歴史の旅・真実とロマンをもとめて

教科書で教えてくれなかった「大政奉還」の意味?(4)

 広島藩が、なぜ大政奉還を言い出した。それは広島藩が生み出した頼山陽の思想が、藩校・学問所の思想として根強いていたからである。

 頼山陽の「日本外史」が、幕末志士の必読書だと言われた。なぜか。山陽の皇国史観が、吉田松陰もつよく影響している。松陰は暴力革命と結びつけたが、それが過激な思想となった。

 私は広島市内にある「頼山陽記念館」に取材で訪ねた。「日本外史」の骨子はなにか。それを問うてみた。大義名分論で、おだやかな「大政奉還論」だという。驚いたのは、徳川幕府は発禁処分にせず、松平定信が各藩の教科書として勧めた。親藩の川越藩などは何刷りもしていますよ、と教えてくれた。
 当然、慶喜も読んでいるのだろう。

 私は「日本外史」を多少しか読んでいない。論旨を聞いてみた。

「日本は天皇の国家です。すべての民の頂点に天皇を置いています。家康公は、応仁の乱から150年もの戦国の乱を平定した、その功績で天皇より大政を委任させられたのです」

 日本のあらゆる政権は、平家、鎌倉、足利幕府、德川幕府も、天皇からの政治委託です。人民を統治する能力がなくなると、政権は天皇にもどす。血と血で奪い合うものではない。天皇が新たな政権に委託すのです、という。

 これは江戸時代わりに広く認識されていた。

「幕府は経済政策に失敗した。民がもう塗炭の苦しみにあえいでいます」
 近畿の民は物価の沸騰に苦しみ、関東筋は凶作で流民が多く、農民一揆が多発しています。これらを収束できる能力の人材は、幕閣にはおらず、収拾不能な事態に陥っています。
 幕政改革では、もはや徳川幕府は立ち直れません。ここに至っては、德川家から政権を朝廷に還納させ、王政復古することです。
 武士国家でなく、天皇がみずから政権に返り咲く。慶喜公は身を退いて、藩籍に就いてください。

 慶喜はその論旨は十二分に理解していた。

 10月13日、徳川慶喜は京都・二条城に、上洛中の40藩の重臣を招集した。そして、大政奉還を諮問した。

「全国諸藩の大名は関ヶ原の戦いの恩賞、群雄割拠の上に260年も居座っています。これは異常です。德川家もふくめて、いずれ諸藩の藩主はいちど天皇に戻すことです。全国すべて廃藩された方が良い(明治の廃藩置県)も促す。当面は、まずは德川家がすみやかに大政を朝廷に奉還することです」

 頼山陽の思想は現代でも脈々と生きている。天皇が国 会開会を宣言し、国会議員に政治を委託する。選挙で新たに選ばれた内閣総理大臣は、天皇が任命する。
 さらには条約の批准も行う。だから、内閣総理大臣が選び直されるたびに、政権が変わるので、その都度、天皇が皇居で認証を行うのだ。

 現代版でも、大政奉還は首相が変わるたびに行われている。そう認識すれば、理解が容易い。

 広島藩が薩摩藩に呼びかけた。小松帯刀が後藤象二郎に話す。象二郎が三藩連署に加えさせてほしい、と言った。西郷が立ち会い、1000人の兵を連れて来い、と条件を付けた。ところが山口容堂に断られてしまった。
「建白書なら、時宜をみて出してもよい」
 容堂が許可を出した。
 1000人の兵を連れてこれなかった象二郎は、薩摩と広島を切り裂く、狡猾な策を取った。そして、象二郎と三藩連署と言いだしておきながら、単独で板倉老中に出したのだ。
 そして、広島藩は3日遅れで、大政奉還の建白書を出した。 広島藩が、頼山陽は『日本外史』の大政奉還論で、慶喜に政権の奉還を迫ったのだ。

 広島藩応接係の船越洋之助が、執政の辻将層になぜこんなことになったのか。なぜ薩摩と広島がこうも仲が悪くなったのか、と問いただした。辻は黙秘していたが、船越があまりにも責めるので、後藤象二郎が起因した、と教えたのだ。

 船越が怒りから中岡慎太郎に一切をぶちまけると、「貴藩に迷惑をかけた、後藤象二郎を斬る」と言いだしたのだ。同席していた、品川弥太郎が賢明に引き留めた。

 中岡慎太郎と坂本龍馬が京都で暗殺される、ほぼ1か月前の出来事だった。 ここまでは、広島側の史料からの大政奉還である。

 歴史推理の好きな方のなかには、迷宮入りの事件だが、後藤が暗殺したという説もある。中岡慎太郎が後藤象二郎を斬ると、息巻いていた。象二郎の耳に入った。そこで、先制を期して殺した。そこに、たまたま龍馬がいたのだという。

 慶応三年は、民衆が『ええじゃないか』と日々に荒れ狂う。強奪掠奪をくり返す。ええじゃないか、と言えば何でも通ってしまう、民衆の道徳や理念が喪失して、暴走・暴動の無秩序の世界に突入しているのだ。

 幕府は経済政策の失敗から、国家の破たん寸前に陥った。知的な将軍・慶喜といえども、もはや手が打てなかった。幕閣にも有能なブレーンがいない。このままでは庶民の暴動の標的になる。何十万人、何百万人の決起した民衆が敵になると、軍事力でも鎮圧できず、やがて政権が倒れる。
 慶喜にすれば、大政奉還の建白が渡りに船で、10日にしてさっと政権を返納した。ある意味で、民衆の無血革命だったともいえる。

 歴史を見る場合、尊皇攘夷論や薩長同盟など政治的な面に凝り固まらず、またそれに惑わされず、『民衆が政治を変えてしまう』という視点がとても大切である。
 私たちが選挙で政権を選ぶ場合も、生活の苦楽から選択しているのだ。民衆の支持を失えば、政権が倒れる。そして選挙で変わる。
 それが教科書でも教えてくれない、大政奉還である。

                                 【了】
 

                                『写真:京都御所 2014年3月5日』  

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