かつしかPPクラブ

小休止=井出三知子

作者紹介:井出 三知子さん
      かつしか区民大学「区民記者養成講座」を経て「かつしかPPクラブ」で、取材活動を行う。
      他方で、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
      海外旅行と海中写真撮影を得意としています。 

                         小休止 PDF

   

小休止  井出三知子

「京成電車の青砥駅で乗ってね。一番前の車両に居るから」
 成田空港から海外旅行に出かける時は、いつも同じメールが入ってくる。彼女と一緒に海外旅行をするようになって何回目になったのだろう。
 学生時代は全く話をした事は無く、30年ぶりの同窓会で逢って親しくなった。早いものであれから15年もたっている。
 彼女は気功の先生をしていたので私は週1回、夜仕事の帰りに習いに行っていた。
 先生と生徒の関係が淡々と過ぎて2年がたった頃、
「私も海外旅行に行きたいな」
 と言ってきた。

 思いがけない、その言葉に非常に驚いてしまった。彼女は結婚していて両親と一緒に住んでいた。気功が終わるとさっさと帰ってしまうので、お茶に誘うのも遠慮がちだったからだ。だから、泊まりがけの旅行は無理だと思っていた。
 私自身はいつも旅行から帰って来ると、彼女に楽しかった事、失敗した事、空港に降立った時に感じるその国独特の臭い、知らなかった事を知るわくわく感がたまらないから、やめられないなどと熱くしゃべっていた。

「旦那様を置いて大丈夫なの」
「これからは少しずつ自立してやりたいことやっていこうと思っている」
「大賛成、絶対にそうした方が良いと思うよ。」
「だけど行きたいは嫌よ、行こうでなくては」
 今まで「行きたい」「やりたい」などの「たい」にはずいぶんと振回されてきた。本気だろうと思って、私のできることは協力しようと、具体的な話を始めると、一向に話が進まなくなるのだ。そんな事が何回もあったので、経験上「たい」は「おはよう」「さようなら」の挨拶のようなもので、その場の話を円滑にするサービス精神の言葉に違いないと理解するようになっていた。
 また、無駄な労力は嫌だった。

 予想に反して、彼女からは「行くから」とすぐに答えが返ってきた。短期間で行ける近場のソウル3日間のツアーに参加することにした。

 羽田空港の待ち合わせ場所に着くと彼女の隣に男性がいた。だんな様だった。ていねいに挨拶をされた。
「よろしくお願いいたします。危ない所に行かないこと、移動はタクシーで、夜はなるべく早くホテルに……」
 途中から彼の言葉が耳に入らなくなっていた。
 私の頭の中では違う事を考えていたからだ。
「まったく、いい年の大人にそんなこと言うのか、過保護もほどほどでないと、ソウルに着いたら、めいっぱい私のペースで行動しょう。今回でこりて一緒に行かないと言ってもいいから」
 など半分いらつきながら、残りの半分は現地で彼女がどんな反応をするか、楽しみながら作戦を練っていた。
 顔ではまんめんの笑みを浮かべ、「承知しました。安全に楽しんできます」もう一人の私が言った。

 ソウルに着いて自由時間になったとたん、地下鉄の路線図、市内地図を渡し、
「共同作業で地図を見て、観光スポットを探しながら行きましょう。たどり着けなくても、それもまた旅、違う経験をしたと思えばいいから」
 最初は驚いた顔をしていたが、すぐに私の意図が解り
「自分の肌で感じなくてわね」
 と言って笑った。
 そして、朝から晩まで地図とにらめっこして歩きまわった。時には私を引っ張ってくれた。だんな様の前の姿とは想像できない位、たくましく頼りになる別人の友達がいた。最初の旅行で私達は一緒に旅行しても大丈夫だなと思えるようになっていた。

 それから年に2回の海外旅行が恒例になった。
 今年3月に、例年通り8月の予定を決めようとした時、
「8月の旅行が終わったら、しばらくは家を空けられなくなってしまった。ごめんね」
 早かれ遅かれこうなると想像していたので、彼女が何を言い出すかすぐに解った。
 90歳になるお母様がいて介護状態である。気分転換といっても1週間も10日も旦那様だけにまかせておける状態では無くなってしまったからだと思った。私の心は残念な気持ちで一杯だった。彼女との旅行は、今では欠かせない大切な時間になっていからだ。

