと、霧のなかに大沼が見えた。これは晴れると思った。しかし、甘かった。途中から、霧と風と雨で、雨具(上着だけ)を着る。

 10時7分に、黒檜山の山頂(1828m)に到着した。

 濃霧で、景色は何にも観えず、残念だった。早そうに下山することにした・・。
 当初の予定を変更して、きっと雨が降るだろうと思ってピストンにするつもりだった。せっかくここまできたのだから、そのうえ雨もたいして降ってないし、ということで、即座にまた変更して最初の計画通り、駒ヶ岳経由で行くことにする。


 こんどは山道がハイキングコース並みの、歩きやすい登山道に変わる。登りの時とはちがい、天気が穏やかになってきた。
 時どき、遠くの空が明るくなったり、大沼の湖面が観えたりしての歩きになってきた。55分で、駒ヶ岳(1685m)に到着した(10:57)。
 すぐに通過して、下山する。やはり天気が悪かったら、景色が観えず、楽しみが半減する。45分(11:52)で、駒ヶ岳登山口に下りたった。

 下の方は天気が良くなっていた。雨具を脱いで、赤城神社に立ち寄る。この神社はかつて地蔵岳の中腹にあったそうだ。

 赤城山は黒檜(くろび)、神庫(ほくら・・地蔵)、荒山、鍋割。鈴が岳の雄峰を中心に、峰峰が幾重にも重なっているそうだ。
 紅葉にはまだ早いけれど、赤く染まった赤城山にも、魅力を感じる。駐車した車には12時40分に戻り、帰路につく。

 妙義山と2日間の連続の登山だった。準備不足もあるが、脚と腰に疲れがたまり、がたがただった。でも、楽しい山行だった。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№207から転載


からだが凍っても、美観の魅力、冬の権現山(1312m) = 関本誠一

日時 : 2014年1月27日(月) 晴れ

メンバー : L関本誠一、栃金正一、武部実、佐治ひろみ、籔亀徹  (5名)

コース : JR猿橋駅(バス)⇒ 浅川BS ~ 権現山(1312m・昼食) ~ 高指山 ~ 不老山(570m) ~ 不老下BS(タクシー)⇒ JR四方津駅

 権現山は日本各地にある山名である。その数を数えたらなんと92座もある。中国・九州で半数近くあるが、東京近郊にも丹沢付近に3つあり分布は全国に散らばっている。
 権現とは徳川家康の死後に、東照大権現として祭られている印象か仰々しい名前だが、家康と関係があるのかは全く不明だ。

 きょう行く山は、大月市と上野原市の境にあり、標高は長野県(1749m)と愛媛県(1593m)に次ぐ第三位の立派な山だ。
 例年この時期になると、ほど良い積雪になっているだろう、との予想のもとに計画した。


 集合はJR猿橋駅8:10だった。一番乗りは、自宅から車を運転してきた籔亀さんだ。30分も前に到着していたそうな…。一番遠いところから来ているのに頭が下がる。

 この日はとにかく寒く、大月駅始発のバスを待っているだけでも、身体が凍えてしまうくらいだ。定刻(8:18)のバスに乗り込む。乗客は我われ5人だけである。バスに揺られること30分で、登山口のある浅川に到着した(8:50)。

 早そうに準備をして出発する。最初は林道を行くが、陽が射さないため寒さが身にしみる。50分ほどで浅川峠に到着した。尾根に出ると、風もなく日当たりがよく、温かくなってきた。

 木々の間からは、富士山をはじめ、まわりの山もだんだん見えるようになってきて、快適な登りだ。途中は休むことなく、一気の登り、権現山の山頂には10:55に到着する。

              (権現山山頂にて)


 山頂からの眺めは、これまた一段と素晴らしい。富士山はもちろんのこと、北側の奥多摩方面も一望できる。
 ただ、雪はほとんどなく、むしろ雪解けでぬかるんだ状態だ。すこし早い昼食をとる。50分ほどのたっぷりの休憩をとったのち、下山を開始する。
 まず目指すのは高指山。所どころ凍っていて、滑りやすい。これも山頂付近だけで、しばらく下降すると氷結はまったくない。

