歴史の旅・真実とロマンをもとめて

【歴史エッセイ】井伊大老の歴史評価、善か、悪か。あなたはどう見る? ①

 井伊直弼(いい なおすけ)は歴史のうえで、善と悪の両極の評価をうけてきた。

 明治時代から一般に、井伊大老は強権的な政治で、思想犯を弾圧してきたという認識がつよい。かたや、横浜市の掃部(かもん)公園には『横浜港の開港の祖』として井伊直弼の立像が巨きな国際貿易港を見下ろしている。
 薩長史観の立場のひとは、井伊大老を暗殺した「桜田門外の変」を過激派水戸浪士の義挙としている。
 為政者の徳川幕府がわからみれば、これは集団テロで殺人事件である。許されない行為だとする。

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 私はことし(2021年)新刊として「紅紫の館」(郷士・日比谷健次郎の幕末)を出版した。徳川がわの人物からみた幕末歴史小説である。
 作家仲間からもらったハガキの一節を紹介しよう。
『紅紫の館は、とても上品な御本に仕上がりましたね。雅な装幀とはまったく異なる「桜田門外の変」からはじまる物語は、読者の意表を突いて興味をそそるものです。幕末動乱のなかで静かに刻まれた真の歴史……』
 紅紫とは、紅と紫の色合いで、孔子の書から引用した「最も美しいもの」という意味合いである。
 第一章が『桜田門外の変』である。徳川幕府の権威を失墜させた重要な事件であり、物語は徳川の視点で徳川政権の瓦解、戊辰戦争(国家分断の戦い)へとすすんでいく。

 この第一章を簡略に説明すれば、
 安政7(1860)年、上巳の日(桃の節句・3月3日)は、大名、旗本らの総登城日である。その日は朝から雪が降り、江戸城の周辺は白く降雪してた。それでも、例年どおり、大勢の江戸市民が見物していた。
 
 井伊直弼大老をのせた大名籠が、彦根上屋敷(現・国会の前庭)から、桜田門の前(現・警視庁の本庁)までやってきた。
 突如として、水戸藩の脱藩浪士のひとりが、「お願いがあります」と訴状の書を掲げて走り寄った。『籠訴』を装ったものだ。
 水戸浪士が一発の単筒(ピストル)を大名籠に打ち込む。それが合図で、十数名の水戸浪士が刀を抜いて、井伊大老の大名籠に襲いかかる。
 見物人からも悲鳴が上がる。
 銃で太ももを撃たれた井伊直弼が、籠のなかから、雪の上に引きずり出される。薩摩藩士がひとり加わっていた。かれが一刀で井伊の首を斬り落とす。
 井伊家の家臣と水戸浪士の双方が斬り合う、大乱闘となった。白い雪が飛びちる鮮血で真っ赤に染まった。

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 多くの歴史作家が、過去から描く井伊大老暗殺の歴史的な事実だ。
 ピストルを使った水戸浪士は、武士道に反する汚点だとする作家もいる。
 司馬遼太郎は短編小説「桜田門外の変」で、「水戸浪士も、井伊大老も、斬られたことによって歴史的な役割を果たした」という。
 遠回しで理解しにくいので、司馬のインタビューを紹介すれば、「暗殺自体は許せない行為だが、井伊大老の暗殺だけは許せる」と述べている。つまり、この暗殺は義挙であるとする。

 
 多くのファンをもった司馬遼太郎は、明治時代を維新として賛美する歴史作家である。その根底には「明治政府は有能で、徳川は無能」という考えが脈々と流れており、特定の人物のヒーローイズムである。
 悪役が必要なのである。それは徳川幕府であり、昭和の日本旧陸軍である。

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 半世紀前から、私の脳裏にはこの司馬史観に対して、
「井伊大老の暗殺は、はたして正義なのか? 居留地の西洋人や洋学をまなぶ日本人を斬りまくった攘夷活動は歴史の必然なのか」
 という疑問として消えなかった。
 いま作家の一翼として歴史小説を書いている。このたびの『紅紫の館』では、井伊家・家老の岡本半介の視点から「桜田門外の変」を描いた。

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 NHKの第一回大河ドラマは、『花の生涯』で、幕末の大老・井伊直弼の生涯を描いた作品である。原作は舟橋聖一。井伊大老の「安政の大獄」を悪ときめつけた人には、第一回の大河ドラマの主人公が井伊直弼とは、まったく意外だち思われるかもしれない。
 しかし、放映当時の日本人の歴史観として、「安政の大獄」は起こるべきして起きた事件であり、井伊直弼には恣意、強欲、思想弾圧などなかった、徳川将軍のために尽くした人物と見なされていたのである。

 それから数年後、司馬遼太郎が「井伊大老は攘夷派が開国に反対すると、支離滅裂で狂気のように弾圧した」と述べている。つまり、司馬は「井伊直弼=悪人」と色付けしたうえで、安政の大獄を狂気とするものだ。薩長の英雄を誇張するために、井伊大老は殺されても仕方ないと展開するようになった。
 その影響が現代まで及んでいる。

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 私は「紅紫の館」において、井伊大老が暗殺された瞬間「桜田門外の変」からストーリーを運んでいる。さかのぼった「安政の大獄」にはまったく触れていない。
 一方で、近著「安政維新」(阿部正弘の生涯)においても、安政4(1858)年の阿部の死去までである。その作中でも、井伊大老が指揮した「安政の大獄」まで運んでいない。
 私自身にすれば、「安政の大獄」はちょうど空白地帯だ。そこで「穂高健一ワールド」で歴史エッセイとして、彦根藩主で大老となった井伊直弼に、歴史の光を当ててみたい。都合4回を予定している。

     写真(彦根藩主・井伊直弼)=ネットより引用

                            【つづく】

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