A032-わたしの歴史観 世界観、オピニオン(短評 道すじ、人生観)

学校の歴史教育が、現代の「トクリュウ」「連続強盗事件」を招いている。

薩摩御用盗と西郷 修正.png 幕末・慶応三年10月から年末まで、薩摩藩が江戸で組織した「薩摩御用盗(薩摩邸浪士隊)」の蛮行は、国家転覆のための非道なテロ・強盗犯罪そのものです。

 学校教育では、美化された「明治維新の陰の功績」されている。西郷隆盛や相楽総三らが組織した「御用盗」の動きは、現代の闇バイトやトクリュウのシステムと完全に一致しています。

 薩摩藩は、食い詰めた浪人や無宿者、犯罪者などを「軍資金(給与)と倒幕の大義」で集めました。
 現代の若者がSNSの「高収入」や「ホワイト案件」という甘い言葉に釣られ、使い捨ての「捨て駒」として犯罪に加担していく構図そのものです。現代の「トクリュウ」や「連続強盗事件」の構図と驚くほど酷似しています。

 この歴史的事実、つまり薩摩御用盗を「必要悪」や「時代の犠牲者」として曖昧に済ませる空気こそが、現代の犯罪に対する倫理観の麻痺につながっています。つまり、歴史教育が果たすべき「抑止力」のあり方に問題があるのです。

 薩摩藩の目的は「幕府を怒らせて戦争を誘発すること」でした。そのため、江戸の豪商を襲って大金を奪い(強盗)、民家に火を放ち(放火)、女性を暴行し、抵抗する者を惨殺しました。これは政治運動ではなく、ただの凶悪な組織犯罪です。

現場で強盗や放火を働いた浪人たちが逮捕・処刑される一方で、三田の薩摩藩邸から彼らに資金を渡し、犯行をコントロールしていた西郷隆盛などの「指示役」は、一切手を汚さずに安全な場所にいました。現代のトクリュウの指示役も、安全なところにいます。

 日本の幕末史は「結果として明治維新という近代化に成功したのだから、途中の綺麗事ではない手段(テロ・強盗)も必要悪だった」という「勝てば官軍」の論理で見逃されています。
「大義名分があれば、犯罪行為も歴史的に許容・美化される」という空気こそが、現代の犯罪の温床になっているのです。

現代の若者の犯罪者たちは「社会が悪いから」「貧しいから」という言い訳で、強盗や殺人を肯定する論理、つまり犯罪者の若者らに『気の毒』という同情の余地を残す空気が根底にある。それは私たちが幕末テロリズムを厳しく断罪してこなかった歴史教育の歪みから、甘さになっているのです。
いかなる理由があろうとも、一般市民を巻き込んだ略奪、放火、テロは絶対悪である」という普遍的な倫理を次世代に叩き込むことこそが、本来の歴史教育であるべきです。
歴史教育で「ぜったいにやってはいけないこと」を糺(ただ)す。歴史の役割とは、勝者の功績を称えることだけではありません。

150年前の出来事だからと曖昧にせず、薩摩御用盗は「倒幕の志士」ではなく「お雇いの凶悪犯罪集団」であったこと、西郷らの行為は「政治的策略」ではなく「一般市民を恐怖に陥れたテロの首謀」であったこと、これを教科書レベルで強く断罪する。「悪」として教えるべきです。

ドイツがナチスの罪を法的一切の時効なく追及し続け、教科書で「絶対に繰り返してはならない悪」と徹底教育しています。

 現代の若者に対し「どんなに困窮しても、どんな大義を並べられても、闇の犯罪組織に加担することは絶対に許されない」という強い倫理的ブレーキ(抑止力)をかけるためにも、今まさに学校の歴史教育で最も必要なことです。

「残滓(ショート・ストーリー)⑤」 咸臨丸の蒸気機関室を見る

咸臨丸の機関室 明るさ.png 船長室で、三者会談が始まった。二か所にランプが灯っていた。外国奉行・小栗上野介は、艦長の伴鉄太郎と機関長の肥田浜五郎と向かい合っていた。テーブルには伊能忠敬の日本地図が広げられた。
 航海の機関長を務める肥田は、太平洋横断の航海の際に蒸気方の筆頭で乗船している。汽缶の運転と管理、石炭消費の調整、機関部の安全管理を統括していた。かれは眉が太く、意志の強さを感じさせる。
「蒸気船の汽缶には癖があり、故障も多発するので、機関士は同一の船に張り付いており、異動はあまり行われないものです。あれから二年後の今日も、おなじ専門技術として咸臨丸に乗船しております」
 咸臨丸の対馬行きは、幕府海軍が単なる「練習」ではなく、実戦的な「外交の足」として機能した、極めて初期の重要な事例である。
「江戸湾から、外洋に出ますと、風が使えますから、追い風・横風は帆走です。微風・向かい風は蒸気を併用します。1トンの石炭で100〜200海里以上も進むこともあります。蒸気が主体で『低速巡航』ならば、1トンあたり約80〜120海里です。速力は4〜5ノットです。条件次第で、帆併用ならば、実効的にはさらに伸びます」
 機関長の肥田浜五郎は、数字による説明であった。
「蒸気船と言ってても、あくまで帆走が主体だな」
 小栗忠順が念を押した。
「はい、そうです。世界中の蒸気船は帆走主体です」
 理由は二つ、石炭の積載量の限界。それに蒸気の連続運転は石炭の消費を早めるうえ、ボイラーやパイプに負荷が強まり、故障の確率を高めるからだと説明する。

「危険海域、たとえば鳴門海峡、潮流が速い関門海峡、瀬戸内の狭水道、それに港に入港・出航のときは始めから蒸気を焚きます。高出力運転はあくまで短時間です。速力は6ノット以上になりますが、石炭消費は急増します。それと高圧で連続運転すると、ボイラーを傷めます。パイプのつなぎ目が緩み、破損のもとになります。1トンあたり30〜50海里ていどとなります」
「その判断はだれがする」と小栗上野介が聞いた
「操舵室にいる艦長・船長です。船底の機関室では外は見えません。都度、操舵室から機関室に連絡が入ります。ただ、事前の打ち合わせで、鳴門海峡、馬関海峡など、潮流が渦巻くところは、初めから本気で高出力運転します」

