寄稿・みんなの作品

【寄稿・(孔雀船)より】 どこですか 坂多瑩子

こんなもん
といったらどんなもんといわれた
その相手が長靴をはいたネコだと
つぶやいたら
靄がたちこめて まわりが見えづらくなったけど
それから青空になって
夜がこない
乗り慣れた電車に乗っても見慣れない風景がひろがり
終点で降りたら
電車はさっさかどこかに行ってしまった
橋を渡ると
店があるからガラス戸をあけると
クレンザーにネギに
木綿豆腐に
スコップがたてかけてあった

親戚いっぱい 家族いっぱい
いっぱいはいらないとカミサマにお願いしたのは
いつのことだっけ

あっ違う

だれもいないから
お金持ちのおじさんとか
やさしいお父さんにお母さん
ほしいほしいとカミサマにお願いしたのは
いつのことだっけ

長靴をはいたネコの洋服がぼろぼろ
あたしのセーターもほつれてきた
ー駅はどこですか
山のむこうと教えてくれた
山のむこうを見ても山しかない

イラスト:Googleイラスト・フリーより

【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

イラスト:Googleイラスト・フリーより

【寄稿・(孔雀船)より】 七夕の夜、ある抱擁についての考察 望月苑巳

偽善たっぷりの
七月の抱擁をほどくと
想い出もほぐれてしまう
織姫と彦星はそそくさと背を向けあった
つかの間の逢瀬も
些細な嫉妬から誤解が生じるものだし
億年続けていれば、そりゃあ誰でも飽きるというものさ

二人の仲の懸け橋だった銀河の水も冷え切って、ジャブジャブと億光年先にまでこぼれた。四月にはさくらを省き、四月のいのちを省き、日本の四月のさくらのいのちを省いたせいで、こうして朝から忙しい一日が始まった。

「この世界はどうしてこんなに息が詰まるのか」
まるで人生って
溜息からできているみたいだと
牛を追いながら彦星が嘆いた
二人の仲を取り持った
白鳥座が恨まれた
傍観していた蛇つかいは
蛇を逃がしてしまったとこぶしを上げている
そのせいで水瓶座の水がこぼれて
織姫は着物の裾を濡らしたが笑顔は絶やさなかった
「息苦しいのは他人の顔色ばかり窺って生きているからよ
溜息は希望のかけらだと思ってごらんなさい」

織姫よ、彦星よ、そんなさくらを省いた日のことを覚えているか。いのちを省いた日を思い出してみるか。どんな小さな溜息でも、するだけの理由があるのだよ。
抱擁もまた同じ、してみるだけの価値があるのだよ。億年の、また億年先に続いていても、その価値は偽善さえ飲み込んで、七夕の、真実という繭にくるまれてしまうのだよ。

繭の眠りから覚めたら、また抱擁をするがいい
きっと新しい永遠が始まる。


イラスト:Googleイラスト・フリーより

【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

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TEL&FAX 042(577)0738


イラスト:Googleイラスト・フリーより

【寄稿・孔雀船より】 ORIENT CAVE 平岡 けいこ

人が死ぬのに理由などいるだろうか
あなたはいない
この世界のどこにも存在しないのだ
雲ひとつない澄んだ空
こんなにも美しい世界を
あなたと見ることが叶わないのだ


十億年かけてできたオリエントケイブ
「全てはイメージなんですよ。」
マットさんが日本語で説明する
瞳をこらしても確認できない
あなたの本質
様々な人たちの勝手な思い出に歪められてゆく
わたしたちはただ空気のように
いて いる ことが当たり前だった

「一センチ伸びるのに百年かかるんですよ。」
この鍾乳洞の先のほんの一センチが
わたしたちの一生より長いことを
祝福すべきだろうか
鍾乳洞の中は一律十五度で無風
外ほど寒くはない

空気が薄いというが
あなたを失って常に呼吸困難なわたしには
たいした苦しみではない
「最初にインドに行ってエジプトに行って
 ぼくらは三つの国旅行するんですよ。」

