登山家

写真で観る、春の奥多摩。歩く、登る、楽しむ

春になると、一度は訪ねたいのが、桜の咲いた奥多摩と、周辺の山です。
鳩ノ巣駅とか、白丸駅とか。奥多摩渓谷の中腹には、古風な駅舎が続いています。桜の古木が見事に咲いています。


桜は青空に透かせば、心まで澄んできます。


川乗山の登山道は、民家が点在する集落を抜けていきます。


汗をかいて、小休止。眼下に広がるV字渓谷の情景には心が和みます。


遠望の山が、どこか虎刈りの坊主頭を思わせます。

尾根道には光と影の造形美があります。

川乗山の山頂からは墨絵のような、山並みが遠望できます。

百尋の滝は豪快です。落差があるので、瀧口だけを撮ってみました。


人工林の杉と太陽が戯れて、木洩れ日を作っていました。


渓流の魅力の一つは、流れる音です。渓谷にこだましています。

下山すれば、奥多摩の温泉で汗を流し、着替えをします。休憩室で、そばとビールで、開放感を味わいます。


「死の瞬間」・3つの体験談=4分10秒

 NPO法人・シニア大樂の「講師のための話し方講習会」が、2月1日に開催された。基調講演など盛り沢山だが、そのなかの一つに「3分間スピーチ」がある。
 私は「死の瞬間・三つの体験」を語った。

 参加者たち(約30人)に、「皆さんで、最も身近に死を感じた、そのスパンはどのくらいですか。大きな手術で死ぬのではないか、と2日前、1日前くらいでしょうか」と問いかけた。

 私は「もうこれで死ぬという、数秒前、少なくとも、1分以内に死を感じたのは3度あります。その瞬間の思いは、それぞれ違っていました」と話しはじめた。


 最初は大学3年生の真夏でした。前穂高のピークを目指して、急斜面の雪渓を登っていました。突如として、岩場からガラガラ石が落ちてくる、その落石の真っ只中に入ってしまったのです。
 頭部くらいの石がこちらの顔面に向けて飛んできた。これで死ぬのか、と観念しました。
「2度とこの世に出られないのか、寂しいな」
 そんな気持に襲われました。

 高校時代までバレーボールをやっていたことから、反射的にラインアウトのボールを避けるように、全身で真横に飛んだのです。耳もとで、落石が空気を切るキーんという金属音で通り過ぎました。
 と同時に、私の身体は急勾配の雪渓を滑りはじめました。長い距離でしたが、これは雪上訓練をしているので、ピッケルで止めることができました。


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日本山岳会の晩餐会=皇太子撮影・山岳写真も展示

 日本山岳会(尾上昇会長)の平成22年度年次晩餐会が、12月4日に、品川プリンスホテル・アネックスタワーで開催された。全国から約500人の会員が参加した。私は今年も、親しい上村信太郎さんとおなじテーブルに着いた。


 皇太子さまは一般会員である。晩餐会では、「名誉総裁」のようなスピーチはなく、リラックスされていた。自民党総裁の谷垣禎一(さだかず)さんも同様で、スピーチなどない。(鏡開きのみ壇上に・写真)。
 山に登れば、すべてが平等である。「山好きな男女の集まり」というのが、同会の特徴だ。

 尾上会長は挨拶で、「近年になく、新会員が増えました。支部活動が活発なったからです」と述べた。

 新永年会員となられた松浦輝夫さんは、日本山岳会のヒマラヤ・エベレスト遠征隊の隊員だった。故植村直己さんとともに初登頂した、著名な登山家である。
「8849メートルの手前、5メートルで、植村が先に登ってください、と言いました。2人して肩を並べて、山頂を踏みました」
 山男のエピソードの一端を披露した。

 新人紹介のスピーチでは、異色の船村徹さん(作曲家)で、「栃木県に生まれました。山を見て育ちました。いまは故郷回帰で栃木に住んでいます。山の日の祝日を作る努力をします」と述べた。「海の日」があるのだから、「山の日」を作ろう、と言うのが同会の目標の一つ。

 乾杯の女性音頭は同会初で、日本の女性登山者を代表する小倉董子(のぶこ)さんだった。

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日本山岳会のアルピニズムを支援する

 私が所属する社団法人(4団体)は総会ラッシュだ。どこに行っても、高年齢化の現実と若返りが課題となっている。他方で、公益法人か一般法人か、この話題(討議)でもちきりだ。公益になれば、税制の優遇をする、会員の会費を含めた収入の半分以上を公益につかえ、という趣旨だ。そういう法律ができたのだ。