 途中、舗装された林道を横切る。だが、林業のためとはいえ、山奥までの自然破壊はむなしい。

 高指山に到着して、小休止をとる。次は不老山を目指す。アップダウンをいくつか繰り返したのち、南側が開けた不老山頂に到着する(13:40)。


 正面遠くには丹沢主稜がある。手前には、倉岳山から矢平山、高柄山と連なる尾根が一望できた。眼下には、中央高速の談合坂SA(下り)がある。四方津、上野原市の町なみがはっきりと見える。

 不老山という名前の山も、全国各地に沢山あると思っていた。ところが、九州にある徐副伝説のところを含めても5座しかないのは意外だ。

 小休止の後、不老下に向けて下山していく。バス停に14:50に到着。平日の昼間はバス便がないため、四方津からタクシーを呼び、駅に向かう。
 籔亀さんとは駅で別れた。残り4人は恒例の立川駅で途中下車し、反省会をしてから家路に向かう。お疲れさまでした。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№174から転載

高川山(975m) = 大久保多世子

1. 期日 :2016年6月12日(月)晴れ
                         
2. 参加メンバー : L武部、市田、原田、大久保 (計 4名)

3. コース :初狩駅―― 自徳寺 ―― 高川山 ―― 天神峠 ―― むすび山―― 大月駅 


 梅雨時にしては、珍しく最高のハイキング日和だった。
 初狩駅を9:40に出発した。駅前から右に進み、中央線のガードをくぐり、右手の自徳寺に入る。

 武部さんの案内で、色とりどりの花が綺麗な墓地の中を進む。大きなイチョウの傍らに、ビッキーのお墓はあった。可愛らしい墓石には「ビッキー安らかに」の文字と、ビッキーの絵がくっきり。硬貨がたくさん供えられていた。

 ビッキーは高川山の頂上辺りに住んでいて、登山者に人気の犬だった。そうとは知らず、私は友人と登ったとき出会い、「野犬だ!」と怖がったことを思い出した。


 登山道はしばらく道幅が広いが、山道は狭く急坂になる。
 女坂と男坂の分岐で、小休止をとり、当然のごとく男坂に進む。夏のように暑いが林の中は快適で、時折吹くそよ風が嬉しい。
 横1列に並んで、下向きに咲く清楚な白い花はネジキである。幹がねじれる木だが、地方によって、花の様子から「飯粒の木」とも呼ぶそうだ。


 11:40に頂上に到着する。 まさに大月市の秀麗富嶽十二景の十一番山頂!パッと開けた視界に雄大な富士山がそびえ、何とも清々しい。

 ヤマボウシ・コアジサイ・シモツケ・ウツギ・テリハノイバラなどが咲き、アオダモは実をつけていた。

 花と富士山を見ながら昼食をとり、記念写真。

 展望の良い頂上には30人ほどの人がいた。低学年の女子が3人で追いかけるのは、何と、トカゲだ。逃げ回るトカゲの藍色が美しい。
 標識の下に入れてあるビッキーの写真を皆で見て、12:30に、むすび山に向けて出発。すぐ林の道で、木陰の涼しくて、とても心地よい、コアジサイがたくさんあって、優しい薄紫の花には何度もカメラを向ける。アップダウンを繰り返しながら、なおも進む。

 禾生駅への分かれ道。さらに天神峠や田野倉駅への分かれ道を過ぎると、パタリと人に会わなくなった。
 道の上には植物が伸びていて、実に歩きにくい。

 ウルシも枝を伸ばしているので、半袖だと心配になるほどだ。むすび山までの道のりはかなりあり、「峰山585m」と木の幹に取り付けた標識を過ぎても、まだ着かない。
 少し焦れてきた頃、癒してくれたのがイチヤクソウの可憐な花だった。草の間、木の根元などにけっこうたくさん咲いていた。

