登山家

伊吹山と生物多様性 = 市田淳子

期日 : 2016年7月31日(日)

コース : 伊吹山 1合目~山頂~東遊歩道~駐車場~中央遊歩道~西遊歩道


   
                     イイブキジャコウソウ


 長い間行ってみたかった伊吹山に登ることができた。なぜ行きたかったかというと、特異な気候と地質、固有種の多さ、そしてお花畑を見たかったからだ。

 1合目に前泊して、31日の朝、5:30に伊吹高原荘を出発した。3合目で朝食をとる。1合目から3合目までは普通の山道で、クサフジ、ヤマホタルブクロ、カワラナデシコが咲く道を歩く。

 上に行くに従って、琵琶湖が大きくなってくる。途中、樹林帯を通るが、殆どが日差しのある草原だった。麓の方はスギ・ヒノキの針葉樹で、かつて林業の大切な林だったのだろう。
 その上は、広葉樹林体で、コナラ・ミズナラなどのいわゆる雑木林だ。かつては人々の暮らしに欠かせないフィールドだと思える。

 3合目のお花畑に着くと、フェンスで囲まれている中にユウスゲが咲いていた。柵を設けないと残せないのだろう。そして、5合目・・・と登っていった。
 山頂付近では、いくつかの花が顔を見せてくれた。

 山頂の三角点を確認し、東遊歩道へと向かった。予想した通り、柵に囲まれていた。それでも、柵の中にはクガイソウ、ミヤマコアザミ、サラシナショウマなどの群落があり、お花畑を楽しませてくれた。

 一旦、駐車場まで下りて、再び山頂目指して中央遊歩道を歩く。

 先ほど上から眺めたお花畑を下から見ることになる。そして、西遊歩道を行くと、完全に保護された区域があり、その中にはシモツケソウが我が物顔に咲いていた。
 かつては、この地域一帯にシモツケソウを始めとする植物が、百花繚乱の如く咲き乱れ、人々は中に入ってその美しさを楽しんだそうだ。

 しかし、今は保護しなければ、それらを見ることはできない。保護が必要となったのは、シカなどの食害というより、温暖化によるアカソ、センニンソウ等の繁殖力だそうだ。

 花の百名山の中でも、伊吹山は特異な存在だと思う。
 麓のスギ・ヒノキを材として使い、広葉樹を雑木林として使い、薬草の宝庫として利用してきた伊吹山。人々との暮らしが、ここまで密接な花の百名山は、他にないのではないかと思う。

 生物多様性とは、人間の勝手で作った言葉だ。人が生きて行くために必要だから、その多様性を守ろうという言い訳に過ぎない。その生物多様性の恵みを享受しているのは、野生生物ではなく人間だ。

 だとしたら、温暖化という自然の流れに任せることなく、人の手で元々あった自然の姿を守っても、神様は許してくれるのではないかと思う。

 伊吹山を訪れた後も、他の山でも同じように今、抱えている問題を目の当たりにした。山好きにどうやって自然が守れるのか。自分自身でよく考えてみたいと思う(森林インストラクー)。             

 
    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№205から転載

山頂の神事から温泉まで、四国・石鎚山の山行 = 渡辺典子

日程:平成28年5月 26日(木)~29日(日) 

メンバー : L藪亀徹 、 上村信太郎 、 武部実 、 栃金正一 、 松村幸信 、 中野清子 、 渡辺典子 、 佐藤京子 、 (北山美香子)

 5月26日(木)、松山空港 = 石鎚スカイライン = 土小屋(登山口) ~ 石鎚山山頂山荘(泊)

 13:00頃、土小屋を出発する。すぐに雨が降りだし、本降りになる。整備された道だが、レインウェア着装で蒸し暑く、汗と雨でズブ濡れになる。その上、細かい虫が顔にまとわりつかれ、とても歩きにくかった。

 雨のため、鎖場はさけ、鉄板階段の多い迂回路を慎重に登り、16:00頃に、頂上山荘に到着した。他に登山客はなく、大きな部屋に全員で就寝する。


 
                 石鎚山山頂にて、後方は天狗岳


 5月27日(金)、山頂山荘 ~ 土小屋 ~ 岩黒山 = 山荘しらさ(泊)

 全員が6:00からの、山頂神社の神事に参加する。正装された神主さんが最後の儀式として、全員に三体の御神体をふれさせていただけた。
 初めての貴重な体験なので、御加護を祈り「お守り」を購入した。

