歴史の旅・真実とロマンをもとめて

明と暗の歴史を遺す広島湾を歩く(下)= 似島

 日清戦争のとき大陸の戦地で、コレラなどの伝染病が流行していた。日本兵がそれを持ち帰ったことで、日本全国に広がってしまった。

 大陸からの伝染病を水際で防御する、その「検疫所」の設置が急務となった。


 似島には検疫所の遺構がいくつか残っている。

 大陸からの帰還兵は宇品港に着く。似島が宇品のすぐ沖合に位置していたことから、明治28(1895)年、後藤新平が指揮して、似島検疫所が2ヵ月の突貫工事で建設された。

 同島の検疫所内には、「捕虜収容所」が併設された。第一次大戦時の青島攻撃で、捕虜になったドイツ兵がこの似島に収容された。

 旧陸軍が管轄する似島検疫所は、哨兵が各所に立ち、機密保護に努めていた。 

 ドイツ人捕虜のカール・ユーハイムが、収容ちゅうに「バウムクーヘン」を焼いた。とても美味しくて、広島見本市に出品された。そして、わが国にまたたくまに広がった。
 似島はバウムクーヘン発祥の地といわれている。

 案内してくれる藤井さんが、この公園を手掛けた。思い出話がたっぷり。そのなかには、原爆病で命を落とした人たちの話も多く含まれていた。

 この島はサッカーとして名高かった歴史がある。

 1919年(大正8年)、第一次世界大戦で日本軍の捕虜となって、似島検疫所に収容されていたドイツ人と、広島高等師範学校の学生による親善試合が行われた。
「日本で初めてのサッカー国際試合」ともいわれる。

 捕虜・ドイツ兵はサッカーがとても妙手で、日本中のサッカー関係者から注目されたそうです。
 

 広島のカキはとても有名です。

 これ以上、語ることもないでしょう。

 ホタテ貝の牡蠣殻に、種付します。

 似島の海岸には、幾何学的に、蛸壺(たこつぼ)が並んでいます。ちょっと愉快な気持ちになれました。

 島の急病人は、救急車と広島消防署・救急艇の連係プレイで、広島市街地の病院に搬送されます。


 
 広島・宇品港にむけて、高速艇は出港の汽笛を鳴らしてから、疾走していきます。約20分間の航海です。

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