 船長室の船窓からみえる富士山の位置がわずかずつ動いている。遠方の伊豆半島が近づいてくる。ちらっと見ては机上の地図にもどってくる。
 地名が出るたびに、伴鉄太郎の指が本州の南岸をなぞっている。艦長の伴の眼光は強い。測量方として海図を読み、海を読む人間のまなざしだ。
――品川、浦賀、伊豆沖、駿河沖、紀州沖
 小栗の頭の中で地図と数字が重なっていく。この航路の節目ごとに「石炭の消費量、距離、帆走・蒸気の選択もしくは併用を積み上げられていた。
「紀州沖は黒潮になります。潮が速い。向きが合わねば、厄介です。ここで無理に蒸気を焚けば、石炭の消費が大きい」
 肥田が指で地図をさす。
「西国に行くのは、東向きに流れる黒潮に逆らう形になるのか」
 小栗上野介はそのように理解できた。

「はい。それに南寄りの向かい風が多い。ただ、黒潮の本流と陸地の間には、本流とは逆向き(西向き)に流れる『黒潮反流』が生じることがあります」
「さすがです。 紀州沖などでも、黒潮が大きく蛇行している場合、その縁に沿って西向きの流れが発生することがあります」
 伴がそのように説明する。
「すると、それをうまくつかまえて、船を後ろから押す順潮(following current)が約二ノットというわけだな帆走と弱蒸気で走れば、船の対水速度は4〜5ノット。対地速度は6〜7ノットになるのだな」
 数字に強い小栗忠順が、艦長・機関長の専門的な潮流の速さをくみ取って速度と石炭の消費をみずからはじき出しす。船長も、機関長も、小栗の計算力に驚いていた。

 東海道の松並木の、三保の松原から観る富士山はまさに絶景だった。船が紀州へと向かい、消えていく富士山が名残惜しかった。

――航路として紀伊水道、兵庫津、備讃瀬戸、御手洗、周防灘、馬関海峡、下関港に入港する予定である。

「肥田殿。蒸気汽缶が稼働している今、機械室を見分したい」
 小栗は強い好奇心で万延遣米使節として太平洋を横断するときも、最新鋭の蒸気外輪フリゲート艦のポーハタン号で、小栗は何度も機関室に入り、学んでいた。

 小栗は作業帽、短い作業半纏、藍染めの股引(ズボン)を借りた。機関長の肥田浜五郎が先頭に立ち、小栗は洞窟に降りるように機関室への階段を下りた。
 ドン、ドン、ドン......と機関の往復の運動が小栗の全身に伝わり、石炭の熱気が全身をつつんだ。まさに、「狭い」「暗い」「熱い」「うるさい」「振動」の五感を一瞬にして感じとる空間であった。と同時に、咸臨丸の心臓だ、という意識がもてた。

 低い天井が小栗たちの頭が触れるほどで、奥行10メートル前後である。蒸気管・給水管・排気管がまるで蜘蛛の巣のように張り巡らされている。巨大な鉄の円筒のボイラーが唸りを上げている。

 足元の鉄板の床は熱を帯びている。

「これは横置円筒式ボイラー(オランダ式)です」
 肥田がそれを説明する、直径1.5〜2mほどの巨大な鉄の円筒だ。前面は真っ赤に焼けた焚口(ファイアドア)がある。ボイラーの表面が熱く、いずれも、手や肌でふれると、即火傷しそうだ。
「......これが、咸臨丸の心臓か」
 ボイラー横の壁際に石炭が山積みにされている。黒い粉が空気中に舞う。石炭の匂いは"焦げた鉄と混じった独特の臭気だ。

「小栗上野介殿。これが石炭庫(コールバンカー)です」
「いま目分量で石炭は九割くらいだな。すると、出航から江戸湾をでるまでの間に、石炭は一割くらいを燃焼したのだな」
「はい。本船が入出港するとき、石炭を目いっぱい焚きますから」
 肥田がそれに応えていた。

 機関室で動き回る上半身裸の作業員(火夫)の腕は太く、火傷の痕が点々としている。かれらの額には手拭を巻き、汗が目に入るのを防ぐ。スコップで石炭をすくうと、火夫はやや腰を落とし、そして焚口を開けると、炉内の真っ赤な炎が獣のように唸る。

 機関室全体が一瞬だけ真っ赤に照らされる。

 石炭を焚口へ投げ込む。蓋が閉まる。焚口が開くたび、炎が轟音で獣のように吠えた。常時40〜50度、焚口を開けると60度近い。このボイラーの上部からは、蒸気管が何本も伸び、機関へと繋がる。
「こちらへ」
 肥田浜五郎は技術職人の鋭い眼になっていた。機関の鼓動の微細な異常音一つも聞き逃すまいとする態度に思えた。

 操舵室(ブリッジ)から機関室へ伝声管(スピーキング・チューブ)で命令が伝わる。騒音の機関室にひびく拡大器になっていた。
「いま、何と言った」
「減速(蒸気を絞れ)です」
「慣れだな。拙者には、ことばが聞き取れない。ほかにどんな用語が交わされる」
「『増速』とはもっと蒸気を送れ、です。『全停止』、『逆転』は船体を後進させる」
「操舵室と機関室は、一心同体だな。感心した」
「よし、蒸気を二分(ふたぶ)上げる。焚口、開け」
 火夫が鉄の扉を開くと、炎が獣のように吠え、機関室全体が赤く染まった。

 肥田は蒸気弁に手をかけ、慎重に開度を調整する。
「このスロットル(蒸気弁)の開閉で、船速を変えるのです」
 肥田がそれを指す。
「そうか。窯の火炎は微調整できないから、ボイラーから送る蒸気の量で、スクリューの回転数を変えるのだな。異国が発明した業技とは恐ろしいものよ、我が国も、このくらいの軍艦を独自に建造できる力を備えねばならぬ。それが近代化だ」
 小栗上野介が細かなところまで、一つずつ身を乗り出して質問している。


「蒸気圧を上げれば、機関の往復が速くなり、推進力が増します。ただし、上げすぎれば汽缶が持ちませぬ」
「蒸気とは、かように速さを変えられるものなのか。列強との戦争は、こうした軍艦で戦う時代だ。刀と弓と槍だけでは戦えぬ」
 シューッと蒸気の漏れる音。ガンッ、ガンッと工具の金属音が耳に飛び込む。船が生きている、と小栗上野介がつぶやいた。

