登山家

「山の日」から、安全のための地域整備を考えよう(5)=東京・有楽町

 東京・有楽町の「東京国際フォーラム」で開催された。3月29日(日)は2日目で、フォーラムのメインテーマは「山と自然の安全」だった。

 藤原忠彦さん全国町村会会長(長野県川上村長)が冒頭の挨拶に立った。「山と、自然と、森を愛する人たちのあつまりです。飛行機、新幹線は人間の手で作ったもの。山の場合は、武田信玄の風林火山『動かざるもの山の如し』というように動かずしても、突如、危険が迫ります。安全を考え、山を上手く使っていきましょう」
 安全面からしっかり討議し、勉強してほしいと述べた。

宮崎茂男さん(長野県・山岳救助隊長)は、「遭難現場を知って、知識を持って、帰ってもらいたい」と述べた。

 遭難はここ10年間で、1.6倍になった。平成25(2013)年は2172件である。その中で、長野県は14%を占めている。


  携帯電話などで110番が入りやすくなり、GPG機能で所在地が判りやすくなった。それを受けて、警察、消防、民間の救助隊が出る。山は特殊な場所であり、航空隊が出られない場所、悪天候などは、地上隊員が遭難者を背負って降ろすことになる。

 その事例が画像で紹介された。

 八ヶ岳の遭難者がビーコンをもっていた。手袋の発見から、雪崩に埋まった遭難者を発見する過程が説明された。

 御嶽山の噴火災害は死者が57人、行方不明5人の事例に対する、救助活動が写真で紹介された。そこには傷ましい姿があった。

「へリーや通信機器の発達で、死者は少なくなってきました。しかし、救助隊員も命がけであり、二重遭難もある。これらも念頭においてほしい」
 殉職者の数が示された。

 平成21年9月は3人  岐阜県・穂高
 平成22年7月は5人  埼玉県・秩父
 平成26年9月は1人  愛媛県・石鎚

 登山者は自分の責任で登ってほしい。「体力、知識、技術、装備」の面でチェックして、山に入ってほしい。


杉下 尚(ひさし)さんは、岐阜県危機管理部の防災対策監である。

 最近の登山ブームで、岐阜県でも遭難事故が増えている。発生件数の6割が、北アルプスである。

 事故を見ると、技術不足、装備不足の無謀登山が多い。その上、登山届は6割しか出ていなかった。これらのことから、同県は「登山届出を義務化した」と、杉下さんは条例化の根拠を説明した。

 遭難事故の多い北アルプス地域と活火山地区を対象としている。登山届をしない、虚偽をした場合は、5万円以下の過料を適用する。登山時期によって、エリアを変更する。


         【写真の上・左クリックで、拡大されます】

 
 昨年の御嶽山噴火の折、登山届が出されていない人がずいぶん多かった。救助関係者は、遭難者数の実態がつかめず、初期捜索で混乱をきたした。その記憶がまだ新しい。

 

 昭和41年に東京消防庁に「消防防災航空隊」が初めて配備された。長野県は平成9年に配備された。山岳救助、水難救助、捜索に出動している。

 中山義明さん(長野県消防防災航空隊の隊長)である。

 長野県は標高3000メートル級が15座、日本百名山は29座ある。急峻な山が多く、登山者が多い。へリーは強風、突風だと、遭難現場の真上に来ても、ホバリング(空中停止)できない。

「朝の早い内は、割に安定しています。この日の救助はダメだと判断しても、へリーのプロペラ音を聴かせてあげようと、旋回したりもします」
 へリーが気づかなかった、と思うと、失望から死に至るケースが多い。厳しい天候のなかで、こうした配慮もなされている。

 信州ドクターヘリ―としても、活躍している。

「困ることは、地上で、誰もが手を振るので、どこが遭難現場かわからないことがあります」
 そんな笑えない事例も、中山さんは切実な問題だとして披露した。

「救助要請のタイミング(判断)には迷いがあるかと思います。へリーの早期発見には、早期通報が大切です」
 と結んだ。

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「山の日」から、地域の活力が生まれる(4)=東京・有楽町

