歴史の旅・真実とロマンをもとめて

明治時代~昭和中期、広島の近現代史をひも解く ②

 広島のひとは近現代史に疎(うと)い。それが私の実感である。広島は原爆投下(昭和20年)以前の日本史にさして興味をもたない風土がある。教える人もかぎりなく少ない。
 つまり、毛利元就から原爆まで、空洞だともいえる。。

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 私が広島で、幕末史を語ると戊辰戦争まで、あるいは贋金づくり、武一騒動までに止めている。
 そのさき廃藩置県、地租改正、廃仏毀釈、自由民権運動、明治憲法へと話題をすすめても、おおかた興味も・関心も持たないだろう、と私は自分を制していた。

 私はときに、幕末、明治、大正、昭和初期におよぶ執筆もする。時代は令和になったし、近現代の広島にふれてみようかな、とも思う。これも出身地への想いかもしれない。

 裏を返せば、他府県の人ならば、言いにくいことも、
「広島の歴史は、原爆だけではない。戦後だけじゃない。江戸時代の藩主が毛利だと思っている県民が半数以上だ。なにを教育しているんだ。原爆で資料がなくなったと恣意的、うそをついている」 
 とズケズケいえる立場にある。
「ならば、古代~封建制度は抜きにしてでも、明治時代からは身近な問題だから、教えるべきだ」
 わたしはときに遠吠えにも、むなしくも感じる。でも、あきらめてはいけないのかな。広島は手付かずの歴史の宝庫だ。

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 明治初期の製紙工場は、渋沢栄一と王子製紙が先駆者(せんくしゃ)だというのが、一般認識である。近代製紙業発祥の地は大阪だともいう。
 その実、日本の洋紙産業は、浅野長勲(ながこと 広島藩最後の大名)が最初にスタートを切ったのである。ここらの歴史も、広島は他府県に良いとこどりされていな、と思う。

 日本が近代化を推し進めるには、製紙、紡績、鉄鋼が重要な基幹産業だった。長勲はその認識に立って、洋紙製造工場をつくったのである。
 浅野藩を藩論一致の下で倒幕を推し進めたことと言い、とても時代の先読みができる人物だった。

 具体的には、長勲は明治5年(1872年)、有恒社(ゆうこうしゃ)を立ち上げて、日本最初の洋紙製造工場を(東京・蛎殻町)つくった。明治7年(1874年)に稼動する。
 
 長勲はこのさき新聞、雑誌・書籍、庶民生活で洋紙が中心になると、製紙業を手掛けたのである。そこで、まずイギリス人建築技師を招いて工場建設に着手した。と同時に、抄紙機(しょうしき)をイギリスから輸入した。それは製紙工場において、紙を連続的に抄く機械である。
 旧広島藩の者が多く雇用された。薩長土肥の主導の廃藩置県で、武士階級がなくなったから、長勲はかつての家臣たちを失業させず、工員として働ける場の提供も兼ねたのである。
 こうした大名(藩主)は、全国にどの程度いただろうか。
 長勲は昭和12年(1937年)に死去するまで、広島人にとても好かれていたという資料が多い。しかし、いまでは、原爆で資料がなくなったと平然と言う。
 
 ただ、当時の日本は、筆と和紙の世界だった。新聞などの需要が進んでおらず、洋紙をさして必要としていなかった。
 赤字続きであった。しかし、長勲は日本の近代化が進めば、かならず洋紙の需要が増えるとし、大正時代の終わりまで、経営をつづけた。

 明治時代の最も大きな事件といえば、日清戦争と日露戦争である。
 1894年(明治27年)に勃発した日清戦争では、大本営(ほんえい)が東京・宮中から広島に移された。
 大日本帝国軍の最高統帥である明治天皇が、広島に移られた。日清講和条約(下関条約)調印後の1895年(明治28年)5月30日までの227日間にわたって指揮を執った。
 この間に、国会が開かれている。つまり、首都がいっとき広島に移ったのである。

 こうした経緯もあったのだろうか、太平洋戦争では東京が第一軍都、鈴鹿山脈から西は広島が第二軍都になった。むろん、アメリカには両軍都の位置づけが筒抜けである。
 
 昭和20年3月10日未明の東京大空襲は、焼夷弾による無差別殺人である。米軍のカーチス・ルメイは、日本がそれでも降伏しなかったので、第二軍都の広島に原爆を投下した。

 歴史的見地から見れば、日清戦争の大本営が原爆の投下の起因の一つであった。広島人がここから眼を逸らすことなく、明治時代から直視する必要がある。

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 カーチス・ルメイには、勲一等旭日章が授与された。佐藤栄作総理大臣が認めた。推薦者は、防衛庁長官は小泉純也(小泉純一郎の父親)である。
 勲一等の授与は、天皇が直接手渡す「親授」が通例であるが、昭和天皇は、無差別殺人を行ったルメイを嫌い、みずからの手で親授しなかった。
 広島の行政人は、この昭和天皇の心を想い、ルメイの子孫に勲一等旭日章の返還を求めても良いのではないだろうか。
   
 明治、大正、昭和、平成、そしていまは令和の時代になった。昭和は現代史でなく、近代史の領域に入ってきた。史実もあれば、推論も出てくる。

 源田実(広島県出身)が、「日本も原爆を持っていたら使用しただろう、日本本土にも米(軍)の核持ち込みを認めるべき」と発言している。この発言は事実である。
 参議院議員となった源田の一連の発言から、ルメイの叙勲の提案者ではないか、と当初から疑われている。ここらあたりも、後世の歴史家に任せられている。

 広島人よ、もっと自分たちの近現代史を学ぼうよ。
 

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