歴史の旅・真実とロマンをもとめて

【近代史革命】世界三大焚書か=明治政府の幕末史のねつ造は(上)

 2018年度1月のスタートにおいて、広島市内で、幕末芸州広島藩研究会と、狩留家(かるが)郷土史会の講演があった。
 歴史小説家として、私が前々から疑問に思って調べていた、謎の幕末史について言及した。

 紀元前200年ころ、秦の時代に焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)がおこなわれた。入試には読み方がよく出る。あえてここでは説明しない。

 近代史・現代史において、ナチスドイツと毛沢東が書類や本を焼く焚書(ふんしょ)で有名である。身勝手に、都合よく思想をゆがめたのである。
 まさかと思ったが、日本の幕末史も明治政府によって焚書がなされたはずだと強い確信に至った。そして、『世界三大焚書』と称し、ナチスドイツ、毛沢東、明治政府を並列においた。


 慶応3年12月9日小御所会議に参加した大名の日記が、それに該当する箇所が無いのだ。さかのぼれば、大政奉還から、明治初年の「五箇条のご誓文」あたりまで、小御所会議の5大名や家老たちの日記が燃やされたり、破られたりしているのだ。

 もっと掘り下げると、松平春嶽、徳川慶勝の日記は、慶応3年末の項が抜かれたり焼かれたりしているのだ。浅野長勲、島津茂久の日記も存在しない。小松帯刀も同時期の日記が抜かれている。
 山内容堂の日記は存在しない。主役とされる岩倉具視すら、政変の内情を実証できる日記が存在しないのだ。
 これはどうなっているのか。


 幕末史に関わる主要人物(大名・家老クラス)の日記は、現在進行形で書かれたものはないのだ。徳川慶喜、小栗上野介も無い。


 国立国会図書館のアーカイブの「大久保利通日記」の冒頭には、明治22年に家屋が火災に遭い、日記の本物が焼失した、と明記している。運よく筆写もあったが、その後、霧消したと述べている。

 明治22年ごろから焚書が行われたと推量できる。大久保利通が暗殺されたのは明治11年だから、薩摩藩閥の力が弱まったころだ。
 明治22年は、伊藤博文の憲法発布がなされた重要な年である。

 大久保家の全焼はたんなる失火とは思えない。焚書だろう。その仮想定のもとに、さらに調べてみた。

 木戸孝允は毎日、日記を書いていた人物である。(死ぬ直前まで必ず書いている)。だが、「木戸孝允日記」も、明治元年4月1日以降である。それ以前はない。だれが、それ以前の日記を外したのか、あるいは盗んだのか、この世から抹消したのか。

 幕末史の大政奉還や小御所会議にかかわった、当時の歴史上の人物は、ことごとく現在進行形の日記がない。これは焚書以外の何ものでもないだろう。
                            
                                  【つづく】   
 

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