 目に優しい鮮やかな緑はカエデの木。たくさんあったので、
「ここは秋にも是非来たいね。」
「すぐ暗くなるから逆コースがいいね。」
 などと話しながら進む。


 九鬼山とリニア実験線が見えてきた。リニアモーターカーは九鬼山と高川山の真下を通っている。
 「この急坂はむすび山に違いない。」
 と頑張って登ると、大きな石があって、「おむすびにそっくり!」と一瞬喜んだが、GPSを見た原田さんの「むすび山はまだ先。」の声にガックリ。

 後日「ぼたもち岩」と呼ばれていると、佐治さんに教えてもらった。

 この岩からしばらく歩いて、ようやくむすび山に到着する。眼下には大月の街並みが広がっていた。ここからは下るだけで、4:00頃に大月駅に到着した。

 反省会の生ビールは格別においしかった。ゆったりと花々を観賞し、写真も撮り、体の芯まで緑色に染まった、楽しい日帰りハイキンクであった。

          ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№204から転載

高水三山(793m)=武部実

登山日 : 平成28年7月 2日(土) 

参加メンバー : L武部、渡辺、野上、中野、+武部友人(色川)の計5人

コース : 軍畑駅 ~ 高水山 ~ 岩茸石山 ~ 惣岳山 ~ 御嶽駅

 集合時間である軍畑駅9:10着の電車からは、登山客がぞろぞろと降りてくる。5~60人はいるだろうか。
 私はたまたま早く集合時間の30分前の電車に乗ったが、同じ状況の混みようであった。ここからは御岳渓谷のハイキングコースもあるが、ほとんどが高水三山に行くようだ。


 9:20に出発する。踏切を越えて、舗装路を歩くこと約30分で、高源寺に着いた。ここから少し登ったところが、登山口だ。いきなり、急登の長い階段が現れる。
 きつくて途中で、一回休憩をとる。天候が曇り空で、樹林帯の歩きなので、すこしはましだが、今日は30度超えの予報だから、こまめな水分補給は必須だ。

 登山路には、『合目』が彫り込んである石柱が設置してあり、三合目だ、四合目だ、と確認しながらのんびり歩くのも楽しいものだ。
 高水山直下の常福院に11:30に着いた。山頂はすぐだが、混み合っているのではないかと考えて、ちょうど通り道に誰もいない東屋があり、ここで昼食にすることに決めた。

 12:10に出発。5分で一番目の高水山(759m)に着く。曇り空とあって開けている南面の見通しが無く、集合写真の記念撮影をして、すぐに出発する。
 山頂直下は急降下だが、その後は緩やかな稜線歩きが続く。白いキノコの群生やギンリョウソウを発見したりしてのゆっくり歩きだ。
   
 ところが、二番目の山頂直下になると、急な登りになってくる。12:53に岩茸石山(793m)に着いた。三山の最高峰で、北方面が開けていて、手前には黒山が、その先は棒ノ折山が眺められた。

 小休憩して歩き始めたころには、お日様がでてきた。だが、樹林帯のコースなので日陰で快適だ。しかし三番目の山頂直下が急な岩登りで大変なところ。登り切ったところが、惣岳山(756m)で13:34に着。

 山頂には青謂神社奥の院が鎮守してある。見通しはないが、杉林に囲まれて広々とした気分が好いところだ。

 14:10に出発。ここからは御嶽駅に向かって下りのみ。杉林の中を歩くが、ここは『関東ふれあいの道』でよく整備されてあった。快調に歩いていたと、いいたい所だが、湿った登山路に見事にスッテンころり転ぶ。擦り傷だけですんだが、油断はまさに禁物だ。

 15:50に御嶽駅に着いた。恒例の反省会は、最近よく行くようになった立川の「弁慶」。焼酎のボトルを新たにキープし、8割方残っているので、早い者勝ち、遠慮はいりません。

  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№205から転載

伊吹山と生物多様性 = 市田淳子

期日 : 2016年7月31日(日)

コース : 伊吹山 1合目~山頂~東遊歩道~駐車場~中央遊歩道~西遊歩道



   
                     イイブキジャコウソウ


 長い間行ってみたかった伊吹山に登ることができた。なぜ行きたかったかというと、特異な気候と地質、固有種の多さ、そしてお花畑を見たかったからだ。

 1合目に前泊して、31日の朝、5:30に伊吹高原荘を出発した。3合目で朝食をとる。1合目から3合目までは普通の山道で、クサフジ、ヤマホタルブクロ、カワラナデシコが咲く道を歩く。

