かつしかPPクラブ

元麻布ヒルズに招かれて=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生です。

 記事(区民記者)は現地を取材し、より客観的な書き方になります。エッセイは逆に、私が「私」の心のなかや出来事を取材し、主体的に書き綴っていくものです。
 ある意味で、双方は相反します。しかし、第三者に読ませるもの、それは共通しています。

 客観的に書く、主観的に書く。この二刀流ができれば、書き手として『わたし』を磨いてくれると、作者は語り、意欲的にチャレンジしています。
 

作者HP
  

元麻布ヒルズに招かれて  斉藤永江

 知人から、元麻布ヒルズで行われるホームパーティに誘われた。 麻布?ホームバーティ? なんと雅やかな響きであろうか。
 生まれてからずっと、下町地区に生息している私である。声を掛けられた時には、狂喜し、「行く、行く!」と即答した私であった。
  しかし、ほどなくして、「はて?超高級マンションと呼ばれるその場所に、いったい何を着て行ったらいいものか・・」と、考えあぐねてしまった。

 ふだん着はおろか、お出掛け着でさえも、1000円、いやいや、数百円の洋服で済ませている私である。 それで充分だし、特に困ったこともない。 元々、おしゃれには興味がないのである。
 逆に、「この洋服、実は500円なの」
「え~、そうは見えない、買い物上手ね~」などと驚かせて、優越感に浸るという楽しみ方を持っていた。
 しかし、今回は、違う。そんな洒落も通らない気がしていた。日産のゴーン社長や、雅子妃の妹、礼子さまも住んでいると聞いたことがある。新宿や渋谷の大都会とはまた違い、洗練された香りが漂う街、芸能人や大金持ちが住む、自分とは掛け離れた土地に感じられた。
 前日から、着ていく洋服を考えていたが、なかなか、決まらない。それにも増して悩んだのが、アクセサリーの類いであった。私の持っているものと言ったら、全てがイミテーションである。この年になって、 本ものと呼べるものを何1つ持っていないことに気付き愕然とした。
 よく一張羅いという言い方をするが、私にはそれさえもなかったのだ。
 オシャレや美への意識が欠落している私である。洋服はおろか、アクセサリーにお金を掛けるのは勿体ないし、化粧品も全て100円均一で済ませているのが、自慢でもあった。
 結局、悩みに悩んだあげくに、光沢のある大好きなワインカラーのブラウスを選んだ。その明るさが安さをカバーしてくれるように思えた。アクセサリーは、真珠のネックレスとイヤリングを選んだ。もちろん、イミテーションである。ふと、お金持ちの人って、他人が身に付けている装飾品の、にせ物と本物の区別がつくのだろうか、という疑問が頭をよぎった。バレだらイヤだなぁ。
 着ていくものとアクセサリーは、決まった。残るは、靴と靴下である。超高級マンションのお宅にお邪魔するのに、まさか、運動靴じゃ行けないわよね、と自問した。100円均一の靴下ってどうなの?

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四度目の一時帰宅=鈴木會子

作者紹介:鈴木會子さん。

住所は福島県双葉郡楢葉町山田岡(フクシマ原発から約20キロの地点)です。
原発事故で、故郷を追われ、いまは東京・葛飾区で仮住まいしています。
『詩・一時帰宅』の寄稿などがあります。

写真:現在の仮住まいの都営住宅にて

四度目の一時帰宅 鈴木會子

   誰とも会えない
   人の住まない町
   止まったままの時間
   地割れした道路
   シートをかぶった家々
   屋根瓦が
   家の前うしろに
   散乱し
     3月11日のまんま
   自宅まわり
     背丈ほどに
   伸びた雑草
   畑も庭も
   植木の松が
     傘の様に、枝をのばし
   枯れた
     みかんの木
   自由に伸びた草花
   クリスマスローズが
     花ざかり
   こんな所が
     放射能が
       高いのか…
   夫は顆粒の
     草消しをまく
   屋敷まわり、庭と、
     二時間もかけて
   ここへ戻る
     時の為に…
  
                詩と写真 : 鈴木あい子

 飼い猫が茶の間から出られず、廊下を通り、おばあさんの部屋のガラス戸を、自ら開けて出て、生きていました。
 一か月後、2匹は助け出せました。6カ月後、もう一匹を助け出しました。
 
