神機隊~志和で生まれた炎~≪2≫幻の歴史書だった芸藩誌=プレスネット連載より
神機隊~志和で生まれた炎~ 「プレスネット」に歴史コラム10回連載します。同紙は毎週木曜日発行で、掲載後において、「穂高健一ワールド」にも、同文で掲載します。今回は第2回目です。
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慶応4年(明治元年)7月、戦史にのこる神機隊の激戦は広野駅(宿場)からはじまった。広野は米作の平野で、遮蔽物(しゃへいぶつ)がほとんどない。
相馬軍・仙台軍・旧幕府軍の連合4000~4500人の大軍団が埋めつくす。朝昼夜、なんどきも銃弾と砲弾が飛び交う。
新政府軍の鳥取藩軍は、その恐怖から途中で退却した。孤軍となった神機隊280余人の精鋭部隊は、一歩も引かず、全方位の敵兵をあいてに壮絶な戦いに挑む。死傷者が連続する。
4日間の死闘で弾薬がつきてしまう。
砲隊長の高間省三が、とてつもない奇襲攻撃をかけて、敵本陣の広野駅を奪ったのだ。
川合三十郎・橋本素助編『芸藩(げいはん)志(し)』には、こうした壮絶な戦場が克明に描かれている。
明治半ば、浅野長勲(ながこと)(最後の大名)が、幕末の政治活動をともにやった川合と橋本に、幕末・維新の家史編纂(へんさん)を命じた。
ふたりは藩の応接掛(外交官)で、政治の裏舞台を知りつくす。さらに、志和で神機隊を旗揚げした中心人物である。なおかつ戊辰戦争には隊長で出陣している。
編集要員は約300人で、完成は明治42年だった。
当時は、薩長閥の政治家がつよい権力を持つ。かれらはかつて足軽の身分にも満たない中間(ちゅうげん)や貧農の出身者だった。幕末の頃はまだ下級藩士で、政権内部の機密情報など知りえる立場ではなかった。
やがて総理や大臣になると、自分たちを偉くおおきく見せるために、腐敗していた徳川政権を俺たちが打倒したのだと豪語していた。
芸藩志となると、かれらが語る幕末史とは真逆が多い。自尊心をへし折られたかれらは強権で即刻、封印させた。
幻の歴史書だった芸藩志が昭和53年に、300部出版された。すでに「竜馬がゆく」の司馬史観が世のなかで固まっていた。
わたしには、それら通説をくつがえし、歴史教科書すらも書き換える内容におもえた。明治政府が修正をもとめず封印したことが幸いし、手垢がついていない。
その認識のもとに、芸藩志により近く、「広島藩の志士」(二十歳の炎・改訂版)を執筆した。さらに、「芸州広島藩 神機隊物語」も4月1日に発売予定である。
【関連情報】
①「広島藩の志士」(定価1600円 南々社)は、二十歳の炎の新装改訂版です。3月12日から全国一斉販売されます。
「まえがき」「あとがき」「口絵」が付加されています。
この「あとがき」には、おどろくべき幕末の焚書(焼き棄てる)が明記されています。幕末の重要人物の日記がまったくない。誰が燃やし、破棄したのか。
悪質な歴史のねつ造は誰がやったのか。従来の幕末史観が、真逆になる可能性があります。
②㈱プレスネットの本社は東広島市で、「ザ・ウィークリー・プレスネット」を毎週木曜日に発行している。日本ABC協会加盟紙。
日本タウン誌・フリーペーパー大賞2017において、タブロイド部門『最優秀賞』を受賞している。