 上に行くに従って、琵琶湖が大きくなってくる。途中、樹林帯を通るが、殆どが日差しのある草原だった。麓の方はスギ・ヒノキの針葉樹で、かつて林業の大切な林だったのだろう。
 その上は、広葉樹林体で、コナラ・ミズナラなどのいわゆる雑木林だ。かつては人々の暮らしに欠かせないフィールドだと思える。

 3合目のお花畑に着くと、フェンスで囲まれている中にユウスゲが咲いていた。柵を設けないと残せないのだろう。そして、5合目・・・と登っていった。
 山頂付近では、いくつかの花が顔を見せてくれた。

 山頂の三角点を確認し、東遊歩道へと向かった。予想した通り、柵に囲まれていた。それでも、柵の中にはクガイソウ、ミヤマコアザミ、サラシナショウマなどの群落があり、お花畑を楽しませてくれた。

 一旦、駐車場まで下りて、再び山頂目指して中央遊歩道を歩く。

 先ほど上から眺めたお花畑を下から見ることになる。そして、西遊歩道を行くと、完全に保護された区域があり、その中にはシモツケソウが我が物顔に咲いていた。
 かつては、この地域一帯にシモツケソウを始めとする植物が、百花繚乱の如く咲き乱れ、人々は中に入ってその美しさを楽しんだそうだ。

 しかし、今は保護しなければ、それらを見ることはできない。保護が必要となったのは、シカなどの食害というより、温暖化によるアカソ、センニンソウ等の繁殖力だそうだ。

 花の百名山の中でも、伊吹山は特異な存在だと思う。
 麓のスギ・ヒノキを材として使い、広葉樹を雑木林として使い、薬草の宝庫として利用してきた伊吹山。人々との暮らしが、ここまで密接な花の百名山は、他にないのではないかと思う。

 生物多様性とは、人間の勝手で作った言葉だ。人が生きて行くために必要だから、その多様性を守ろうという言い訳に過ぎない。その生物多様性の恵みを享受しているのは、野生生物ではなく人間だ。

 だとしたら、温暖化という自然の流れに任せることなく、人の手で元々あった自然の姿を守っても、神様は許してくれるのではないかと思う。

 伊吹山を訪れた後も、他の山でも同じように今、抱えている問題を目の当たりにした。山好きにどうやって自然が守れるのか。自分自身でよく考えてみたいと思う(森林インストラクー)。             

 
    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№205から転載

山頂の神事から温泉まで、四国・石鎚山の山行 = 渡辺典子

日程:平成28年5月 26日(木)~29日(日) 

メンバー : L藪亀徹 、 上村信太郎 、 武部実 、 栃金正一 、 松村幸信 、 中野清子 、 渡辺典子 、 佐藤京子 、 (北山美香子)

 5月26日(木)、松山空港 = 石鎚スカイライン = 土小屋(登山口) ~ 石鎚山山頂山荘(泊)

 13:00頃、土小屋を出発する。すぐに雨が降りだし、本降りになる。整備された道だが、レインウェア着装で蒸し暑く、汗と雨でズブ濡れになる。その上、細かい虫が顔にまとわりつかれ、とても歩きにくかった。

 雨のため、鎖場はさけ、鉄板階段の多い迂回路を慎重に登り、16:00頃に、頂上山荘に到着した。他に登山客はなく、大きな部屋に全員で就寝する。


 
                 石鎚山山頂にて、後方は天狗岳


 5月27日(金)、山頂山荘 ~ 土小屋 ~ 岩黒山 = 山荘しらさ(泊)

 全員が6:00からの、山頂神社の神事に参加する。正装された神主さんが最後の儀式として、全員に三体の御神体をふれさせていただけた。
 初めての貴重な体験なので、御加護を祈り「お守り」を購入した。

