歴史の旅・真実とロマンをもとめて

仙台藩の古戦場『旗巻の戦い』①=だれが軍事国家をつくったのか

「旗巻峠」は、福島県と宮城県の境にある峠である。昔流にいえば、相馬藩と伊達仙台藩の藩境にある。戊辰戦争では、東北の雄・仙台藩が攻めてくる新政府軍に対する「最後の砦」になった。重要拠点が破られた。そして、仙台藩は敗れた。

 私は幕末の長編歴史小説を昨年から取材し、執筆してきた。同小説の主人公・高間省三は満20歳で浪江で戦死した。
 小説は歴史書とちがって主人公の死後もだらだら書かず、すぱっと終わる。そんな背景から、執筆上の取材はこれまで広島、京都、東京、甲府、いわき市、浪江に集中していた。とくに、現在の原発被災地の浜通りにはなんども足を運んできた。
 しかし、南相馬、相馬市は、ここらは高間省三の死後だから、さらっと一度出向いただけだった。

 幕末長編小説は『二十歳の炎』とタイトルを決めた。そして、完全原稿(本文、写真、地図、イラスト)として4月14日として出版社に手渡した。すぐさま同日の夕刻には福島県にむかった。夜には郡山市内に前泊した。

 小説が書き終えたから、それで戊辰戦争関連の取材が終わりではなかった。私にはおおきなテーマがあるのだ。
 明治政府の薩長閥の政治家たちが、嘘の歴史をつくっている。それを解き明かしていくことだ。

 260年間、徳川幕府は国内外と戦争を一度もしなかった。しかし、明治政権となると、とたんに征韓論、日清戦争、日露戦争、第一次、シベリア出兵、日中戦争、満州事変、第二次世界大戦とつづいた。
 だれがこんな軍事国家にしたのか。

 軍事国家とは、国民に真実を教えず、国民を血の戦いにかりだすことである。『明治軍事国家』だとひと言もいない。それ自体に嘘があるのだ。

 明治初めから広島・長崎原爆で終焉するまで、わずか70年余りで、日本の政治家たちは軍人・民間人、外地の人々を含めて何千万人殺したのだ。
 日本人はなぜそんな怒りをみずから掘り下げないのだろうか。

 平和国家から軍事政府・国家に変わってしまった。その起点が戊辰戦争だ。教科書で、戊辰戦争の真実を隠している。学校ではほとんど教えない。教えないことは日本を軍国主義に導いた真実を隠すことだ。そして、兵力して、「天皇のために死ぬのは当然」という軍国少年・軍国青年を77年間も執拗にもつくりあげてきた。日本人は江戸時代から『お上の命令』には弱い。「右へならえ」する独特の体質がある。
 その盲点がつかれてしまい、妻子と別れて、戦地へ行けと数百万人にも、外地に送り出した。あるものは特攻で死ねと言われても、抵抗もできず、死線を逝った。

 戦争への道、戊辰戦争の根源(それを生み出した策略・私欲・権力欲)を如実にさらけ出し、国民に伝えないと、またいつ戦争への道に歩むかわからない。ここを曖昧(あいまい)にしてはいけない。
  とくに、「薩長」ということばで、維新志士たちを英雄にしてはいけない。かれらこそ軍人国家をつくった張本人なのだ。

 一例で、上野山の「西郷隆盛の銅像」に軍服を着させたならば、それが実像に近づくはずだ。新政府が京都にできた後、赤報隊を使った西郷は謀略で、江戸中で強奪・掠奪、挙句の果てには江戸城の二の丸までも放火して燃やしたのだ。
 これが正義だろうか。

 江田島の旧海軍士官学校の殿堂には、軍服姿の西郷隆盛の肖像画がある。威厳に満ちている。軍人養成の場では崇拝すべき「軍人の祖」として崇めている。
 国民の目がふれる上野では、単衣を着て犬を連れている。まさしく、欺くか、錯覚を引き起こさせている。西郷隆盛にたいする歴史のねつ造である。

「嘘の歴史」は数限りなくある。攘夷(外国排除)の思想人が、なぜ文明開化は明治からだと教えるのか。開国したのはあきらかに徳川家だった。

 翌15日の郡山駅前から、相馬市内を経由し、現地までずいぶん遠かった。道々にはそんな想いだった。書斎にいて、文献ばかりだと、歴史の真実の発見は遠い。だから、歩いて、なにかしら小さな手がかりをさがす。


「関連事項」
 西郷隆盛像(上野恩賜公園)は、 高村光雲作(犬は後藤貞行作)である。
 その息子・高村光太郎は、1941年(昭和16年)の詩集『智恵子抄』が有名である。ところがかれの作品は戦意高揚、戦争美化をする戦争協力の詩や歌謡曲が多く、民を戦いの場にかり出す協力者だった、と高村光太郎の罪を問う、文芸評論家は多くいる。


                                        【つづく】
 

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