 この間に、猫たちが生きるために、苦しみ、障子を破った爪痕です。やがて、鍵のかかっていなかった硝子戸を、猫の手で開けたのです。



 あのときは何も連れ出せず、鳥たちがカゴのなかで悲惨な死骸となっていました。
 
 一時帰宅は防護服を着た、限られた時間です。ただ撮影するしか手はなかったです。

 葬ってあげる時間もありません

スカイツリー開業に思う=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生です。

 記事(区民記者)は現地を取材し、より客観的な書き方になります。エッセイは逆に、私が「私」の心のなかや出来事を取材し、主体的に書き綴っていくものです。
 ある意味で、双方は相反します。しかし、第三者に読ませるもの、それは共通しています。

 客観的に書く、主観的に書く。この二刀流ができれば、書き手として『わたし』を磨いてくれると、作者は語り、意欲的にチャレンジしています。
 

作者HP
  


スカイツリー開業に思う=斉藤永江

 平成24年5月22日、待ちに待った東京スカイツリーが開業した。
 世界一の高さとなる電波塔が、押上にできるそうだ、という第一報ニュースを聞いた日から、どれくらいの年月がたったのだろうか。
 候補地は、いくつかあったと記憶している。まさか、下町で特に何の特徴もなく、また、「おしあげ」なんて、垢抜けない地名の場所が選ばれるとは思ってもいなかったので、正直驚いた。
建設工事が開始されてからは、出掛けた帰りに、よくその進み具合を見に行っては、1人で感動していた。

 現在の634mに建ち上がったスカイツリーよりも、着工間もない、ようやく、その姿を現したかな、という頃の迫力は、ものすごいものがあった。

 あのとてつもなく大きくて太い一番底の直径が、地上からはえてくるのだから。
 初めてその姿を目にしたのが、夕暮れ時だったこともあり、その巨大な円柱形の物体が、私の眼には、不気味な光景にも感じられた。

 すごい!という感動と、怖い!という恐怖感。
 その2つが交錯する思いの中で、私はいつまでもその場にたたずんでいた。

 それからは、その光景に会いたくて、何度も足を運んだ。 同時に、家族にもこの感動を味あわせてあげたい、特に、2人の子供たちには、建設途中のスカイツリーを何としても見せてあげたいと思った。
 建ちあがってしまったら、もうずっとその高さなのだ。今しか見ることのできない世界一の電波塔の姿は、この時代に生きている者にのみ与えられた特権なのである。
 それは、とてつもなく貴重なことに思われた。

 私は、むしょうに我が子とこの感動を味わいたくなった。
    母が見せてくれた建設途中のスカイツリー。
    家族全員で見上げる未完成の姿。
    その時の感動。
    母の愛。
    感謝する子供たち。
 私の中で、どんどん想像が広がっていった。
 この先、半永久的に存在するであろうスカイツリーを見る度に、子供たちは、母の思いを懐かしむにちがいない。

 10年後、20年後、結婚して、母親や父親となった子供たちは、きっと、「パパやママは、このスカイツリーの建設中に家族全員で見にきたんだよ。おばあちゃんが連れて来てくれたんだ。それは、すごい迫力だったんだよ」と、話して聞かせるに違いない。

 いよいよ、パパが休みの日になった。私は、子供たちに「今日は、スカイツリーを見にいくよ」と、勢い勇んで声を掛けた。
「なんで?」と、娘が言った。
「俺、行かない」と、息子がつぶやいた。
 そうだった、2人とも、反抗期だったのだ。

 そうと解っていてもムカッときた。

(今しか、建設途中の貴重なスカイツリーの姿を見ることはできないのよ。その姿を、家族全員で見て、同じ感動を味わおうという母の気持ちが解らないのか。)
 そう叫びたい気持ちをグッと押さえて、
「そう言わずに一緒に行こうよ。パパも休みだしさ。」
 顔をひきつらせて微笑んだ。