 嫌な法律ができたものだ。天下りなど一部の人物と、収益を私物化する団体がいるから、国家権力が私的な法人までコントロールする時代を招いた。私はそう理解している。

 巨大な財政赤字を抱えるわが国だけに、「小さな国家」が理想だ。公務員の数を減らせば、取り巻く経費(許認可に要するもの)が大幅にダウンする。それなのに、私的団体のチェックをする役人の数を増やす、そんな法律ができたのだ。日本は本当に大丈夫なのか。

 どの社団法人でも、定款の変更など余儀なくされている。数十年も続いて運営してきた定款が日本国中のあらゆるところで変えられているのだ。異常な現象だ。

        


 日本山岳会の総会が、5月12日に東京・四谷で開催された。アルピニズムの最先端に立つべき団体だ。そうした伝統の上に成り立っている。ここでも、公益法人か一般法人か、それが主要な議題になっていた。

 お役所がいう、「公益」とは何か。日本山岳会の会員から集めた資金が、大学に山岳部の設立のサポートに使われるとか、世界の登山界をリードできる人材育成を資金面でバックアップするとか、海外遠征隊の資金供与するとか、それらが公益か。それならば、納得できるのだが……。

 国内の山の植林とか、青少年のハイキング指導とか、地方自治体、あるいはNPO法人でもできることが、押し付けられるのではないか。私たち会員の会費が、アルピニズムの高揚でなく、それら(公益と称する)事業に使われる、国家的な圧力となる可能性がある、と危惧する。

 日本山岳会はつねに世界のアルピニズムの頂点にいるべきだ。ヒマラヤで登頂の技を磨くクライマー、山岳地帯の動植物の学術調査する研究者、山岳民族との強い協力体制を作るとかに、資金を使う。私自身が海外の山に登れなくても、日本山岳会に会費を払っていること自体が、彼らをサポートしている、有益なお金だと思える。

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日本山岳会・年次晩餐会が盛大に行われた=皇太子も会員として参列

 日本山岳会の晩餐会は年間の最大行事である。12月5日、東京・品川のグランドプリンスホテル新高輪の大宴会場「飛天」で、「平成21年度年次晩餐会」が行われた。同会員である皇太子を含めた、約500人強が参列した。

尾上昇会長は挨拶で、4つのプロジェクトを紹介し、それらが理事の若返りで進行していると述べた。
「登山者の若返り」プロジェクトでは、共鳴するものがあった。
 昭和30年代、40年代の登山ブームが去ってから、山岳で若者をほとんど見ることがなかった。ここ数年は山で、20代の男女の登山者を見かけるようになった。高尾山などはずいぶん若者が多い。山の魅力を知り、つねに山に登る習慣が身につけば、登山人口が増える。それがやがて日本山岳会の若返りにつながり、活性化されるだろう。


 晩餐会では、同会員で最も親しい山村信太郎さん(すにーかー倶楽部・代表)、栃金正一さんと同じテーブルだった。

 年次晩餐会は夕方6時からだが、午後2時から海外登山隊の報告会があった。私は他の取材で参加できなかった。2人は参加していた。
「報告会の休憩時間。席が空いていたので座ろうとしたら、パンフレットが置かれていた。それで止めた。皇太子の席だった。座らなくて良かった」とエピソードとして語っていた。

 皇太子も会員の一人で、他のメンバーと同列。畏(かしこ)まった特別なスピーチもない。どこまでもプライベートだから、リラックスできると思う。毎年楽しみにされているようだ。晩餐会の行事の一つ、壇上で「たる酒」開きでは、飛び入りで法被を着て、木槌を持つ。にこにこされていた。

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北アルプスの名峰・燕岳に、写真登山しよう=下山はベテランルート(下)

 砂礫岩の燕岳が、青空の下で、美しく屹立(きつりつ)していた。ピークから全方位を観れば、地球の神秘すら感じさせられた。
 北アルプスの美観は何度観ても、心が魅了される。
 

 下山ルートは北燕岳、東沢乗越(2253)を経由し、中房温泉に下山するルートを取った。結果としてわかったことは、ベテラン・ルートだった。


 突然のヘリー飛来で、一瞬にして、駆け出す女性。なぜ追うの? とあえて問わず。

 燕山荘の広場から、燕岳山頂にむかう。なだらかな稜線歩き。白い砂礫と、奇岩と、緑のハイマツと、それに周辺の山々が彩りを添えてくれる。ほとんどの登山者はこのピークで、引き返す。