 その後、昨日のコースを下山していく。すっかり晴れ、昨日は見られなかった美しい石鎚の山系が続き、気持ちが良い。
 10:00頃、土小屋に到着した。近くの岩黒山に全員で登る。眺望の良い頂上で、昼食をとる。下山後は、瓶ヶ森方面にある「山荘しらさ」に向かう。

 この山荘には大きく広い内部空間があり、設備は完備し、暖炉もある。ジャズの流れるくつろぎの場がある魅力的な山荘だった。
 美しい夕焼けを撮影したり、ゆったりと時を過ごした。


 5月28日(土)、山荘しらさ =久万高原町 = 松山市(ホテル玉菊荘)泊

 起床してびっくり、激しい雨が降っていた。
 山行は取り止めとなり、久万高原町にある面河渓谷、面河山岳博物館、久万美術館、道の駅などを楽しみながら、道後温泉近くの「ホテル玉菊荘」に到着する。
 さっそく、日本最古の歴史を誇る道後温泉や商店街を散策にむかう。

 5月29日(日) ホテル玉菊荘 ~ 松山城 ~ 松山市内 ~ = 松山空港

 5:30、道後温泉前に全員が集合する。6時の入湯まで、長い行列ができた。短い時間の入浴だったが、独特の雰囲気を味わえた。
 朝食後、北山さんは大分へ帰途についた。その後、松山城の見学。小雨が降っていたが、多くの人出で賑わっていた。
 松山城史跡庭園などをまわり、松山空港へむかう。

 今回、数ヶ月前から準備をしていただいた飯田さんの不参加はとても残念でした。北山さん、藪亀さんには、大変お世話になり、楽しい旅が出来て、ありがとうございました。
 石鎚山での虫刺されたのが、3週間たっても治らず、想い出が続きます。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№203から転載

苦闘の末に美景あり。珍名の山・ソーヤノ丸デッコ = 栃金正一

1.実施日 : 2015年12月8日(火) 晴れ

2.参加メンバ : L武部実 飯田慎之輔 佐治ひろみ 栃金正一

3.コース : 奥多摩湖 ~ 清八新道 ~ 小河内峠 ~ ソーヤノ丸デッコ ~ 惣岳山 ~ 奥多摩湖


 ソーヤノ丸デッコは、2015年に、JAC東京多摩支部の奥多摩百山に選定された。とても珍しい名前の山なので登ってみることにした。

 奥多摩駅に9:35に集合し、9:40の鴨沢行きのバスに乗車した。平日なので混雑はなく、9:50に奥多摩湖に到着する。準備を済ませてから、出発する。

 大きな小河内ダムを渡り、途中の展望台を過ぎると、対岸の広場に着く。ここから湖に沿った遊歩道に入る。途中、サス沢山に行くコースを左に見て、さらに進み、入り江の奥まった所には、小河内峠への道標があった。
 ここから清八新道に入る。

 道はかなりの急斜面で、ふくらはぎが痛くなり、あえぎながらも、一気に尾根まで登り切る。尾根道は、防火帯となっており、広々として明るくて気持ちが良い。
 しばらく行くと道は、だんだんと傾斜が急になってきて、直登する道と、その脇には九十九折りの道がついている。そこを登り切ると、惣岳山に続く稜線に出る。道なりに左に行くと、11:55、小河内峠に到着した。

 ここで待ち遠しかった昼食をとる。峠は、広々としてベンチがあり、休息には良い場所である。昼食を済ませ、12:15に出発する。道は尾根道でさほど傾斜はない。

 ソーヤノ丸デッコは、地図に載っていなく、ブロク゛によると、標高が1200m位。山頂には東京都が設置した道標があり、そこに(05-340)と書いてあると記していた
 尾根上の1200mに近づいたので、ヤフ゛をかき分け、ピークらしき所に登った。だが、山頂らしき印はなかった。
 しかたがないので、更に道を進んでいくと、尾根を登る薄い踏み跡があったので、そこに行ってみる。道は傾斜が急でサ゛レ場もあり、崩れやすい。両手を使いながら、登り切ると、ピークに道標がある。


