A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

送られてきたレターパック 武智 康子

 4月下旬のある日、厳重に封じられたレターパックが届いた。ホンダ自動車の矢野研究員からだった。

 矢野氏とは、夫の学会で何度かお目にかかったことがある。しかし、夫が他界して3年経つのに何だろうと、思いながら封を切った。中からお手紙と共に、丁寧に梱包されたDVDが出てきた。

 手紙の要旨は「今月末で会社を定年退職するにあたり、机の中を整理していたらグラーツの国際会議でご一緒した時の記録が出てきました。グラーツでは、武智先生にいろいろ教えて頂いた上にアドバイスも頂き、そのことが自分のその後の研究課題となりました。そこで、当時の記録を編集しましたので、記念にお送りします」と、書いてあった。

 私は、夫と共にいろいろな都市を訪問したが、グラーツには特別の思い出もあった。

 2010年6月、夫と私は、グラーツ空港に降り立った。出迎えてくれた事務局の方の車で、街の中心部に向かった。
 グラーツは、オーストリア第二の都市であるが、石でできた城門をくぐると石畳の道が続き、街の中心部のホテルに着くと、そこはまるで中世にタイムスリップしたような感じだった。
 街は、中世の建築物に囲まれ、丘の上にはお城が、広場の真ん中には古い大きな時計台があった。ホテルの玄関も木彫りの大きな扉である。
 もちろん中の調度品も中世のものが多い。私は、時代錯誤しそうだった。それもそのはずだ。
 このグラーツの中心部は、歴史地区として1993年、世界遺産に指定されていたのだった。


 翌日、グラーツ工科大学での開会式の後、午後に夫は、未来の自動車の技術開発について講演をした。そして、夕方からのウエルカムパーテイー終了後、同じホテルに泊まっているホンダの研究員矢野氏たちと四人で、ホテルのロビーラウンジでビールやカクテルなどを飲みながら話している時だった。

 どこからか4、5人の日本語が聞こえてきた。
 学会に出席の方かと思って、私が首を伸ばして見回すと、左斜め横の二つ向こうのテーブルの席にいた、サッカーの本田圭佑選手と目が合った。
 私は驚いて「あ、本田選手だ」と小さな声を上げた。と同時に夫たちと先方の3人もお互いにその方向を見た。
 さらに驚いたのは、あとの3人は、長谷部誠、香川真司、吉田麻也選手だった。次の瞬間、本田選手が私達のテーブルに来て、「あなた方は、ここにお住いの方ですか」と言った。夫は「いや、私達は自動車関係の国際会議に参加のため、昨日日本から来た」と話して、ホンダの二人を紹介した。

 サッカーと関係ない日本人に会ったのが久しぶりだったのか、入れ替わり立ち代わり、夫々が話に来てくれた。
 彼らは、日本と世界各地から集まって、ワールドカップのための合宿をしているのだった。城郭の外に立派なスタジアムがあるとのことだった。

 最後に夫が長谷部選手に、中学生の孫がサッカーをしているので、こんな紙で失礼だが、サインを頂けないかと持ち合わせのレポート用紙をだした。皆、快く引き受けてくれた。そして、日本から応援する旨、皆と約束し握手をして別れた。

 私は、香川選手のファンだったので、握手の時にその旨を伝えた。彼は、ニコッと笑ってくれた。私は、彼がどんな時でも前線で反則をしないフェアなプレイが好きだったのだ。

 送られてきたDVDのカバーには、ホテルの玄関前で撮った写真を背景に、「IDDR二〇一〇グラーツ・武智先生ご夫妻」とタイトルが書かれていた。内容は、学会の様子や街の中の様子とともに、サッカースタジアムも入っていた。私は、とても懐かしかった。そして、最後に出てきたのは、夫の講演だった。30分程の講演だが、夫は、まだ70代後半で現役だったので、声にもハリがあり、私にとっては何よりのシーンだった。

 夫は、原稿は持たずに、パワーポイントの画像を見てレーザーポインターで指しながらスピーチをする。
 海外での講演は全て英語だが、声と姿が録音、録画されているものは、殆んど残っていない。現場ではいつも聴いていたが、今となっては、私にとって何よりの記念となった。
 私は、矢野氏に感謝のお礼状を送った。
 今でも時々、淋しくなると夫の生の声を聴いて、元気をもらっている。このDVDは私の大切な宝物になった。


イラスト:Googleイラスト・フリーより

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