ランナー

わがジョギング・ロード、東京スカイツリーを見ながら、ノコノコと

 だれかれ問わず時おり、「最近は走っていないのですか。HP『ランナー』に書き込みがないようですけど」と訊かれる。

「週に2度かな、3度かな、10.5キロを走っています。ときには7キロになりますけど」と応えている。
 なぜ、10.5キロ、7キロと端数が出るのか。『中川左岸・右岸緑道公園ジョギングコース』には200mごとに路盤に距離表示があるので、シビアなタイムと距離が測れるからだ。

 私の住む葛飾・東立石は海抜ゼロメートル地帯だ。大災害が起きれば、最も弱い地域だ。その反面、わが家からすぐ近くに、中川、荒川放水路があり、ジョギング・ロードとしては都内では最高の環境に恵まれている、と思う。
 ともに護岸には信号機はないし、景色には恵まれているし、ロングコースである。最近は東京スカイツリーの完成で、いっそう風光明媚な河岸となった。

 平和橋と奥戸橋と、右岸・左岸を回ってくる。3.5キロだ。
 3~4年前はマラソン市民大会に出るために、中川や荒川に出て、多少の雨でも走っていた。
 夜明けとともに起きて河川の護岸に出て走っていた。タイムを競う、筋肉を弛めない。継続は力なり。そんな気力に満ちていた。

 最近は荒川の河口に向かうこともないが、東京湾まで行けば、往復20キロだし、1キロずつの標示がなされている。信号機はないし、どこまでも一直線だ。
 JRや地下鉄の高架鉄橋とか、道路の大橋とかが、頭上を越えていく。だいたい1キロずつだから、飽きない景色だ。
 最近は出向いていないので、中川の奥戸橋・平和橋ばかりになっている。

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2012年元旦は、奥多摩の山を走る

 元旦の昼前には奥多摩駅(標高343m)に着いた。外気温は6度だった。ジャージに着替えると、鋸山林道の大ダワ(約1000m)にむけてランニングで登りはじめた。多摩川に架かる、弁天橋を渡ると、ヒノキや杉の森林を蛇行する舗道である。

 奥多摩~五日市に抜けるルートだが、道路が完成しても、環境問題から、いっさい使用されていない。公共事業のムダの典型的な道路だ。車が通っていない分、(御前山の登山者を迎えるタクシーは過去に一度見た)、ひとり占めである。時おり、崖上からの小石の落石が散乱している程度だが、危険度はない。

「最後のラン登山がどの山だったのかな」
 雲取山か、函館山か、箱根の山か、榛名の山か、記憶は定かではない。
 第2回東京マラソンに出場した。それ以前はランニングで山に登る練習も取り入れていた。大会から遠ざかると、ふだんの練習量は少なくなった。がむしゃらなラン・メニューもなくなった。

「一年の計は元旦にある。今年こそはフル・マラソンに再チャレンジするぞ」
 今回は、そんな格好いものではなかった。
 大晦日の除夜の鐘、初日の出の取材撮影に行くかな、という計画を立てていた。天気予報は曇り。太陽の出ない、初日の出など取材価値がないな、と気持ちは失速した。
「除夜の鐘もやめた。朝起きて、気ままに奥多摩の山でも登るかな」
 そこで下山後に汗を流せる、奥多摩町営「もえぎの湯」をネットで検索すると、元旦から営業だった。
 
 登山となると昼食用のバーナー・コッフェルとか、食糧とか、装備とかが必要だ。
 一方、ランニング登山ならば、ペットボトル1本と小銭(万一のために)さえあれば充分。奥多摩の低山ならば、ランで登れる。つまり、横着な発想から決めたものだ。

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真夜中の12時間リレー体験取材=郡山利行

 東京・国立競技場では11年7月29日(金)に、不思議なマラソン大会が開催されました。オールナイトの12時間リレーマラソンです。 種目は2種類で、参加チームのほとんどは12時間リレーでした。(3時間リレー)。

 同競技場の400mトラックと、観客席下にある練習用走路を組み合わせた、1周1.4km コースを走るのです。スタートが午後7時から、 ゴール30日(土)午前7時です。

【雨に濡れたトラック】

 同日、午後9時頃のトラック第2コーナー付近です。雨に濡れたトラックを走るランナーたちです。

 ほとんどが社会人チームです。参加者たちは会社の帰りに競技場に駆けつけてレースに参加していました。参加者の年齢は大半が30~40歳です。
 そのうち3割近くが女性でした。シニアのチームはほとんど見られませんでした。
 実は、取材する私は妻と参加しました。


