歴史の旅・真実とロマンをもとめて

幕末史の謎。密貿易の御手洗港を訪ねる(上)

 歴史には隠れた闇の世界がある。

 幕末期に、日米和親条約、同通商条約で日本が開国した。長崎、函館、下田の三つの港にかぎられている。倒幕運動が盛んになると、兵庫(神戸港)の開港がもめにもめた。ここまでは教科書で出ている。
 しかし、何ごとにも表と裏がある。裏側から見たほうが、正確なときもある。

 瀬戸内海の大崎下島に密貿易港があった。
 密貿易は闇の部分だから、教科書には出てこない。だから、憶えなくてもよい、知らなくてもよい、という発想があると、正しい歴史認識はできない。

 日本の文部官僚は不都合なことは隠す。
 「お役人の作ったことだ、間違いないだろう」と鵜呑みにしてしまうと、日本よりも、外国のほうが正しい日本の歴史認識をもっている場合がある。
 鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争の時に、日本最南端の薩摩がなぜ大量の大砲、ライフル銃など最新西洋銃を日本一もっていたのか。幕府軍以上に。ここらは教えてもよい点だ。 


 いきなり脇道にそれてしまうが、江戸幕府はペリー提督が来る前から、19世紀にアメリカと交易をしていた。なぜ、教科書で教えないのだろうか。
 単純に3つの疑問から、たどっていくと、日米貿易が明瞭に見える。
 
 ①日本人は英語に弱い。ペリーが1853年に来て、翌年には和親条約を結んでいる。わずか1年で誰が英文の条約文を読み取り、サインできたのか。万次郎は漁師で身分が低いから同席させていない。幕閣は身分制度にうるさい。長崎から英語専門の通詞(通訳)がきたのだ。かれらは英和辞典を持っていた。どのように辞書ができたのか。

 ②18世紀~19世紀、オランダは海運帝国・イギリスと戦争していた。オランダから日本へ商船などまわせない。ナポレオンがオランダを占領し、オランダ国家がなくなった時がある。
 交易相手の国家がなくなれば、代替えは必要だ。すると、どこの国だ? 

 ③ アメリカの博物館に、なぜ江戸時代の物品がたくさんあるのか。浮世絵、鏡台、下駄、三味線、武者人形、仏像、陶器、絵馬……

 ここから解明していくと、文部官僚は、世界史ではナポレオンがヨーロッパ全土を支配下においた、と教える。しかし、日本史では「日本は中国とオランダと貿易していた」とバカの一つ覚えで教えている、と矛盾がわかる。いつまでも、事実が教えられない日本人は悲劇なのだ。
 
 江戸幕府は優秀な頭脳を持っていた。オランダ国が消えたが、プロテスタントは日本領土侵略の恐れがないからと、長崎出島でアメリカと交易していた。だから、日本の美術品、生活用品など珍しいものは、船員が買って帰り、それらが大量にアメリカで現存しているのだ。

 薩長閥の明治政府は、徳川家は劣悪な政権だったと教えることで、自分たちを優位に見せようとした。ペリー提督が来て、幕府は慌てふためき、大騒ぎ、圧力に屈して開港した。まさに無能扱いだ。

 実態はどうか。アメリカ大統領の親書を持って、1853年にペリー提督が日本にくる、と国家が再建された・オランダから徳川幕府に連絡が入ってきたのだ。黒船艦隊は空の礼砲を鳴らしていた。浦賀には見物人が多く、屋台が出るし、役人が野次馬を整理できず、立ち入り禁止にしたくらいだ。
  
 1846年には、東インド艦隊司令官のジェームズ・ビドルが艦隊を連れて浦賀に来ているのだ。この時も見物人で大騒ぎだ。ペリー提督は2度目だし、だれも恐れおののいていない。
 教科書は嘘を教えているのだ。

 日本はアメリカと交易していたと、もう教えるべきだ。
 安倍首相が長州閥を受け継いでいるにせよ。これを前提にして教えないから、諸外国からつねに日本は正しい歴史を教えていない、と批判されるのだ。

 薩摩藩が瀬戸内海の島で密貿易をしていた。長崎、函館、下田の三つの港にかぎられているのに、薩摩は御手洗にイギリス、フランス、オランダ船を入港させていた。記録にも明瞭に船名まで残っている。これは国家に対する裏切り行為なのだ。
 その貿易のために、薩摩は藩士(役人)を5-6人駐在させていた。現地には享保2年・薩州二階堂の墓もあった。

 奄美諸島でなく、なぜ瀬戸内なのか。この疑問が長く解けなかった。戊辰戦争の長編小説を書く必要上から、このたび御手洗を訪問し、再調査した。
 わかったことは、外国から武器弾薬の購入は長崎を使うと、幕府の目があるし、軍事力が筒抜けになるからだ。だから、薩摩は御手洗を使っていたのだ。
 御手洗には薩摩文化がたくさんある。豪商の家はかなり屋久杉を使っているのだ。

 司馬遼太郎作品には御手洗など1行も出てこない。それでいて薩長の軍事力はやたら鼓舞している。長崎の武器商人グラバーとか、龍馬とかの説明ですませている。他方で、薩摩が長崎奉行所の幕府・役人の目をかいくぐる描写がないのだ。
 事実、歴史作家として、どんな手を使ったのか、さっぱり見えてなかったのだろう。正攻法で長崎から買っていたら、鳥羽伏見の戦いで、幕府軍を武力の差で倒せるほど、武器は調達できない。早々とにらまれてしまう。
 長期間の密貿易があったから、調達できたのだ。それゆえに、薩摩は幕府の隠密がつど領地に入ると、ことばの違いで見つけだし、容赦なく斬り捨てていたのだ。

 貿易は輸入と輸出がだいたい見合うものだ。薩摩はなにを輸出していたのか。奄美の砂糖を運んでくる? そのていどで最新の高価なライフル銃を大量に買えない。
 なにを輸出していたのか。                            【つづく】

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