 しぶしぶ、2人は車に乗り込んできた。
 しめしめ、現地まで連れて行ってしまえばこっちのものだ。
 あの迫力を見れば、2人だって歓喜の声を上げるに違いない。

 車は、スカイツリー工事現場の脇に止まった。
「俺、降りない」と、息子が言った。
「今、見る意味がわからない」と、娘がつぶやいた。
 ぶん殴りたくなった。
 いやいや、こんな大事な記念の日に怒ってはいけない。
 子供たちのペースにはまってる場合ではないのだ。
 私は、さっきより一層、顔をひきつらせながら、それでも笑顔で、

「とりあえずさ、せっかくここまで来たんだから、写真の1枚でも撮ろうよ」
 娘はしぶしぶ車から降りてきた。
 車の中で憮然としている息子を、半ば強制的に、それでも、顔はひきつり笑いをしながら、優しく引きずりおろし、「パパ、早く写真撮って!」とせかした。
 家族の中で笑っているのは、私1人であった。

 まぁ、いいや。記念写真は撮れたし、今だけの高さの貴重なスカイツリーとのショットだものね。
 帰りの車の雰囲気は悪かったが、私は満足していた。

 家に着いてパソコンで見てみると、もたもたしているうちにすっかり辺りが暗くなっていたのと、フラッシュをたかないで撮ったせいで、3人の顔は全く写っていなかった。
 雰囲気、雰囲気。残念だったが、これも思い出の写真ね。
 そう思うことにした。

 ほどなくして、パソコンが壊れ、全く動かなくなってしまった。
 そして、修理と同時に全てのデータが消えてしまった。
 当然のことながら、あの写真も。
 こんな無体なことってあるだろうか。
 泣きたくなった。
 あんなに苦労して撮った記念の写真なのに。

 あれから数年。めでたくスカイツリーは開業した。
 子供たち、あの日のこと覚えているのかな。
『全く覚えてない』
『そんなことあったっけ?』
 そう言われるのが怖くてとても聞けない。
 写真のみならず、母の苦労まで消えてなくなってしまいそうで。


                          文・写真・斉藤永江


初夏のまえぶれ=宮田栄子

作者紹介=宮田栄子さん
       出身地は群馬県です。
       東京葛飾区には30年間、在住しています。
       趣味は陶芸です。

    2011年かつしか区民大学『私が伝える葛飾』(区民記者養成講座)を経て、
    かつしかPPクラブで、活動しています。
       
    「いまは葛飾大好き人間で、幅広くかつしかを紹介したいです」と語っています。
      

                  すべてがめざめ
                  はじける季節

                 ―はつなつ


               <想い

私はこの季節(春から初夏)が大好きです。といっても、「今が一番幸せ」と同じくらい私の口ぐせになっていて、木の葉散る秋も雪降る冬も好きです。

          大地がめざめる……。
          緑がひろがる……。
          やさしい色にかこまれて
          やっぱり、今が「いちばん」です。

                 初夏の風

              (風にそよぐ水元公園のこいのぼり)

           葛飾子どもまつり(4月22日)

          さまざまな出店のある中、ポニーは大人

          (馬と風と緑と……、一緒にはしる)

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第3回「葛飾区民記者」の養成講座スタート=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。

 傾聴ボランティアとして、葛飾区内および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 2011年度・かつしか区民講座「記者養成講座」を終了し、卒業生たちの自主クラブである「かつしかPPクラブ」に所属し、現在は積極的な活動をしています。


作者HP
  

第3回「葛飾区民記者」の養成講座スタート  斉藤永江

 平成24年5月18日、かつしか区民大学の「区民記者養成講座」の第3回が、同区ウィメンズパルで開催された。主催は同区教育委員会。講座のサブタイトルは『写真と文章で伝える「私のかつしか」歩く・撮る・書く』である。

 講座内容としては、報道写真の撮り方、取材の仕方、記事の書き方(まとめ方)、これらを3つの柱として実践的に学ぶものである。

 2012年度は3年目で、例年通り、11月16日までの全8回にわたっておこなわれる。そのうちの2回は課外活動である。

 1期生、2期生は全受講を終了した後、自主グループ『かつしかPPクラブ』に参加し、現在では積極的な活動を展開している。(PPとは、ペンとフォトの意味です)