 主催者のあいさつとして、磯野剛太事務局長(全国「山の日」フォーラム実行委員会)が、2日間のイベントやシンポジウムの概略を語った。

 祝「山の日」は山に親しみ、山の恩恵に感謝するものです。今回のフォーラムは、「山の日」をより知ってもらうためのものです。
 
 日本は海に囲まれた、7割が山の国です。山を通して、地方を創生していく。 現況は、森林の一部荒廃、水資源、里山、川、山の整備など、課題は多くあります。
「山が荒れると、海が荒れる」
 それは食生活にも直結してきます。
 新たに森を再生していく。みんなでこの取り組みを考えてみましょう。

 あした29日(日)は、山の遭難、救助、安全登山をテーマにしたシンポジュウムが行われます。

 

西栗倉村(にしあわくらそん)は、岡山県にあり、平成の大合併でも、市や町と合併せず、頑張っている村である。
 人口は、1530人。同村の上山隆浩さん(産業観光課長)が、遊休の山林対策と、都会の若者を村に呼び込む、斬新な取り組みを語った。


 近年は、木材価格の低迷と、山林所有者が村にいなくなり過疎化が進み、森が荒れている。それが全国的な傾向である。


 3-50年前に植林した杉、ヒノキの林は、人間の手で作られているから、そのまま放置すると、山が荒れてくる。
 無秩序に枝葉が茂り、太陽の光が地面まで届かなくなるからだ。すると、地表が荒れる。森林災害の原因になったりもする。

 その対策として、樹を間引きしたり、枝を伐ったりして、地面まで光りを入れてやる。この間伐材(かんばつざい)の作業がとても重要になる。しかしながら、山林所有者が高齢者だったり、村から出て行ってしまったりしているので、森の管理が疎かになってきた。

 同村は新たな取り組みとして『百年の森づくり』事業を着実に推し進めている。

 登記上だけの山林所有者から、10年間契約で森林を預かる。そのうえで、村の職員が間伐採、あるいは材木を切りだし、販売する。手数料を引いた後の収益は、村と所有者とで50%の分配を行う。

 間伐材は一般に品質が悪く、商品価値が低いとされてきた。しかし、若者の眼には、樹木の節目がユニークなデザインに見える。斬新な発想ができる。同村は若者たちの手を借りて、間伐材に付加価値をつけて世に製品として売り出している。

 マンションの床板として、板材の節目を組み合わせると、新鮮な床に生まれ変わる。人気だ。若者は玩具にも、目をむける。「東京おもちゃ美術館」とタイアップし、子ども対象のイベントで木製玩具の普及に努める。無印の大型小売店で、ユニークな木工品を展示販売する。
 割り箸も拡販していく。割り箸は間伐材の利用だから、森を活性化するのに役立つ。

 製品にできない端材は、同村の施設のボイラーの燃料にする。従来の灯油使用量が大幅な減となった。ボイラーマンも、都会からやってきた若者である。

 木材に付加価値をつけた商品化は、若者たちを魅了した。現在、51名が同村に移住してきた。
「1530人の人口の村ですから、東京都1200万人に換算すれば、約40万人の人口増加となります」
 上山さんは胸を張っていた。


 全国には、所有者の不明瞭な森林や休田が数多くある。行政は手が出せない。
「森を有効に生かすためにも、持主は行政などに相談をしてほしい」
 と全国に呼びかけた。
 新しい森林の創生からしても、これは重要な施策だ。
 
 

 今井通子さんはかつてマッターホルン、アイガー氷壁に登攀した、国際的な登山家である。982年に、「森林浴」が提唱された。ヒノキチュノールを浴びると、身体の維持になる。そこで、医者の今井さんは、森林セラピー運動を推し進めている。(森林環境を利用して、心身の健康維持、増進、疾病の予防をおこなう)。

「日本人は、山は登るもので、登山は途中で帰るものではない、という考えです。ヨーロッパでは、森林は歩いたり、ベンチを置いて本を読んだり、ひたすら自然と親しむ場所だと考えています」


