登山家

北アルプス・裏銀座縦走 雲ノ平から三俣蓮華岳③

 雲ノ平山荘で、伊藤二朗さんから2時間ほど、山小屋の諸問題について聞いた。
「山小屋がどういう立場で存在しているのか」
「国立公園とは何か」

 話は多岐にわたったが、環境省、林野庁などの行政の問題に尽きる。監督官庁の山小屋への規制は強いようだ。他方で、山小屋側から見たら、行政はさほどサポートにならない存在。つまり、規制ばかりいってくるし、何事も書類提出を求める、厄介な存在らしい。
 山小屋はもろい経営基盤の上に存在する。規制とは、他方で投資が必要になる。

 全国で焚き火禁止(一部農業を除く)。過去は山小屋の生ごみは燃やしたり埋めたりしていた。それができなくなった。生ごみは熊や鹿など野生動物を集め、生態系を狂わせてしまう。となると、ダイオキシンの出ない焼却炉の設置が必要。夏場一時期の営業の山小屋は経営基盤が弱い。とても、投資ができないと嘆く。

 雲ノ平の渇水化にも話題が及ぶ。伊藤さんは東京情報大学とのアクションプログラムで、10キロ㎡の緑化計画を推し進めるという。ふたりの話は尽きないが、出発の身支度をした。

「父親(三俣山荘の経営者)は問題意識の高い人です。かつて林野庁と単独で法廷闘争を行い、最高裁まで争いました。終止符を打ちましたが、それだけでも、父は十数年間費やしています。この機会に、ぜひ三俣山荘の父親に会って、いろいろ話を聞いてあげてください。山小屋が抱える問題はいろいろありますから」といわれた。

 ジャーナリストへの取材要請でもあった。承諾すると、「父は話し好きですし、一晩泊まられる覚悟をされたほうがいいですよ」という。

  この段階で、槍ヶ岳を経由し、上高地に下りるルートはあきらめた。三俣山荘に一泊すれば、朝四時過ぎに起きて、五時発で、双六岳を経由し、新穂高温泉(岐阜県)に下っても、夕方だろう。どんなに遅くとも、明日には東京に帰らなければならない。
 三俣山荘で貴重な山情報が得られる。それならば、翌日の強行軍もやむを得ないと割り切った。

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水晶岳の新築工事は標高2900メートル。また、難問が起きた。

この水晶岳工事は、4月にヘリが墜落し、2人の死者を出した。山小屋の伊藤圭さんは重体となった。それでも立ち上がって、3カ月後には工事の着工。他方で、ヘリ墜落で犠牲者を出した長野の業者には逃げられた。『捨てる神あれば、拾う神あり』。設計者の紹介で、新潟の業者が引き受けてくれたのだ。

7月7日から突貫工事だった。

水晶岳の新築オープンは、7/20日と北アルプスの各小屋には通達されている。登山者はそのつもりで、登山計画ぉよび行程を組んでいる。予約を受けている。

きょう17日、衛生電話で、父親の伊藤正一さん(84)と話す機会があった。「建設業者は柏崎市だったので、中越沖地震で、自宅が倒壊したとか、心配とかで、皆山から帰ってしまった」という。

ヘリの墜落と大地震。艱難辛苦を乗り越えるにしても、こんなにも波乱に満ちた、山小屋作りはあるのだろうか。
私にはもはや伊藤正一さんに同情の言葉もなかった。

※烏帽子だけから槍ヶ岳への裏銀座を縦走する登山者、日本百名山・水晶岳の登頂を目ざす方は、テントか、ツェルトを持参したほうがいいだろう。
 水晶小屋がなかった時代は、北アルプスで、最も疲労凍死が多かったルートだから。夏山だからといって、安易に考えないことだ。

野口五郎岳から水晶小屋、雲ノ平 ②

 野口五郎岳の山頂から、目指すは水晶小屋だ。2800メートル前後の稜線で、小さなピークをくり返し、登り下りする。左手にはいつまでも槍ヶ岳が同行してくれる。その面では、心地よい登山だ。