 8月の最後の旅行は彼女の希望を優先してチロル地方(イタリア、オーストリア、ドイツにまたがる地域)にハイキング付のパック旅行を決めた。

 8月1日に10日間の日程で出発した。
 私は2000m級のトレッキングが3日もあるので不安だったが、また新たな経験ができるのかと思うと期待感で一杯だった。
 今回はオーストリア航空だった。私の席の担当のスチワードさんは背が高くてハンサムで見ているだけでわくわくしてしまう若者だった。
「お飲物は何にしますか」
「ジントニックで」
 あまりにもやさしい微笑みについ、「うすくしてね」と言い忘れてしまった。
気分良く食事が終わった頃から異変がおきた。酔ぱらい状態になってしまい、身の置き所のない状態がその後10時間にも及び、飛行機を降りる時まで続いた。もうすっかり自立した友人に、大笑いされ、こんこんとお説教されて今回の旅がはじまった。

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京都を歩くなら1人がいい=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生として、叙述文にも力を入れています。
  

作者HP
  

京都を歩くなら1人がいい  斉藤永江

 紅葉で人気のある東福寺を訪れた。

 休日ということもあり、多くの観光客でごった返していた。真っ赤に色づいた木々は、素晴らしく見事で、圧巻の景色であった。
「わ~、綺麗ですね」と、私は誰かれ関係なく話しかけ、たくさんの人と、その感動を共有して楽しんだ。まるで1人歩きではないかのように。

 進みたい方向に歩き、もう一度見たい場所があれば戻り、色鮮やかな紅葉の下では、気が済むまでそこにいた。数人のグループや、団体客が、規則正しく移動する雑踏の中で、1人自由に浮遊する私であった。

 存分に紅葉を楽しんだ私は、寺を後にして東福寺駅へと向かった。

 道端で、生麩田楽(なまふでんがく)と、麩まんじゅうを売っているお店があった。
 和菓子が大好きで、特に麩まんじゅうには、目がない私である。
 迷わず、「両方くださいな」と、その場で、2つをほお張った。
「美味しいですね。京都の生麩は、やっぱり違いますね」
 東京で食べるものとは、明らかに違う食感と味に、もう一つ食べたい気持ちを我慢してその場を後にした。

 私は、一人歩きが大好きである。東京でも、気に入った場所を、延々と散歩している。自分の行きたい所を歩き、好きな景色の前では、いつまでもたたずんでいる。
「みんなは、どうしているかな」私はそうつぶやいた。
 今回は、仲間8人での企画だった。しかし、家の都合で皆との合流が難しく、私だけ夕食時間からの参加になっていた。そのことを、むしろ好都合に思っていた。

 次に向かったのは、祇園である。
 清水寺からくだっていき、三年坂に入ると、生麩田楽と、麩まんじゅうを売っているお店があった。
「わ~、美味しそう」
 私は、さっき食べたことも忘れ、初めて見たかのように喜び、すぐに購入した。東福寺のお店のものとは違い、そこでは注文の後、温め直して出してくれた。生麩の柔らかでふくよかな味が、口の中いっぱいに広がり、格段の美味しさであった。

「美味しい。やっぱり、京都の生麩は違いますね」
 私はさっきと同じセリフを言った。

 口の中が甘くなったな~、と思いながら二年坂に向かって歩いていると、漬物屋さんが見えてきた。京都の漬物は有名だ。
 お店の中に入ると、試食のオンパレードで、たくさんの人が群がっている。その光景を見て、試食好きの私の闘争本能に火がついた。
「よし、全種類食べるぞ」
 図々しいかなとも思ったが、先にいた年配の女性軍団の、私を上回るパワーが、その気持ちを吹き飛ばしてくれた。
「みんなで食べれば怖くないわよね」
 京都の漬物は、名物の千枚漬けや、すぐき漬けなど、その美味しさは格別だ。私は、存分に漬物の味を楽しんだ。
 さすがに、たくさんの種類を食べたら口の中がしょっぱくなった。満足した私は、お店の外にでた。

 ふと上を見上げると、八坂の塔が見えた。
 太陽の光が、五重の建物に降り注ぎ、まぶしく輝いていた。

 喉が乾いたな~、と思いながら歩いていると、「宇治茶をどうぞ」と、店先でお茶を振る舞っている店員の姿が見えた。なんというタイミングの良さであろうか。
「頂きま~す」
 迷わず手を出して、有難く試飲させてもらった。
 ああ、なんと美味しいお茶だろうか。香りたかい宇治茶の味わいに、喉も心もほっこりと潤った。おかわりしたいけど、お茶っ葉も買わずに2杯目はなぁ、とさすがの私も遠慮した。

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「かつしかPPクラブ」結成2年目の活動報告

 かつしか区民大学(主催:葛飾教育委員会)では毎年、「区民記者養成講座」を実施している。初年度卒業生たちが起ち上げた「かつしかPPクラブ(会長・浦沢誠)」は、2年目の卒業生をも受け入れて、16人で活動している。