「高圧の連続で無理をすれば、短期間で損傷します。過熱・漏れ・損傷は十分あり得ます。とくに管の焼損 、継ぎ目の緩みは現実的です。壊さないように使います」
 肥田浜五郎から、技術を操る者の誇りが感じとられた。

自民党の新しい総裁が、就任の第一声で「憲法改定」を掲げた。日本国憲法は国際法である。

 自民党新総裁は「憲法改定」を政権の第一目標に掲げた。その語り口には、戦後日本が築いてきた「平和国家」の基盤を、あたかも「占領期の遺物」とみなす響きがある。
 彼女の政治活動には、これまでも靖国神社への参拝を当然視し、特攻隊を「誇り」として語り、天皇制を精神的支柱として再評価している。
 
――これらの新総裁の発言の底には、「歴史修正主義」と呼ばれる風潮が息づいている。

日本国憲法.jpg 日本国憲法は単なる国内法ではないのだ。太平洋戦争の惨禍と、ポツダム宣言受諾という国際的な降伏条約を背景に成立した「国際社会との約束」である。つまり、国際法に準じるものだ。にもかかわらず、現政権の首班から、その視点が驚くほど欠落している。

 そこには、二度と侵略戦争を行わないという、世界に対する宣誓が込められている。

 彼女は記者会見で繰り返す。「私は日本人として」とくりかえす。「日本人として」「日本の誇りを取り戻す」と何度も言っていた。しかし、「日本女性として」という言葉は決して口にしない。ニュースの画面の中で、あの人はなぜ「日本女性として」と一言もいわないのだろう。
 戦争で、いちばん犠牲になったのは――女と子どもたちだったのに。

 戦争の惨禍のなかを生きてきた。戦後の平和憲法を支えてきた女性たちの歴史を、まるで見ていないかのよう
な空白だ。

 国家とは連続している。過去の歴史と断絶できない。太平洋戦争は加害者としての反省も必要なのだ。そのうえ戦後八十年は維持してきた。
 今頃になって「押し付け憲法」という主張はおかしい。

             *

 1945年8月にポツダム宣言を受諾する段階で、無条件で「戦争放棄」を受け入れた。国際社会からの要求と、それに応じたものである。まずGHQは日本政府に対して, 大日本帝国憲法の改正を指示しました。
 しかし、日本政府が当初提示した「松本案」が天皇主権を温存したもので、拒否した。「これでは国民主権ではない。民主主義への移行を示していない」
 そこで、GHQは民政局に憲法草案の作成を命じた。

 GHQはアメリカだけではない。占領方針を決める「極東委員会」はアメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランス、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、イギリス領インド、中華民国、米領フィリピンなど計11カ国で構成されていた。ただ、実際のGHQの運営はアメリカが中心であり、ソ連や中華民国などの影響力は限定的であった。
 
 日本国憲法の制定にあたり、GHQは日本政府に対して憲法改正を指示し、その後の草案作成を主導しました。

 草案は米国のケーディス大佐が中心となった。
 かれはハーバード・ロー・スクールを卒業後、ルーズベルト大統領のニューディール政策下で政府の法律顧問を務めるなど、アメリカの自由主義・民主主義の精神を深く理解する人物だった。

 日本の民主化と人権保障、そして恒久平和の確立をわずか1週間ほどの短期間で草案を完成させた。計11カ国で構成されていた。「極東委員会」は日本の国務大臣は文民(軍人でない者)でなければならない、とする文民条項などを追加させた。そして日本政府に提示するにおいて、マッカーサーが代表者の名を冠した。

 このように、日本国憲法は憲法の序文、第9条の戦争放棄を定めている。他国の憲法と違い、日本国憲法は国際法と国内法の両面を持つ。
 憲法九条を「他人事」として見過ごす私たち自身ならば、後世の歴史家は、「傍観者の罪」を問われているのかもしれない。

戦後八十年 戦争責任は「国会」にある。現在の国政・代議士の認識度を問う

太平洋戦争の終結から、八十年の節目を迎えた。

「二度と戦争をしてはいけない」と声高に叫ばれる。例年のことだが、今年も、報道で奇異な現象をみせつけられる。
 国政の代議士たちが、「命を捧げられた方々のお陰で、わたしたちは幸せな暮らしをさせてもらっている。尊崇の念をもって哀悼の誠を捧げた」という。数十人の代議士はほぼ類似的な内容だ。

 かれらはいったいだれが侵略戦争をはじめたのか、と問うたことがあるのだろうか。戦争の発火点が国会にあるという、基本的な戦争責任など語ろうともしていない。
 明治時代から七十七年の間に、十年に一度は海外で戦争をした。これは国政にたずさわる政治家と高級軍人とが戦争を引き起こしたのである。多大な戦争責任は国会にあるのだ。自分たちの先輩諸氏が諸悪の根源だ、という本質をまったく理解していないようだ。

 ここで、あえて英霊といわれる一人の戦死者を悼んで描いてみる。

 かれは物心ついて小学校(国民学校)に入学すれば、皇国史観による教育で、「天皇は神の子孫である。日本人に生まれてきたからには、天皇の赤子(せきし)として、天皇のために死ぬ。それがお国のためである」と洗脳させられる。
 この教材は、明治時代に長州人の役人が、古代の神話をさも歴史的事実として創作した教育勅語である。
 やがて成人したかれは、いやおうなしに徴兵検査をうけさせられる。拒否すれば、非国民だといい、罰せられる。甲種合格となると、「赤紙一枚の命」といわれた召集令状がとどく。
「○○君、万歳」の声で、妻子から切り離される。

 遠い戦地につけば、二等兵の新兵として苛酷な訓練の連続である。軍律がきびしく、一人の失敗で、上等兵から連帯責任だといい、スリッパの裏で頬をたたかれる。日々だから、顔が腫れあがる。
 数か月後には、敵の銃弾が飛び交う最前線へと送りだされる。恐怖から逃げれば、うしろから逃亡罪で射殺だ。運よく敵弾がそれてくれても、兵站の食料がとどかず、「現地調達」の名のもとに、現地の市民に銃を突きつけて強奪する。もはや倫理観が失われている。

 戦況が悪化して「転進」という後退がはじまる。ジャングルや洞窟へと逃げこむ。蛇やトカゲを捕って食するも、やせ細り、四つん這いでしか進めない。あげくの果てには命が絶えて餓死する。遺骨が収集されて帰国する。かれの死はお国を守った英霊として祀られる。