 2012年度の受講生は11名である。初日は3人が欠席し、8人でのスタートとなった。開催の冒頭において、同委員会・生涯学習課の佐藤主事から、講座の主旨、目的、スケジュールについての説明があった。そして、講師の穂高健一さんの紹介がなされた。

 穂高さんは初回から同講座の講師を担当し、PPクラブにおいても顧問として名を連ねている。作家、ジャーナリスト、カメラマンである。加えて、登山家、ランナーという、多種多様な活動を行っている。同区在住であったことから、講師として迎えられた、という経緯がある。

 講師に続いて、受講者の1人1人の自己紹介が行われた。
 各人が住んでいる場所や趣味、受講動機、同講座に寄せる期待など、思い思いの発言がなされた。

  ・写真を勉強したい
  ・文章が上手になりたい
  ・記事を書くノウハウを身に付けたい
  ・ブログなど現在の仕事に生かしたいなど
 
 参加の動機をそれぞれ語った。
 受講生の一人、亀有在住の桜井さんは、「何となく申込んだので、そのことすら忘れていました」と屈託なく笑い、周囲の空気を和ませていた。

受講生全員に対して、続いて写真の撮り方についての指導がなされた。

①日の丸写真は撮らない。
②人物を必ず取り込む。
③頭を少しカットしてみる。
④手の表情を大切にする。

 それらが大切な撮影技法だと言い、まず講師がやってみせる。それを手本に、受講生にやらせる。だれもが必死にシャッターを押す。

 カメラマンでもある講師の熱い指導が、教室全体にみなぎっている。やがて、受講生が撮影した写真がパワーポイントで、スクリーンに映し出される。そのうえで、講師から丁寧な思いやりのある技術指導がなされた。

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エッセイって?=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。

傾聴ボランティアとして、葛飾区内および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

2011年度・かつしか区民講座「記者養成講座」を終了し、卒業生たちの自主クラブである「かつしかPPクラブ」に所属し、現在は積極的な活動をしています。

朝日カルチャーセンター・新宿で22年4月から開講した『フォトエッセイ入門講座』に一期生になりました。

明るくてエネルギッシュな女性です。

作者HP
  

エッセイって?=斉藤永江

 エッセイって何ですか? それを正しく答えられる人は、どれくらいいるだろうか。少なくとも、私には即答できない。

 そんな私が、「フォト・エッセイ入門講座」を受講することになった。

 講師は、尊敬する穂高健一先生だ。太鼓持ちではないが、作家であり、ジャーナリストであり、カメラマンであり、登山家であり、良き父親、良き夫(たぶん)でもある、スーパーマンみたいな方だ。
 それでいて、田園調布でも六本木の住まいではない。私と同じ下町の葛飾なんてところに住んでいる、そのところがまた憎い。

 私は昨年、葛飾区民記者の養成講座(教育委員会主催)を終了し、先生が指導される「葛飾区民記者(葛飾PPクラブ会員)」となった。

 いま、その過程を振り返ってみた。
「文章のプロから、エッセイも同時に学びたい」
 と言う欲張りな私に対して
「君は、報道向きだよ。報道一本で行った方がいい」
 先生はそうおっしゃった。

 実際に取材現場へ出向き、インタビューを取り、写真を撮り、さらに記事にまとめる作業は楽しかった。むろん、いまも活発に街に飛び出して、嬉々として取材活動をおこなっている。

 今回は、あの学びたいと考えていた「エッセイ講座」なのである。ところが、「エッセイを書かねばならぬ」と、とたんに身構えてしまった。

 受講申し込みの段階で、「エッセイって?」そのものがわからなくなった。調べると、『形式に拘わらずに個人的な観点から物事を書いた散文・感想・見聞。随筆ともいう』とある。