 毎月の例会で、メンバーの活動報告、あるいはパソコン指導、記事の相互交流などを図っている。私は指導講師として、年に4回は課題を出した、作品の講評を行っている。

 5月には荒川放水路で、鷹の研究者・中里貴久さん(44)を招き、鷹を手にとまらせたうえで、飼育や生態について語ってもらった。それらが冊子にまとめられた。
 当日、参加できなかったメンバーは、独自に、区内の取材記事をまとめている。

 8月10日(金)午後6時30分から、同区東立石地区センターで、メンバーが一人ひとりの作品をパワーポイントで投影した画像をみながら、作品の講評に臨んだ。


秋山与吏子『誉たかき鷹』

 パソコンを使った初めての作品としては、楕円、吹き出しなど、PCの機能をうまく利用しています。記事の導入文において、鷹匠が天皇、将軍に仕えた高貴な職業と、定義づけた説明を行った、上手い入り方です。鷹と人物の写真は配置がよい構図です。
「アドバイス」
 記事のトップ写真は、花よりも人物のほうがよいでしょう。


岩瀬貞代『鷹は人間のパートナー』

 インタビュア・子ども、鷹研究者・中里さんの一問一答が、鷹の特性と特徴を巧みに引き出す、上手な組立です。写真の撮り方はローアングルが冴え、被写体の目線の捉え方が優れています。写真に吹き出しを入れ、鷹の生態をビジュアルに説明する、技量の高さがあります。
「アドバイス」
 レベルが高い作品ですが、テーマ外も入ると、盛り込みすぎになります。

宇佐美幸彦『皐月の寸景』

 地域行事を追う、記者の取材は精力的な、強い意欲が読み手に伝わってきます。わんぱく相撲大会。参加者の多さ、特に女子などは、記事から驚きが伝わってきます。水防訓練、避難者救助のレスキュー隊は、3.11で活躍した東京消防庁だけに、身近に感じさせる記事です。
「アドバイス」
 レスキューの消防士の顔を大きく、表情を取り込むと迫力と臨場感が出ます。


宇佐美幸彦『水無月の催事参加』

 12年5月の利根川水系で、発がん物質が発見された。そこで金町浄水場に取材し、「問題点・危機」を探る、着眼点の良い記事です。「おぞん発生機」の幾何学的な配置のノズルは、芸術的な輝きがある写真です。市販「東京水」との違いを伝え、がっかりさせられた、と記すなど、切り口がよい記事です。
「アドバイス」
 後ろ向きの人物は写真の中央からはずしてください。


浦沢誠『五月の風』
 「鷹の研究家」「金環日食」「東京スカイツリーオープン」と3つのメインテーマを据えた、12年は記念すべき年だと打ち出す記事です。
 「鷹の研究家」は鷹の飼育と特性が簡略に紹介されています。
  「金環日食」は堀切2丁目の住人の、観察模様を取り上げ、写真でビジュアルに伝えています。
 「東京スカイツリー」は技術的な、耐震構造に絞り込んだ読ませる記事です。
「アドバイス」
 記事トップの写真は、時系列にこだわらず、最も良いものを使ってください。


小池和栄『葛飾の学校』

 ~初等教育の夜明け~、と葛飾区内の小学校や教育資料館に取材した、内容の濃い、史実の掘り起こしの記事です。学術的な硬い内容が随所で展開されながらも、記者の補足コメントが入るので、全体に読みやすく流れに乗れます。現職の金町小学校の校長に取材しているので、記事全体に信ぴょう性が高まり、現場からの情報提供となっています。
「アドバイス」
 歴史的な流れは客観視されていますが、後半の教育論は主観が入りすぎています。


郡山利行『水元公園 菖蒲まつり』

 葛飾区長が「ショウブ、花ショウブ、アヤメ、カキツバタ」と即座に見分けられる、と冒頭で紹介する。意外性で、記事の導入を図っています。写真は技巧・テクニックに優れています。「女性カメラマン」は真剣さと身体の線が見事で、「一人ほくそ笑む女性」「男性のポーズ」など解析度が高く、美的な良さが醸し出されています。
「アドバイス」
 冊子の表紙はアオサギの生態よりも、花ショウブと人物のほうが良いでしょう。


郡山利行『水元地区 初夏の風景』

 表紙の茅の輪の神事は、完成度の高い写真です。
 あしなが蜂の生態を狙った接写は、観る側に迫力を与えています。トカゲ。準絶滅危惧種だけに、接写には学術的な紹介要素があります。アオサギのザニガニ漁。根気よく、狙いを定めた写真で、弱肉強食の世界を感じさせます。
「あどばいす」
 茅の輪くぐり方は写真でなく、各地の神社で展開していますから、さらっと本文ですませましょう。


