歴史の旅・真実とロマンをもとめて

地中海のマルタ島を訪ねて=100年前の彷徨(2)

 マルタ島は、イギリス支配下が長かった。それだけに、英語が母国語なみに通じる。こちらの質問があやふやでも、文法通りでなくても、相手は充分くみ取ってくれる。

 日本に来た外国人から、「知っている、銀座」と問いかけられても、この人は銀座に行きたいんだな、忖度(そんたく)して、交通機関を教えてあげられる。
 それとおなじ。こちらがネーティブな英語の答えを聞き取れるヒアリング力さえあれば、5W1H的な質問で、十二分に通用する。

 マルタ島のホテルは、リゾート地で、アメリカ資本の豪華なホテルだった。およそ、Dバッグの旅行者には似合わない。これならば、ツアーの約2倍だ、と妙に納得させられた。

 フロントの女性から、いきなり「お水を飲みますか」と問われた。戸惑う。どういう意味ですか、と聞き返しても、同様のことばしか返ってこない。
 わたしは久しく使っていない英語が理解できないのかな、と思った。
 すると、グラス・コップを見せられた。『駆けつけ一杯の日本酒』ならば、即座に理解できたはずだか、フロントで水を勧められる習慣にはおどろかされた。

 わたしはかつて米国を旅したとき英語で質問できても、答えが聞き取れなかった。その反省からしゃべれなくてもよいと思った。東京はFEN(横田基地の米軍放送)が聞ける。ニュースをカセットに録音し、毎日2時間、3年半にわたって英語のシャワーを浴びている。

 thなど、日本人の発音のないものはとうとう聞き取れなかったが、ニュースの速さでも、かなりところついていける。ただ、耳で受け止められても、頭のなかで翻訳しようとすると、止まってしまうけれど……。

 駆けつけ一杯の水から、わたしの英語の日々がスタートした。

 地理を知るためにも、欧米人の雰囲気になれるためにも、翌朝、宿泊ホテルで「1日乗り放題の観光バス」の乗り場とチケットの購入方法を訊いた。


 首都・バレッタに近づいた。そろそろ観光バスから降る算段をした。乗り継ぎ自由だから、気が楽だ。

 メイン通りはにぎわっていた。マルタ島には日本人・中国人らしき東洋人が皆無だ。ナイジェリアなど近いはずだが、アフリカ系のひともいない。まわりは欧米系とマルタ人だけだ。

 ローマの東洋人の多さのうんざり感から、1日で解放された。と同時に、ケータイ通信がないし、現代の日本など、どうでもよくなった。スムーズに100年前の世界への連想に入り込めた。
 
「100年前の高間完中尉は、目のまえにある風景や人物に接し、どんな気持ちになれたのか」
 わたしはつねに自分の思慮をそこにおくことができた。


 バレッタのメイン通りの左右はすべて傾斜道だった。事前にマルタ観光局から仕入れた知識によると、古代の騎士団の防御のために作られた地形らしい。数千年の歴史がある都市だから、100年前の日本軍人がみた地形と同じ、と教わっていた。その目で凝視できた。

 高間完はこのバレッタの街を左右を見ながら、歩いたのだろう、と感慨を持てた。

  
 かたや、石造りのアパートで、ほとんどが低層だった。「木の文化」の日本人ならば、スクラップ・アンド・ビルドで、まずは全部取り壊してしまうだろう。湿気が多い、日本で数百年の石の家にしろ、かび臭くて、耐えられないだろう、と現代人の目にもなってしまう。
 

 わたしには寺院の興味がない。高間完は晩年にはキリスト教徒になったと聞いている。となると、聖堂を訪ねている可能性は高い。バレッタでも名高い一つに足を向けた。
 ローマのように数百人の列だったら、時間の無駄で止める気でいた。ちょうど12時の昼食どきだったので、20人ほどの列だった。

 聖堂の内部は撮影が自由で、フラッシュだけは禁止だった。
 一眼レフならば、うまく撮れるのにな、と思ったが、Dバッグ一つでは古いデジカメだけだ。そのうえ、画素数の高いスマホカメラは失くしている。「写りが悪いな。ぶれるな」とカメラの静止に工夫を凝らしながら、シャッターを押していた。
 それでも、日本のように、なんでも撮影禁止とちがい、心地よい。

 高間完はどんな想いで聖堂のなかを鑑賞していたのだろう。

西洋人は、首を高く曲げて、感心して魅入っている。だが、わたしのほうは宗教画を観ながら、日本の浮世絵とか、春画とかと比べていた。

 日本が安政時代に開国すると、大量の浮世絵がヨーロッパに流れた。宗教に拘束されたヨーロッパの画家たちは、日本の天真爛漫な絵師の体質に驚いた。
 江戸時代は13-14歳で女子は嫁に行く。春画は嫁入り道具と一緒に持たされる類のものだ。日常生活のなかに溶け込んでいた。

 宗教画の画家などが、浮世絵に飛びついた。つまり、日本が浮世絵を通して自由主義を輸出したのだ。ヨーロッパでは絵から、科学技術、思想、政治へと発展した。

 明治時代の日本人は、ヨーロッパの自由主義の絵だと言われても、およそなにが自由なのか、よくわからなかったのだ。

 現在でも、多くの日本人は、「自由主義は欧米から来た」と勘違いしている。宗教画を凝視するほどに、浮世絵の果たした役割が実感できた。 

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