 
「森林には、健康、癒(いや)し、機能障害のリハビリなど効果があります。NK細胞(ガンの免疫、インフルエンザになりにくい)が活性化します」
 風邪を引いたら、森に行くと良いと言われるゆえんである。

「脳卒中の人が4年間の登山で健康を回復してきました」
 と事例を紹介する今井さんは、『森林セラピー基地』づくりを推し進めている。2014年までには、57か所ができた。2015年には60か所の予定である。


 健康、観光、経済、環境の4Kを地元民が推し進める。森を整備すれば、環境が良くなる。そのためには、都会人がお金を払う。この循環が大切である、と今井さんは強調した。


 

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三浦家の究極の親子登山(3)「山の日」フォーラム=東京・有楽町


 「山の日」フォーラムの3月28日は、スペシャル・トークショーで、三浦雄一郎さん一家が壇上に登場した。3代にわたる登山・スキー一家で、日本を代表するアドベンチャー・ファミリーである。

 雄一郎さんは2013年に、80歳で3度目のエベレストを登頂し、世界最高年齢者の登頂記録を更新した。偉業をたてた背景には、家族の大きな支えがあった。

 それを裏づける三浦家の想い出の登山写真が披露され、家族・親子の絆がエピソードとして語られた。


 三浦雄一郎さんは964年7月に、イタリア・キロメーターランセで、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立した。
 エベレスト 8000メートル地点からのパラシュートを使用した直滑降なども行った。

 その後、世界初の七大陸最高峰のスキー滑降達成など、数々の世界的な記録を打ち立てている。


 雄一郎さんは子どもの頃、父親・敬三さんに連れられて八甲田山のスキーをはじめた。当時はリフトがなかった。ゲレンデスキーは畑スキーとして軽視し、スキー板を担いで山を登り、そして滑降していた。

 北海道大学時代は、冬はスキー部員として、日高、知床の雪山で滑っていた。夏は山岳部で過ごした。

 結婚後、雄一郎さんは立山・剣岳で、ボッカをやり、子育ての資金を稼いでいた。
「立山・剣にTVクルーが来ると、撮影器材が重いので、良い値段になりました。現代の感覚では、日当10万円くらいです。私は積極的に荷を背負いました」(他の人は嫌がっていたけれど)。

「最大で、120㎏を背負ったことがある」というと、会場から驚きのどよめきが起きた。

 ボッカ稼業の合間のヒマな時に、立山の難しそうな雪渓を滑っていた。カントリー・スキーから冒険スキーに自然に変更していった。

「エベレストのベースキャンプで、シェルパーの子どもたちが遊んでいた。雄太を連れて来よう」
 それが親子の絆登山の着想の一つになったと話す。

 

 長女の恵美里(えみり)さんは、もの心ついた時から、ザックに入り、山に登っていた。4歳の時に、富士山に登った。それは最年少富士登山の記録となった。

「小学生時代、学校を休まされて、山に登らされていました。三浦家は12歳になると、海外に出されるのです」

 恵美里さんは中学1年から米国留学を行った。夏に帰国すると、「ヒマラヤに行くぞ」と言われました。つねに、登山がついて回っていた。

 3人兄弟だが、「お願いだから、学校に行かせ」と次男の豪太(ごうた)さんなどは、父親に訴えていたと明かす。


「親に感謝できたのは、20-30年後になってからでした。いま、アウトドアで生命の危険を感じるときに、幼いころから山に登っていたし、敏捷に対処できます。親のお蔭だと思っています」



 長男・雄太さんは、幼いころの父親の想い出を語る。

「天気がいい日は、学校に行かず、山に登らされました。飛行機を買ってくれるからといい、ヒマラヤに行きました。象やライオンに会えるぞ、とアフリカのキリマンジャロにも連れて行かれました」


「教育委員会で聞くと、小学校は半分出席すれば、卒業できると聞いていた」
 雄一郎さんが、口を挟んだ。


 キリマンジャロ(標高5,895m)は少年には厳しかったようだ。
 高所登山だから夜出発する。およそ氷点下25度になる。子どもには過酷だ。太陽が上がると、身体が温まってきた。
 どんな苦労でも、がんばれば、その先に太陽がある、と子どもながらに知りえた。


