A035-歴史の旅・真実とロマンをもとめて

明治維新150年周年記念、歴史講演会(4月15日)=広島市・船越

 広島市民が、幕末・維新の「広島藩」にたいして燃え上がってきた。

 3月12日に発売した「広島藩の志士」が、広島市内の大手書店で、軒並みベストセラーになっている。立て続けの出版となった「芸州広島藩 神機隊物語」(4月4日発売)が、既に品切れがでるなど、順調に推移している。

 いまや『広島藩』人気が急上昇している。 
 この背景の下で、広島市船越公民館で、4月15日午後1時15分から、講師・穂高健一「知られざる幕末の芸州広島藩・神機隊の活躍」の講演をおこなう。

 中国新聞が4月11日朝刊で「神機隊の歴史 穂高さん語る」と前打ち記事を掲載してくれた。

 新聞をみた方から、問い合わせが多く寄せられています。(岡田館長談)

 さかのぼること昨年の春、船越の「唯故草(たれゆえそう)」を観ませんか、と紹介してくださった人がいた。
 私の知識は皆無だった。作家は好奇心が強い。ひとこと返事で出むいた。

 現地の船越公民館に訪ねると、唯故草同好会の方が、可憐な唯故草の特性を説明してくださった。
 岡田館長が植生する船越中学の周辺とか、岩滝神社とかを案内してくれた。


 わたしはちょうど浅野家の家史「芸藩志」から、「神機隊物語」の取材・執筆の着想を練っていた。そんな話を岡田館長にすると、「唯故草」を作品のなかに、登場させてください」と依頼された。

 神機隊の兵卒が華麗な花にこころが休む、というていどならば、いかようにも書けるし、とかんたんに引き受けた。


 後日、日浦山(船越・海田と登山口が多い)の山頂まで登ってみた。
 作者として、美景の情感を文章スケッチした。このとき、プロローグとエピローグは護国神社の巫女を登場させることに決めた。巫女の名は大和倭香(やまとしずか)とし、海田出身の短大で、唯故草を愛でる20代の女性とした。
 初稿はそうしておいた。
 
 初稿を一読した編集者(東京在住)から、作品の書きだしが長州戦争からだと、広島の気質や文化はわかりづらい。全国のひとは、江戸時代の広島魂が知り得ないまま読まされてしまうよ、とつけ加えた。
「現代の広島人すらも、江戸時代の広島なんて、知っていませんからね」
 私は苦笑しながら、妙に納得させられた。
「2稿では、浅野家が紀州和歌山藩から広島へ移封してきたところから、書きだしたほうが良い」
 江戸時代の広島の政治、経済、文化、広島の気風や、広島魂を読者にしっかり理解されたうえで、『幕末に、なぜ広島藩が倒幕の主役に躍りでたのか。なぜ倒幕で藩論統一ができたのか。なぜ、神機隊が自費で戊辰戦争に出兵したのか』とストーリーを展開すれば、全国の読者に理解されるし、共感を得られるよ、と助言をうけた。

 作家と編集者は両輪で、作品を生みだすもの。わたしは編集者のことばに、もっともだと納得しながらも、
「初稿で幕末10年間を濃密に書いているのに、2稿では250年もさかのぼるの……」
 このさきの原稿の締め切り、出版日を考えると、大変な忙しい作業になった。

 小説家は、文章を書き足すのはさほど労苦はない。かたや、推敲(すいこう)までした1行一句には愛着があるから、削除が難儀だ。
 巫女が日浦山に登る。ここらは全面カットしないと、全体の枚数がオーバーする。


 岡田館長と約束した唯故草はいかにつかうか、と思慮した。神機隊の兵卒が唯故草を愛でる。これは月並みで、だれにでも書けるし、プロ作品じゃない。

 長州戦争のとき、越後高田藩が海田市に長期に宿陣し、そして長州軍に大敗した。かれらのなかに、唯故草を愛でる人がいたと想定してみた。
 高田藩(榊原家)の掘り下げが始まった。上越市立博物館の学芸員から、著名な郷土史家の村山和夫さんを紹介してもらった。

 村山さんと諸々と語るうちに、「明治時代の有名な『最後の浮世絵師』の揚州周延(ようしゅうちかのぶ)が、長州戦争で広島表に行っていますよ。この方を登場させたら、いかがですか。本名は橋本直義(なおよし)」
 とアドバイスを受けた。電話取材のさなか、パソコンで画像を確かめると、教科書に載っている「越後高田藩の出陣」の絵があった。
 これは素晴らしい人を紹介してくれた、と感謝の念をもった。


 その後、越後高田藩と広島藩との接点が次つぎと発見できた。上野戦争では、「こんな偶然が現実にあるのか」、と途轍もない広島藩側のエピソードと結びついた。気持が震えた。作家みょうりだと感動した。「神機隊物語」のなかでも、盛り上がりのひとつになった。
 
 広島・船越の「唯故草」から、思いもかけない大きな歴史的な発見があった。船越公民館の講演では、ふだん聞けない作家の裏舞台も語るつもりである。

「神機隊物語」は徹底した取材で、歴史新発見とか、通説をくつがえす場面が随所にある。なぜ、それら発見にたどり着いたか、と作家の書斎側を中心に、芸州広島藩とか、神機隊とかを紹介していくつもりである。


    『揚州周延の歴史画は、上越市立博物館・蔵』

【チラシ情報】

「歴史の旅・真実とロマンをもとめて」トップへ戻る