腰原良吉『かつしかの鷹狩り』

 冊子の表紙に、「鷹狩のブロンズ像」を置いて、葛飾と鷹狩の結びつきの深さが呼び込んでいます。徳川家は鷹狩の関心度が高かった。記者が資料と史料を読み込み、葛飾の地域ごとに紹介しているので、全体を通して厚みがあります。徳川将軍の御膳所の5カ所の寺院にも取材し、大絵馬では住職からの取材で、真贋に攻め込んでいる。
「アドバイス」
 曳舟川の由来は文字が小さくて判読できないので、点描写真とし、まわりの風景を取り込んだが良いでしょう。

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元麻布ヒルズに招かれて=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生です。

 記事(区民記者)は現地を取材し、より客観的な書き方になります。エッセイは逆に、私が「私」の心のなかや出来事を取材し、主体的に書き綴っていくものです。
 ある意味で、双方は相反します。しかし、第三者に読ませるもの、それは共通しています。

 客観的に書く、主観的に書く。この二刀流ができれば、書き手として『わたし』を磨いてくれると、作者は語り、意欲的にチャレンジしています。
 

作者HP
  

元麻布ヒルズに招かれて  斉藤永江

 知人から、元麻布ヒルズで行われるホームパーティに誘われた。 麻布?ホームバーティ? なんと雅やかな響きであろうか。
 生まれてからずっと、下町地区に生息している私である。声を掛けられた時には、狂喜し、「行く、行く!」と即答した私であった。
  しかし、ほどなくして、「はて?超高級マンションと呼ばれるその場所に、いったい何を着て行ったらいいものか・・」と、考えあぐねてしまった。

 ふだん着はおろか、お出掛け着でさえも、1000円、いやいや、数百円の洋服で済ませている私である。 それで充分だし、特に困ったこともない。 元々、おしゃれには興味がないのである。
 逆に、「この洋服、実は500円なの」
「え~、そうは見えない、買い物上手ね~」などと驚かせて、優越感に浸るという楽しみ方を持っていた。
 しかし、今回は、違う。そんな洒落も通らない気がしていた。日産のゴーン社長や、雅子妃の妹、礼子さまも住んでいると聞いたことがある。新宿や渋谷の大都会とはまた違い、洗練された香りが漂う街、芸能人や大金持ちが住む、自分とは掛け離れた土地に感じられた。
 前日から、着ていく洋服を考えていたが、なかなか、決まらない。それにも増して悩んだのが、アクセサリーの類いであった。私の持っているものと言ったら、全てがイミテーションである。この年になって、 本ものと呼べるものを何1つ持っていないことに気付き愕然とした。
 よく一張羅いという言い方をするが、私にはそれさえもなかったのだ。
 オシャレや美への意識が欠落している私である。洋服はおろか、アクセサリーにお金を掛けるのは勿体ないし、化粧品も全て100円均一で済ませているのが、自慢でもあった。
 結局、悩みに悩んだあげくに、光沢のある大好きなワインカラーのブラウスを選んだ。その明るさが安さをカバーしてくれるように思えた。アクセサリーは、真珠のネックレスとイヤリングを選んだ。もちろん、イミテーションである。ふと、お金持ちの人って、他人が身に付けている装飾品の、にせ物と本物の区別がつくのだろうか、という疑問が頭をよぎった。バレだらイヤだなぁ。
 着ていくものとアクセサリーは、決まった。残るは、靴と靴下である。超高級マンションのお宅にお邪魔するのに、まさか、運動靴じゃ行けないわよね、と自問した。100円均一の靴下ってどうなの?

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四度目の一時帰宅=鈴木會子

作者紹介:鈴木會子さん。

住所は福島県双葉郡楢葉町山田岡(フクシマ原発から約20キロの地点)です。
原発事故で、故郷を追われ、いまは東京・葛飾区で仮住まいしています。
『詩・一時帰宅』の寄稿などがあります。

写真:現在の仮住まいの都営住宅にて

四度目の一時帰宅 鈴木會子

   誰とも会えない
   人の住まない町
   止まったままの時間
   地割れした道路
   シートをかぶった家々
   屋根瓦が
   家の前うしろに
   散乱し
     3月11日のまんま
   自宅まわり
     背丈ほどに
   伸びた雑草
   畑も庭も
   植木の松が
     傘の様に、枝をのばし
   枯れた
     みかんの木
   自由に伸びた草花
   クリスマスローズが
     花ざかり
   こんな所が
     放射能が
       高いのか…
   夫は顆粒の
     草消しをまく
   屋敷まわり、庭と、
     二時間もかけて
   ここへ戻る
     時の為に…
  