 雄太さんは、父親の80歳エベレスト登頂ではベースキャンプで、気象と通信を担当した。3度のエベレスト登頂から、家族は役割分担、共同作業から、親子の絆を強く感じとれたという。

「私自身が子どもをもってみて、親子登山の良さが実感としてわかります」
 雄太さんはそう強調した。

 

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「山の日」から、地域の活力が生まれる(2)=東京・有楽町

 全国「山の日」フォーラムは、3月28日(土)の午後からシンポジウムが展開された。この日のメインテーマは「山の日」と「地方創生」である。

 冒頭、超党派「山の日」制定議員連盟の 丸川珠代幹事長が、
「日本は7割が山林です。山は美しい景勝もあれば、自然災害も引き起こします。山の恩恵を正しく理解して、水源の環境保全、地域活性化など、将来につなげていきましょう」
 と挨拶された。


 シンポジウムA組は、「山の日」から地域の活力が生まれる。

 松田光輝さん(北海道・知床ネイチャーオフィス代表)は、知床ガイドを職業にしている。
「日本人は物心ついた時から、山があった。身近すぎて、山を考える機会が何かった」と前置きしてから、山がもたらす恩恵について述べた。

 
 ① 山は多様な気象条件を作り出す。
 ② 山は急峻な地形だから、美味しい清流をつくってくれる。
 ③ 山は湿潤な土壌で、森をつくってくれる。

 日本は70%がこうした森林です。

「知床は熊の生息密度が世界的にも最も高いところです。森の栄養素が川から海に流れて、植物性プランクトンが魚の餌となります。大きな魚が知床の川に上ってきます。だから、それは山と海があるから、熊の食料が豊富だからです」
 知床の山に入れば、400メートル四方のどこかに熊がいます。3日間滞在して、熊がみられないと、よほど不運なひとです、と述べた。

 知床ガイドが職業として成り立つまでに、約10年間かかった。
「若い人にはピークハンター(山頂登山)だけでなく、知床に来て、山の魅力、山の豊かさなど認識度を高めていただきたい」
 知床に来てもらえる。そこから地方創生が生まれてくる、と話した。


 中村達さん(日本ロングトレイル協議会代表委員)は、「ロングトレイルのすすめ」について、語った。ロングトライアルとは何か。

「長い距離でつながる山の道を歩きながら、その地域の自然や文化を楽しむ」
 中村さんはスライドを使い、八ヶ岳、白山・白川郷、琵琶湖水源から中央分水嶺、牧場内の80キロにわたるコース、国東半島など、各地に広がるロングトレイルを紹介した。

 アロングトレイルをつくることは宿泊施設、弁当販売など、地域活性化へとつながっていく。JR駅弁までになった事例を紹介した。八ヶ岳では200キロに及ぶロングトレイルもある。学校教育の場としても、取り入れられてきたという。

 本場のアメリカやヨーロッパにおいては数千キロに及びコースがあるという。そこを半年、1年余り、それ以上かけて歩くようだ。海外では、徒歩と自転車が共有している、と写真で紹介した。


 上條敏昭さん(上高地町会長)は、「滞在型利用と外国人の受け入れ」について、一昨年には超党派「山の日」制定議員連盟の方々が、上高地で勉強会を行った。それが成就したは喜ばしいことです、と語った。

 上高地は、道は拡げられないし、通り抜けもできない立地だ。昭和50(1975)年からマイカー規制を行ってきた。平成19(2007)年に安房トンネルが開通した。観光バス規制をしたことから、上高地にくる人の数は減少気味になった。昨年度は127万人で、前年度に比べて92.3%である。

 長野県・白馬村では90軒の宿泊所に対して、30%は外国人経営者である。上高地はその傾向はない。
 外国人の観光客と登山者の比率が増えてきた。5月の連休が終わると、河童橋は外国人ばかり。槍ケ岳に背広姿でくる。あるいは団体日帰りで大勢が来て、マナーが違うので、日本人が敬遠しないか、という危惧はあると話す。