 客席下の走路状況。各チームの待機スペースが並び、それぞれのチームのリレーゾーンでもあるので、仲間たちが応援していました。

 簡単にルールを説明しますと、タイムを競うのではなく、登録メンバーが12時間で、走行距離を競うのです。
 たすきには計時チップが取り付けられています。競技場トラックの第1コーナー部に設けられたチェックポイントの通過回数で、順位が決定します。

 

【待機スペース集団ごろ寝】


 私のチームの待機スペース付近の状況です。そこは着替え場所でもあり、飲食・仮眠場所でもありました。
 男女を問わず、みんなでごろ寝の仮眠を取り、順番が来たら走り、・・・、一夜を明かした、この不思議な体験はとても新鮮な感覚でした。 大勢の参加者ですが、レース時間内のアルコール禁止は守られていました。

【バックスタンド チームメイト】


 バックスタンド前で、第1走者を見守るチームメイトたち。

 節電のため、競技場内の照明は使用されず、走路の要所には発電機による局所照明が、主催者により準備されていました。 レースに不都合は生じていませんでした。

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写真で見る、東京大マラソン2011=新宿・スタート~ゴール地点

平成23年2月27日(日・快晴)に、東京大マラソンが開催された。スタートは東京都庁で、車椅子は9時05分、42.195キロのフルマラソンは、9時10分。新宿西口の駅前では、5分後には大集団となった。

スタートから3分後には、トップ集団ができていた

先頭集団のなかから優秀ランナーがでるのか。もはや、熾烈な順位争いが始まっていた。

車椅子のランナーはとても早いスピードだ。

市民ランナーの表情は、大きな国際マラソン大会に出場できた、という喜びをかみしめた、走り方に思える。

21キロ地点(日比谷)のトップランナーは、観衆に手を振る余裕があった。

医療関係者の協力体制が目立っていた。胸に、医者と明記したランナーも走っていた。

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わがランニング人生は10年、われにゲキを=風景写真と文

 マラソンを始めてから、今年でちょうど10年になる。
 若い頃から登山に熱中し、世の中の登山ブームが冷めても、山が無人化しても、私は単独行で山に登り続けていた。月に3、4回は登っていたが、40代、50代になると、体型が肥満型になってしまった。
毎日の運動をしないと、健康に悪い。その気持ちがつねにあった。自宅からは中川(一級河川)は近いし、ジョギングロードがある。

「1日10キロ走る。降雨は休足の日」
 そう決めてから、中川と荒川の周辺でジョギングをはじめた。川辺は美景の連続で、単調さからの飽きは来ない。
      

 中川の護岸路面には200メートルの距離表示がある。荒川のほうは東京湾からのキロ表示がなされている。ともに、スピードが計れる。そのうえ、双方には信号が1か所もなく、車両の進入もない。走る環境としては、実にめぐまれている。大都会の東京において、ここが最高の練習場だろうと思っている。

次女が国立競技場のマラソン教室に通っていた。父親の私に、マラソン大会に出場しないと、持続できないよ、とアドバイスしてくれた。そこで次女とともに米軍横田基地のハーフ・マラソン(約21キロ)の大会にエントリーした。

 戦闘機がならぶ滑走路の脇を走った。これまで見たことも、体験したこともない光景に深く感動した。走ることがやみつきになった。(登山は急減した)


「フルマラソンのほうが面白いよ」
 これも次女のことばで、勝田フルマラソンにエントリーした。となると、必然的に練習には熱が入ってくる。1日20キロ、ロング走は30~50キロと練習量が一気に増えた。それも、長期に継続できた。

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ミステリーの謎解きしながら、ランニング=創作の裏舞台

 東京マラソンの抽選に外れてから、ここ2年余りは、距離を走る気力が薄まっている。ランニングは好きでも、目標がないと、雑誌の原稿の締め切りがある、日本ペンクラブの記事を書く、各教室の受講生たちの作品添削、さらには連載ものの遠方の取材旅行がある。走らない理由はいくらでも思いつくものだ。と同時に、走る距離が減になっている。

「ミステリーを書く人は頭がよい」と言われることがある。それは間違っている。読者は悧巧だし、目が肥えている。作中の難問に対して、読者以上に、作者は考える時間が多いだけのことだ。

 ミステリーの謎解き、サスペンスの危機一髪からの脱出など、主人公には難解な問題や事件を突きつける。書いた段階では、作者も解決方法などがわかっていない。
作者も考えが及ばない。そのほうが質の良いミステリーになる。解決の難易度が高いものほど、作品に対する読者の求心力が強まる。それこそが上質のサスペンスだと思っている。

「どう解決するかな」
 私は山に登ったり、走ったり、身体を動かしながら、あれこれ考える。解決の難易度が高いと、苦しい。何日もかかる。走りながら試行錯誤していると、ふいに解決方法が見つかったりすると、うれしいものだ。

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東京マラソンは完走。結果はワースト記録? 好記録?

