歴史の旅・真実とロマンをもとめて

【読者の投稿】 高間省三様のお墓に参る  hiro_king

 毎年、「お盆の墓参り」といえば、大方のひとは8月15~16日を指しています。私が東京に来ておどろいた一つには、「東京のお盆」は、なんと7月15~16日である。奇異な感じがしました。江戸っ子はいまでもそうです。

 学生時代には夏・冬のギフトシーズンには、三越・池袋店で、お中元・お歳暮の販売と包装を行っていた。それを資金に、夏山・冬山と登山に明け暮れていました。

 夏のギフトは印象的です。
 お客さんから承ったとき、品物が7月15日まで届かない場合は、熨斗(のし)は「お中元」でなく、「暑中見舞い」です。8月中旬から「残暑見舞い」としてください。熨斗(のし)をまちがうと、三越の恥になりますから、と売り場主任に言われました。

 東京は不思議だな、と思ったものです。かたや内心、届け先が地方だと、8月にお中元でも、三越の恥にはならないのにな、と感じていました。

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 読者のhiro_kingさんから「高間省三様のお墓に参る」というレポートをいただきました。それから3か月余り。
 当初は、「新型コロナの爆発的な感染に警戒を」と連日、おおきく報道されていました。重篤者の数が増えてくる。しだいに、東京オリンピックが怪しくなったので、掲載を躊躇(ちゅうちょ)していました。レポートは下記の内容です。


『修行院のレポートの続きです。4月初旬の話になります。
 先日、オリンピックの聖火が福島jビレッジで展示された事をテレビ情報で知りました。場所は神機隊のみなさんが眠る修行院さんの側で、そこに行く途中には、高間省三様の眠る自性院さんもある。

 御墓参りに参りついでに聖火も見れると考え、広島に居る妻から送って貰った西条のお酒、白牡丹のワンカップを持ち出かけました。自性院さんは双葉駅の側にあり、帰宅困難地域です。
バリケードは駅の周りだけ取り外されてますが奥の方はまだまだです。
道のそばにある家は取り壊しが進んでます。入る事は許可されてますが住む事や家に立ち入る事が出来ないので仕方ない事です。』


 東京都知事が、東京オリンピックの延期を表明しました。その直後に、「オリンピックの聖火が福島jビレッジから」という行事は、ことしは取りやめです、と地元・楢葉町の町会議員(郷土史家)から、残念な内容のメールをいただきました。

 hiro_kingさんから「高間省三様のお墓に参る」は、実にタイミングが悪いな、と思っていますと、非常事態宣言が出てしまった。レポートの掲載は先延ばしにきめました。

 7月のお盆は東京だけで、他の府県は月遅れのお盆(8月15日)ですから、hiro_kingさんレポートは、その直前に紹介しようときめていました。

 下記の内容です。
 
『高間省三様のお墓に参ると前に参った時とは違う花が供えてありました。
 大変ありがたいことです。ちなみに福島の方はお供えの花は造花が多くホームセンターにもお供え花として売られてます。
 高間省三様にまた参った旨や私の近況等を話し、この後、修行院さんに行く事を伝えお墓を後にしました。』


 現在は、これまた新型コロナの拡大で、お盆の帰省にたいして国の方針は、実にあいまいで逃げ回っているし、都道府県の知事の指針は帰省に賛否両論です。

 いま、遠路福島への高間省三の墓参りは迷惑を及ぼします。hiro_kingさんが撮影された、《高間省三の墓》の写真で、手を合わせてあげてください。

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【穂高のヒストリー】

 「GoToトラベル」キャンペーンが昂じて、先の4連休で、沖縄県に多大な迷惑をかけている。政治家は、だれも責任を感じていない。
 過去の不祥事では、「責任は私にあります」と何回も口に出す政治家がいる。その実、待てど暮らせど責任は取らない。
 これが武士社会ならば、責任とは切腹だけれどな、と考えてしまう。現代だから、別に腹を切らなくても良いけれど、政治責任とは内閣か国会の解散である。

 ここで政治家に武士道を説いても、日本人として虚しく情けなくなる。
 
 芸州広島藩の神機隊の隊員が、責任を取った事件があった。紹介してみたい。

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 神機隊の加藤善三郎は賀茂郡竹原村の農民出身である。暦は慶応4年でなく、もはや戊辰戦争が終わった明治元年11月4日である。
 
 神機隊は仙台陥落のあと、帰路として福島・白河ルートを取っていた。加藤善三郎が木立にうずくまる人物を発見した。呼びかけても、返事がない。旧幕府軍の脱走兵だと思い込み、かれは斬り伏せてしまった。
 ところが、長州藩が雇った農民で、誤殺だった。善三郎はその場で長州兵に連行されていった。

 事態を知った神機隊が長州隊におしかけた。双方で、一触即発の空気がみなぎった。善三郎の身柄は、ひとまず事情を聴くために神機隊が引き取った。

「無実の農夫を誤殺した自分に責任があります。自分の切腹で、事態の解決をはかってください」
 福島県白河市の萬持寺の本堂で、

【莞爾(にっこり)と笑ひ散りけり桜花】

 と辞世の句を詠んで。広島に帰る希望も捨て、農民出身の加藤善三郎は、両隊の立会いの下で、切腹したのである。
 
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 加藤善三郎の墓はその萬持寺の墓地にあります。当時から、眼病の神さまだと、現地の多くのひとが参られています。
 
 徳川時代~大正まで、日本人の病気で最も多かったのが眼病です。それは屋敷のなかに囲炉裏があり、薪を炊く、その煙とススが眼球を痛めるからです。

 加藤善三郎の墓が眼病に効く。それだけ大勢の人の墓参りがあったことを意味します。当時の農民比率は約85%です。白河などは9割がたでしょうから、農民どうしの死は痛ましく悲しくて、大勢の涙を誘ったのでしょう。

 機会がありましたら、「加藤善三郎の墓」
(所在地: 〒961-0945 福島県白河市巡り矢65 電話: 0248-23-2939)も、お参りしてあげてください。(写真でお参りは青字をクリック)。
 

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