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全国「山の日」フォーラム:みんなで山を考えよう(1)=東京・有楽町

 2016年8月11日から、国民の祝日が増える。それを記念した全国「山の日」フォーラムが、東京・有楽町の「東京国際フォーラム」で開催された。メインテーマは『みんなで山を考えよう』で、3月28日(土)、29日(日)の2日間にわたる。
 主催は全国「山の日」フォーラム実行委員会(磯野剛太事務局長 写真・奥)である。

 ミス日本「みどりの女神」の佐野加奈さん(静岡出身・東京農業大学)が各イベント会場を廻っていた。


 初日の28日(土)は10時から、特設ステージで、トークショーが開催された。トップバッターの司会者は8000メートル高所登山家で名高い近藤謙司さん、モデルのKIKIさん、花谷康広(山岳ガイド)とあって、開始時間にはすでに長椅子がいっぱいだった。近藤さんの歯切れのよい口調で、山のエピソードをくり広げていく。

「ぼくは4000メートルの山に行ったら、もうちょっと高い山と5000メートル、いつしかエベレストに何度も登っていた」
 近藤さんは高所登山家になったプロセスを紹介してから、KIKIさんに登山好きになった、山との出会いを訊ねた。
「登山歴は9年です。最初は八ヶ岳の赤岳に登りました。赤岳鉱泉小屋が、きれいで素敵でした。登攀(とうははん)中は霧で視界がなく、山頂に着いた途端に、パッと晴れて、見事な景色で、その感動から一気に山好きになりました」
 彼女はそう語ってから、子どもの頃に両親がキャンプなど、アウトドアに連れて行ってくれた。そこに山好きになる下地があったと思う。

 左から、花谷康広さん、KIKIさん、近藤謙司さん、


「赤岳の山頂に来て見て、自分の脚で登れて感動できた。もっと行かないともったいないと思いました」
 彼女はその後、アイガーに登ったり、TVの登山番組に出演したりするなど、現在の活躍ぶりがモニターで紹介された。

 花谷康広さんは、子どもの頃の体験で、
「小学生の頃、六甲山キャンプに一人で参加し、『ひとりできたの、先生が友だちになってあげよう』と言われました。その初対面の先生との出会いが、山好きになる、大きなきっかけになりました」
 家族、友だち、先生との絆を考えてみる。そうした祝「山の日」であって欲しい、と花谷さんは強調した。



 エキシビジョンゾーンでは自治体、企業、山岳団体などのアピールブースがあった。登山、ハイキング、スキーなどに関連する、最新情報が得られるので、山ガール、中高年登山者などで賑っていた。それぞれがブース担当者から、ウェア、ドリンク、地図などの説明を受けていた。
 「山の日」クイズラリーが行われていた。ザックや各地の名産品、招待券などが当たるので、若者たちの参加が目立った。

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身も心も洗われた『出羽三山』=野上とみ

・日 程 2014年7月29~31日

・コース(1日目)羽黒山(晴):鶴岡~羽黒センター~羽黒山山頂
    (2日目)月 山(晴):羽黒山山頂~月山八合目~仏生池小屋~月山頂上小屋
    (3日目)湯殿山(小雨):頂上小屋~装束場~湯殿山神社~湯殿山参籠所~鶴岡

・メンバー L武部実、渡辺典子、中野清子、松本洋子、野上とみ


『羽 黒 山』

 バスを降りると、すぐに随身門(13:42)、いよいよここから神聖な地に入って行く。石段を下り神橋を渡ると、目に入るのは延々と続く石段(2446段)、両側には樹齢300~600年の杉並木が続いている。
 左奥には1070年前に平将門が建立したといわれる五重塔がある。杉の大木の中に佇む姿は幻想的であり、心を和ませてくれる。
 五重塔を過ぎると、一の坂、二の坂の石段。二の坂の茶屋で氷を食して休憩、三の坂を登り切ると大きな赤い鳥居があり、羽黒山山頂である。
 山頂の手前左手奥に今日の宿(斎館)がある。荷物を置いて羽黒山山頂へ(15:30)。大きな広場状になっていて、厳島神社、蜂子神社、他に7~8社が並んでいた。
 その中でも三神合祭殿は羽黒山、月山、湯殿山の三神を合祭した日本隋一の大社殿で、厚さ2m程もある茅葺屋根は迫力があり、驚きでもあった。