あとひとつの国が思い出せない
忘却はやさしいから
わたしはぼんやりしている
全てはイメージにすぎない
あなたが産まれたこと
長い歳月をかけて
記憶と経験を重ねたこと
わたしが得たもの 失って得たもの
漆黒より暗い洞窟の中で
鍾乳洞はさまざまに形作られ
自然が十億年かけて造り上げた
乳白色の彫刻に感嘆する
美しさに意味はないが
形作られる過程には必然がある

水が滴っている
乳白色の鍾乳洞をしっとり
時間をかけて落ちてゆく
それは儚い命の光に似ている
わたしが生き残ったことに理由などない
ただここにいて 明日もいるとは限らない
全てはイメージにすぎないのだ


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【寄稿・(孔雀船)より】  刮ぐ 吉本洋子

夕食の牛蒡を刮ぐ
包丁の背を当てて薄く皮を刮いでいく
踵の角質を削る
薄刃の剃刀を固くなったそれに添わせ削っていく
大切なものは皮と身の僅かな隙間に潜んでいるものを
刮ぎ 削り 剥ぎ 晒し
いっそ皮など刮がずに丸ごと喰えばよいものを
いっそ踵ごと削り落としてしまえばよいものを
灰かぶり姫の意地悪な姉のように
今夜の牛蒡のきんぴらは美味しい
むかし話は真実で美味しい
深夜 身体の至る所が意固地な生き物に


夜更かしをする
林檎の皮を剥く
騙されている気がする
赤く生る実の中の実は赤くなくちゃ 
せめてしらしらした薄い血の色に似た実でなくちゃ
よく研がれたナイフで
指と指と指の間の皮を剥く
血は一滴もこぼしてはならぬ
実に実の色以外の実を見せてはならない
剥かれた皮は薄いほど残される実は美しい


嫌がる子供達のために
下処理は済ませたけれどまだ血生臭い
定年退職をした男が親族から
祝いごとめいて喰われる小説を読んだことがある
一番大事な部位は冷蔵庫にと小姑から囁かれていた
それを喰らうのは妻の証
食感を楽しんでと意味ありげに片目を瞑る
牛乳に漬けると臭みが消えるとレシピに書いてあった
カレー粉をまぶして油で揚げる
鉄分補給には一番 
学校給食にもよく出るわ
放課後のチャイムが鳴り終われば
妻の証をやすりに掛ける
なめらかにすべらかに柔らかな生き物に


             イラスト:Googleイラスト・フリーより

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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
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【寄稿・(孔雀船)より】 吉野山の桜  藤井雅人

渇えた腕のような枝を支えながら

木々は待っていた その時を

なにかが湧きあがりつつあった

ひそかにめぐる 地底の水の廻廊から

それは ただの一瞬



有限が無限に逢うのは いつも一刹那

太虚へ駆けのぼるいのちの過剰が

山を埋めつくす 桜花のすがたで


無限と斬りむすぶいのちを眺めながら

ひとはわらい そして泣く

ひとの感受の容れ物は あまりに小さく

無限は 哄笑か号泣となって

そこからあふれ出る


喜びも嘆きも のみこまれる

開花と落花の 慌しい宴のなかに

そして ひとはまた待ちうける

永劫をわたる 桜色の大河が

また山に浮かびあがる時を


吉野山の桜  藤井雅人 PDF 縦書き


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
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東京都国分寺市富士本1-11-40
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船より】八月のくぼみーまえばし

  1 

 その夏、初めてという時間が
 朔太郎さんのまえばしで
 それは駅前のロータリーから始まる
「熱風の後にー思索は情緒の悲しい追憶にすぎない」
 追憶についてはきっと
 地方都市だから わたしの街も
 台風到来のうわさとともに
 フォークナーへとむかってくる
 聞こえるのは失われた音の集積 
 孵化し蠢く蚕や
 女たちのざわめき
 八月の光がわたしの胸を射る 
 真昼のからっぽの大通りを
 書きかけのサーガを抱きしめ歩く