 かたや内地は戦争末期で、米軍の焼夷弾の雨である。東京、名古屋、大坂、神戸が焦土となる。火傷で顔も衣服も焼けただれた黒焦げの遺体が、あちらこちらに山積みになる。政治家はそれでも戦争をやめない。民の生命・財産、文化を守ることが最大のつとめである、という認識が欠如している。国土は日増しにこれまで以上におぞましい悲惨な光景になる。そして原爆の投下、それにソ連軍の侵攻である。

 終戦の証書で、軍人政権が崩壊し、あらたに民主主義の政権が誕生した。あの戦争とはいったい何だったのか。
 今日の代議士たち政治家は、戦死者を自分たち家族を守ってくれた方々だ、英霊だという。特攻とかを美化する。
 歴史的な真実を掘り下げず、「お国のための戦争」「祖国のための戦争」のために命を捧げだと美化する。言葉は魔物だ。歴史の歪曲にもつながっている。

 戦死者たちは、時の政権から、自分の意思に反し、死を強いられたひとたちなのだ。お国のためでなく、政権のために死んだのだ。

              ☆     

 戦後の新しい教科書で、日本国憲法の三原則は「主権在民」「基本的人権」「戦争放棄」とおしえた。戦後八十年の現在では、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」になっている。

「平和」ということばは、戦争に対する両刃の剣である。

 首相・東条英機は国会で、東亜の平和と自存自衛のために英米と戦争を開始したという。これは国民の目を善の戦争だとあざむくものだ。
 ナチスは「ドイツ系住民の保護・欧州の安定のため」とした。アメリカはイラク戦争で、「大量兵器を保有するテロとの戦い・中東の安定と平和のため」とした。ロシアのウクライナ侵攻は、「ロシア系住民の保護・地域の平和維持」とした。

 このように多くの戦争の名目が、「平和を守るために」というレトリックでおこなわれる。つまり、平和とは悪意を隠すための用語でもある。

 今日(こんにち)、国会へ送り込んだ代議士たちが、かつての侵略戦争の責任が自分たちの先輩諸氏にあるとは語らずして、英霊とか、特攻とか、若き死を英雄視する。そのうえで、日本列島の安全と平和のため、有事に備えるといい、軍備拡大の必要性を語る。
 まさに定石通り、危険信号が点りはじめた。戦争への足音が聞こえてくるようだ。

『八月十日よ、永遠なれ』 大人は近現代史(明治・大正・昭和初期・十五年戦争)を満足に学んでいない

 青春小説の「八月十日よ、永遠なれ」が発刊されたあと、読者から数多くのコメントをいただいています。 ことしは昭和100年、戦後80年の節目にふさわしい作品です、若い世代に読んで欲しいですね。こうした感想が多い。紹介します。


 高校二年生の男女六人が魅力的です。楽しいです。若者たちの意欲的で、前向きで、すがすがしくて、一気に読みました。日本の近代史が高校生の視点ですから、わかりやすく、すんなり理解できました。
 二度読むと、明治時代から太平洋戦争までの、日本の政治と軍事と戦争との関連が理解できる小説です。わかりやすい日本史の教科書でした。

             ☆

 他方で、「私たちは学校で、近現代史を習っていません」という内容がことのほか目立ちました。
「小中学校の社会科・歴史は、石器時代から江時代までていねいだけれど、明治維新のあとの、教科書の時間切れで、飛ばされてしまった」

「日中戦争や太平洋戦争(15年戦争)は、教科書の最終日に40分ほど、ごく短く触れた程度で、記憶に残っていない。大正時代や昭和初期など教わったのかな、という感じです」

「日本史は大学受験として、歴史用語の暗記だけです。江戸以前の時代が重点的に出題される傾向で、近代史がないがしろにされてきた。だから、明治時代以降、どうして戦争国家になったのか。それがよくわかっていません」
 
 ある統計によると、二十代以上の方々の約75%が小・中・高で日本の近現代史を学び足りなかった、と感じているようです。
 とくに50代以上の方々は、「太平洋戦争や日中戦争をしっかり習った記憶がない」と感じる人が多いようです。それというのも、終戦と同時に、神話、皇国史観の歴史そのものが否定されました。ですから、歴史教師は「明治時代の大日本帝国憲法制定のあとは、なにをどう教えてよいのかわからない」という教育の混乱期に突入します。
 そのまま、教科書そのものが、戦後の教育改革で試行錯誤し、今日に及んできたのです。教え方のわからない教師は、いまだに、明治初期で授業を終えている、という現実があります。

 やっと、2022年には19世紀からの近現代史「歴史総合」が全国の高校の必修科目として登場してきたのです。それは世界史と日本史を統合したものです。

             ☆

 高2の男女六人の「歴史クラブ」の高校生たちは、物語のなかで、明治・大正・昭和初期、さらに日中戦争・太平洋戦争を探究していきます。かれらは一年の時に、近現代史「歴史総合」を習っていますから、ふつうに海外から日本の政治・経済・軍事を見ていきます。

読者からは、「高校生といっしょに、海外が当時の日本の軍国主義をどのように見ていたか、それが学べました。海外の視点も豊富です。当時の日本は海外から軍事主義、侵略主義の批判の目で見られていた国家だったのだと、よくわかりました」という感想も寄せられています。

「これまで広島・長崎の原爆は被爆者の立場でしか見ていませんでした。高校生たちが、アメリカの立場も探究しているので、公平感を感じます」

 今は、ウクライナ戦争、中近東、台湾海峡と緊張が高まっています。核戦争の危機も、背中合わせです。日本がどのような態度で対峙するべきだろうか。
 この人類の危機の中で、私たちは過去とおなじ道を歩まない。それには日本人のすべてが、過去の悲惨な戦争を正しく学んでいないとおもいます。

「八月十日よ、永遠なれ」が、世界中の人達が、先行きに強い懸念を持っているとき、よい小説が出てきたと、歓迎してくれています。 
 作者として、この青春小説を一読すれば、ごく自然に明治以降の日本の歴史が学べます、と補足したい。


 戦争はただの過去ではないのです。「国を守る」といいながら「軍人政権を守る」ことばのすり替えでした。国破れた終戦ともに、勇ましかった軍人たちは戦争責任も取らず霧消してしまった。そして、日本史で近現代の歴史すらも、真実を教えない、つたえない、という結果を生み出しました。