 今年は140年ぶりの出羽三山開祖の蜂子神社の一般公開に当たり、私達もお祓いを受け、お札を頂き、身も心も洗われた気分になった。
 斎館は山伏達が住んでいた遺構として残る唯一の建物であり、月山山麓で採れる山菜を素材にした精進料理は格別な趣があった。


『月 山』

 羽黒山山頂からバスに乗り、月山八合目に着く(9:00)。レストハウスの西の方を巻いて登って行くと、弥陀ヶ原の広大な湿原で、小さい池塘が点在し、ニッコウキスゲ、ワタスゲ等が咲き乱れている。
 一周し本道に戻り、鳥居をくぐって月山へと登って行く。
 足元には高山植物が次々と現れ、立ち止まる回数も増えていく。やや勾配のきつい鍋割を過ぎると、現れ出した雪渓周辺の植物が美しい。ピークを登りきったところが仏生池小屋(12:55)。小屋の周りにはフウロウ、イワカガミ、シャジン等の大群落で雲上の楽園のようだ。

 ここから先は緩やかな登りが続いている。色とりどりのお花畑の中を進む。チングルマは既に花の時期を終え、穂が風車のように風に揺れていた。
 霧が出てきた。霧の切目から月山神社が見えた。目指す月山山頂は近い。大きな雪渓の横を登り進めると月山神社に到着(14:30)。月山頂上小屋で休憩後お花畑の散策に出かける。どこまでも続く緑の草原、花の群れ、雪渓、池塘と岩との絶妙な配置に感動した。


『湯 殿 山』

 目覚めると、小屋の周辺は霧におおわれ、風が強く吹きつけている。湯殿山に向かって出発(7:00)。外に出ると風は予想外に静かである。
 霧で周りは見えないが、目の前にある花々の群れがぼんやり見える。石ゴロの急坂を下って行くと牛首に着く(8:15)。牛首から金姥までは整備された歩きやすい道。金姥からは修験の道に入る(8:39)。
 雨が降り出してきた。かっては登拝者がワラジを履き替え、衣装を正して月山に向った場所である装束場跡(現在避難所)で休憩(10:02)。ここから、いきなり標高差200mの月光坂である。

 前半は鉄梯子と鎖にすがって下る急坂の連続、後半は沢の中の岩の道を慎重に下って行くと、本殿も拝殿もない湯殿山神社に着く(12:19)。シャトルバスで湯殿山参籠所へ。下界は真夏の太陽が照りつけて暑かった。


 記録・野上とみ


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№183から転載】

花と景色、そして達成感の滝子山(1590m)=佐治ひろみ

・日程:2014年5月13日(水)晴れ

・メンバー:(L)大久保多世子、渡辺典子、蠣崎純子、脇野瑞枝、松村幸信、中野清子、佐治ひろみ

・コース:笹子駅8:35~寂ショウ入口9:27~山頂12:45/13:30~桧平14:10~初狩駅17:00


 夜中に降っていた雨は朝になっても止まず、傘をさして家を出た。予報では天気回復というが、岩場は濡れていないだろうかと心配しつつ、電車に乗った。高尾を過ぎる辺りから、道路は全く濡れていなかったので、ひと安心。

 笹子駅で7人集合し、吉久保集落に向かう。庭先にはジャーマンアイリスや花々が綺麗だ。中央高速の上を通り桜森林公園を過ぎると、ひっそりと寂ショウ庵の看板が立っている。
 そこを入って行くと、廃屋があり大きなサラサドウダンの木が赤い花を付けていた。ここからやっと登山道。30分位で林道に出て小休止。息を整えて急坂を登って行くと、両側は美しい自然林になり、あちこちに山ツツジの赤い花が目立ってきた。