 その後、昨日のコースを下山していく。すっかり晴れ、昨日は見られなかった美しい石鎚の山系が続き、気持ちが良い。
 10:00頃、土小屋に到着した。近くの岩黒山に全員で登る。眺望の良い頂上で、昼食をとる。下山後は、瓶ヶ森方面にある「山荘しらさ」に向かう。

 この山荘には大きく広い内部空間があり、設備は完備し、暖炉もある。ジャズの流れるくつろぎの場がある魅力的な山荘だった。
 美しい夕焼けを撮影したり、ゆったりと時を過ごした。


 5月28日(土)、山荘しらさ =久万高原町 = 松山市(ホテル玉菊荘)泊

 起床してびっくり、激しい雨が降っていた。
 山行は取り止めとなり、久万高原町にある面河渓谷、面河山岳博物館、久万美術館、道の駅などを楽しみながら、道後温泉近くの「ホテル玉菊荘」に到着する。
 さっそく、日本最古の歴史を誇る道後温泉や商店街を散策にむかう。

 5月29日(日) ホテル玉菊荘 ~ 松山城 ~ 松山市内 ~ = 松山空港

 5:30、道後温泉前に全員が集合する。6時の入湯まで、長い行列ができた。短い時間の入浴だったが、独特の雰囲気を味わえた。
 朝食後、北山さんは大分へ帰途についた。その後、松山城の見学。小雨が降っていたが、多くの人出で賑わっていた。
 松山城史跡庭園などをまわり、松山空港へむかう。

 今回、数ヶ月前から準備をしていただいた飯田さんの不参加はとても残念でした。北山さん、藪亀さんには、大変お世話になり、楽しい旅が出来て、ありがとうございました。
 石鎚山での虫刺されたのが、3週間たっても治らず、想い出が続きます。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№203から転載

苦闘の末に美景あり。珍名の山・ソーヤノ丸デッコ = 栃金正一

1.実施日 : 2015年12月8日(火) 晴れ

2.参加メンバ : L武部実 飯田慎之輔 佐治ひろみ 栃金正一

3.コース : 奥多摩湖 ~ 清八新道 ~ 小河内峠 ~ ソーヤノ丸デッコ ~ 惣岳山 ~ 奥多摩湖


 ソーヤノ丸デッコは、2015年に、JAC東京多摩支部の奥多摩百山に選定された。とても珍しい名前の山なので登ってみることにした。

 奥多摩駅に9:35に集合し、9:40の鴨沢行きのバスに乗車した。平日なので混雑はなく、9:50に奥多摩湖に到着する。準備を済ませてから、出発する。

 大きな小河内ダムを渡り、途中の展望台を過ぎると、対岸の広場に着く。ここから湖に沿った遊歩道に入る。途中、サス沢山に行くコースを左に見て、さらに進み、入り江の奥まった所には、小河内峠への道標があった。
 ここから清八新道に入る。

 道はかなりの急斜面で、ふくらはぎが痛くなり、あえぎながらも、一気に尾根まで登り切る。尾根道は、防火帯となっており、広々として明るくて気持ちが良い。
 しばらく行くと道は、だんだんと傾斜が急になってきて、直登する道と、その脇には九十九折りの道がついている。そこを登り切ると、惣岳山に続く稜線に出る。道なりに左に行くと、11:55、小河内峠に到着した。

 ここで待ち遠しかった昼食をとる。峠は、広々としてベンチがあり、休息には良い場所である。昼食を済ませ、12:15に出発する。道は尾根道でさほど傾斜はない。

 ソーヤノ丸デッコは、地図に載っていなく、ブロク゛によると、標高が1200m位。山頂には東京都が設置した道標があり、そこに(05-340)と書いてあると記していた
 尾根上の1200mに近づいたので、ヤフ゛をかき分け、ピークらしき所に登った。だが、山頂らしき印はなかった。
 しかたがないので、更に道を進んでいくと、尾根を登る薄い踏み跡があったので、そこに行ってみる。道は傾斜が急でサ゛レ場もあり、崩れやすい。両手を使いながら、登り切ると、ピークに道標がある。


 ここに(05-340)の数字が確認できた。13:10、ソーヤノ丸デッコに、ようやく到着した。


 山頂は、展望が良く、三頭山や六ツ石山などが大きく見える。しばらく展望を楽しんだあと、13:30、惣岳山に向けて出発する。稜線の道は良く整備されており、どんどん登って行くと、13:40、急に目の前が開け、広々とした惣岳山に到着した。