                詩と写真 : 鈴木あい子

 飼い猫が茶の間から出られず、廊下を通り、おばあさんの部屋のガラス戸を、自ら開けて出て、生きていました。
 一か月後、2匹は助け出せました。6カ月後、もう一匹を助け出しました。
 
 この間に、猫たちが生きるために、苦しみ、障子を破った爪痕です。やがて、鍵のかかっていなかった硝子戸を、猫の手で開けたのです。



 あのときは何も連れ出せず、鳥たちがカゴのなかで悲惨な死骸となっていました。
 
 一時帰宅は防護服を着た、限られた時間です。ただ撮影するしか手はなかったです。

 葬ってあげる時間もありません

スカイツリー開業に思う=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生です。

 記事(区民記者)は現地を取材し、より客観的な書き方になります。エッセイは逆に、私が「私」の心のなかや出来事を取材し、主体的に書き綴っていくものです。
 ある意味で、双方は相反します。しかし、第三者に読ませるもの、それは共通しています。

 客観的に書く、主観的に書く。この二刀流ができれば、書き手として『わたし』を磨いてくれると、作者は語り、意欲的にチャレンジしています。
 

作者HP
  


スカイツリー開業に思う=斉藤永江

 平成24年5月22日、待ちに待った東京スカイツリーが開業した。
 世界一の高さとなる電波塔が、押上にできるそうだ、という第一報ニュースを聞いた日から、どれくらいの年月がたったのだろうか。
 候補地は、いくつかあったと記憶している。まさか、下町で特に何の特徴もなく、また、「おしあげ」なんて、垢抜けない地名の場所が選ばれるとは思ってもいなかったので、正直驚いた。
建設工事が開始されてからは、出掛けた帰りに、よくその進み具合を見に行っては、1人で感動していた。

 現在の634mに建ち上がったスカイツリーよりも、着工間もない、ようやく、その姿を現したかな、という頃の迫力は、ものすごいものがあった。

 あのとてつもなく大きくて太い一番底の直径が、地上からはえてくるのだから。
 初めてその姿を目にしたのが、夕暮れ時だったこともあり、その巨大な円柱形の物体が、私の眼には、不気味な光景にも感じられた。

 すごい!という感動と、怖い!という恐怖感。
 その2つが交錯する思いの中で、私はいつまでもその場にたたずんでいた。

 それからは、その光景に会いたくて、何度も足を運んだ。 同時に、家族にもこの感動を味あわせてあげたい、特に、2人の子供たちには、建設途中のスカイツリーを何としても見せてあげたいと思った。
 建ちあがってしまったら、もうずっとその高さなのだ。今しか見ることのできない世界一の電波塔の姿は、この時代に生きている者にのみ与えられた特権なのである。
 それは、とてつもなく貴重なことに思われた。

 私は、むしょうに我が子とこの感動を味わいたくなった。
    母が見せてくれた建設途中のスカイツリー。
    家族全員で見上げる未完成の姿。
    その時の感動。
    母の愛。
    感謝する子供たち。
 私の中で、どんどん想像が広がっていった。
 この先、半永久的に存在するであろうスカイツリーを見る度に、子供たちは、母の思いを懐かしむにちがいない。

 10年後、20年後、結婚して、母親や父親となった子供たちは、きっと、「パパやママは、このスカイツリーの建設中に家族全員で見にきたんだよ。おばあちゃんが連れて来てくれたんだ。それは、すごい迫力だったんだよ」と、話して聞かせるに違いない。

 いよいよ、パパが休みの日になった。私は、子供たちに「今日は、スカイツリーを見にいくよ」と、勢い勇んで声を掛けた。
「なんで?」と、娘が言った。
「俺、行かない」と、息子がつぶやいた。
 そうだった、2人とも、反抗期だったのだ。

 そうと解っていてもムカッときた。

(今しか、建設途中の貴重なスカイツリーの姿を見ることはできないのよ。その姿を、家族全員で見て、同じ感動を味わおうという母の気持ちが解らないのか。)
 そう叫びたい気持ちをグッと押さえて、
「そう言わずに一緒に行こうよ。パパも休みだしさ。」
 顔をひきつらせて微笑んだ。

 しぶしぶ、2人は車に乗り込んできた。
 しめしめ、現地まで連れて行ってしまえばこっちのものだ。
 あの迫力を見れば、2人だって歓喜の声を上げるに違いない。

 車は、スカイツリー工事現場の脇に止まった。
「俺、降りない」と、息子が言った。
「今、見る意味がわからない」と、娘がつぶやいた。
 ぶん殴りたくなった。
 いやいや、こんな大事な記念の日に怒ってはいけない。
 子供たちのペースにはまってる場合ではないのだ。
 私は、さっきより一層、顔をひきつらせながら、それでも笑顔で、

