歴史の旅・真実とロマンをもとめて

横須賀港で、『戦争と平和』の定義にこだわってみた(1)

 8月の真夏の盛り、横須賀(神奈川県)にでむいた。同港は、現在は米軍・第七艦隊の海軍基地、自衛隊の海軍基地である。さかのぼれば、江戸幕府の小栗上野介(おぐりこうのすけ)勘定奉行が、フランスの資金と技術で横須賀製鉄所を建設をはじめたところである。
 その当時のドッグが、今なお米軍横須賀基地のなかで使われているし、製鉄機械の圧延機は、平成時代まで使用されていた。


 日本の資本主義・近代化は徳川時代の小栗上野介からはじまった。しかし、明治時代から、教科書で、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」と陳腐な川柳を教科書にのせて、「近代化は明治からはじまった」と嘘をおしえてきた。現在もつづく。

 徳川政権が平和裏に大政奉還をした。それにもかかわらず、薩摩藩が偽金で国内経済を混乱させたうえ、西郷隆盛が江戸のテロ活動、さらに薩長土の兵士が鳥羽伏見の戦いを起こした。さらには戊辰戦争という暴力で明治新政府を作った。
 それら明治の為政者たちは、自分たちをより大きくみせるために、数多くの嘘を歴史教科書のなかに織り込んだ。
 意図して軍国少年・少女をつくりあげたうえ、祖国のために、という挙兵で死に導いた。

 古今東西、暴力でつくった国家は軍事政権であり、戦争国家になるのが常である。明治政府は、富国強兵策をとった。それは日本が巨大国家になる正しい施策だと、教科書をとおして嘘を教えてきた。
 国民の租税の使われ方として『富国冨民』で民主、福祉などで還元されるべきものだが、それにはほど遠く、軍需産業と政財界・財閥が癒着(ゆちゃく)する、とてつもない最悪の国策であった。

 かれらは戦争を美化した。教育から初めて国民を血の戦場に送り込んだ。そして、太平洋戦争で終結した。


 私たちは今、『平和』をかんたんに口にする。考えてみれば、「平和とはなにか」。明瞭に定義できているのだろうか。はなはだ、心許ない。翌週は、広島にいくので、なおさら深く考えてみた。

 八十代後半の老婆から、横須賀港の岸壁で、ふいに呼び止められた。
「シャッターを押してくれますか。借りてきたカメラで、使い方がまったくわからないのです」
  こころよく応じて、私は数枚、撮影してあげた。自衛艦の背景がいいという。さらに、数枚撮った。

「わたしの実父が日本海軍兵で、乗船した軍艦が横須賀から出発し、瀬戸内海の海域で沈んだのです」
 老婆は毎年、終戦に近い8月には、この横須賀の海に献花にきているという。周防大島沖で沈んだ「戦艦・陸奥」(1943年の6月8日に突然謎の沈没。死者1000人以上)かな、判断し、私はその話題にふれてみた。
 終戦から一年後に、紙ぺらが遺骨としてとどき、戦艦名はわからない?、と応えていた。話しは転じて、老婆の実兄は中国大陸から引揚ですと言い、悲惨な状況を語っていた。

「戦争って、いやですね」
 私がそういった。
「父は祖国のために戦ったのです」
 老婆がちょっと嫌な顔をされた。
 内心は、腹を立てているのかなと、私はその表情を察した。

『父は祖国のために戦った。だから、いまの日本がある』
 そうかたくなに信じているだろう老婆にすれば、平和を享受(きょうじゅ)できる次世代から、「戦争って、嫌ですね」と片づけられては、父親の死がムダ扱いで、不愉快におもったのかもしれない。
               【つづく】

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