  2

 欅の街路樹にひきよせられたのは
 肋骨のあたり 
 燻されていたのだ
 汗が
 したたり落ちてくるというのに
 くるり くぼみを反転させる
 台風と気象予報士の
 不穏で孤独な手続きがよぎる
 ブログでもツイッターでもない
 手帖であるべき理由を胸の内で一〇個考える
 歩き続けるしかないから
 そこへは
「広瀬川白く流れたり」

  3

 ゴーストタウンなのか
 通行人1と3のあとで
 4になれないわたしが狼狽えている
 尾行するものらも
 気にかかる
 獣と草いきれの匂いがしたから
(蚊帳吊り草、雄ひじわ、えのころ草、ねじばなも)
 猫町を猫足で歩く気配のひとよ

  4

 ついとあたりをみわたすと
 まだ新しい無人ビルが
 みずうみのような
 かなしみでみたされている
 くぼみが水でみちると
 八月の
 ひたひた 
 水脈はわたしの胸にたどりつく
 いつまで
 この旅は続くのだろう
 そこが曠野であれば
 あたらしい光が
 また差し込んでくるのだろうか 

【孔雀船90号より】 みぞれ風味、藤原定家 望月苑巳


呑兵衛の愚痴のような雨がようやくやんで
日付を踏み越えた夏がぺたりと貼りつく
すだれを風のしっぽが揺らしている
開襟シャツの胸元をはだけて
「涼しくな~れ」
ぼくは滝のような汗を言葉のタオルで拭く。
おーい、アイスクリームかなにか、ないのか
奥から、かき氷ならあるわよ
と、声が往還して、すだれをくぐる。
風鈴がやけ気味にファの音ばかり連打するので
また汗が噴き出す。
まなかいに飛行機雲が白い線をひいてゆく
ぼくの喉はとうに砂漠になっている
どうぞ氷みぞれを召し上がれ
気の利く女房殿がお盆に載せて持ってきた。
それをかきこむと
飛行機雲は青いキャンバスの外へ
劣化してゆくのが見えた
いらかの向こうに烏帽子が見えた
藤原定家が式子内親王の手を握ろうとして
コケるところだった
色ボケ爺になったのかい
やめなさいよ、そんなこと
ぼくが頭から氷みぞれをぶっかけると
定家はあたふたと秋の苫屋に逃げ込んだ
女房殿が蚊取り線香を持ってきて縁側に置く
朝顔を止まり木にしていた蜻蛉の首が
スッともげて落ちた

南アルプスの雄峰は花盛り・北岳の山行記=市田淳子

北岳(3193m) 山行記=市田淳子

期日 :2017年8月4日夜~7日 

コース:芦安駐車場(泊)→広河原→八本歯のコル→北岳山荘(泊)→北岳山頂→右俣コース→白根御池小屋(泊)→広河原→芦安駐車場

『山行』

 北岳は、想像した通りではなく、想像を超えた素晴らしい山だった。

 ちょうど1年ほど前、インストラクターの友達がSNSで北岳の様子をアップしていた。そこには100種類以上の花を見た、とあった。
 この日私は、「来年は北岳に登るぞ!」と心に決めた。

 1週間前には、8月5日から7日は雨の予報だった。「ああ、神様!ありがとうございます!」どうやら、山に行くことを許してもらえたようだった。

 メンバーは自然保護活動をする仲間だ。ゆっくりお花と景色を眺めながら登りたい、という共通の想いがあり、コースタイムの2倍の時間で計画を立てた。

 広河原には、多摩地域でも見られるような植物が多かった。それも澄んだ空気と豊かな水溢れる環境で、ずっとずっと元気に見えた。
 登るにつれて、植物相はどんどん変わるのがわかる。雪渓が見え始めると、ミヤマハナシノブという絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている群落が現れた。何と美しい色、何と爽やかな光景、絶滅危惧種とは思えない群落だった。
 ここまで来ただけでも、花の種類が多く、少し息が上がっても、足元に可愛い花が見えて、頑張る気持ちにさせてくれる。