「とりあえずさ、せっかくここまで来たんだから、写真の1枚でも撮ろうよ」
 娘はしぶしぶ車から降りてきた。
 車の中で憮然としている息子を、半ば強制的に、それでも、顔はひきつり笑いをしながら、優しく引きずりおろし、「パパ、早く写真撮って!」とせかした。
 家族の中で笑っているのは、私1人であった。

 まぁ、いいや。記念写真は撮れたし、今だけの高さの貴重なスカイツリーとのショットだものね。
 帰りの車の雰囲気は悪かったが、私は満足していた。

 家に着いてパソコンで見てみると、もたもたしているうちにすっかり辺りが暗くなっていたのと、フラッシュをたかないで撮ったせいで、3人の顔は全く写っていなかった。
 雰囲気、雰囲気。残念だったが、これも思い出の写真ね。
 そう思うことにした。

 ほどなくして、パソコンが壊れ、全く動かなくなってしまった。
 そして、修理と同時に全てのデータが消えてしまった。
 当然のことながら、あの写真も。
 こんな無体なことってあるだろうか。
 泣きたくなった。
 あんなに苦労して撮った記念の写真なのに。

 あれから数年。めでたくスカイツリーは開業した。
 子供たち、あの日のこと覚えているのかな。
『全く覚えてない』
『そんなことあったっけ?』
 そう言われるのが怖くてとても聞けない。
 写真のみならず、母の苦労まで消えてなくなってしまいそうで。


                          文・写真・斉藤永江


初夏のまえぶれ=宮田栄子

作者紹介=宮田栄子さん
       出身地は群馬県です。
       東京葛飾区には30年間、在住しています。
       趣味は陶芸です。

    2011年かつしか区民大学『私が伝える葛飾』(区民記者養成講座)を経て、
    かつしかPPクラブで、活動しています。
       
    「いまは葛飾大好き人間で、幅広くかつしかを紹介したいです」と語っています。
      

                  すべてがめざめ
                  はじける季節

                 ―はつなつ


               <想い

私はこの季節(春から初夏)が大好きです。といっても、「今が一番幸せ」と同じくらい私の口ぐせになっていて、木の葉散る秋も雪降る冬も好きです。

          大地がめざめる……。
          緑がひろがる……。
          やさしい色にかこまれて
          やっぱり、今が「いちばん」です。

                 初夏の風

              (風にそよぐ水元公園のこいのぼり)

           葛飾子どもまつり(4月22日)

          さまざまな出店のある中、ポニーは大人

          (馬と風と緑と……、一緒にはしる)

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第3回「葛飾区民記者」の養成講座スタート=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。

 傾聴ボランティアとして、葛飾区内および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 2011年度・かつしか区民講座「記者養成講座」を終了し、卒業生たちの自主クラブである「かつしかPPクラブ」に所属し、現在は積極的な活動をしています。


作者HP
  

第3回「葛飾区民記者」の養成講座スタート  斉藤永江

 平成24年5月18日、かつしか区民大学の「区民記者養成講座」の第3回が、同区ウィメンズパルで開催された。主催は同区教育委員会。講座のサブタイトルは『写真と文章で伝える「私のかつしか」歩く・撮る・書く』である。

 講座内容としては、報道写真の撮り方、取材の仕方、記事の書き方(まとめ方)、これらを3つの柱として実践的に学ぶものである。

 2012年度は3年目で、例年通り、11月16日までの全8回にわたっておこなわれる。そのうちの2回は課外活動である。

 1期生、2期生は全受講を終了した後、自主グループ『かつしかPPクラブ』に参加し、現在では積極的な活動を展開している。(PPとは、ペンとフォトの意味です)

 2012年度の受講生は11名である。初日は3人が欠席し、8人でのスタートとなった。開催の冒頭において、同委員会・生涯学習課の佐藤主事から、講座の主旨、目的、スケジュールについての説明があった。そして、講師の穂高健一さんの紹介がなされた。

 穂高さんは初回から同講座の講師を担当し、PPクラブにおいても顧問として名を連ねている。作家、ジャーナリスト、カメラマンである。加えて、登山家、ランナーという、多種多様な活動を行っている。同区在住であったことから、講師として迎えられた、という経緯がある。

 講師に続いて、受講者の1人1人の自己紹介が行われた。
 各人が住んでいる場所や趣味、受講動機、同講座に寄せる期待など、思い思いの発言がなされた。

  ・写真を勉強したい
  ・文章が上手になりたい
  ・記事を書くノウハウを身に付けたい
  ・ブログなど現在の仕事に生かしたいなど
 
 参加の動機をそれぞれ語った。
 受講生の一人、亀有在住の桜井さんは、「何となく申込んだので、そのことすら忘れていました」と屈託なく笑い、周囲の空気を和ませていた。

