歴史の旅・真実とロマンをもとめて

【歴史から学ぶ】「医療崩壊」の元凶、国民にとって日本医師会は必要なのか (下)

 わたしが二、三十代のころ、腎臓結核を病んでいた。入院ちゅうに聴いた、当時、大学病院の助教授がつぶやいた言葉が、いまもつよく脳裏に残っている。
「医者が開業医になって、ベンツを乗りまわすようじゃ、ダメだな」
 私が通った高校の一年先輩が、偶然、入院病棟の医師だった。
 患者のわたしの目でみても、先輩は静脈注射が看護師より下手で、同僚医師から、治療の段度取りに気がまわっていない、ミスは多いと陰口を叩かれていた。
 再入院したとき、その先輩の姿がみえないので、回診ちゅうの助教授に事情を訊いてみた。静岡の病院に娘婿に入り、ベンツを乗りまわしている、と教えてくれたのだ。

 それから十数年後に、昭和天皇が泌尿器科系の入院治療を受けているときだった。教授になっていた方が、TVのインタビューで、天皇の症状について応えていた。なつかしくもあり、調べてみると、書籍「日本の名医100人」のなかに入っていた。

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 現在、新型コロナウイルスの問題で、日本のみならず、世界中がこの問題に真剣に取り組んでいる。「医療崩壊」という言葉が四六時ちゅう飛びだす。

 日本医師会の会長はつねに声高に「医療崩壊」を叫ぶ。世界でも有数の医療ベッド数を誇りながら、なぜ不足なのかと、ふしぎな疑問だった。
 為政者はつねに「専門家に意見を聞く」と振りまわされている。

 日本医師会の発言は大きい。さも、国民の味方のようなふるまいだ。錯覚を起こさせているのではないか。善人、博愛ぶると、作家の癖で疑問を持ち、本心をのぞきたくなる。
 まず、この会の実態はなんだろうか、と調べてみた。
 全国の医師資格者の約5割強が加入し、執行部は開業医がすべて占めている。かつての武見会長を思い出した。日本医師会はもともと「診療報酬にしか興味がない圧力団体である」、「開業医の利益を優先し、勤務医をないがしろにしている」と強い批判がある。

同会に入っていない勤務医が残り半数なのか。勤務医の代議員は10%程度だ。つまり、開業医たちの団体である。

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 現会長は、医療崩壊を叫んでいる。同会長が経営する札幌市内の病院のHPをみてみた。すると、PCR検査もコロナ患者を受け入れていない。えっとおもった。発熱者の立入禁止だ。
 札幌はクラスターが発生している。それらの対応の努力もせず、民を門前払いか。医療崩壊だけを叫ぶ。国民に寄り添うゼスチャーでごまかす。

 日本医師会会長が自分がコロナ患者の治療もせず、「医療崩壊」を叫ぶ。その本心はいったいなにか。簡単明瞭にみえてきた。
『国民に自粛させよ。新規陽性者を急激に減らさないと、街の診療医のところにまで、コロナ患者が押し寄せてくる。受け入れると、風評被害で医療従事者の経営が圧迫する』
 という趣旨の政治圧力をかけているのだ。
 かたや、ベンツを乗り回している上級国民である。仮面をかぶっているのだ。
 そんな内情を知っている政治家が、自粛がバカバカしいのか、深夜まで飲み歩いている。

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 幕末に、老中首座の阿部正弘が、当時の漢方医たちの政治団体に屈した、という歴史的事実がよみがえってきた。
 疫病の天然痘による幼児の命よりも、利権を主張した漢方医たちだった。
 
 世界を震撼された天然痘だった。牛種痘の接種が発見された。そのジェンナーの牛痘法は極々、軽微な発症ですみ、そのうえ新しい痘種(タネ)がとれるというメリットがあった。
 オランダ医学(蘭方医)から、それら文献が日本に入ってきた。

 福井の松平春嶽や、鍋島藩から幕府に牛種痘の輸入の進言があった。

 嘉永2(1849)年、漢方医と蘭方医の対立が起きた。漢方医は徳川将軍の治療(奥医師)など絶対の権限をもっていた。かれらは老中首座(当時の内閣総理大臣)に対しても圧力がかけられる強い団体だった。
『人の瘡蓋(かさぶた)を粉にし、幼児の鼻から吹き込む人痘法』
 従来の漢方療法を推す。幼児の犠牲が多い。しかし、かれらは権利主張で、オランダ医学の牛の種痘を入れさせない行動をとった。

 漢方医は医学の専門家という立場から、老中首座の阿部正弘にたいして強烈な圧力をかけてきた。それはオランダ医学の禁止という『蘭方医禁止令』と、医学書の輸入も幕府許可制の『蘭学翻訳取締令』という思想弾圧を発布させたのだ。

 ただ、阿部正弘は、松平春嶽の要請から、長崎奉行に天然痘の牛の種痘(たね)の輸入を認可させた。この抵抗が実を結んだ。
 
 漢方医と蘭方医が争うさなか、嘉永2年に、オランダ商館の医師によってジェンナー・牛痘法の種痘(たね)がわずか3人分が輸入されてきたのだ。


 鍋島藩の名藩医の楢林宗建(ならばやし そうけん)が、それをわが児へ植え付けた。3人のうち一人の接種が成功した。
 その若い痘種一つが、長崎の大勢の子どもを通じて数多く新痘種として培養された。そして、長崎から一気に日本各地に広まっていった。