 80年前に来た道、おなじ轍を踏まないことです。大勢の方々が近現代史を知ることは、将来の日本人の生命・安全を守ることにつながります。

「良書・紹介」 出久根達郎著『恋の石ころ』 = 戦後80年の人生がここにあり

 2023年の秋から出版された「出久根達郎のエッセイ」シリーズが、手もとに8冊ある。これこそ世の大勢の方に読んでもらいたい。第1冊目「千字の表うら」から、そのおもいが強かった。想う気持ちのまま、今日に至っておる。

 「一千字」シリーズの延べ四冊は、一冊ずつ、古今東西の名作に対する、出久根達郎の鋭い眼力と豊かな感性による論評がなされている。わかりやすく、読者の心が引き寄せられる。見出しがとてつもなくうまい。度肝を抜かれた。ただ驚愕するばかり。
 比べて私(穂高健一)は、出久根達郎が推薦する名作の図書で完読したものはかぎられている。本音を明かせば、完読、深読みした名作など一作もないのだ、といったほうが正確だろう。
 それゆえに、出久根達郎の「一千字」シリーズは凄すぎて、このHPで「良書・紹介」として記事を書く前から、私にはどうにも手が付けられなかった。
 
出久根・一千字シリーズ.JPG

 それでも、あえて私が強引に、このシリーズを良書として紹介するとなると、作中の名作を羅列し、ひたすら間接法でうわべを記すにとどまる。それだと、出久根達郎の筆の精神が伝わらない。作者や読者にたいして失礼にもなる。
 歳月は光陰矢の如し。あっという間に7冊が手元にたまってしまった。この間にも、圧倒されるばかりで、紹介できず心苦しかった。

                 ☆

 出久根達郎の近著『恋の石ころ』が八冊目として私にとどいた。2025年6月30日発行てある(写真の下段・右から2番目)。ことしは戦後80年だ、出久根達郎の人生80年が絶妙なる生々しい筆で描かれた作品である。

 弟一章  石をかえす
 第二章  私の東京物語
 第三章  恋の石ころ

 かれの幼少時からの展開だけに当然ながら文章が平易だし、とても読みやすく、ページを捲るたびに臨場感に満ちていた。楽しかった。一気に読むともったいないなと思うも、私とすれば同世代だけに世情・世相もわかるし、親しみ深く、おなじ目線であり、一晩で読まされてしまった。

                 ☆

 かれは茨城県北浦村という田舎の、極貧の家庭で生まれ育っている。とはいえ、終戦後は全国津々浦々の家庭は、いずこも食糧難で貧しいから、みんな明るい生き方ができた。子どもらは自然のなかで、遊び方をよく知っている。

 山野にいけば、いまは雑草といわれようとも、当時は貴重な食糧だ。無収入・無銭でも生き永らえた。父親が印刷業を廃業し、小説・俳句など投稿のみで生きている。それを克明に描いている。
「この出久根家の貧乏家庭は品質が高く、味があるな」。さすが直木賞作家の父親だと感銘した。やや変わり種でも、そういう生き方ができた時代なのだ。
 
                ☆

 中学を卒業すると、達郎少年は金の卵といわれた集団就職で、東京・月島の古本屋の店員として住み込みで働く。作中ではこの昭和三十年代のエピソードが、筆の上手さで、平明に快く推し進められていく。
 やがて、恋をする。読者としては、達郎青年は独身時代には、どんな女性と交際したのか。奥さん以外の女性とは? 興味津々で目を凝らすも、映画館の銀幕に映し出される女優の列記で逃げられてしまう。ここは「夫婦ケンカ」を避けたのだろうか。まあ、当然だろうな。

 ユーモラスなのは、求婚を承諾してくれた記念に、彼女の希望で「三越劇場」で高倉健の『八甲田山』を観たことだ。たしか零下四十度という酷寒の猛吹雪なかで、明治の軍人たちが訓練中に大量遭難する、という実話が映画化されたもの。深読みもすれば、若き頃の達郎青年はどこか高倉健に似ていたのかな。だから、この映画を記念に観たかったのかな。

 結婚後は、「カミさん」という呼称だ。これは巧い。ぴたり決まっている。......細君とか。女房とか、今流のママとか、となれば、作品全体に幻滅を覚えるだろう。このカミさんが登場するたびに、きわだって作中から彼女が立ち上がってくる。読者として、次はいつ登場するのか、とめくるページに期待してしまう。

              ☆

 独立して杉並区内で5坪という狭い古本屋を開業する。本が売れない。夫婦で食べていくのも難儀だ。「一人で食べられなくても・ふたりは食べられる」。夫婦はともに創意工夫をし、古本の出張販売、手書きの通信販売などで活路を見出す。しだいに登りつめていく。やがて、直木賞の受賞になる。

 サクセスストーリーは、おおむね鼻持ちならないのが常だが、『恋の石ころ』はさわやかに読めるからふしぎだ。出久根達郎の生き様の底辺が苦労人だから、ごう慢さがない。周りにはやさしい。作家として大成功しても、庶民のなかに溶け込んでいる。それがなせる業だろう。

 今、テレビや新聞などメディアは「戦後80年特集」で人物紹介が多い。これらジャーリズムの取材ものよりも、直木賞作家のみずからの筆による、リアルなショート・エッセイの連続作品のほうが、はるかに好感度が高く、楽しめるといえる。
 

 【関連情報】

出久根一千字シリーズ、 2.JPG 発行所 : 藤吾堂出版

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【原爆80年】 長編歴史小説「八月十日よ、永遠なれ」 生い立ち(作家の裏舞台)について

 新著「八月十日よ、永遠なれ」が、2025年6月27日に全国一斉に販売されます。この作品の成り立ち、つまり作家の裏舞台は、読むうえで参考になるかとおもいます。その経緯などを簡略にご説明いたします。

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 一年前に出版社(広島・南々社)から、「2025年は広島原爆八十年ですから、それに関連する長編歴史小説を原稿用紙(400字詰め)400枚で、高校生も読めるものを書いてください」という書下ろし小説の依頼をうけました。
 日清・日露戦争にさかのぼり、なぜ戦争国家になったのか。太平洋戦争がなぜ止められなかったのか。なぜ、広島・長崎に原爆が落とされたのか、という点の要望がありました。