 ここに(05-340)の数字が確認できた。13:10、ソーヤノ丸デッコに、ようやく到着した。


 山頂は、展望が良く、三頭山や六ツ石山などが大きく見える。しばらく展望を楽しんだあと、13:30、惣岳山に向けて出発する。稜線の道は良く整備されており、どんどん登って行くと、13:40、急に目の前が開け、広々とした惣岳山に到着した。

 ここからは、ハ゛スの時間に間に合わせるため、急ピッチで下山する。途中、サス沢山を通過する。この先は傾斜が急になるので補助ローフ゜等につかまり、慎重に下山した。

 15:00に小河内タ゛ムに到着し、ハ゛スの時間に間に合った。

 今回の山行は、ソーヤノ丸デッコを探すのに苦労したが、どうにかピークにたどり着くことができ、達成感のある山行となりました。


           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№198から転載

武家の古都で、新田義貞の鎌倉攻めを想う。「鎌倉七口」=後藤美代子

実施日 2010年6月4日(金)

参加者 L 後藤 伊東 尾碕 中村 野上

 鎌倉は三方を山に囲まれており、一方は海に面した自然の要塞である。その地形のために、外部からの出入りは非常 に不便であった。
 周辺との往来を図るべく、山には切通、海には港(和賀江島)を設け、交通が容易に行われるようにした。 この山の切通と坂を併せて「鎌倉七口」と称している。

現在、往時の面影を多く留めているのは、大仏切通(土砂崩れのため通行止め)、朝夷(比)奈切通である。残念ながら化粧坂、亀ヶ谷坂、巨福呂坂、名越切通は極一部に名残りを留めているていどであった。

 新田義貞が鎌倉攻めた。新田軍は三手に分かれて、極楽寺切通、巨福呂坂、化粧坂から攻め入ったのである。待ち受ける鎌倉幕府軍の守りは堅く、新田軍はことごとく討ち破られた。いったんは腰越付近まで退却し、稲村ガ崎の 海上からの侵攻を図った。
 だが、そこには幕府軍の船が矢を射掛けようと待ち受けていたのだ。


 攻め倦んだ新田義貞が、黄金造りの太刀を「竜神 我が願い叶えさせ給え」と言って、海中に投げ入れた。すると、その夜は潮が沖まで退いたので、新田軍は攻め入る事ができた、という有名な話が伝えられている。

 そんな昔に思いを馳せながら、私たちは鎌倉七口を歩き通した。その距離は20キロ余。 現在、鎌倉は「武家の古都・鎌倉」として、世界遺産登録を目指しています。

 しかし、岩手県の中尊寺が落選したので、その代わりに鎌倉という訳には行かず、中尊寺が再チャレンジしてからです、と地元の事情通は言っています。

  今回の山行は、無数に広がる枝道に、悪戦苦闘しながらだった。秋風の吹く頃には、いま一度、迷わず行けるのか、再チャレンジしたいと思っています。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№130から転載
                                                     

登山者よ、気象予報士をあてにするな=北ア・表銀座(上)

 台風の影響で、山岳地帯は大荒れだって。

 天気予報を信じたのか、初秋の山岳バスはガラガラだ。
 

 ふたつのパーティー、6人が燕岳(つばくろだけ)の中房温泉で、合流した。

 天気予報で、気象予報士が、くり返し、本州は台風の予想進路上にあり、もはや前触れが出ている、海山は大荒れだと自信たっぷりに言っていた。

「行けるところまで、いく」

 そう決意した。


 合戦小屋は、悪天候でも、引き返せるぞ、という位地にある。

 混み具合は、そこそこだった。
 


 ここらで、一服するか、と登山計画通り。

 山麓に、登山届はもちろん出してきたさ。

 あくまでも、山は荒れないだろう、という予測のもとに。



 ガス(霧)が出てきたぞ。


 奇妙な石仏が、ガスのなかに浮かんでいた。

 悪い予兆か。

 燕岳の稜線に出ると、真っ青な快晴だ。

 まだ、まだ、気は許せないが、

 ザックは燕山荘(えんざんそう)において、燕岳の山頂をめざす。



 北アルプスの一座(いちざ・一つの山頂)は、登った。

 2763㍍の証拠写真は、しっかり撮っておこうぜ。

  