受講生全員に対して、続いて写真の撮り方についての指導がなされた。

①日の丸写真は撮らない。
②人物を必ず取り込む。
③頭を少しカットしてみる。
④手の表情を大切にする。

 それらが大切な撮影技法だと言い、まず講師がやってみせる。それを手本に、受講生にやらせる。だれもが必死にシャッターを押す。

 カメラマンでもある講師の熱い指導が、教室全体にみなぎっている。やがて、受講生が撮影した写真がパワーポイントで、スクリーンに映し出される。そのうえで、講師から丁寧な思いやりのある技術指導がなされた。

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エッセイって?=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。

傾聴ボランティアとして、葛飾区内および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

2011年度・かつしか区民講座「記者養成講座」を終了し、卒業生たちの自主クラブである「かつしかPPクラブ」に所属し、現在は積極的な活動をしています。

朝日カルチャーセンター・新宿で22年4月から開講した『フォトエッセイ入門講座』に一期生になりました。

明るくてエネルギッシュな女性です。

作者HP
  

エッセイって?=斉藤永江

 エッセイって何ですか? それを正しく答えられる人は、どれくらいいるだろうか。少なくとも、私には即答できない。

 そんな私が、「フォト・エッセイ入門講座」を受講することになった。

 講師は、尊敬する穂高健一先生だ。太鼓持ちではないが、作家であり、ジャーナリストであり、カメラマンであり、登山家であり、良き父親、良き夫(たぶん)でもある、スーパーマンみたいな方だ。
 それでいて、田園調布でも六本木の住まいではない。私と同じ下町の葛飾なんてところに住んでいる、そのところがまた憎い。

 私は昨年、葛飾区民記者の養成講座(教育委員会主催)を終了し、先生が指導される「葛飾区民記者(葛飾PPクラブ会員)」となった。

 いま、その過程を振り返ってみた。
「文章のプロから、エッセイも同時に学びたい」
 と言う欲張りな私に対して
「君は、報道向きだよ。報道一本で行った方がいい」
 先生はそうおっしゃった。

 実際に取材現場へ出向き、インタビューを取り、写真を撮り、さらに記事にまとめる作業は楽しかった。むろん、いまも活発に街に飛び出して、嬉々として取材活動をおこなっている。

 今回は、あの学びたいと考えていた「エッセイ講座」なのである。ところが、「エッセイを書かねばならぬ」と、とたんに身構えてしまった。

 受講申し込みの段階で、「エッセイって?」そのものがわからなくなった。調べると、『形式に拘わらずに個人的な観点から物事を書いた散文・感想・見聞。随筆ともいう』とある。

 講座がはじまると、穂高先生は冒頭に、「何気ない日常の小さな出来事を大切にしよう」と話す。説えられた、とも思えた。

 極ごく平凡な私。そんな人間の些細なことを書いて、何が面白いのか。あれだけ、エッセイに魅力を感じていたのに……。

 「無駄な文章は思い切って削り取ろう。そうすると、書きたいことの本質が見えてくる」
 先生は強調する。

 陳腐で未熟で無駄だらけの私の文章。切り捨ててしまったら、何も残らない。この時点で、すでにエッセイではない。

「おなじ言葉を前後して使ってはいけない。同意語を上手に使おう」
 そんなに厳しい指導に入っていく。

 これだけの文章を一通り書いてみて、読み直してみた。

「初稿はかんたんに力を抜いて書きなさい」
 そう指導を受けている。

 第1回教室で学んだ、同義語に置き換えてみた。なにが同意語なのかすらわからなくなった。すぐに限界がみえてきた。

 つぎなるは、『何気ない』、『些細な』、『削り取る』、『切り捨てる』に取り組む。

 報道……、エッセイ……、無駄……、これらの言葉が重複したままだ。添削する先生の呆れた顔が目に浮かぶ。

    

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小菅探訪~塀の町の歴史の残影~ =小池和栄

【作者紹介】
 小池和榮さん:2010年「葛飾区民大学」の区民記者・養成講座を経て、「かつしかPPクラブ」の発起人の一人となりました。緻密な取材力と、葛飾の歴史の再発見など、特別ルポの記事を得意としています。
 最近は川柳にも興じています。

小菅探訪~塀の町の歴史の残影~PDF

小菅探訪~塀の町の歴史の残影~ 平成24年 3月1日

 荒川から見た小菅の東京拘置所である。一般人には無縁な場所であり、屋上にヘリポートを備え近代的な要塞のように見える。
 対岸の荒川河川敷では若者たちが、フットボールのフォーメーション練っていた。冬の日の午後の陽射しに足許の影が長い。

