歴史の旅・真実とロマンをもとめて

「薩長倒幕」は史実でない、歴史のわい曲は国民のためにならない(下)=東京・講演より

 2018年1月の葛飾区立立石図書館では、明治時代の『焚書(ふんしょ)』も話している。

 歴史変動は、政治、経済、文化、思想の複合で動く。

 明治元年には、五箇条の御誓文を政治の信条とした。(実行できたのは太平洋戦争の敗戦後の民主主義になってからだ)。


 天皇親政で、まず国学の関係者が動く。「王政復古の大号令」となった。
 祭政一致を唱えて、日本書紀、古事記の記載された皇紀1年にさかのぼり当時の政治の中央集権体制を取った。推し進めたのが、4万3000石の津和野藩主・亀井玆監(かめい・これみ)そのひとである。

「鉄砲持って戦わず、津和野は頭脳で政権を取った」

 大国隆正、岡熊臣、福羽美静らが政策の中心となった。津和野政権となる。約3年間の継続。津和野政権は親政国家の魁(さきがけ)となり、廃仏毀釈まで実質の権力者だった。

 ここに、天皇は神だ、という神教が政治の中心に座った。太平洋戦争までの思想の下地ができたのだ。

 德川政権、幕末の動乱、明治に入り、そして津和野政権、そして薩長政権という順序を踏まえないと、正しい歴史認識はできない。

 おおくは教科書で、祭政一致とは習う。

 幕末・維新史ば大好きというひとでも、後世に大きく影響した津和野政権の存在をほとんど理解していない。
 政治思想、イデオロギーに弱く、龍馬が倒幕しだの、薩長の西郷隆盛・大久保利通眼・木戸孝允が明治政府を動かしたとする、英雄史観に陶酔している。

 歴史は陶酔でなく、事実認識で、流れを知ることである。あえてもう一度言えば、『歴史変動は、政治、経済、文化、思想の複合』の四つの面で、とらえて理解しなければ、年表主義が、英雄史観の陶酔に終わってしまう。

 政治はかならずやイデオロギー、思想が底流にあるのだ。明治政府以降は、国体としての神教が底流にある。天皇と神。切っても、切れない存在になった。あらゆる面、戦争、学校教育、民の日常生活で、国体信教が根強く影響している。

 
 長州の政治家が、明治18年に第一次内閣総理大臣になった。薩長倒幕だ、腐敗政治を德川政権を倒したんだと胸を張っていた。

 かえりみれば、長州藩兵の約2500人は、広島藩の軍服を着せられてカムフラージュで挙兵した。倒幕など無縁だ。戊辰戦争の頃、下級藩士で、1、2等兵だった。中央の政権内部の内実など、まったく解っていなかった。

 西南戦争で、薩摩が落ちた。やがて、長州の政治家の独壇場になった。幕末は朝敵だったはずなのに、歴史を折り曲げて、自分たちが徳川倒幕をやったと、大ウソをついた。内情を知っている不都合な広島藩・浅野家の内部資料は厳重に封印させた。

 ここから、思い上がったかれらは歴史のねつ造が日常化した。と同時に、思想弾圧にもなった。10年に一度海外と戦争国家になった。


 ねつ造癖がつくと、加速度を増す。
 明治政府の軍人政治家は、日清戦争以来、海外と戦争をするために、教科書を変え、天皇を神化し、教育勅語を幼児に丸暗記させた。さらに国民皆兵制で、農民まで武器を持たせて海外派兵した。

 明治政府からはからくりで、民を祖国のためという巧妙な方法で戦争に導いていったのだ。

 歴史のねつ造は、戦争国家への諸悪の原因となる。日本人はその事実を知り、もっと怒り、2度と歴史のわい曲を許さないシステムづくりが必要である。
 内部文書の公開が定期的に行われる。政治の浄化装置が必然になってきている。

写真提供;かつしかPPクラブより
                     
                    【おわり】


 
 

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