 私は、十九世紀から二十世紀の近現代史は得意とする分野であり、躊躇(ちゅうちょ)するものはない。日本史と世界史との関連性なども、深く知りえていると思っている。
「ただ、むずかしい要望だな。高校生でも読めるとなると、難解な歴史をどのように、平たく書くべきか」
 私は深刻に苦慮しました。

 明治・大正・昭和へと数多く海外戦争や出兵があります。国内の政治・経済・軍事なども複雑多岐です。難解な時代を解き明かす。歴史に精通した人ならば、専門用語も次々につかえる。
 しかしながら、高校生にも読めるとなると、戦争や事件やクーデターの呼び名は変えようもないし。地名、人名などすべてルビを打つわけにもいかない。いくら簡素にして明瞭に書いても限度がある。

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 大人の読者も、小中学校で習った社会科・歴史は石器時代から明治維新のころで終わりです。せいぜい大日本帝国憲法の成立くらいである。高校で日本史を選択していなければ、わが国の近現代史はほとんどわからない。これが実態です。

 さりとて、高校で日本史を選択したひとも、縄文時代から始まり、明治時代からの授業は駆け足だ。大正デモクラシー、シベリア出兵、ワシントン条約などはちらっと聞いた程度です。昭和の金融大恐慌、満州事変、国際連盟脱退など、世界との関連など教わっていない。
 
 学校で習う日本史は、現代でたとえれば、アメリカのトランプ大統領の影響など度外視しており、日本人による日本の政治です。海外戦争は敵国・相手国の事情がとても重要です。だが、泥沼の日中戦争にしても、中国の国内事情など、日本史では教えていない。ことごとく、日本史は世界とリンクしていない歴史しか習っていないのです。国際感覚はおそろしく貧しく無知に近いのです。
           ☆

 私は数か月も、あれこれ思案した。
「いっそうのこと、主人公を高校生にしよう。彼らの青春小説としよう」
 そこにたどり着きました。
 登場人物の主役は、高校二年生・十七歳の男女六人と設定しました。それは大胆な決意でした。というのも、この年齢は思春期で、恋愛に興味もつ。異性を意識し、敏感で、傷つきやすいし、繊細である。暴走もするし、男女が心を傷つけあう、失恋すれば、自殺もできる年頃ですから。

 作家はその心理を的確に描ききる必要がある。そこで、さわやかな恋心もくわえた17歳の男女の青春物語としました。楽しく、愉快に、時には涙し、読んでもらう。六人の個性を前面にだす。恋心を追えば、ごく自然に歴史が学べていた、という展開にしました。
 題名は「八月十日よ、永遠なれ」と決めました。それを持ち込んだ出版社は、「えっ、八月十日に何があったの」とおどろきました。

 広島原爆は八月六日、そして長崎原爆とソ連軍の満州・千島侵攻は八月九日、ポツダム宣言受諾は八月十四日、昭和天皇の終戦の詔書のラジオ放送は八月十五日である。
「八月十日は、読んでいただければ、わかりますよ」
 出版社は一読して、なるほどね。高校らしい斬新な結末だ、とすぐさま出版が決まりました。
毎日新聞 広告.JPG

    
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  •  現在、世界中に核兵器が一万二千発ある。プーチン大統領がウクライナ侵攻から、核兵器の脅しをかけ続けている。高校生六人の男女は「歴史クラブ」を立ち上げる。そして、いかにして、核兵器を一発も使わさせないことができるか。奇想天外、逆転の発想、若き柔軟な頭脳で、かれらは取り組んでいく。その結果が、八月十日にたどりつくのです。

     これまで私は、知人・作家仲間ら延べ数十人から、「八月十日はなんの日なの」と質問されました。一人として、ぴたりと言い当てた人はいません。

     理由は簡単です。私たちが習った日本史は、限られた日本だけの小さな範囲、つまり「狭隘な範囲」でしか太平洋戦争を 見ていないからです。 
     現代のトランプ政権を見るように、当時のルーズベルト・トルーマン大統領の政権を日本側から真剣に直視していたならば、米国の最も重大な会議が八月十日だったとわかるのです。


     2022年から高1の必修科目「歴史総合」(日本史と世界史をドッキング)を習った現代の高校生たちは、アメリカ、イギリス、ポツダムなど海外から当時の軍国主義の日本を見る目が養われているのです。地球規模からみれば、太平洋戦争の終結とは東西冷戦の始まりです。かれらはそこから「八月十日」を掘り当てるのです。

     その内容は、読んでからの楽しみにしておきましょう。

    メディアの編集・論説者たちは、戦前において戦争を煽りつづけた歴史を忘れすぎている

     最近の私は、歴史小説の範囲を幕末ものから、次のステップで「明治維新から太平洋戦争まで」の近現代史へとシフトしてくる。
     そこで常に「なぜ、こんな大戦争をしたのか」という疑問を向けると、まいず国民が熱狂的に軍部への期待が高かった。国民をそのように仕掛けたのは当時の新聞である。
     
     政府は膨大な軍事費の捻出に苦しみ、戦争は避けたい。しかし、各新聞は政府は弱腰だといい、世論を戦争への煽りつづける。これでもか、これもかと。
     
     日露戦争でもしかりだ。政府が非戦への逃げ道をなくさせたのは、新聞記事である。事実上の戦争推進者だった。

     昭和に入ると、犬養毅が内閣総理大臣になった。かれは満州国を認めなかった。海軍の青年将校らが、首相官邸に押し入った。「話せばわかる」というが「問答無用」と射殺した。
     それら青年将校が裁判にかけられると、日本国中から、減刑の嘆願書が数万通も届いた。これを煽ったのは新聞である。
     満州国の独立が日本の傀儡政権で、国際連盟で総反発で、日本の主張をどの国も認めなかった。
     
     犬養毅が暗殺されなかったら、あるいはテロリスト・青年将校の減刑嘆願を煽らず、テロ批判に回っていたら、太平洋戦争という不幸な戦争はなかった可能性が高いはずだ。 

                    ☆   

     戦後八十年記念特集がメディアで流れ始めている。
    「謙虚に歴史的事実を認め、過去と誠実にむかいあうことである」
     そんなふうに他人ごとで書いている。あるいは報じている。
            
     明治から77年間にわたり我が国を侵略戦争へと煽りにあおったのが新聞だった。悲劇的な運命をつくった加担者だった。という国民への謝罪一つすらない。むしろ、『新聞は無関係でした、正義の味方でした』と美化しカムフラージュしている。