 ここからは、ハ゛スの時間に間に合わせるため、急ピッチで下山する。途中、サス沢山を通過する。この先は傾斜が急になるので補助ローフ゜等につかまり、慎重に下山した。

 15:00に小河内タ゛ムに到着し、ハ゛スの時間に間に合った。

 今回の山行は、ソーヤノ丸デッコを探すのに苦労したが、どうにかピークにたどり着くことができ、達成感のある山行となりました。


           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№198から転載

武家の古都で、新田義貞の鎌倉攻めを想う。「鎌倉七口」=後藤美代子

実施日 2010年6月4日(金)

参加者 L 後藤 伊東 尾碕 中村 野上

 鎌倉は三方を山に囲まれており、一方は海に面した自然の要塞である。その地形のために、外部からの出入りは非常 に不便であった。
 周辺との往来を図るべく、山には切通、海には港(和賀江島)を設け、交通が容易に行われるようにした。 この山の切通と坂を併せて「鎌倉七口」と称している。

現在、往時の面影を多く留めているのは、大仏切通(土砂崩れのため通行止め)、朝夷(比)奈切通である。残念ながら化粧坂、亀ヶ谷坂、巨福呂坂、名越切通は極一部に名残りを留めているていどであった。

 新田義貞が鎌倉攻めた。新田軍は三手に分かれて、極楽寺切通、巨福呂坂、化粧坂から攻め入ったのである。待ち受ける鎌倉幕府軍の守りは堅く、新田軍はことごとく討ち破られた。いったんは腰越付近まで退却し、稲村ガ崎の 海上からの侵攻を図った。
 だが、そこには幕府軍の船が矢を射掛けようと待ち受けていたのだ。


 攻め倦んだ新田義貞が、黄金造りの太刀を「竜神 我が願い叶えさせ給え」と言って、海中に投げ入れた。すると、その夜は潮が沖まで退いたので、新田軍は攻め入る事ができた、という有名な話が伝えられている。

 そんな昔に思いを馳せながら、私たちは鎌倉七口を歩き通した。その距離は20キロ余。 現在、鎌倉は「武家の古都・鎌倉」として、世界遺産登録を目指しています。

 しかし、岩手県の中尊寺が落選したので、その代わりに鎌倉という訳には行かず、中尊寺が再チャレンジしてからです、と地元の事情通は言っています。

  今回の山行は、無数に広がる枝道に、悪戦苦闘しながらだった。秋風の吹く頃には、いま一度、迷わず行けるのか、再チャレンジしたいと思っています。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№130から転載
                                                     

登山者よ、気象予報士をあてにするな=北ア・表銀座(上)

 台風の影響で、山岳地帯は大荒れだって。

 天気予報を信じたのか、初秋の山岳バスはガラガラだ。
 

 ふたつのパーティー、6人が燕岳(つばくろだけ)の中房温泉で、合流した。

 天気予報で、気象予報士が、くり返し、本州は台風の予想進路上にあり、もはや前触れが出ている、海山は大荒れだと自信たっぷりに言っていた。

「行けるところまで、いく」

 そう決意した。


 合戦小屋は、悪天候でも、引き返せるぞ、という位地にある。

 混み具合は、そこそこだった。
 


 ここらで、一服するか、と登山計画通り。

 山麓に、登山届はもちろん出してきたさ。

 あくまでも、山は荒れないだろう、という予測のもとに。



 ガス(霧)が出てきたぞ。


 奇妙な石仏が、ガスのなかに浮かんでいた。

 悪い予兆か。

 燕岳の稜線に出ると、真っ青な快晴だ。

 まだ、まだ、気は許せないが、

 ザックは燕山荘(えんざんそう)において、燕岳の山頂をめざす。



 北アルプスの一座(いちざ・一つの山頂)は、登った。

 2763㍍の証拠写真は、しっかり撮っておこうぜ。

  


 ここは譲り合いの精神だ。

 山頂の美観をもっと満喫したいところだが、後から登ってくる人に場所を明け渡す。

 きょうは雨もなく、無事に登れた。

 明日の天気がやたら気になって仕方ない。

 どうなるかな、と遠近の雲の動きをみる。

 稜線にかかる雲は、気象予報士の占い?通りで、大雨なのか。

 
 夕焼けま美景が、感動を呼ぶ。

 稜線と雲海のかなたに沈む太陽は、あしたは顔を見せてくれるだろうか。


 
 大自然は、優れた画家だ。

 これだけ見事な造形をつくるのだから。

 

