歴史の旅・真実とロマンをもとめて

【幕末史の謎解明】西郷隆盛も真っ青?=「雅楽助はなに奴だ」(上)

 歴史にはとかく空白がある。空白を埋めてくれるのが、資料や史料である。それがない場合は歴史学者は不明・不詳とする。しかし、作家ならば推論、空想の世界で、空間をつなぎ合わせられる、と私は考えている。

 慶応4年1月3日、西郷隆盛の指揮の下、鳥羽伏見の戦いが起きた。幕府軍は京都周辺から敗走した。しかし、西郷隆盛には新政権をいかに強奪するべきか、具体的な知恵や政争がなかった。
「戦いに勝っても、交渉で勝たねばならぬ」
 西郷には、それが欠けていた。相手と対峙したとき、大きくも小さくも響く。だが、自らの発想で推し進める策略家ではなかった。

 西郷は後年、鳥羽伏見の戦いで、(誘発に乗った)幕府軍が発した一発の銃声が生涯で最も嬉しかったと語っている。クーデターのきっかけができた、と殊のほか本人は喜こんだのだ。つまり、武人なのだ。

 京都に成立した新政府(京都政権)の要人らは、鳥羽伏見の戦いは新政府が西郷らに頼んだわけでもないし、あれは薩摩と幕府の喧嘩だと言い放った。

 西郷は軍事クーデターを起こしてみたけれど、新政権のトップになれなかった。総裁は有栖川親王のままである。西郷には徳川家を武力で叩きのめすことだけが目的で、京都に生まれた新政権の内容をすり替えるだの、陰の内閣の構想すらもなかった。

 京都政権は諸外国に承認を求めるなど、外交努力をはじめている。軍人肌の西郷のでる幕は殆どなかった。
「喧嘩は強いが、政治手腕に卓越した知恵はない」
 
 西郷隆盛が鳥羽伏見の戦いをしかけ、幕府軍は京都・大阪から敗走した。一ツ橋慶喜は上野寛永寺で恭順の態度をとった。つまり、それで終わってしまったのだ。
 新政権にはしばらく目立った動きがなかった。戦争よりも、内政重視だった。そうなると、政策通でもない西郷は蚊帳の外だった。ところが突発的に戊辰戦争へと突入した。この空間で、何が起きたのだろうか。
 これは私の長い間の疑問の一つだった。

 9月10日、私は戊辰戦争の調べもので甲府に出向いた。目的は西郷ではなく、芸州藩だった。

 芸州(広島)藩は、上野で彰義隊と戦い、次なる飯能戦争、甲府、小田原戦争、そして東北・浜通りの戦いへと転戦している。甲府にはなにか、芸州藩の戦いの跡か、エピソードはないだろうか。
(きっと史料はないだろう、ダメもとだ)
 無駄は覚悟の上だ。

 甲府・勝沼の戦いとなると、新撰組の近藤勇の敗北が有名だ。甲陽鎮撫府(こようふちんぶふ)は近藤指揮の下、約200人の軍勢が江戸から甲府城に向かった。都下、日野あたりは新撰組の出身者が多い土地柄だ。どこの村でも『祝・近藤勇・新撰組』で、飲めや食えやで大歓迎。調子に乗り過ぎた新撰組(一部会津藩士)にとって、これが大きな失策となった。

 官軍の東山道総督府(とうさんどう そうとくふ)の土佐藩・板垣退助、因州(鳥取)藩の河田佐久馬らに先を越され、1日違いで、甲府城を抑えられてしまったのだ。

 新撰組は甲府城に入れず、その手前の勝沼の戦いで、大砲すら撃てず惨敗した。近藤勇は逃げて流山(千葉県)で捕まり、当時1万石の身分(1万石から大名格)だったが、切腹もさせてもらえず、打ち首だった。

 私には、それ以上の甲府関連の認識はなかった。

 山梨県立図書館に立ち寄った。りっぱで豪華な図書館だった。館長が阿刀田高さん(日本ペンクラブ元会長)だった。私は広報委員として面識があるし、「挨拶しようかな」と一瞬思ったけれども、館員から、非常勤だと聞かされたので、止めた。

 2階の「郷土資料」コーナー担当の男性図書司書に、甲府における芸州藩の足跡を調べたいと申し出た。同館のPC検索サイトには何も引っかからなかった。
「まちがいなく、広島から隊が甲府に来ているんですか」
 図書司書が訊いた。
「広島の石碑文に書かれていますから」
 私は簡略に説明した。
「そうなると、『甲府市史』か『山梨県史』からあたるしかないでしょう」
 それは根気がいる。仕方ないと思い、分厚い市史や県史や関連資料を開いていた。

 幕末の政治、支配者層、産業、文化などの項目から、「山梨は賭博が盛んな土地柄」だと明記されたていた。理由は、藩領でなく、天領で役人の眼が薄かったからだという。甲府・武田信玄は有名だが、徳川時代には藩主がおらず、代官がまとめ役の土地柄だった。

 鳥羽伏見の戦いから、戊辰戦争の空間を埋めてくれるものが、甲府にあったのだ。山梨県史から大工の小沢雅楽助(うたのすけ)を見つけたのだ。
 日本史のなかで、これほどまでに愉快で、奇想天外なことをやり遂げた男はいないだろう。この男がなしたことは、いっとき西郷隆盛も真っ青だろう。否、西郷にすれば、戊辰戦争に突入への、これ以上にない素晴らしいヒントを授かったはずだ。
 伊豆半島・松崎出身の名もなき大工で、身分すらなかった小沢雅楽助が日本史を動かしたと言っても、過言ではない。                          【つづく】
 

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