 Ⅰ.東京拘置所 ・・・・・・・・・・・・ 3

 Ⅱ.関東郡代屋敷跡・・・・・・・・・・・4

 Ⅲ.小菅(千住)御殿・・・・・・・・・・5

 Ⅳ.小菅銭座跡・・・・・・・・・・・・・6

 Ⅴ.明治維新と小菅縣・・・・・・・・・・7

 Ⅵ.名縣知事 川瀬秀治・・・・・・・・・8
 
 Ⅶ.わが国初の煉瓦工場・・・・・・・・・9

 Ⅷ.こすげろの・・・・・・・・・・・・・10

 人の周りを□で囲むと、囚(とら)えるとなる。
 檻に容れ自由を奪う形は象形文字としても頷ける。
 葛飾区の西端に位置し、荒川と綾瀬川に挟まれた「小菅」は、塀のある町として全国に知られる。
 今は東京郊外の静かな町である。しかし、それだけではない。
 川沿いのその一郭は、かつて時の流れの中で輝き、人々は己が人生を紡いだ歴史の町である。


Ⅰ.東京拘置所

 東京拘置所は法務省矯正局に属し、通称「東拘」とか所在地から「小菅」と呼ばれる。敷地は約222,000㎡(66,000坪)と、全国8拘置所(東京・立川・名古屋・京都・大阪・神戸・広島・福岡)の中でも、収容定員3000人は最大規模である。

(明治の面影を残す正門)

(工事が続く高層舎監)

 その歴史は古く、明治11年(1878)に遡る。前年に勃発した西南戦争の捕虜を収容する為、明治政府は煉瓦製造所を買収し、監獄を建設した。それから134年、小菅監獄→東京収治監→小菅刑務所と呼び方は変わった。
 そして昭和45年(1975)に、巣鴨の東京拘置所(現サンシャイン60の敷地)が廃止されてから、東京拘置所となった。
 
 かつての宰相や、大物政治家、オウム事件の首謀者、新聞を賑わした刑事被告人、死刑確定者が収監され、最近では大手製紙会社の御曹司も、一時期ここの住人となった。

 ダメ元で取材を申し入れてみた。電話のガイダンスに従い、操作を繰り返しやっと出た窓口は、ホームページに載っている事が全てだと素っ気ない。東京拘置所の改修工事は平成18年に始まり、今なお真最中である。ヘリポートを備えた高層舎監、その奥に14階建職員住宅が並ぶ。カメラを向けると門衛が飛んで来て制した。

 往時の赤煉瓦塀はほとんど壊され、正門脇に僅か面影を残すのみである。近くで「差入れ品」を販売する商店主は「同業は2店あるが、施設内に法務省の外郭団体が運営する店があり歯が立たない。行政仕分けの対象だった筈が、いつの間にかうやむやになってしまった」とこぼした。
 
 地元の不動産業者は「刑務所だった頃は、腕に技術を持つ受刑者が作った製品を格安で販売した。車検整備も安くやり、地元では好評だった。ただ、出す時は車内の灰皿に「吸殻」が残っていないか厳しくチェックされた」と、当時を振り返り語った。


Ⅱ.関東軍代屋敷跡

 江戸時代の葛飾・葛西一帯は、一部の寺社や旗本の領地を除き幕府の直轄地(天領)であった。幕府はその管理にあたり「代官」を置いた。その郡代代官屋敷が今の「東京拘置所」の場所である。
 水戸黄門でも代官は悪の権化のように扱われるが、事実、権力を笠に着た者が多かったようである。

 徳川家康の功臣本多忠勝は、「代官と徳利の首に縄は付き物」と言ったとか。関東郡代は家康の入府以来、功績のあった伊奈氏が代々あたった。伊奈氏は、歴代、質実で地味な人柄から将軍の信頼が厚く、殊に農政、利水土木に優れ、その手法は「伊奈流」と称せられた。

(代官屋敷跡・後方は塀内の官舎)
                 
 慶長年間に今の、金町、松戸、小岩、市川、栗橋、に在った関所管理の功により、3代将軍家光から西葛西郡小菅村に約10万坪の土地を拝領した。伊奈氏はこの地を開墾し、陣屋を設け、将軍の鷹狩りの「御膳所」に供したというからそつがない。

 順風満帆の伊奈家であったが、寛政4年(1792)に、12代忠尊が家事不行き届き罪で職を解かれ、領地と下屋敷は没収され家は断絶した。しかし、翌年、幕府は伊奈家の先祖伝来の功績を惜しみ、再興を許した。


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