 やがて、雪渓の脇を登り、やはり南アルプスだと思い知らされる厳しい道が続いた。だんだん、お天気も怪しくなるが、もう引き返すことはできない。
 そろそろ、梯子の連続だと思う頃には、岩場となり、高山植物があちこちに見えてきた。私の好きなチシマギキョウも咲いている。梯子の辺りで雨が降って来て、滑らないように慎重に歩いた。
 厳しい環境でも、夏を謳歌するように咲いている高山植物に癒されながら、登り切った。

 そこは新たなお花畑で、尾根伝いに無数の花が咲いていた。努力が報われた瞬間だ。
 山荘を目の前にして、お母さんと6羽の幼いライチョウに出逢った。再度、神様に感謝した。南アルプスでは少ないといわれているライチョウが、目の前にこんなにもたくさんいるとはおどろきだ。
 目の上が赤い幼鳥は雄だろうか。
 みんな無事に大きくなってほしい。


 次の朝は、噓のように晴れていて、雲の上に頭を出した富士山と、その左側の山から登る朝日とを拝んだ。山荘を出発すると、またしても、ライチョウの親子に出逢った。昨日と違う場所、足環の色も違うから、別の個体だろう。朝から幸先がいい。

 北岳山頂までの道は、花また花がつづく。花の名前を紙面に書いていたら、1ページがそれだけで終わりそうだ。ミヤマ~、タカネ~、シコタン~、ハクサン~…名前にこんな冠がついただけで、途端に高貴に見えてくるのは気のせいだろうか。
 山頂から下ると、また、植物が変わって来る。下界が少し近づくのを感じながら、白根御池小屋へ。

 そして次の日、広河原の駐車場へと向かう。途中で、今まで誰も見たことのない植物が現れ、話題になった。これも楽しい思い出になるだろう。
 後日、それがセリバシオガマだと判明した。こんなに贅沢に時間を使った山行であり、東京に戻っても、なおも花談議が続いている。
                  (森林インストラクター)

   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№217から転載

春蝉鳴く倉岳山、富士は雲にそっと隠れ = 開田守

倉岳山(990m)=開田守

平成29年5月28日 (日) 晴れ

参加メンバー : L原田一孝、武部実、金子直美、開田守の計4人:

コース : 鳥沢駅~小篠貯水地~分岐・石仏~高畑山~穴路峠~倉岳山~立野峠~梁川駅


『山行』

 高畑山・倉岳山は大月市平成4年公布の、秀麗富獄十二景の9番山頂です。 集合は鳥沢駅9時。
4人 そろったのでさっそく出発した。
 線路沿いを歩いて行くと、行き止まり。おっと、最初が肝心。駅に戻って甲州街道を東へ、古い家並みを歩いて行くと、季節がらツバメが飛び交う。ヒナのいる巣 もちらほら。

 中央本線のガ-ドをくぐって、桂川を虹吹橋で渡り小篠集落に。やがて、ゲ-トのある所 に、ここが登山口である。
 ゆっくりしたペースで、山道を行くと、小篠貯水地があった。このあたりの水源になっていると聞く。池の左手をたどると広い道はすぐに終わり、植林の中のうす暗い山道となった。

 オシノ沢を渡り返し、何かいい気分にさせてくれた。新緑のうす緑からの木漏れ日が、何とも清々しくて、爽やかで気持ちがいい。まもなく石仏のある分岐にさしかかる。 まっすぐに進むと、穴路峠である。


 あとで合流しますが、右の急登の斜面を行く。やがて尾根に出ると、徐々に傾斜がゆるやかに、そして平らな道になると、小屋跡の小平地に着いた。ナベとか茶碗とかがころがっている。

 それから植林に入ったあたりは、ゆるやかになった。だが、すぐに急登となる。しばらく続きましたが徐々にゆるやかになっていく。そして、明るくひらけた高畑山山頂です。

 早いけれど、日陰で昼食を摂る。

 富士山は雲に隠れて見えません。 穴路峠へ向かい出発する。。滑りそうな急な下りを行く。急坂が終わると、ゆるやかな尾根をアップダウンして穴路峠へむかう。
 先程の分岐からの道と合流した。このあたりには可愛いギンランが、あっちにもこっちにも咲いている。
 峠から松林の尾根を進むと、苦しい急登になる。ヤマツツジがあちらこちらにまだきれいに咲いている。道の傾斜が緩み、倉岳山の山頂に着く。12時45分だった。