 そのうち大久保リーダーが何かを発見。足元に落ちていたクルクルした葉っぱを手に持ち、「おとしぶみ」といって、中の虫が葉を折り曲げて住処にしている、と教えてくれた。リーダーのレクチャーは続き、今度はブナの実を見つける。三角形でちょうど蕎麦の実のようだった。

 こんな風に山道も飽きずに登って行くと、1時間ほどで岩場が現れる。大きな岩場を右に行ったり、左によじ登ったりしながら、高度をかせいでいく。リーダーのペースは常に一定でとても登りやすい。
 一段落すると岩の間には、今回お目当てのコイワカガミが現れ、一同黄色い歓声を上げる。あっちにもこっちにも小さくてピンクの可愛らしい花が咲き乱れて、疲れも吹き飛ぶ。花を見ながら、岩山をよじ登る事1時間半で、ようやく尾根に出る。
 ここから小さなピークを3つ超えると頂上。踏ん張りどころだ。

 山頂に着くと綺麗な富士山がお出迎え。北に目を向けると、雁ヶ腹摺り山や小金沢連嶺、大菩薩の山々が見渡せる。みんな大満足して昼食をとる。
 ゆっくりお弁当を食べた後、初狩に向けて急坂を下る。分岐では男坂を通り桧平へ。ここで小休止し、また暫く尾根道を快適に歩く。今度は尾根を外れて暗い杉林をジグザグに下る。
 飽きてきた頃、沢の音が聞こえ始め、水場に到着。

 最後は沢沿いに何度か渡り歩くと、林道に出た。駅に向かい民家の花々を見ながら下ると、何やらけたたましい鳴き声が聞こえてきた。『ガビチョウ』という外来種で、この里に住み着いていると教えてもらった。その鳴き声は大音量で、遠く離れても響いていた。大きな桐の木には紫の花が満開だった。

 足も疲れてきた頃、5時のチャイムと同時に駅に着いた。
 電車の時刻にはまだ間があるので、駅構内のベンチで簡単な反省会。今日一日、本当に良く歩きました。お天気も、花も、景色も素晴らしい、達成感のある山行になりました。


     記録・佐治ひろみ


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№178から転載】

伝説の金時山(1,212m)はご存じ? 冬山は侮れません=横溝憲雄

 平成26年3月18日(火)は、曇り・みぞれ(春一番)でした。
 参加者:L横溝憲雄、渡辺典子、後藤美代子、野上とみ、中野清子、針谷幸司、他1名     
 行程:新宿(高速バス)~乙女峠バス停~乙女峠~長尾山~金時山~地蔵堂~新松田駅 

「まさかりかついだ金太郎伝説の金時山~」、3回目の登山です。天候が今一で気になったが、とんだ登山になるとは……。

 金時山は神奈川県足柄郡箱根町と静岡県駿東郡小山町の境に位置する山です。皆さんご存知ですか? 頂上の金時茶屋と金太郎茶屋の間が県境です。
 金時山は姿が、高く突き出たイノシシの鼻のように見えることから、猪鼻嶽とも呼ばれています。

 金時山の登山ルートは5ルートあります。今回は乙女峠バス停から登る乙女峠ルートです。頂上付近の急登が一番短いのと、以前丸岳へのルートで使った乙女峠への登りが楽であったことから選びました。
 無論、新宿から高速バスという利便性もあります。  

 山にはまだ残雪(20㎝)ありとの情報で、軽アイゼン持参です。乙女峠へ向けて登ると、程なく雪道になりました。
「アイゼンはきまーす」
 初参加の会社の女子にも、モンベルで、軽アイゼンの購入を勧めておきました。みんなザックからアイゼンを取りだしました。何やら箱を取り出しています。
「何!箱のまま持ってきた!」「アイゼンのつけ方がわからない?」
 となると、左足、右足と、苦労して装着の手伝いです。
 「若い娘には親切だねー!」「いや、いや.....」
 そんな軽口をたたきながら、20分? 30分? やっとの思いで、アイゼンの装着が完了しました。