 講座がはじまると、穂高先生は冒頭に、「何気ない日常の小さな出来事を大切にしよう」と話す。説えられた、とも思えた。

 極ごく平凡な私。そんな人間の些細なことを書いて、何が面白いのか。あれだけ、エッセイに魅力を感じていたのに……。

 「無駄な文章は思い切って削り取ろう。そうすると、書きたいことの本質が見えてくる」
 先生は強調する。

 陳腐で未熟で無駄だらけの私の文章。切り捨ててしまったら、何も残らない。この時点で、すでにエッセイではない。

「おなじ言葉を前後して使ってはいけない。同意語を上手に使おう」
 そんなに厳しい指導に入っていく。

 これだけの文章を一通り書いてみて、読み直してみた。

「初稿はかんたんに力を抜いて書きなさい」
 そう指導を受けている。

 第1回教室で学んだ、同義語に置き換えてみた。なにが同意語なのかすらわからなくなった。すぐに限界がみえてきた。

 つぎなるは、『何気ない』、『些細な』、『削り取る』、『切り捨てる』に取り組む。

 報道……、エッセイ……、無駄……、これらの言葉が重複したままだ。添削する先生の呆れた顔が目に浮かぶ。

    

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小菅探訪~塀の町の歴史の残影~ =小池和栄

【作者紹介】
 小池和榮さん:2010年「葛飾区民大学」の区民記者・養成講座を経て、「かつしかPPクラブ」の発起人の一人となりました。緻密な取材力と、葛飾の歴史の再発見など、特別ルポの記事を得意としています。
 最近は川柳にも興じています。

小菅探訪~塀の町の歴史の残影~PDF

小菅探訪~塀の町の歴史の残影~ 平成24年 3月1日

 荒川から見た小菅の東京拘置所である。一般人には無縁な場所であり、屋上にヘリポートを備え近代的な要塞のように見える。
 対岸の荒川河川敷では若者たちが、フットボールのフォーメーション練っていた。冬の日の午後の陽射しに足許の影が長い。

 Ⅰ.東京拘置所 ・・・・・・・・・・・・ 3

 Ⅱ.関東郡代屋敷跡・・・・・・・・・・・4

 Ⅲ.小菅(千住)御殿・・・・・・・・・・5

 Ⅳ.小菅銭座跡・・・・・・・・・・・・・6

 Ⅴ.明治維新と小菅縣・・・・・・・・・・7

 Ⅵ.名縣知事 川瀬秀治・・・・・・・・・8
 
 Ⅶ.わが国初の煉瓦工場・・・・・・・・・9

 Ⅷ.こすげろの・・・・・・・・・・・・・10

 人の周りを□で囲むと、囚(とら)えるとなる。
 檻に容れ自由を奪う形は象形文字としても頷ける。
 葛飾区の西端に位置し、荒川と綾瀬川に挟まれた「小菅」は、塀のある町として全国に知られる。
 今は東京郊外の静かな町である。しかし、それだけではない。
 川沿いのその一郭は、かつて時の流れの中で輝き、人々は己が人生を紡いだ歴史の町である。


Ⅰ.東京拘置所

 東京拘置所は法務省矯正局に属し、通称「東拘」とか所在地から「小菅」と呼ばれる。敷地は約222,000㎡(66,000坪)と、全国8拘置所(東京・立川・名古屋・京都・大阪・神戸・広島・福岡)の中でも、収容定員3000人は最大規模である。

(明治の面影を残す正門)

(工事が続く高層舎監)

 その歴史は古く、明治11年(1878)に遡る。前年に勃発した西南戦争の捕虜を収容する為、明治政府は煉瓦製造所を買収し、監獄を建設した。それから134年、小菅監獄→東京収治監→小菅刑務所と呼び方は変わった。
 そして昭和45年(1975)に、巣鴨の東京拘置所(現サンシャイン60の敷地)が廃止されてから、東京拘置所となった。
 
 かつての宰相や、大物政治家、オウム事件の首謀者、新聞を賑わした刑事被告人、死刑確定者が収監され、最近では大手製紙会社の御曹司も、一時期ここの住人となった。

 ダメ元で取材を申し入れてみた。電話のガイダンスに従い、操作を繰り返しやっと出た窓口は、ホームページに載っている事が全てだと素っ気ない。東京拘置所の改修工事は平成18年に始まり、今なお真最中である。ヘリポートを備えた高層舎監、その奥に14階建職員住宅が並ぶ。カメラを向けると門衛が飛んで来て制した。

 往時の赤煉瓦塀はほとんど壊され、正門脇に僅か面影を残すのみである。近くで「差入れ品」を販売する商店主は「同業は2店あるが、施設内に法務省の外郭団体が運営する店があり歯が立たない。行政仕分けの対象だった筈が、いつの間にかうやむやになってしまった」とこぼした。
 