 ここは譲り合いの精神だ。

 山頂の美観をもっと満喫したいところだが、後から登ってくる人に場所を明け渡す。

 きょうは雨もなく、無事に登れた。

 明日の天気がやたら気になって仕方ない。

 どうなるかな、と遠近の雲の動きをみる。

 稜線にかかる雲は、気象予報士の占い?通りで、大雨なのか。

 
 夕焼けま美景が、感動を呼ぶ。

 稜線と雲海のかなたに沈む太陽は、あしたは顔を見せてくれるだろうか。


 
 大自然は、優れた画家だ。

 これだけ見事な造形をつくるのだから。

 

登山者よ、気象予報士をあてにするな=北ア・表銀座(下)

 あれを見よ。目指すは、北アルプスの峻峰「槍ヶ岳」だ。

 山小屋で見た、TVの天気予報は、雨だって。

 ほんとうかな。


 このところ、気象予報士は『荒れる』と予報を出し続けてきたから、意地になって、

 取り下げないんじゃない。
 
 

 きょうは大天井岳(おてんしょうだけ)が目標だ。

 この山岳名を読める登山者がすくないのが、特徴だ。



 肥満児の方は、この岩の隙間を通り抜けられるのかしらね。

 通れなければ、引き返せばいいんだよ。

 せっかくここまで来て?

 余計な心配はやめておこう。

 こんな無責任な会話が飛び出す


 大天井岳は標高2,922 メートルだ。

 表銀座(燕岳⇔槍ヶ岳)の通過点にしか思われていない。

 もし3000メートルならば、きっと人気の山岳だろう。


 ひとまずは記念写真を撮る。集まれ。ふたり足りないや。

 意思疎通は完ぺきなパーティーなのに……。


 のんびり登ってくるのかな。



 さあ、あの雲を嵐の前触れ、台風の前兆とみるべきか。

「安全登山」がそれぞれの脳裏を横切る。

 話すほどに、安全が最大限に大切だ、という意見が支配的になる。


 気象予報士を信じてみよう。

 槍ヶ岳を止めて、常念岳にむかおう。

 無念だが……。



 大天井岳から、常念岳へと登攀(とうはん)する。

 この先は、予定を1日短縮した、切ない気持ちの下山がはじまる。

 その分、背中の食料や荷物は減らない。


 この常念山脈は、平坦な稜線がつづく。

 穂高健一著「燃える山脈」では、常念山脈と表記されていたな。

 200年まえには、 アルプスなんてことばはなかった。

 すると、だれが変えたのか。

 ヨーロッパかぶれの山岳団体か。

 
 常念小屋に泊り、夕映えを見つめる。


 幻想的だ。心がしびれる。
 


 タイトル「祈り」

 もう、雨が降ろうが、晴れようが、あすは上高地に下山だ。

 われわれパーティーは、なおも槍ヶ岳に未練と執着を残しながらも、一路、蝶が岳にむかう。

 遠方を見れば、飛騨山脈には小粒な槍ヶ岳の穂先がみえる。

 200年前のみならず太平洋戦争後も、飛騨山脈と教科書で正式に教えられていたそうだ。

 「飛騨だと、面白くねぇ」、と信州側(長野県)の知恵ものが、作為的・観光的に北アルプスに変えてしまったのだろう。もはや、ロマンに満ちた、不動のゆるぎないことばになった。

 「ともかく、さらば、槍よ」



 いいね、

 決まっているね。

 稜線には、雲海がよく似合う。
 
 雲の表情が、高所登山の魅力の一つだ。

 大荒れの天気予報だったが、結局、一滴の雨にもあたらずだった。

 かつて猟師は雲の動き、風向き、湿りっ気、鳥の鳴き声、動物の行動で、山の天気を予測していたものだ。

「登山者よ、気象予報士をあてにするな」

 自分で、事前に天気図を見ておいて、猟師のごとく敏感に天気を予測しよう。

 それにつきる。

 
                  撮影 : 小林、伊藤