登山者よ、気象予報士をあてにするな=北ア・表銀座(下)

 あれを見よ。目指すは、北アルプスの峻峰「槍ヶ岳」だ。

 山小屋で見た、TVの天気予報は、雨だって。

 ほんとうかな。


 このところ、気象予報士は『荒れる』と予報を出し続けてきたから、意地になって、

 取り下げないんじゃない。
 
 

 きょうは大天井岳(おてんしょうだけ)が目標だ。

 この山岳名を読める登山者がすくないのが、特徴だ。



 肥満児の方は、この岩の隙間を通り抜けられるのかしらね。

 通れなければ、引き返せばいいんだよ。

 せっかくここまで来て?

 余計な心配はやめておこう。

 こんな無責任な会話が飛び出す


 大天井岳は標高2,922 メートルだ。

 表銀座(燕岳⇔槍ヶ岳)の通過点にしか思われていない。

 もし3000メートルならば、きっと人気の山岳だろう。


 ひとまずは記念写真を撮る。集まれ。ふたり足りないや。

 意思疎通は完ぺきなパーティーなのに……。


 のんびり登ってくるのかな。



 さあ、あの雲を嵐の前触れ、台風の前兆とみるべきか。

「安全登山」がそれぞれの脳裏を横切る。

 話すほどに、安全が最大限に大切だ、という意見が支配的になる。


 気象予報士を信じてみよう。

 槍ヶ岳を止めて、常念岳にむかおう。

 無念だが……。



 大天井岳から、常念岳へと登攀(とうはん)する。

 この先は、予定を1日短縮した、切ない気持ちの下山がはじまる。

 その分、背中の食料や荷物は減らない。


 この常念山脈は、平坦な稜線がつづく。

 穂高健一著「燃える山脈」では、常念山脈と表記されていたな。

 200年まえには、 アルプスなんてことばはなかった。

 すると、だれが変えたのか。

 ヨーロッパかぶれの山岳団体か。

 
 常念小屋に泊り、夕映えを見つめる。


 幻想的だ。心がしびれる。
 


 タイトル「祈り」

 もう、雨が降ろうが、晴れようが、あすは上高地に下山だ。

 われわれパーティーは、なおも槍ヶ岳に未練と執着を残しながらも、一路、蝶が岳にむかう。

 遠方を見れば、飛騨山脈には小粒な槍ヶ岳の穂先がみえる。

 200年前のみならず太平洋戦争後も、飛騨山脈と教科書で正式に教えられていたそうだ。

 「飛騨だと、面白くねぇ」、と信州側(長野県)の知恵ものが、作為的・観光的に北アルプスに変えてしまったのだろう。もはや、ロマンに満ちた、不動のゆるぎないことばになった。

 「ともかく、さらば、槍よ」



 いいね、

 決まっているね。

 稜線には、雲海がよく似合う。
 
 雲の表情が、高所登山の魅力の一つだ。

 大荒れの天気予報だったが、結局、一滴の雨にもあたらずだった。

 かつて猟師は雲の動き、風向き、湿りっ気、鳥の鳴き声、動物の行動で、山の天気を予測していたものだ。

「登山者よ、気象予報士をあてにするな」

 自分で、事前に天気図を見ておいて、猟師のごとく敏感に天気を予測しよう。

 それにつきる。

 
                  撮影 : 小林、伊藤

百名山へチャレンジ。98番目の幌尻岳は全方位の絶景=関本誠一

日時 : 2015年7月9日(木) ~ 12日(日)  3泊4日  晴れ

メンバー : 《すにいかあ倶楽部》 関本誠一、 《山の応援団》 中谷順一、高坂忠行 (計3名)

コース : 【1日目】はバス、タクシーの乗り継ぎで「とよぬか山荘」(泊)

 【2日目】 とよぬか山荘(バス) ⇒ 第2ゲート ~ 取水施設 ~ 幌尻山荘(泊)

【3日目】 幌尻山荘 ~ 幌尻岳 ~ 戸蔦別岳 ~ 幌尻山荘(泊)