                  *  

     新聞はいまや斜陽化している。それでも過去からのジャーナリズム精神のうえに胡坐をかいた高慢な意識と態度である。自分たちに不都合なことは書かない、逃げることが多すぎる。ろくに取材はしないで、広告(コマーシャル)をこれでもか、これでもか、と流しつづけている。スポンサーの不利なことは書かない。
     報道の品質の低下は甚だしい。まさに自滅への道をすすみはじめている。

     あえてメディアの危機を、私がヒステリックに叫ぶ気持ちはなどないが、「もはや必要としないテレビも新聞もこの世から消えていく」という賢者の言葉が真実味を帯びてくる。

     打つ手はないのか。ここはいちど「昭和初年から100年を洗いなおす」「戦争責任を問い直す」という姿勢と熱意がなければ、再生へ道はなく、奈落へと向かうだろう。というのも、政治家・軍人・皇室に諂(へつら)った往年の姿勢がいまなお現存していないか。むしろひどくなっていないか。内面的な悪魔の手がはたらいていないか。それを問い直すときである。

     民主主義の基本は、顔を民に向けておくことだ。それをもって報道の自由が保障されるのだ。

                  *  

     YouTubeは、玉石混合である。玉(良いもの、価値のあるもの)と石(悪いもの、価値のないもの)が混じり合っている。しかし、市民ジャーナリズムが確実に制度を高めている。
     いまでは、大手メディアよりも、質の高い宝石(真実)が見つけられる可能性が高くなってきた。

     海岸の砂浜を歩くのと同じである。小粒の砂、蛎殻、海中で死んだ魚も打ちあげられている、海藻もある。とんでもないものも遠路から流れついている。それでも、輝く宝石すらもみつかることがあるのだ。
     庶民の目が肥えてきている。自分たちみずから真贋の見極めすらもできてきている。

     それはなにを意味とているか。メディアが情報を篩(ふるい)をかける、という役目が終焉に近づいてきているのだ。とりもなおさず、情報の独占・寡占でなくなったのだ。それを踏まえて

    【近現代史】日中戦争から太平洋戦争へ。二等兵の草むらに隠れた20分間の用便が源流だった

    ......近衛文麿(お公家さん)・内閣総理大臣が就任して、一か月後に盧溝橋(ろこうきょう事件が起きます。
     北京に近い盧溝橋の橋のたもと些細な事件からはじまります。それはまるで落語にでも出てくるような、笑い話しです。二等兵が草むらに隠れた用便が発端です。
     戦争の発端とはこういうものでしょう。
     ここから日中戦争・太平洋戦争、そして広島・長崎の原子爆弾の投下、さらにソ連軍の宣戦布告と同時に侵攻へと歴史は折り重なっていきます。

                 ☆

     大陸の水は汚水が混じっているから、兵士はぜったいに生水を飲むな。
     これは日清戦争において日本兵の戦死者が1417人で、これにたいして戦病死は1万1894人である。変死は177人。このように十人中九人は病死(伝染病と脚気)であった。
     日本人が中国大陸に渡り、戦いのさなかの銃弾・砲弾による死者はきわめて少人数であった。病死者は一ケタちがう。その原因が、喉がカラカラになった日本兵が細菌に汚染された生水を飲んだからである。

     昭和12(1937)年7月7日に、中国の北京近くで「盧溝橋事件」が起きます。深夜10時ごろ、日本軍が夜間訓練をおこなつていた。数発の銃声音(訓練の空砲かもしれない)が 鳴りひびいた。
     中隊長が点呼を取らせると、一人の二等兵がいない。ひとまず連隊本部に連絡した。その連隊は東京の陸軍省に一報を入れた。
     ところが現地では、点呼から20分のちに、新兵・二等兵が草むらから出てきたのである。
     小隊長・中隊長らは、用便で行方不明とはカッコ悪いと思ったのか。夜明けに連隊本部に報告した。
     このころ、牟田口(むたぐち)連隊長が中国軍による射殺だろう、と決め込んでいた。中国側は否定する。
     日清戦争以来、日本人はとかく上から目線で中国人をみくだしている。中国側の言い分は虚偽だとみなし、小攻撃を命じた。
     
     北京近くの日本陸軍らは、戦争したくてウズウズしている。「職業軍人は胸につける勲章と階級が欲しいのです。戦争がなければ、手柄は立てられず、特別昇格の栄誉にもありつけない。そこで高級軍人が考えることは戦争を仕掛けることである」
     張作霖(ちょうさくりん)爆破事件、石井莞爾(かんじ)の満州事変、その後も各地の戦場で、将兵らがあえて戦争を仕掛ける行動が多々あります。

     近衛文麿は陸軍の陰謀だろう、と疑っていたのです。近衛内閣の米内海軍大臣も、次官の山本五十六も、ほぼおなじで考えだったようです。
    「事件を拡大させず、現地で解決に努力するように」
     近衛はそう指示を出しながらも、

     陸軍大臣・杉山元が、「新兵が20分の用便による騒ぎだ」とわかってながら、
    「戦闘が拡大することになれば、在留邦人の1万2000人の安全は保証できない。それどころか、日本軍も全滅する恐れがある。大軍の中国軍をけん制する意味でも兵を増員してほしい」
    と満洲の関東軍、朝鮮にいる軍隊からの増兵、それと日本内地から3個師団の増派、それにかかる予算・三億円を要求してきた。
     軍部の顔色ばかりを見ている近衛文麿は、内閣総理大臣になってから一カ月余りで、大戦争の端緒を切ったのです。

     日本の大軍が北京付近を征圧した。次なるは上海を攻撃した。さらに南京を攻略する。ここまで、わずか半年間だ。これには兵站(へいたん・兵糧支援)の作戦ができておらず、「現地調達せよ」という略奪・強奪をがみとめられている。

     日本軍がたどり着いた南京は四方が城壁で囲まれている。中国兵は軍服を脱ぎ捨て、市民に紛れ込んだ。食料不足の空腹、性の飢えた日本兵が、現地住民に襲いかかった。ここで南京大虐殺が起きた。

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     蒋介石がすばやく重慶に逃げこんだ、ドイツが日中の和平に斡旋に乗りだしてきた。近衛首相がなんと「日本は蒋介石と交渉せず」と悪名高き政策を打ちだしたのだ。
     こうなると、中華民国の蒋介石と共産党の毛沢東も、政権と認めていない日本だから、交渉する政府がいない状態になってしまった。なんのための戦争か。どこまで戦えば、停戦・休戦になるのか。ただ、やみくもに双方が血を流す日々になった。
     こうして「泥沼・日中戦争」という表現でしか説明できない戦争になった。これが太平洋戦争の終結までエンドレスになった。