 登山靴の調子が悪い。靴底を張り替えてから2、3回とも、足の踵が靴擦れする。今回も、両足の豆がつぶれた。調布で買ったバンドエイドを張っているが、3日目ともなると、ほとんど効果ない。一歩ずつが痛みに耐えた歩き方になってしまう。

 水晶小屋の新築工事の鉄槌の音が、山岳に木霊す。前方には柱と屋根の組みが見えた。工事人の姿が豆粒程度だったが、距離が圧縮するほど2、人影が輪郭を持ってきた。

「ここから急な登りになるよ」
 小田さんの声で、まず一服する。あいかわらず休憩はショートで、すぐに歩きはじめる。
「きょうも快調?」
「いや。昨日は野口五郎小屋で、酒を飲みすぎた。多少は高山病のきらいがあるみたい」
 それにしても、かれの脚力は衰えていない。

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北アルプス・裏銀座縦走 ①

 7月6日から11日まで、小田編集長(ライブドア・PJニュース)とふたりで裏銀座を縦走した。山小屋の方々と親交が重ねられた。私の過去の北アルプス登山はテント露営がほとんどで、山小屋の実態を知らなかった。

 他方で、小田さんが裏銀座の山小屋の人たちと、ことのほか親しく、家族のようだった。

 今回はいっさい記事を書かず、登山だけを楽しむ。つまり、下界を忘れたい、一念だった。小田さんから紹介された山小屋の人たちとおもいのほか交流が深められた。
 山小屋の主人たちから、深刻な悩みを打ち明けられた。山小屋がおかれている現在の窮地。それを、ジャーナリストとして、世の中に発信して欲しいと強い要請を受けた。
「穂高さん、書いてあげなさいよ」と小田さんから薦められた。
 私は記事を書く約束をした。
 社会的に影響ある記事なので、PJニュースの記事掲載などと平行して、裏銀座の山行を紹介していく。

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ヘリ墜落事故から奇跡の生還者。執念の山小屋作り

 日本百名山の一つに急峻な水晶岳(2986メートル)がある。それは北アルプスで、最も奥地に位置する山岳だ。登山口までのアクセスが悪く、アプローチが長く、1日では登頂できない。片道だけでも、2日を要する。
 水晶岳は黒部川の源流に近く、日本海から吹きぬける強風がすさまじく、天候が安定しない。山岳関係者によると、瞬間風速が50メートルを超えることもあるという。水晶小屋(2900メートル地点)は古い建物で、収容人員がわずか20人弱。宿泊者はここから山頂まで、一時間強かかる。それも天候が安定していれば、という条件がつく。

 日本百名山を目指す登山者たちにとって、こうした登山条件の悪い水晶岳はとかく後回しにしてしまう。最後の100座目の山としてめざす登山者が多い。

 伊藤正一さん(84)は松本出身で、10代のときターボエンジンを発明し、陸軍参謀本部長にその能力を認められたひとだ。終戦直後、山小屋経営に乗り出した。昭和22年には三俣山荘、水晶小屋を2万円で買い取った。その後において雲ノ平山荘、湯俣小屋の四ヶ所を経営する。
 水晶小屋を除いた、三つの山小屋は過去に改装されて快適だ。水晶小屋だけは山岳の立地条件の悪さから、粗末な状態だった。収容人数も20人弱のままだった。

 その後、伊藤正一さんから息子・圭さん(30)と妻の敦子さん(27)たち夫婦に管理が任された。夫婦は水晶岳に新築山小屋を建てることが念願だった。
「かならず山小屋を新築してみせる」
 ふたりは執念を燃やしてきた。
 資金、設計、人手、建設物資のヘリ輸送、どれも平地とは比べものにならないほど、膨大な労力を要する。それらを積み重ねてきた。念願の山小屋建設のめどが立ってきたのだ。工事は今年の6月の雪解けからと決めた。他方で、環境省、林野庁などに山小屋新築の建設申請を出した。

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ダムを作れば、山が崩壊する。真実だった。(写真)