           

      燕岳の山頂には三角点がある。登山者はゆっくり全方位の美観を楽しむ。

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北アルプスの名峰・燕岳に、写真登山しよう=山頂へ(上)

 PJニュースの小田編集長と2人して、夜行日帰りで燕岳(2762m)に登った。10月半ばともなれば、山岳はもはや晩秋。山麓は紅葉、山頂付近は冬支度だった。

 山登りが苦手な人が多い。写真ならば、楽々と、山々の美観を愉しめるもの。
 読者の「写真登山」を意識したうえで、山の表情を切り取ってきました。セレクトした、20枚の写真(上、下)で、写真登山を愉しんでください。

  燕岳は北アルプス三大急登の一つで、登り一辺倒。歯を食いしばっては、一休みを入れる。

 一息入れて振り返れば、遠くは八ヶ岳まで見える。ただ、快晴なのに、富士山は甲斐の国(山梨)の周辺の靄(もや)で、姿を現さず。

         

  快活な青年が登山に挑む。気持ちよくポーズを撮ってくれました。日本の山は中高年ばかりではないぞ。

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写真で、山頂から山麓に。九鬼山=山梨・都留市(下)

九鬼山の山頂には三方からルートがある。いずれも富士山の遠望を楽しみながら登れます。


(山頂・集合写真提供:上村信太郎さん)
         

パーティーは、心地の良い森林の小道を行く。


「猿の腰掛」がありました。大きかったです


            



竹林が青空や濃緑の森を背景に、輝いていました

       

                     田野倉駅に向かう。コスモスが咲く畑
                      農家の夫婦と、すこし語らいました。

富士急の電車は、スマートです。都留市の情景によく似合っています。

写真で登る、九鬼山=山梨・都留市(上)

 上村信太郎さん(日本山岳会・会員)が主幹する「すにいかあ倶楽部」のなかで、(考古学)発掘調査に携わるメンバー4人が、9月20日に、九鬼山(くきざん)に登る。
 上村さんとは親しいので、同行させていただいた。


私は作家兼ジャーナリストとして活動している。最近は、ブログの指導(写真と文章)も多くなってきた。そこで、私自身も写真技法を磨く必要に迫られた。プロの諸先輩から学びたいと、9月には社団法人日本写真協会の会員になった。


            

九鬼山(970メートル)は低山で、過去にも登ったことがある。登山技術では難しいことはない。富士急線・禾生(かせい)駅前から、ひたすら写真に注力を注いでみた。二部構成で、写真で九鬼山を紹介したい。


めがね橋は、ヨーロッパの古跡のような雰囲気があった。

愛宕(あたご)神社の真っ赤な鳥居が心象的だ。

     

木々の美しさは、射す陽の陰影にもある

      

地形と地図とを照合する。上村信太郎さんがガイドブックの誤りを発見した


直登がつづく。つづら折だ。靴の占め方で、足の疲労が違う。登りは靴紐を占めすぎては足指に肉刺(マメ)などを作る。
山の先輩が丁寧に指導する。


九鬼山の山頂(二等三角点)は必ずしも見晴らしは良くない。登る道筋で、秀麗・富士山が見えるから、山頂で落胆することはない。


高橋千劔破(ちはや)さんの「名山シリーズ」三部作の完結を祝う会

 表題の出版記念会が7月17日の夕刻から、東京・千代田区の如水会館で盛大に行われた。発起人は阿刀田高、浅田次郎、新井満、加賀彦、黒井千次など各氏、あわせて12人。世話人は版元の河出書房である。

 
 高橋千劔破(ちはや)さんは日本ペンクラブの常務理事である。かつて歴史物の出版社の名編集長で、歴史物の著作に関しては第一人者だ。と同時に、著作には、『歴史を動かした女たち』『赤穂浪士』『江戸の旅人』『忠臣蔵銘々伝』など多数ある。

 立教大学時代には山岳部に所属し、登山のエピソードは多い。高校時代も修学旅行をすっぽぬかして、奥多摩・川苔山に登った、と私に教えてくれたことがあった。まさに学生時代から山男だ。


 今回の作品は、「北海道から九州まで、名山の歴史と文化と民族を掘り起こした、名山シリーズである。三部作で、百名山が完結した。それを祝う会である。


  (写真・右:高橋千劔破さん。09年6月の日本ペンクラブ・年次総会で)

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