【4日目】 幌尻山荘 ~ 第2ゲート(バス) ⇒ とよぬか山荘


            戸蔦別岳山頂にて、後方は幌尻岳


 幌尻岳は、北海道・日高山脈の主峰で、読み方は(ポロシリ)といい、アイヌ語で「大きな山」という意味らしい。
 日本百名山に選ばれており、7~9月には額平川上流にある幌尻山荘がオープンした。全国から3,000人の登山者が押し寄せてくる。

 同山荘は木造2階建てで、食事寝具などのサービスはなく、素泊まり50名の完全予約制となっている。
 山頂付近には、氷河期の痕跡・カール(七つ沼カールは有名)と、ヒグマ、ナキウサギ、クマゲラなど手つかずの自然が沢山残っている。

 百名山を目指す筆者にとって、幌尻岳は最後の難関のひとつとして立ちふさがっていた山(98座目)でもある。


 年初から、不安を抱えながら単独行を考えていたところ、昨年の北海道・羅臼岳でご一緒した吉祥寺のハイキングクラブ《山の応援団》会長の中谷氏から声をかけて頂き、計画には力が入る。

 まずは4月1日からの幌尻山荘の予約を取ることからスタートだ。
 装備や渡渉用具などの準備、共同装備など、事前打ち合わせは何回か行う。途中から《山の応援団》会員の高坂氏が参加となって、三人で出発する。

【1日目】まずは苫小牧駅に集合する。バス、タクシーを乗り継ぎ、「とよぬか山荘」に入る。


【2日目】朝5時に起床する。朝食の後、7時のマイクロバスで出発した。

 一般車の乗り入れが禁止となっている第2ゲートに到着した(8:00)。北電取水施設まで、林道歩くこと2時間を要する。
 ここから額平川右岸の登山道を1時間で、渡渉の地点に到着した。沢靴に履き替え、いよいよ川のなかに踏み出す。

 少雨のせいか、水深は深いところで、膝上くらい。雪解け水にしては、さして冷たくない。しかし水流が結構強くもあり、この時に備えたWストックが、身体の安定に威力を発揮する。

 渡渉を繰り返すこと、約二十数回で、幌尻山荘に到着した(12:30)。まずは濡れた衣服を着替え、宿泊の手続き終えると、小屋外ブルーシートで、夕食の準備を開始した。

 夕食後は、小屋内に寝具を持ち込み、19時に就寝。


 【三日目】 夜明け前の3時に起床。朝食を取ってから4時には出発する。いきなり急登である。続くお花畑のなか、幌尻岳に登頂する。7時30分だった。快晴で、遠くには大雪山から石狩平野、さらに日高山脈まで360度の展望である。

 ……音信不通の携帯も、こごては繋がる。休憩した後、右手に七つ沼カールを見ながら下降していく。戸蔦別(トッタベツ)岳の急斜面を登り返す。
 ここから見る幌尻岳も、カール前景が素晴らしい。小屋へと急斜面の戸蔦別尾根を下る。下りきった所で沢靴に履き替え、渡渉を繰り返し、山荘に戻る(13:30)。

 猛暑のなか、9時間以上のハードな周回コースだ。


【四日目】 迎えのバスに乗るために、午前3時に起床し、4時に出発する。一昨日の逆コースを辿り、第2ゲートへと下山(8:00)。

 昨年に引き続いて、北海道山行を満喫。残された大自然に触れあえただけでも、素晴らしい経験である。山仲間に感謝、感激である。
 下山後は、地元温泉で軽く反省会をおこなう。
 99座目の十勝岳を目指し、移動を開始する。 

           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№200から転載

新東京百景の天上山(神津島)は砂漠だった = 武部実

平成25年11月24日(日) ~ 11月27日(水)

参加メンバー : L武部、松村、中野計3人
コース : 黒島登山口 ~ 十合目 ~ 表砂漠 ~ 最高点(572m) ~ 新東京百景展望地 ~ 裏砂漠 ~ 文政の石積跡 ~ 黒島登山口

 11月25日。客船・かめりあ丸は順調な航海で、神津島の前浜港に9:50に到着した。民宿「山見荘」の迎えで、宿で一服する。

 天候のくずれを気にしながらも、黒島口登山口へ送ってもらう。


 10:20に出発。登山道の周りはシダで蔽われていて、樹木はあまりない。5分ほど登ると、1合目の標識がある。この標識はどうやら標高30m弱ごとに、設置してあるようだ。