 地元の不動産業者は「刑務所だった頃は、腕に技術を持つ受刑者が作った製品を格安で販売した。車検整備も安くやり、地元では好評だった。ただ、出す時は車内の灰皿に「吸殻」が残っていないか厳しくチェックされた」と、当時を振り返り語った。


Ⅱ.関東軍代屋敷跡

 江戸時代の葛飾・葛西一帯は、一部の寺社や旗本の領地を除き幕府の直轄地(天領)であった。幕府はその管理にあたり「代官」を置いた。その郡代代官屋敷が今の「東京拘置所」の場所である。
 水戸黄門でも代官は悪の権化のように扱われるが、事実、権力を笠に着た者が多かったようである。

 徳川家康の功臣本多忠勝は、「代官と徳利の首に縄は付き物」と言ったとか。関東郡代は家康の入府以来、功績のあった伊奈氏が代々あたった。伊奈氏は、歴代、質実で地味な人柄から将軍の信頼が厚く、殊に農政、利水土木に優れ、その手法は「伊奈流」と称せられた。

(代官屋敷跡・後方は塀内の官舎)
                 
 慶長年間に今の、金町、松戸、小岩、市川、栗橋、に在った関所管理の功により、3代将軍家光から西葛西郡小菅村に約10万坪の土地を拝領した。伊奈氏はこの地を開墾し、陣屋を設け、将軍の鷹狩りの「御膳所」に供したというからそつがない。

 順風満帆の伊奈家であったが、寛政4年(1792)に、12代忠尊が家事不行き届き罪で職を解かれ、領地と下屋敷は没収され家は断絶した。しかし、翌年、幕府は伊奈家の先祖伝来の功績を惜しみ、再興を許した。


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「コミニティの可能性を信じて」=斉藤永江

作者紹介:かつしかPPクラブ・正会員(2011年度・かつしか区民大学・区民記者養成講座終了)・栄養士・製菓衛生士。チョコレート製作を始め、洋菓子作り・和菓子作りに携わる。


作者HP
  

コミニティの可能性を信じて ミルクショップワタナベ 渡辺社長奮闘記

  

     目次

1.開店経緯・渡辺社長の熱い思い
2.店内の様子・配達車
3.平日の店内・外観
4.かつしかスポーツフェスティバル
5.取材を終えて・編集後記
  
 

   開店経緯・渡辺社長の熱い思い

ミルクショップワタナベは、2007年4月1日に、牛乳の宅配専門だった立石から、四ツ木・マイロード商店街に移転し、店頭販売を始めた。

社長の渡辺浩二さん・(42才・写真左)は、「みどりのおばさんが亡くなっていたのに気付かず、牛乳を配達し続けていてショックでした。地域の人が声を掛け合い、安否を気づかう、コミニティの必要性を強く感じました。」と、その動機を話した。


同商店街は、シャッター街で、ほとんどの店が閉まっている。「それでも、道行く人が気さくに挨拶をしてくれて温かさを感じました。お年寄りや子供が安心して集まれる空間を作りたい。国まかせにするのではなく、自分の力でやってみようと思いました。」
 と、その熱い思いを語った。       

     店内の様子・配達車


 店内には、牛乳・乳製品の他にも、駄菓子や豆腐、米、物産品、非常食など様々な品物が並び、200種類に及ぶ。


『ミルクの日』を作って、販売促進をしている。

「それでも、パック牛乳に比べて割高のびん牛乳は、なかなか買ってもらえない。一度飲んで頂ければ、風味の違いや栄養の違いに気づいて頂けるのですが。」と、その苦労を語った。

 配達の時には、手紙やお知らせを入れ、安否を確認するなど、牛乳ボックスの交流にも努めている。

自らデザインした車を披露する渡辺社長               

     平日の店内・外観


 店内には、子供の絵や、地域の人が撮った写真が飾られ、ベイブレード大会やクリスマス会など子供向けのイベントも開催されている。

営業に出ている社長に代わり、お店を切り盛りしていた父親(写真右)に話を聞いた。

「次男がお店を継いでくれました。地域やお子さんたちに喜んでもらえるようにと様々な活動をしていて、毎日忙しいようです。」と、体を気づかった。

「地井さんが、テレビの撮影で寄ってくれました。
突然やってきてびっくりしましたよ。」


                 かつしかスポーツフェスティバル


 10月10日の体育の日に行われる『かつしかスポーツフェスティバル2011』に出店するというので、準備に追われる渡辺社長を取材した。


           