 第3回目となる「東京マラソン2009年」が3月22日、9時10分に東京都庁をスタートし、ゴールは東京ビッグサイトでおこなわれた。

 今回は3度目の正直で、初出場できた。ネットタイム(自分の時計)は4時間22分44秒だった。4時間を1分でも切りたいという、念願はかなわなかった。

 過去のフルマラソンは殆どが3時間40分台で、すべて完走。ノロウイルスの食中毒でも完走した「勝田マラソン」、取材しながら走った「かすみがうらマラソン」では、4時間台があるが、記録を意識した走りで、4時間台ははじめてだ。

 結果には不満だった。最大の反省材料は気象の読み違いだった。大会当日の気温は高いと判断し、短パンのみで、防寒スパッツは使わなかった。スタート前の整列段階から、曇天と風に震えてしまった。ストレッチくらいでは、身体が温まらなかった。

 昨年は100キロマラソンで完走した次女から、『4時間22分だってね。あの強風と人混み(ランナー)の中、このタイムは凄いよ。5時間ぐらいかかるかと思ってた』というメールを貰った。やや自分を納得させられた。

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東京マラソン・ゼッケンナンバー【27237】

 東京がひとつになる日『TOKY MARATHON 2009』が、3月22日(日)おこなわれる。9時10分に東京都庁をスタートする。
 私のエントリーはフルマラソン42.195キロだ。ナンバー(ゼッケン)は、【27237】と決まった。目標は4時間前後においている。

 
 大会当日のコンディションがよければ、4時間を1分でも切りたい。抽選が7倍強で、当たった、出場チャンスだ。それだけに、大会当日はやる気持ちを抑え、タイムよりも、ゴールを目指し、完走に力点をおきたい。

 過去2回の取材インタビューで、ランナーたちは広々した東京の道路で、名所をじっくり見られる、というコメントが多かった。一方で、私も楽しむマラソンを心がけたい。

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「走るぞ」。気合を入れたら、強い雨風だった。

 東京マラソンまで、残すところ2ヶ月を切っている。大会を視野に入れると、ロング走やスピードなどに練習不足がある。そこに焦りを覚えてしまう。

 急激な練習量アップは、からだに大きな負担を与える。故障の原因になりやすい。それが怖い。両膝と、左右の踵(かかと)が鬼門だ。過去には足を痛めて、階段の上り下りなど、一歩ずつ顔をしかめるほど激痛に襲われたことがある。そうなると、短期間には回復せず、東京マラソンの出場すら危ぶまれる。

 練習不足のまま大会当日を迎えたら、これも悲しい結果になる。
 1月30日と31日は、『走るぞ』と気合を入れた。取材など予定はいっさい入れなかった。ところが皮肉なもので、30日朝から、低気圧の通過で、東京は強い雨風となった。「何で、こんな日に雨なんだよ」と天を恨む。1日のなかで雲の切れ間がないか、と期待してみたが、虚しかった。

 他方で、これだけ強い風雨ならば、天気予報以上に低気圧の通り抜けは早そうだ、と想定した。
 31日の午前中も雨脚が強かったが、午後になると、想定通り、小雨になってきた。「走りはじめて身体が温まれば、多少の雨は問題ない」と、ジョギングの身支度をはじめた。膝の安全を保つために、シューズは底の厚いものを選ぶ。

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3度目の正直となった、『東京マラソン2009』のエントリー

 抽選結果が11月7日に出た。『東京マラソン2009』の「フルマラソンの部」(42、195キロ)に出場が決まった。抽選方法の透明性については、何度か批判をしてきた。それが拭えたわけではない。だけれど、エントリーが決まったからには大会に向けて努力したい。


 12月13日の夕方、他の取材で浅草・雷門にいった。日没後、折り返し地点にはイルミネーションの五重塔と、東京マラソン・3月22日の電光掲示板が光り輝いていた。次の大会は出られるのかと思うと、感慨深いものがあった。

 ことしは同場所で、取材をした。浅草芸者が櫓の舞台で太鼓を叩く、という情景が印象的だった。それら写真は記事のなかに組み込んだ。来年はランナーの目で見ることができるのだ。


 今年は「かすみがうらマラソン」に一度出場しただけだ。その後の練習不足は甚だしいものがある。人間は不都合な理由はかんたんに見つけ出せるものだ。
「きょうは執筆に追われているから、練習は半分だ」
「カルチャーの講師の日だし、遅れられないし、止めておこう」
「雨の日はムリして走ることはない」
 そんな口実は難なく出てくる。3日も、4日も走らない日が生じていた。

 これら半年間を省みると、月間で延べ100キロくらい。身体は重くなっている。ロング走はまったくできていない。このままだと、来年の東京マラソンは3時間台で走れず、4時間を越えてしまう。

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