歴史の旅・真実とロマンをもとめて

講演「隠された幕末史」~明治政府がねつ造した歴史をあばく~

 シニア大樂「115回公開講座」が、7月5日(火)、東京ボランティア・市民活動センターで、午後1時半から開催された。講師は私を含めて、4人。主催はNPO法人シニア大樂である。

 会場は満席になった。
 
 私の講演タイトルは、「隠された幕末史」~明治政府がねつ造した歴史をあばく~、15:25~16:10の45分間である。

 明治政府がねつ造、わい曲した幕末史が、いまだ大手を振って歩いている。いかに勝者が歴史をつくるとはいえ、目に余ります。


「尊王攘夷」は150年前の正義だ、と思っている人が多い。しかし、攘夷とはいったい何ですか。肌が白い・異国人とみれば、無差別に殺すテロリズムです。

 安政の開国以来、欧米人が横須賀の鉄鋼所、長崎の造船所、建築など技師として多くたずさわりました。かれらは命を狙われました。横浜の貿易商も、外国人ゆえに大勢殺されました。
 
 (2016)7月1日夜、バングラデシュの首都ダッカで、日本人7人を 含む外国人が殺害されました。犠牲者の多くは、開発途上のバングラデシュの支援活動に尽くす方々です。20人殺害テロ事件は、まさに幕末の攘夷(排他主義)の活動家たちとおなじ姿なのです。

 現代に置き換えてみると、尊王攘夷論がとてつもなく危険思想だったか、わかるでしょう。

「尊王」はまだしも、「攘夷」はとんでもない思想です。こんなテロリストたちが政権を取ったから、10年に一度戦争する国家になったのです。尊王攘夷は美化したり、歴史上において正当化してはいけない、危険思想です。


 明治時代の「富国強兵」は文明開化を推進する、良き政策だ、と私たちは教えられてきました。ほんとうでしょうか。
 これは政府を富ますために、民から税金を高くとる政策です。国の収入が主に軍事に使われる。国庫の金が民間への分配にまわす度合いが少ない。つまり、軍国主義の経済政策なのです。

 社会への救済が乏しく、飢えて貧しい、とくに東北、長野・群馬など民は大陸へと押しやられました。富国強兵の政策は植民地政策の裏表なのです。


 明治政府が設立したとき、数々の政策選択がありました。欧米に学ぶにしろ、スイス、デンマークのような平和主義の国家はいくらでもあったのです。
 ところが、明治政府を作った下級藩士たちは、自分たちを武力で大きく見せる植民地、帝国主義をまねて軍事強化を図ったのです。
 
 鎖国主義を取っていた德川政権は、「戦争せず、植民地にもならず、開国」をさせたのです。東南アジアなどをみると、タイ王朝と日本だけです。
 しかし、明治政府は、列強の武力に蹂躙(じゅうりん)されたと德川政権を劣悪に言い、教科書で教え込んできました。だったら、どんな方法があったのでしょうか。鎖国の維持が良かったのでしょうか。


 徳川幕府は海外と一度も戦争していません。
 あえていえば、江戸時代に海外と戦争をしたのは、長州藩と薩摩藩だけです。それも長州藩は下関海峡を通過する商船(民間)に砲弾を撃ちこみ、後日、4か国艦隊から報復の戦争を仕掛けられ、あっけなく占領されてしまったのです。

 薩摩藩士が生麦事件(神奈川)で、イギリス人を殺害した。イギリスから報復で、鹿児島湾に入ってきた軍艦から艦砲射撃をうけました。

 結局のところ、2藩は列強の砲撃に屈しました。それなのに、明治になると、『阿部正弘は列強の軍事圧力の下に、開国させられた』と、幼い子供たちに教えはじめたのです
 
 これって正しい教育だと思いますか。


 日米修好通商条約は不平等条約だと言い、教科書で教えてきた。その一つが、自主関税権がない、という主張です。
 それは政府が好き勝手に関税を引き上げるためのもの。しかし、国民は低関税の方がいいのです。

 わかりやすい喩で言えば、ジョニー黒(ウィスキー)が一万円以上もしていた。ところが酒税の関税を低くしたら、二千円だった。ジョニー赤は千円だった。

 自主関税権がないと騒ぐのは、明治政府の政府側です。国民から高関税をとり、それを軍事費にまわす。その裁量権がほしいからです。

 もっ言えば、徳川の有能な岩瀬 忠震(いわせ ただなり)が決めた日米修好通商条約は、輸入関税は食品5%、他は20%で適正だった。長州と薩摩が戦争した結果、一律5%にさせられた。 
 国民の立場からみれば、軍需産業と結びついた薩摩・長州支配のわがままな政府に、好き勝手にやらせない、低関税の良き通商条約となっていたのです。

  同条約が不平等だと言いはじめたのは、薩長支配になった明治からです。だから、欧米は戦争の報復低関税だし、日本国民には有利だと言い、ながく条約改正に応じなかったのです。
 私たちは教科書で、薩長政治家たちの身から出た錆(さび)だと教わっていませんよね。

「領事裁判権」は、加害者側が自国の法律で裁くもの。さんざん攘夷で外国人を殺しておきながら、(日本人が加害者の場合の裁きは、町奉行所)、不平等など言えた義理ではない。

 こうした明治政府がねつ造した歴史上の事例を時間の許すかぎり、話した。私の近著『燃える山脈』は、幕府直轄領と藩領との政策の違いが分かります、と紹介した。

 ただ、江戸時代は幕府を公儀といい、藩の呼称はなく、松平家とか、毛利家とか、島津家とか、という『家』単位の領分でした。小説で、松平戸田家とすればわかりにくいので松本藩、将軍直轄領(天領は明治以降)と表記しています、と説明した。


 戦国時代が終わった1600年から徳川幕府になり、平成の2016年まで延べ416年間です。この間に軍国・戦争国家になったのは77年間です。尊王攘夷、国民皆兵、神話と天皇の結合、様々な用語が美化されてきました。
 私たちはみずからの手で、77年の欺瞞の仮面を剥ぐべきです。それでないと、いつまでも歴史の真実を知らない、日本人は戦争好きの民族だと思われつづけます。
 
                           撮影:滝アヤ

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