 春蝉が何匹か鳴いている、今年ははじめて聴く。山頂南面は立木を刈り払い、眺めはとてもいいが、富士山は雲に隠れて見えずだった。
 ここで15分ほど休み、立野峠へむけて出発する。。固定ロ-プもある急坂を下って行く。何かとても良い匂いがしたけれど、匂いの源は分からずじまい。

 狭い尾根上の立野峠から、折り返すように北西へ下って行く。薄暗い植林のなかを急降下してジグザグに行く。
 小沢を何回か渡り返しするうちに、大きなトチの樹があった。

 梁川駅の時刻が気になりスピードを上げて下って行く。梁川駅には14時45分に着いた。それでも、高尾駅行にはまだ10分ほどありました。この山は、冬に来た方がいいのかなぁ。

 反省会は高尾駅南口で。

           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№214から転載

高山植物の宝庫の山行なり、四阿山 = 武部実

四阿山(2354m・長野県と群馬県の県境)

山行日:平成29年8月23日(水)
 
参加メンバー:L武部実、栃金正一、佐治ひろみ、中野清子、開田守の計5人

コース:上田駅からタクシー~菅平牧場~根子岳~十ヶ原~四阿山~中四阿~小四阿~菅平牧場~菅平高原ダボスバス停

『山行の記録』

 出発点の菅平牧場の標高はすでに1590m。高原の風は爽やかだ。根子岳に向けて9:00出発。登り始めて直ぐに両側には花が咲き乱れていた。
 ハクサンフウロ、ツリガネニンジン、ヤナギラン、クルマユリ、アキノキリンソウ、ワレモコウ等々。そして田中澄江が花の百名山に記述しているウメバチソウも数輪見かけたが、何といっても今回の高山植物のチャンピオンはマツムシソウだ。

 根子岳から四阿山のいたるところに、うす紫の花が群生していたのである。茎が長く、いまにも倒れそうな姿は、ここだけの品種なのだろうか。

 一時間ほど登ると樹林帯に入った。このあたりから雨がぽつりぽつり、天気予報は晴れだったのになあ、中止になった霞沢岳は逆に晴れるし、どうもこのところの予報ははずれが多い。灌木帯に入ったころころから、大勢の高校生とすれ違う。

 日体大荏原高校の生徒で150人ほどが来てるという。全員に「こんにちは」と声かけられるのはいいが、相手は一人、こちらは全員に返答するので、これだけでくたびれてしまうほどだ。

                  (根子岳山頂にて) 

 11:10、根子岳(2207m)山頂に到着した。広々として気持ちのいい山頂だが、残念ながら眺望は無い。
 四阿山から縦走してきた大学生の集団が着き、とたんに大賑わい。雨が小降りになってきたので昼食を摂り、11:45に出発。

 十ヶ原へ降るころには雨がやみ、正面に四阿山が見えはじめ、写真を撮るなど、まだ元気だった。シラビソ林の登りは、意外と急登で踏ん張りどころだ。
 稜線に出ると(11:25)、あとは緩やかな登りで、菅平牧場への分岐を過ぎ最後の階段を登り終えると四阿山の山頂に着いた。(14:00)。


 山頂は狭く、根子岳の十分の一位。天候が回復し、見晴らしも改善されてきた。南方には浅間山、その左手には、ノコギリのような妙義山がはっきりと眺めることができた。北方は残念ながら雲におおわれている。晴れていれば、北アルプスも眺められたはずだ。

 14:25に出発。登ってきた道を引き返し、鳥居峠への分岐を過ぎ、中四阿への分岐を下る。
 途中、右手に見える根子岳は、形のいい山容を見せていた。中四阿と小四阿を過ぎ菅平牧場登山口に着いたのが、17:30だった。
 靴を洗って出発したが、菅平高原ダボスバス停に着いたのが、最終18:35の5分前だった。雨に降られたが、花がいっぱい見られて、景色も良く、まあまあの山行だった。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№218から転載