長野県・大町ダムは、信濃川水系の多目的ダム。 槍ヶ岳(3,180m)からの流れる高瀬川を堰き止めている。
 

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夏山登山は北アルプス・雲ノ平。山稜には残雪多し

7月6日より、北アルプス・雲ノ平の登山を計画している。

昨年、PJニュース・小田編集長から誘われていた登山だ。2人で出かける。雲ノ平は北アルプスでも、最も奥深い場所にあり、アプローチが長い。小田さんは、雲ノ平山荘の方々と親しいようだ。同時に、今年の冬にヘリコプターが水晶岳に墜落し、多くの死傷者を出している。顔なじみだった人が犠牲となったという。小田さんは弔い登山を兼ねている。

今年は各地で、残雪が多いらしい。7月1日の富士山の山開きでも、山頂付近は積雪で静岡県側はルートができなかったと聞く。同様に、北アルプスも残雪が多い、という情報が入っている。
「槍ヶ岳山荘」のライブ・カメラなどで見るかぎり、雪はここ数日で解ける状態ではない。そのうえ、7月上旬は梅雨。となると、日程に余裕が必要になる。

小田さんは雲ノ平に数日間、逗留するので、帰路はそれぞれ単独行となる。
今年の4月上旬、私は八ヶ岳・硫黄岳で、約200メートルの滑落事故を起こし、生死の境目に立たされた。原因の一つが軽アイゼンの着用だった。こんどは慎重に12爪のアイゼンを使う。


日本山岳会・「101会」に入会

 日本山岳会は一昨年、創立100周年を迎えた。『日本山岳会百年史』の発刊と、皇太子殿下(会員)も参加した盛大な記念式典が行われた。翌年に入会した会員たちが、「101会」(諏訪吉春代表)を立ちあげていた。そのメンバーは国内登山およびネパールトレッキングで活躍している。

 今年度の日本山岳会通常総会が、19日、麹町の弘済会館で開かれた。引きつづく懇親会で、「101会」の存在を知ったのだ。

 日本山岳会は毎年、新入会者にオリエンテーリングを行う。全国から新会員が東京に集まる。そして、活動が紹介されるのだ。この日に、「101会」が結成されたという。

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雪山の八ヶ岳登山計画

 今回の雪山登山は、PJ3人による、取材を兼ねた雪の尾瀬を予定していた。地元村役場に雪の状況を確認したところ、『いまは自粛願っています」という入山禁止。
 
 そこで、八ヶ岳の硫黄岳に決めた。テント設営で苦労せず、酒を持って山小屋に泊まる。取材の一方で、飲んで語ることにした。

 一番楽しみにしていたのが、小田編集長だった。能登半島地震が発生し、3日間の現地取材に飛んだ。仕事のやりくりつかなくなり、八ヶ岳登山はキャンセルとなった。

 八ヶ岳登山は、肥田野PJと2人でいく。車を使わないので、主稜の硫黄岳を越え、反対側の本沢温泉ルートをも二案としてもって行くことにした。登山計画書ができたので、いちおう掲載する。
 登山が終われば、登山報告と写真と差し替える。


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秩父の山は、ハイカーで賑わう。

 秩父武甲の丸山(930メートルに)は、ハイキングクラブの新年会登山だ。16日はまさに春陽射しで、陽気の良いハイキングが楽しめた。1月にもかかわらず、六組のパーティーと出会った。


 出かける前はいつも、低山だし、歯ごたえがない山登りだと、つい侮ってしまう。西武線・芦ヶ久保から二時間あまりで、山頂に着く。

 山頂展望台からは、武甲山のみならず、南アルプス、浅間山、赤城山、谷川連峰などの雪峰が遠景の屏風となる。
 視線を手前に引けば、秩父盆地が箱庭のようだ。高崎市街地、伊勢崎市街地など幅広く見渡せる。この景色は見事なものがある。山は標高ではないと、いつもながら思い直す。


 最大の狙いは、『木の子茶屋』での新年会。炭火を使った、鹿、イノシシ、椎茸などのバーベキューだ。この日ばかりは執筆を忘れて、秩父の銘酒やワインを楽しむ。