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かつしか区民大学・特別講演会「福島からのメッセージ」=PPクラブ

 福島は3.11で大地震、大津波、原子力被害、さらには風評被害という四重の被害を受けています。暮らし、健康、仕事などあらゆる困難に直面しています。
 2011年(平成23年)8月に、福島県は復興ビジョンを策定しました。


 かつしか区民大学は2月5日(日)午後2時から、講師・鈴木浩さん(福島大学名誉教授)を招いて、ウィメンズパル4階で、特別講演会が開催された。
 鈴木さんは福島県復興ビジョン検討委員会座長である。テーマは「福島からのメッセージ~福島県の復興の取り組みに学ぶ」。手話通訳も行われた。約70人の熱心な受講生たちが参加した。

 事務局が用意した配布資料が間に合わないほど、多数の受講生だった。会場で声を聞くと、「実際に福島で苦労している人の声を聴きたい」「風評に惑わされない、自分を創出したい」というものが多かった。

 鈴木さんの講演内容の柱として
⑤福島県復興ビジョン
①東日本大震災の時代的特質
②震災があぶりだした生命・生活の軽視
③セーフティネット論と居住権保障
④なぜ「原子力に依存しない社会」をめざすのか
⑥災害救助法と応急仮設住宅問題
⑦福島県における応急仮設住宅
⑧大地震にしなやかに立ち向かうということ
⑨地域社会・地域経済再生の課題
⑩まとめ
 
 基本理念として『原子力に依存しない、安全・安心で継続的に発展可能な社会づくり」である。鈴木さんは、福島県内の現場をくまなく調査し、作成した資料をを基に理路整然と説明した。

【福島県復興ビジョン(全編)】はこちらをクリックしてください

 かつしかPPクラブの区民記者は講演後に、鈴木さんからお話を伺いました。主たる内容としては、  

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「どうなる日本、東日本大震災から学ぶ」福岡政行氏が語る=PPクラブ

 2012(平成24)年度のかつしか区民大学の「特別講演会」が、1月および2月、それぞれ各界で活躍されている講師をお迎えし、ウィメンズパルにおいて開催されました。
 1月18日講演会の講師は福岡政行さんで、『どうなる日本、東日本大震災から学ぶこと』がテーマでした。司会は同大学担当の土川さん。当日の参加者は120名を超え、ウィメンズパル1階のホールはほぼ満員でした。

 青木かつのり区長が冒頭に、
「葛飾区としては、区民や行政が一緒に助け合って生きて行く、その考え方を常に念頭に置いた、安全安心のまちづくりを今後も継続していきます。この度、福祉の総合窓口を創設しました。高齢者や障害者そして介護者の方がたの、助けとなるようなコーナーも設置しています。
 今後は行政と区民との連携をさらに強めるためにも、区民の皆様方に、安全安心につながる区民大学講座をも実施して行きます」と挨拶されました。

 福岡講師は、2011年に発生した東日本大震災に関連する出来事や、復興支援の在り方、日本の行政の取り組み方について語られました。

 かつしかPPクラブとしては講演が終了後に、独自に福岡さんに取材しました。

  ・各種のボランティア活動をされていますが、その動機についてお聞かせください
「先日なくなられた俳優の二谷英明さんと、小山内美那子さんとご一緒にできることから、自然体で、平成元年から事務局として始めました」。

  ・ボランティア活動をしていて、大変だったことは何ですか
「今は体力が無いが、95年(神戸)に震災復興をやってきました。資金が無いので、カンボジアの子ども達への支援も、20人から30人の子どもしかできなかった。東日本の震災での活動も、朝から夜9時までが、体力の限界です」。

  ・善かったことは何ですか

「子ども達のうれしそうな顔が良い。また来ますと言って帰っていきます」。

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