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 佐倉藩(千葉県・佐倉市)にも、天然痘の牛の種痘がとどいた。

 藩主の堀田正睦(まさよし)は蘭学(オランダ学問)に理解があった。「蘭癖(らんへき)」とよばれた堀田は天保14年、堀田は佐藤泰然(たいぜん)を佐倉に招いて蘭医学塾および診療所「順天堂」(現在・順天堂大学医学部)を開かせた。

 佐藤は長崎で蘭学を学んだ外科手術など先端の技術をもっていた。かたや、オランダ語に通じる藩主・堀田正睦は、文献で牛の種痘を知っていた。わが娘に接種し、その安全性を細かく記載し、藩内に通告して、貧農の幼児らにも無料接種したのだ。

「蘭方医学を学ぶなら佐倉にゆけ」といわれるほどで、全国から大勢の優秀な人材があつまってきた。「西の長崎、東の佐倉」といわれるまでになったのだ。

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 大阪の緒方洪庵(おがた こうあん)は、オランダ医学と蘭学の両面で最高峰に位置する民間人であった。大坂に天然痘の種痘の治療として「除痘館」を設立した。かれはなんと豪商の力を借りて無料で幼児に接種していた。その後、コレラ治療にも画期的な成果を上げた。
 蘭学(オランダ語)をまなぶ『適塾』(てきじゅく)を主幹し、福沢諭吉など英才を育成した。まさしく、近代医学の先駆者のひとりである。
 現在の大阪大学医学部へとつながった。

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 安政5年5月7日、勘定奉行だった川路聖謨(としあきら)が神田於玉ヶ池の屋敷内に、(現・東京都千代田区)に「お玉が池種痘所」を設立させた。この種痘所はのちに幕府直轄の「西洋医学所」となり、ここから東京大学医学部になっていった。

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 老中・阿部正弘は享年39歳の若さで亡くなる。かれには漢方医にたいする反発と意地があったのか、松平春嶽、堀田正睦たちが重篤になった阿部を見舞いにきて
「漢方医ではダメだ、西洋のオランダ医学による治療を」と勧めたけれど、幕府の方針だと言い、固辞した。
 漢方医にたいするあてこすりか、「わが身を実験台にする」といわんばかりだった。そして、老中の現職で亡くなった。
 若い阿部正弘の死が、井伊直弼の代になり、安政の大獄を起こし、徳川幕府の土台がおおきく崩れていくのだ。
 ただ、安政の5か国通商条約で横浜が開港されると、外国文化が入り込み、オランダ医学、イギリス医学、ドイツ医学が自由化になった。

 阿部正弘が許可した天然痘の治療から、日本の最先端医療の基礎が作られていったのだ。いまや順天堂大学医学部、大阪大学歯学部、東京大学医学部へ、と現代に名をなす。

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 令和の日本医師会は、嘉永時代に最先端の医療を禁止した漢方医の団体によく似ている。町の診療所医師の大多数が、新型コロナに対応しない。法律のせいにしている。ならば、その法律を変えようとするのか。逆で権利の主張ばかり。コロナと医者の接触を避けている。

 会長の経営する病院のHPをみて、新型コロナと思われる人は立入禁止など言語道断だとおもった。それで、よく医療崩壊と言えたものだ。コロナに恐れおののく国民に奉仕する精神などみじんもないのだ。

 少なくとも、公的病院に勤務し、コロナと向かい合っている勤務医たちの意見を代弁していない。北海道・札幌に戻り、病院の新型コロナの受け入れ態勢でもつくり、そのうえで、医療崩壊を叫ぶべきだ。
 国民が疫病に恐れているとき、日本の医者を代表している顔などしてほしくない。

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 1月末の首相記者会見で、「新型コロナウイルスのワクチン接種が、世界の先進国のなかで最後の最後だ」と追及されていた。
 2月中旬からの接種を目前にし、自治体は医師の数が足りないとあたふたしている。開業医とか、歯医者とかが、国民のために残業してでも、夜なべしても総動員する気はないのか。
 世界一豊富な医療をもちながら、医療崩壊だと言い、自衛隊の軍医に頼っている。恥ずかしいとおもわないのだろうか。

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 かつて農業の米も、畜産の肉も、圧力団体が崩壊し、自由化になった。日本医師会という圧力団体も崩壊し、国境がなくなるだろう。
 医師の国際自由化がすすめば、感染病の治療にも恐れない外国人医師が、日本になだれ込んでくる。偉そうぶってベンツに乗りまわす。そんな日本人医師はそっぽを向かれる。

 いまから100年前に、スペイン風邪が日本でも数十万の死者をだす疫病大災害になった。それから3年後には関東大地震が発生した。私たちは災害列島に生きている。いつ何時、大災害が起きるかわからない。使命感のうすい医師はいつしか淘汰される。

 疫病は政治や文化を変える。それは歴史が語るところだ。

画像=ネットより

                       【了】

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