歴史の旅・真実とロマンをもとめて

教科書で教えてくれなかった「大政奉還」の意味?(2)

 小松は島津久光と同様に、公武合体論だった。しかし、広島藩との接触から、小松が大政奉還論に切り替わってきた。
 大久保利通と西郷隆盛は武力倒幕の考え方だ。小松もそれを認識したていた。薩摩藩は極度に階級制度が厳格だから、大久保も西郷も、小松には異議申し立てできず従ってきた。


『藝藩志』から、やや小説風に読みやすくしてみよう。

 7月1日、広島藩の辻将曹は京都の薩摩邸に小松帯刀を訪ねた。
「辻殿が先般、久光公にお会いになり、広島藩は幕府に、いちど大政奉還の建白書をだされた、とか。その条項とはいかなるものか、お聞かせ願いたい」
 小松は33歳で、眼と眉がきりっとした細面だった。
「政令は1か所から出して、天下の秀才を抜擢し、政務に参与させる。そのためにも、幕府に政権を朝廷に返納してもらうことです」
「おおいに賞賛するところです。ただ、薩摩藩内には、往年の清川八郎、真木和泉らが最初に言い出した、勤王討幕説を持っている人物がいます」
「それが西郷吉之助ですね」
 辻は事前に応接掛から情報収集していた。

「そうです。西郷はもっぱら武力をもって、王室を再興させる考え方です。在京の薩摩藩の藩士を誘い込み、勤王討幕説を一致させる、行動を秘かに展開しています」
 小松はそう辻に語っている。
 在京の薩摩藩邸内でも、一枚岩ではないな。辻の率直な薩摩の印章だった。

 翌日、あらためて辻が小松に会った。、
「土佐藩の後藤象二郎に、広島藩は藩論一致で、徳川家には大政を奉還させる、それをもって倒幕する活動に出ている、と教えました。すると、広島の大政奉還案に乗らせてほしい、と象二郎が申しています。なにしろ、象二郎は四候会議が失敗し、容堂には国もとに帰られてしまい、面子がつぶれて困っておりますから。いかがいたしますか」
「人物の信頼度はいかがですか? 德川はそう簡単に倒れない。腰くだけになれば、德川から制裁を受ける。戦争も辞さない覚悟もできる人物か否か。ここらの信念の座り方はどうです?」
「太鼓で、大きく見せたがる癖はあります。後藤が笛を吹けども、容堂公は踊らず。象二郎の間口は広いが、奥行きがない。予(小松帯刀)が話した時、広島藩の辻どのと、面議したいとつよく申しておりました。会うだけでも、いちど象二郎に会っていただけませぬか」
「土佐はもともと人材が豊富だし……。承知しました」

 翌3日には、辻、小松、後藤、そして西郷が加わった。辻は大政奉還の建白の趣旨を一通り説明した。
「大政奉還の挙は誠に良い。慶喜は15代将軍になったばかり。はやい段階に朝廷に政権返上させる。それを建白書で進言する。これが巧く行けば、天下が収まる。広島、薩摩、土佐の三藩で連署して、これを建白すべきでしょう」
 象二郎がすぐさま乗ってきた。
「西郷吉之助には、意見がありそうだな」
 小松が発言を許した。

「大政奉還の幕府の採否は微妙です。かならずや拒否の意見が渦巻くでしょう。四候会議の換言(かんげん)すら受け入れない慶喜です。建白書だけでは、一蹴されてしまう。まして反幕府勢力だと言い、非常事態(軍事行動)も起こり得るでしょう。
 大政奉還を建白するには、一面では兵隊を出してきて、朝廷をお守りする。もう一面は慶喜が大政奉還を採用しなかったならば、すぐさま兵隊を使って、政権をこちらの手に奪う。これが拙者の意見です」
 西郷は武力にこだわり、さらにこう言った
「幕府の権威は落ちたが、力を失ったわけではない。薩摩、広島、そして土佐が京都へ兵をあげる。そうすれば、大政奉還の建白は実るでしょう。
 朝敵の長州藩の軍隊も挙げてきて、慶喜に圧力を加える。幕閣はいまなお幕長戦争のあとをずるずる引きずっております。これも、一気に解決させる。
 長州軍を京都に挙げる。それが有益な戦法です」

「実にいい考えだ。長州は実戦経験が豊富だ。禁門の変、下関戦争、幕長戦争。これは幕府に強い圧力になる。四藩ならば、幕府を倒せる。こうなれば、感慨無量だ」
 後藤が凱旋して熱に浮かされたような態度だった。
(乗りすぎる性格だな)
 辻は警戒した。

「後藤どのはえらく感動しておられるが、容堂どのは德川家の勢力を温存する考えだ。倒幕など考えておらない。象二郎どのと方向性がちがうのではないか」
 西郷がかなり冷たい口調で言った。
「いや。この後藤に任せてもらいたい。ぜひとも、この大政奉還の建白書の連署に、土佐を加えさせてほしい。容堂どのは四候会議が巧くいかなかったから、この大政奉還には間違いなく賛成してくれる」
「では、その証しに、土佐藩が1000人の兵を京都に連れてくる。それならば大政奉還の建白書に、土佐藩も連署する。小松家老、如何でしょうか」
 西郷が条件を突きつけた。
「私よりも、広島藩は如何ですか、大政奉還を最初に持ち出されたのだから」
 小松が辻にふった。
「土佐藩が本気で1000人の兵を出すなら、広島藩の軍艦で土佐湾にまで迎えにいきましょう。わか藩の父子(長訓と世子の長勲)には事前に、土佐への軍艦の派遣、連署の承諾は得ておきます」
(1000人の兵を用意したが、軍用船がない。そんな象二郎の逃げ口実は封じておく必要がある)
 辻はそう警戒した。

「象二郎どのが京都に兵を連れてくるまで、期間はどのくらいかな? 長く引っ張っておると、幕府は軍隊を動員し、構えてしまう」
 西郷は軍事に動物的な勘が働くのか、後藤を信頼していない口調だった。
「往復20日をみてほしい。広島の軍艦を借りずとも、拙者がかならず1000人の兵を率いて上京してきます」
 象二郎は即日、土佐へ出発して帰って行った。

 将曹はこれを長勲に報告した。
「薩芸土の3藩の連署でもよい。ただ、国家の行方を左右する。速やかに完了することを希望する」
 辻は大政奉還の活動の範囲を広げた。在京中の備前岡山藩の日置帯刀にも話をもちこんだ。

「岡山藩は賛成です。因州鳥取藩、阿波徳島藩とは国事を相談する仲です。両藩もかならず、大政奉還に同意するでしょう。ねがわくは、三藩あい揃ってその大政奉還の主意を、辻どのから聞くことをたまわりたい」
 辻はこれら3藩に執政・石井とともに説明した。 

                                【つづく・2/4】

                                『写真:京都御所 2014年3月5日』

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