 ウメバチソウの白い花を愛でながら、登り10合目(476m)には11:15に着く。 ここから頂上を時計回りに歩く。
 黒島展望山を登り降りて、少し歩いたところが、表砂漠だ。白い砂地は、まるで海岸を歩いているような感じだ。

 5月中旬頃からは、この白い砂地に、赤いツツジの花が咲くという。テーブルが設置してあって、ここで昼食をとる。

 12:10に出発する。天上山の最高点(572m)をめざす。15分で到着した。さすがに、周りに何もないところは風が強く、景色を眺めるのもそこそこにして、記念写真を撮って下山をはじめた。

 不入ガ沢(はいらいがさわ)の左側は、断崖絶壁のがけ崩れがあるところ。砂防ダムがところどころに見える。
 もう一つの登山口である白島下山口を過ぎた。ババア池や不動池は水が涸れて、草むら状態だ。


 新東京百景展望地に、13:20に着いた。

 くもり空で、富士山までは眺められなかったが、近くの式根島、新島、利島、そして、その先には大島がみえる。片や、東に目をやれば、三宅島や御蔵島がはっきりと見ることができた。

 今にも雨が降りだしそうな空を気にしながら、先を急ぐ。登山路には、赤い実をつけたサルトリイバラや紫色のリンドウなどが目を楽しませてくれる。13:40に裏砂漠に着く。ここも表砂漠と同じで、白い砂地の海岸を歩いている雰囲気がある。

 ただ、残念なのは、黄色いペンキがそこらじゅうに塗りたくっていることだ。道迷いの案内表示だが、これでは興ざめだ。ここらから、雨がぽつりぽつりと降りだし、風もでてきた。

 照葉樹林帯の林の中を10分ほど歩くと、10合目にあるオロシャの石積跡だった。ここで頂上を時計回りで一周したことになる。

 雨のなかを急いで下山し、登山口には14:50に到着した。すると、車が我々の所に停まって「武部さんですか」と問いかけられた。宿の娘さんが迎えに来てくれたのだ。グッドタイミングにびっくり。
 後で聞いたら、宿からは下山してくるのが見えるそうだ。

 夕食は、金目鯛の煮つけ、てんぷら、ロールキャベツなど、豪華なおかずで腹一杯になる。


 翌朝は、帰り支度をして、朝食を摂っていた。このときに島内放送で、欠航の知らせ。延泊を頼む。そして、予定外の秩父山(280m)のハイキングと、島内散歩を楽しむ。

 港に打ち寄せる波は高く、欠航もやむなしと、納得させられた。

 翌日は、反対側の港(多幸湾)から無事10:30には出港できた。客船は竹芝に予定通り午後7時に接岸した。


  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№171号から転載

なんて、ぜいたく、小仏城山・花見ハイク = 岩淵美枝子

日時  :  平成28年4月10日(日)  晴れ

メンバー  :  L上村、三浦、武部、岩渕、市田 (5名)

コース : 高尾山口駅 ~ (6号路) ~ 一丁平 ~ 小仏城山 ~ 小仏城山東尾根 ~ 小仏関跡 ~ 高尾駅
 
 今日は、穂高健一さんチーム欠席となる。「すにいかあ」のメンバーだけでお花見となった。

 高尾山口駅では、人がどんどん増えてくる。今、8時30分だが、あと1時間もすれば、駅はわんさかと、リュック背負った人の待ち合わせで混み合うだろうな。
 お風呂の看板が入口に見えるが、当分の間は入る気しない。芋の子洗いだろう。

 6号路に向かって出発する。今日はのんびり、ゆっくりと歩く。市田さんが一緒なので、むしろ、これがチャンスだ。
 足元のお花に、目がいき、高尾の春を満喫できそう。
「嬉しいな、さっそく、あっ可愛い白い花。二輪草、豆粒ほどの小さな水色の花。山瑠璃草」
 名前がおもしろい、よごれねこのめ、お花も緑色で、形もおもしろい。


(いくつ花の名前を教えてもらったかしら)
 一週間前にも、市田さんと高尾に来た。その時は、今日みたいに、開いていなかった草花さんたちもうこんなの、見るとたまらない。

 落ち葉の下から、けなげにちょこんと芽を出し、いっぱい光を受けたいよーと、小指ぐらいの薄緑の葉っぱちやん、なでなでしたい気分になる。
 こんどは、あでやかな紫ピンクの三つ葉つつじ。そして、城山まじかになると、いよいよ桜の木のオンパレードである。