     戦争とはとてつもない戦費がかかる。地図を見ればわかるが広大な中国大陸を支配すれば、膨大な百万人にちかい日本兵の配置が恒常的になる。国家予算のなかで占める戦費はうなぎ上りとなった。勝算とか、休戦とか。まったくもって見通せず、戦費の垂れ流しである。
     そうなると、日本政府は予算がねん出できず、「国家総動員令」で、人と物は国費でなく、ほぼ無料でつかう。戦争の長期化で、様々な統制が強化される。物資は配給制にする・鉄・金属は供出させる。
     こうして日中戦争のしわ寄せが、国民の生活を苦しめる。国内では物資不足で、闇(やみ)取引を常態化させた。市民の法秩序が狂いだし、「政府批判や戦争反対の発言を聞いたら、すぐに報告するように」と政府が住民同士の密告を奨励する。日々の苦しい生活に、ちょっと不満をもらすと、憲兵や特高警察に告発されてしまう社会に陥ったのだ。

    「近代史」戦後の日本人は、政府の都合の良いプロパガンダにのせられている

     戦前および戦後を通して、日本人がとかく政府のつごよいプロパガンダに乗せられているのはなぜだろうか。近現代史に無知で、政治・経済において無菌状態だからである。

     学校で小・中学でならう歴史は古代から明治時代まで。大正時代、昭和時代、太平洋戦争・戦後の世界はまったくもって教わっていない。
      私たち大人は、おおむね20世紀に生まれている。太平洋戦争の政治・経済・軍事などは、祖父母、あるいは両親から断片的に聞いている。

     ポツダム宣言、日本国憲法、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約ということばは知っている。ただ、学校の歴史として習っていない。
     政府のいうから概(おおむ)ね、正しいのだろう、と信じ込んでくれる国民性だ。為政者には、これがとても都合がよく、プロパガンダで利用しやすいのです。

    「ポツダム宣言は13カ条の条件付き降伏である」にもかかわらず、戦後の政府は「ポツダム宣言は無条件降伏だった」と信じ込ませてきた。

    「憲法はOHQの押し付けだ」というと、そうかな、と思ってしまう。


    「天皇制を残したのはマッカーサー元帥だ」という。マッカーサーと天皇にツーショット写真から、そうかな、と思う。
     終戦後の日本の内閣は瓦解(がかい)したけれども、曲りなりにも内閣総理大臣が選出された。その苦労は並大抵ではない。国民は飢え死に寸前である。住まいは廃墟で建物がない。この復興にたいする政府予算はない。中国大陸や東南アジアから大勢の復員兵を受け入れる、と同時に、失業者の群れだ。
     それに対応するには、急激に政治システム・社会システムの変革がともなった。そこで考えたのが、「マッカーサーの命令だ」という金科玉条のプロパガンダである。

                 ☆
     
     天皇ヒロヒトは第二次世界大戦の主役である。米軍の元帥の立場で、国体(天皇制)を残すなどと、決められるはずがない。アメリカ政府である。ところが、日本政府は、水戸黄門の印籠よろしく、「天皇を存続させたのはマッカーサーの絶大なる権力なり」と日本政府は演出したのである。アメリカには国王がいない。
     1945(昭和20年)年8月30日にマッカーサー連合国軍最高司令官が厚木にやってきた。9月17日頃に東京に行くまで、横浜市の山手にいた。それから10日のちに9月27日の昭和天皇と面談した。
     
     そんな短時間に独断で、天皇ヒロヒトの地位と身分は決められるはずがない。軍人の元帥一人の思惑でなく、米国政府の判断である。

     アメリカ政府が終戦前から、トルーマン内閣で7000万人の日本統治を考え抜いていた。天皇を残す。この裏には、ドイツ・ポツダムで、イギリスのチャーチル首相が絡んでいる。

     イギリス王室は「君臨すれども統治せず」である。日本の皇室は存在するものの政治権力は持っていない。戦争責任は日本政府(the Government of Japan)にして、その上に君臨する天皇・宮様は処分の対象にならず。よって、昭和天皇のみならず、皇室の宮家は軍人階級トップにいたが、だれひとり戦争責任を問われていない。
     イギリス流の発想である。

                    ☆

    「マッカーサーの命令だった」と現代までも、その神話が脈々と生きているのだ。

     明治以降の政治家は、隠す。ごまかす。政府の都合のよいプロパガンダで国民を戦争国家に導いてきた。「日本は神の国だ。神風が吹く。いちども負けたことはない」と。あらゆる儀式、場面で、玉砕するときも、「天皇陛下バンザイ」である。
     挙句の果てに、太平洋戦争で、日本列島の都市部は焼け野原になり廃墟になった。たいせつな人命も、財産も失った。
     
     その昭和天皇が昭和二十一年の元旦に、神聖にして犯すべからず、という立場から降りてきて、「人間宣言」された。
     そうなると「マッカーサー神話である」。マッカーサーは神の声である。絶対の権限を持っている、と国民を信じ込ませた。

     あらゆる政府の決め事が、マッカーサーの鶴の一声で決まったような演出である。日本人は、この世で、一番強いものだと思い込んでいた。

     アメリカのハリー・S・トルーマン大統領は、1951年4月11日ニダグラス極東軍司令官の職から解任しました。
     朝鮮戦争(1950-1953)の最中、トルーマン大統領は限定戦争の方針だった。ところがマッカーサーが中国本土への爆撃や台湾の国民党軍との連携を提案してきた。トルーマンはシビリアン・コントロール(文民統制)で、マッカーサーを解任させたのだ。

     これには日本人のすべてがおどろいた。
    「トルーマンが最高司令長官を解任する権限を持っていた」
    「いかなる軍人でも、民間選出の大統領の命令には逆らえない」

     戦前・戦中において日本の軍部の政治介入が強かった。このマッカーサーの解任によって、「国民が選んだ政府が、軍人よりも上にいる」と学んだ点は大きかった。
    「マッカーサーの絶対・君臨」がほころびる。すると、かっての天皇の絶対的君臨の存在から、象徴天皇へと国民の意識が変わっていった。

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