 登山開始です。ゆっくり登り、やがて乙女峠へ。富士山も周りも全く眺望なし。集合写真もなし。

 次なるは長尾山へと向かう。これが意外と長い距離です。アイゼンを外して、またつけて、と結構大変です。天候も“春一番”の突風で歩きにくい。今にも雪が降りそう。

 長く下って登り返し、やっと頂上へ着きました。吹雪?のようなみぞれが降っていました。立っているのがつらい。視界が全く効かずです。
 みんな急いで金太郎茶屋の室内へ入った。
「駄目ですよ、アイゼンはいたままでは。床が木なので傷つけてしまう」
 吹雪? みぞれ、戸外で脱ぐ間もなく上り込んでしまったから、叱られた。寒い。みんな暖かいうどんを注文。持参した弁当は開く間もなし。でも、うどんはあったかい、旨い。

 さて、下山です。地蔵堂へ下る予定ですが、傾斜が強いので危険だ? 乙女峠に戻る方が長い雪道の下りでもっと危険? 判断に迷う。

 店主に相談し、急傾斜もてすりがしっかりしている地蔵堂へと下る。ゆっくり安全に30分程かけ、平地の鳥居へ出ました。もう安心、後は歩きやすいハイキングコースです。
 想定より時間を費やしましたが、無事に地蔵堂の茶屋につきました。ここでビール!、甘酒も。       

 しばし休憩後は、始発のバスで新松田へ出ました。いつもの〝華の舞〝で無事下山を乾杯です。本日の山行は猛吹雪?のみぞれの中、全く視界が開けず、何の山に登ったかわからず仕舞でした。次回に期待します。

        記録・横溝憲雄


【ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№177から転載】

【新曲発表】 紫蘭会の『山の歌』(四十年の軌跡)

 紫蘭会の設立40年を記念して、平成26(2014)年8月に創作されました。そして、翌27年1月21日に、「紫蘭会40周年記念イベント」で、初披露されました。


                          作詞 小倉董子  (写真)


                          作曲 久新大四郎
                      
                        
『山の歌』、紫蘭会のコーラスがYou Tubeで聴けます。こちらをクリック                        


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紫蘭会の『山の歌』  (四十年の軌跡)


    憶えていますか  出会った日のこと
    幸い棲むという  あの山に登りたい
    可憐に咲く高嶺の花たちに  出会いたい
    みんなの瞳が   キラキラとまぶしかった


    憶えていますか  山との出会いを
    雨と風に見舞われて  彷徨った不安を
    試練の先には   喜びがきっとある
    枯れ枝にきらめく 満天の星たちよ


    憶えていますか  歩けそう地球の果てまで
    ピレネーで     あなたがつぶやいた
    今度はどの山に  行こうかみんなで
    仲間と自然と    ちょっと冒険 (※リピート )
   ※喜びを分かち合い  支え合えば叶えられる
    絆は強く      笑顔がはじける

    

斜里岳はスリル満点で北海道随一の景観だ=関本誠一

 2014年、北海道山行、帯広でレンタカーを借りて『トムラウシ~雌阿寒岳~羅臼岳』をまわり、最終目的地・斜里岳の麓に到着した。

 阿寒と知床連山の中間にそびえる斜里岳は知名度低く目立たないが独立峰なので、近づくにつれ徐々に大きくなるその姿に一種の感動を覚える。


 登山ルートはいくつかあるが、最もポピュラーなのが清里町からの「清岳荘(せいがくそう)」ルート。当日は土曜日だったせいか、早朝5時で駐車場はすでに満車だった。


 登山道は林道のつきあたりから始まり、沢沿いに10ヶ所以上徒渉を繰り返すうちに、やがて新道と旧道の分岐である下二股に到着した。登りは沢(旧道)を、下りは尾根(新道)を通るよう推奨されており、ためらわず旧道を行く。

 沢沿いに進むと最初に水蓮の滝が現れる。さらに登って行くと溶岩流の上を流れるナメ滝状の羽衣の滝、そして万丈の滝と続くが、鎖などがあり助かる。
 雨が降ったあとなどは足元をさらわれないよう特に注意したい。

 この先、滝は流れの幅を小さくし、階段状の岩場となる。

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