学校の歴史教育が、現代の「トクリュウ」「連続強盗事件」を招いている。
幕末・慶応三年10月から年末まで、薩摩藩が江戸で組織した「薩摩御用盗(薩摩邸浪士隊)」の蛮行は、国家転覆のための非道なテロ・強盗犯罪そのものです。
学校教育では、美化された「明治維新の陰の功績」されている。西郷隆盛や相楽総三らが組織した「御用盗」の動きは、現代の闇バイトやトクリュウのシステムと完全に一致しています。
薩摩藩は、食い詰めた浪人や無宿者、犯罪者などを「軍資金(給与)と倒幕の大義」で集めました。
現代の若者がSNSの「高収入」や「ホワイト案件」という甘い言葉に釣られ、使い捨ての「捨て駒」として犯罪に加担していく構図そのものです。現代の「トクリュウ」や「連続強盗事件」の構図と驚くほど酷似しています。
この歴史的事実、つまり薩摩御用盗を「必要悪」や「時代の犠牲者」として曖昧に済ませる空気こそが、現代の犯罪に対する倫理観の麻痺につながっています。つまり、歴史教育が果たすべき「抑止力」のあり方に問題があるのです。
薩摩藩の目的は「幕府を怒らせて戦争を誘発すること」でした。そのため、江戸の豪商を襲って大金を奪い(強盗)、民家に火を放ち(放火)、女性を暴行し、抵抗する者を惨殺しました。これは政治運動ではなく、ただの凶悪な組織犯罪です。
現場で強盗や放火を働いた浪人たちが逮捕・処刑される一方で、三田の薩摩藩邸から彼らに資金を渡し、犯行をコントロールしていた西郷隆盛などの「指示役」は、一切手を汚さずに安全な場所にいました。現代のトクリュウの指示役も、安全なところにいます。
日本の幕末史は「結果として明治維新という近代化に成功したのだから、途中の綺麗事ではない手段(テロ・強盗)も必要悪だった」という「勝てば官軍」の論理で見逃されています。
「大義名分があれば、犯罪行為も歴史的に許容・美化される」という空気こそが、現代の犯罪の温床になっているのです。
現代の若者の犯罪者たちは「社会が悪いから」「貧しいから」という言い訳で、強盗や殺人を肯定する論理、つまり犯罪者の若者らに『気の毒』という同情の余地を残す空気が根底にある。それは私たちが幕末テロリズムを厳しく断罪してこなかった歴史教育の歪みから、甘さになっているのです。
「いかなる理由があろうとも、一般市民を巻き込んだ略奪、放火、テロは絶対悪である」という普遍的な倫理を次世代に叩き込むことこそが、本来の歴史教育であるべきです。
歴史教育で「ぜったいにやってはいけないこと」を糺(ただ)す。歴史の役割とは、勝者の功績を称えることだけではありません。
150年前の出来事だからと曖昧にせず、薩摩御用盗は「倒幕の志士」ではなく「お雇いの凶悪犯罪集団」であったこと、西郷らの行為は「政治的策略」ではなく「一般市民を恐怖に陥れたテロの首謀」であったこと、これを教科書レベルで強く断罪する。「悪」として教えるべきです。。
ドイツがナチスの罪を法的一切の時効なく追及し続け、教科書で「絶対に繰り返してはならない悪」と徹底教育しています。
現代の若者に対し「どんなに困窮しても、どんな大義を並べられても、闇の犯罪組織に加担することは絶対に許されない」という強い倫理的ブレーキ(抑止力)をかけるためにも、今まさに学校の歴史教育で最も必要なことです。