「満開の桜ちゃんたち、なんて今日は贅沢な一日だろう」
 公園の手入れされた桜も、みごたえあるけれど、自然のままの山の桜のグラデェションは涙がでるほど美しい。また、来年もさいてね。桜ちゃんたち。


 十数年前に、上村さんより、言われた言葉をおもいだす。熊笹がいっぱいある登山道を歩いていたので、この笹で笹団子つくりたいと、4、5枚とっていたら、
「葉っぱ一枚でも、山のものは山に置いておきなさい」
 その言葉を聴いてから、私の山に対する考え方が変ってきた。

 山にある植物の一つひとつが、愛おしくなった。むかしは、山は日本人にとって食料を得るための山であった。日本にウェストンが来て、嘉門次が上高地から案内したことから、山を征服するための登山の始まりでは、ということらしい。


 町には、今の時代は食べ物が溢れている。山は健康志向の時代になり、そのために登山客があふれる。登山道は土からコンクリートになり、植物は芽を出せないほどの硬さになってしまったところもある。
 植生回復のためにロープは張ってあるが、ロープ越えで、休んでいる登山者がいる。

「どうぞ、来年も、お花見が出来ますように」
 そう願うばかりだ。汗を流し、ゼイゼイ言いながらの山登りも、達成感と、してやったりの満足感がある。
 めったに見れない高尾スミレに出会ったりして、心いっぱい感動したりして、心に筋肉をつける山歩きもできて大満足でした。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№201から転載

西沢溪谷の一周、10キロ。秘蔵写真の発掘ほどでもないが?

 5月29日の写真がある。このころの西沢溪谷は新緑だった。いまは夏山シーズンに入った7月初旬だ。

 掲載のタイミングを逃せば、まずは見聞に価しないものだ。

 
 しかし、10年来にして、初の20代の女性が加わった。われら登山隊としては歴史的なできごとだ。その写真を封印することはできないぞ。

「さあ、のぼろ。行こう」

 先頭はむろんリーダーだ。


 西沢溪谷の登山口で情報を得ようと、バス停から徒歩5分で、まずは茶屋に入る。

「ほんきかよ。はじめから、ルートくらい情報を持ってこいよ」
 
 ヨモギ持ちを食べ、むヨモギ茶を飲みながら、地図を広げる。

 10年経っても、この登山隊は進歩がないな。



 登山というほど険阻な道でもない。それでも、明瞭な案内図がある。

 遭難事故など起こしそうもないルートだ。

 最悪の事故は、転倒の捻挫ぐらいだろう。

 なめてかかるなよ。
 



 ひとり準備運動に余念がない。


 行動に統一性がないのが、われら登山隊だ。


「個人の意志の尊重」
 と言ってもらいたいな。



 やっと、明るく笑顔で、新鮮な空気を吸いながら、西沢溪谷のルートに入る。

 女性一人はいると、こうも張りきれるものなのか。

 男は正直だよな。


 吊り橋をさっそうと渡る。

「怖くなんて、ないさ」

 渡り終わると、そう言うんだよな。


 集合写真を撮ってもらおう。

 相手は快く引き受けて、笑顔で、シャッターを押してくれる。

 よく見ると、右端には中近東の得体のしれない人物が写っているじゃないか。

 たのむ相手が悪かった。


 あきらめて、 記念写真はこれでがまんしよう。
 
 


 西沢溪谷は、多彩な滝の連続だ。

 これは良いぞ。

 そう思いきや、カメラ目線をむけてくれる。

「あのな。滝を撮りたかったんだ」

 これが見返り美人だったら、いいのにな。



「滝って、渓谷へ下るんじゃないの。なぜ登るんだ」

 そろそろボヤキが出てきたぞ。


 渓流沿いの平たい道にでれば、

「はい、チーズ」

 こんなポーズもできる。


 都会から離れたんだ。

 新鮮な空気だ。

 森林浴だ。

 もっと胸を張って、楽しく行こうぜ。

 野辺の送りじゃないんだから。
 



 滝はスローシャッターで撮るんだよ。

 手ブレをしない。

 脇を固めるか、なにかしら三脚替わりを見つけると良い。

 あれこれ教えるのは簡単。だけれど、やっては見せてくれなかった。

 その調子、その調子だよ。

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