歴史の旅・真実とロマンをもとめて

神機隊~志和で生まれた炎~≪1≫戊辰戦争 連戦連勝の軍隊=プレスネット連載より

 神機隊~志和で生まれた炎~ 「プレスネット」に歴史コラム10回連載します。同紙は毎週木曜日発行で、掲載後において、「穂高健一ワールド」にも、同文で掲載します。今回は第1回目です。

                 *

 広島には、毛利元就から原爆まで、その中間の歴史がない、といわれてきた。なぜか。学校教育でも、郷土史として習っていない。芸州広島藩は倒幕の先駆けで中心的な存在だが、倒幕には無縁だ、と殆どが思い込んでいる。
 慶応3(1867)年9月、広島藩は、徳川慶喜に軍事圧力で政権返上を迫るために、広島・薩摩・長州の薩長芸軍事同盟を成功させた。

 そこで旧来の農兵とちがう、実戦につよい西洋式軍隊が必要となった。藩の有能な応接掛(外交官)たちが、農商の子弟、神官、医者などに呼びかけて神機隊(しんきたい)を結成した。同9月、志和(東広島)で旗揚げする。職業軍人として、日々、実戦型の訓練で、軍律も厳しく、最新武装の軍隊だった。

 この9月から歴史に加速度がついて、大政奉還、三藩進発(挙兵)、王政復古、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争へと拡大していく。

 神機隊は、広島藩庁に戊辰戦争の出兵を申請した。だが、大政奉還で徳川政権は終わっている、と拒否された。かれらは承服せず、藩から一両も貰えずしても、あえて自費で全隊員約1200人から精鋭300余人を選び参戦した。
 上野戦争、奥州戦争へと転戦し、命を惜しまない壮絶な戦いを行った。


 諸藩が参戦した戊辰戦争だが、神機隊は連戦連勝の最強の軍隊だったと、知る広島県人もまずいない。

 神機隊の砲隊長は高間省三である。かれは18歳にして学問所の助教というエリートだった。満二十歳で、福島県・浪江の戦いで戦死する。この若さで広島護国神社の筆頭祭神に祭られている。

 どれだけ武勇にも優れた人物だったか。

 明治26(1893)年に、『軍人必読 忠勇亀鑑(ちゅうゆう きかん)』が発行された。
 そこには日本武尊、加藤清正、徳川家康など英雄がならぶ。戊辰戦争ではひとり。西郷隆盛、板垣退助、大村益次郎でもなく、高間省三である。
 幼少の強い性格、頭脳明晰の優れた人物、戦場での大胆な戦い方、浪江の戦いの壮絶な戦死まで紹介している。

「えっ、芸州広島藩に、こんなすごい人物がいたのか」
 実のところ、私自身もまったく知らなかった。

          写真=最新銃をもった高間省三(広島護国神社蔵)


【関連情報】

 ㈱プレスネットの本社は東広島市で、「ザ・ウィークリー・プレスネット」を毎週木曜日に発行している。日本ABC協会加盟紙。
 日本タウン誌・フリーペーパー大賞2017において、タブロイド部門『最優秀賞』を受賞している。

「歴史の旅・真実とロマンをもとめて」トップへ戻る