歴史の旅・真実とロマンをもとめて

【近代史革命】世界三大焚書か=明治政府の幕末史のねつ造は(下)

 幕末史の大政奉還や小御所会議にかかわった歴史上の人物らの日記が、奇怪にも存在しないのだ。ことごとく現在進行形の日記がない。なぜないのか。これは焚書(ふんしょ)以外の何ものでもないだろう。

 これまで学者、作家はいったいなにを根拠に学術書、小説などを書いてきたのか。まったく理解できない。

 明治新政府の顔ぶれは、松平春嶽、尾張・徳川慶勝、浅野長勲(浅野家は松平の姓を名乗れる)。山内容堂(佐幕派)、島津忠義(家定将軍の正室・篤姫)というすべて徳川家である。
 徳川公方様のケイキ(慶喜)さんが身を引き、ほかの徳川家の方々に代わられた。人事の一新を図った、という意味合いで、明治時代のひとたちは『御一新』(ごいっしん)と呼んでいた。大正時代まで、その呼称だった。
 
 一般庶民には、徳川慶喜は、ながくケイキさんと慕われてきた。松平容保すら日光東照宮の宮司になった。戊辰戦争で一人も大名が殺されていない。これは徳川倒幕ではない。
 後世の造語である。
 明治維新となると、昭和に入って言われ始めたものだ。2.26事件の青年将校が「昭和維新」と叫んだことから、政府関係者が「明治維新」と後付したのである。
 

 偉人伝で現存する日記に類似する史料は、あらゆるものが後年の聞き取り、あるいは勝海舟の「氷川清話」のように記憶で書いたものである。勝海舟の書で解るように、都合のよいこと、差しさわりのないこと、我田引水ばかりである。

 現在、NHK大河ドラマの主役となった西郷隆盛の日記も存在しない。

「南洲翁遺訓」となると、旧出羽庄内藩の関係者が作成したものだ。庄内藩といえば、鳥羽伏見の戦いの引き金となった慶応三年12月に江戸の薩摩屋敷を焼き払ったことで有名である。
 かれら庄内藩はかつて江戸の治安部隊だった。
 そこに江戸騒擾(強奪、略奪、美女狩り・強姦、二の丸放火)などテロ活動が横行した。江戸を恐怖に陥れさせた西郷隆盛は最大の憎い敵だった。だから、庄内藩は大砲を撃ち、テロリストの多くを惨殺した。
 その庄内藩士が西郷をほめたたえる「南洲翁遺訓」となれば、怪しいものである。戊辰戦争後、恭順した庄内藩が、新政府に媚(こ)びる面が強い。内心は腹立たしいのに。

「動乱の世は、だれも明日がみえない。迷い、疑心暗鬼、試行錯誤が日記に表れるものだ。それが歴史的事実になる」
 歴史を後ろから作り直した聞き書きは、すべてストレートに辻褄(つじつま)が合いすぎている。怪しいものである。


 土佐藩でみてみよう。山内容堂の日記はない。最も重要な史料がないのである。つづく後藤象二郎、板垣退助、福岡 孝弟( たかちか)らも、当時の現在進行形で書かれた日記がない。なにをもって土佐藩を知ることができるのか。
 龍馬は届いた手紙はすべて焼き捨てている。木戸孝允からきた手紙の裏書き一通だけが現存するのである。鉄砲密売の自分から出した手紙など、どこまで真実か解らない。密なる商売の性格から、はったりも、ウソも、駆け引きも、見栄ぱりの面も多々あるだろう。

 幕末の政治改革は、「薩長倒幕」でなく、德川の人事一新である。あるいは「徳川内部崩壊」だとしても、龍馬の活躍など、大半が作り物だと言っても過言ではないだろう。
 ありもしない船中八策など、いい加減な倒幕という創作幕末史に、私たちはごまかされてきたのだ。


 広島の講演で、質問が出た。
「そんな大規模な焚書(ふんしょ)ができますかね?」
「やる気になれば、できますよ。江戸幕府がつぶれて武士は失業し、食い扶持を探していました。全国260余藩の隅々に散っていた公儀隠密だって、食べていくためには、新しい仕事を探す。明治政府の秘密警察に組み込まれたり、あるもは軍隊の憲兵になったでしょう」
「なるほど。なれた職のほうが働きやすい」

「江戸時代の商人は『各藩の紳士録』を持っていました。商いの重要な資料です。これをみれば、260余藩の上級藩士は、一目瞭然でわかります。明治22年以降に、政府が元公儀隠密の秘密警察に、これこれの日記を処分しろ、と命じたとすれば、かれらは水を得た魚のように、天井裏、床下から深夜に忍び込み、いとも簡単に日記を盗み出すでしょう」

「公儀隠密は、それが仕事だったんですよね」
「そうです。江戸時代に公儀隠密という260余年も徳川政権を支える裏と影の組織があった。だから、明治政府があえて新規に作らなくても秘密工作員の土壌があったのです。中野学校のスパイ養成などの教官にもなったでしょう」

「だれが焚書をやったのでしょう?」
「徳川家が内部崩壊なのに、『幕府倒幕』ということばを世の中に発信した人ですよ。ほんとうの意味で倒幕はなかった。その証拠に、薩長土肥の下級藩士は、明治2年ころまで大臣クラスはいない。せいぜい次官か、局長クラスです。とても、倒幕と言えたものではない」

 徳川家の内部における人事の一新を、「徳川倒幕」にすり替えた。なぜか。
「そうしなければならない存在の人物がいたからです」
 身分の低いもの、学歴のなかったものが最も高い政治的な地位に就くと、過去を誇大視し、偉そうに語るものです。
「実際には倒幕していないのに、自分たちは徳川を倒しただの、徳川よりも優れているんだぞ、江戸幕府は劣悪な政治だったから倒す必要があっただの、と故意に大きくみせる造作の必要を感じた政治家がいたのです。それが焚書のボスです」
 その心理は現代でも同じです。端的な例は、私の先祖はすごい、と自慢したがります。本当に、そうなのか、と疑っても、まま聞き流して終わりにしてしまいます。

 だが、歴史はそうはいかないのです。

 人間は突然変異なことはしないものです。だから、「歴史から学ぶ」ことができるのです。私たちが現在から将来を洞察するとき、過去の事例はとても大切です。人間はだいたい同じことをしますから、歴史の事象は指針づくりにとても役に立ちます。

 しかし、為政者が自分を大きく見せるために、史料を焚書し、歴史的事実をねつ造していると、私たちは将来にたいする判断や指針が狂ってしまいます。
 
「私が調べたかぎりでは、幕末政治の中心にいた人物の肉筆の日記は、いまの段階では確認できていません」
 皆さんで、大名と家老、そして上級公卿たちの現在進行形の日記を探しましょう。発見できなければ、明治時代、あるいはそれ以降の政治家が、自分たちの不都合で焚書したことになります。指示命令した人物が特定できなくても、大規模な「世界三大焚書」として汚名をきることになるでしょう。

 ぞっとすることですが、事実だったら、目を反らすことはできません。後世の国民を裏切った悪質な政治行為ですから。糾弾されるべきです。

                                  【了】

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