A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

まどさんと美智子さま 桑田 冨三子

 1980年代の後半、私は大学時代の友人タヨの誘いに応じて、子どもに良い本を渡す運動に加わるようになっていた。国際児童図書評議会IBBYである。

 世界中の国、特に途上国において、優れた子どもの本の出版や普及を奨励する民間組織である。隔年に一度、子どもの本に貢献する作家の全業績にたいして「国際アンデルセン賞」を授与している。その選考水準は高く「小さなノーベル賞」とも呼ばれ、児童文学の発展に大きく寄与している。


 1989年、IBBYの日本支部は詩人・まどみちおさんをこの「国際アンデルセン賞」候補に推薦することに決めた。

「まどみちお」本名・石田道夫は1909年に徳山で生まれたが、5歳時のある朝、目が覚めたら母と兄妹の姿がなかった。
 自分一人だけが置いて行かれたと気づく。お爺さんに育てられるが、その頃の寂しさと孤独、また、豊かな自然や人々のあたたかさが、多感な時期のまどさんの感性をつちかい、詩を作る原点になったという。

 土木技師として働きながら詩を作り続ける中、25歳の時に、まど・みちおというペンネームで投稿した詩が北原白秋に見いだされる。以来、本格的に詩に取組む様になった。1951年に「ぞうさん」を発表する。翌年これが、団伊久麿の曲でラジオ放送され、大ヒットとなる。その後も詩と童謡の創作に専念し、1968年に最初の詩集「てんぷらぴりぴり」を出版し、第6回野間児童文芸賞を受賞した。

 話は友人・タヨに戻る。IBBYの日本支部会長がタヨに、まどさんの詩を英訳する人を探すよう依頼した。
 まどさんの詩は日本語である。審査会に提出するには英語に直さねばならない。詩の翻訳とは、通常の翻訳とは異なる。詩の心がわかる詩人でないと、まどさんの世界観が伝わる翻訳にはならない。
 ……、 ふとタヨの頭に浮かんできたのが当時の皇后・美智子さまの存在であった。

 美智子さまは歌人として注目されている。言葉一つに託されている思いが非常に大きいから、素晴らしい歌を詠まれる。
 また、人の心の琴線を揺らす詩人・長瀬清子の「あけがたにくる人よ」を、皇太子妃時代に英訳されている。
 児童文学作家・新見南吉の詩の翻訳も手描けられたことも、タヨは知っていた。詩の翻訳は地味で困難を伴う仕事である。

(美智子さまにはきっと、まどさんの世界観がお解りになる)

 タヨはそう思ったにちがいない。そばにいる私もそう思う。けれども一体、どうやって皇后様にお願いできるの? いつものことながら、突拍子もない彼女の思い付きに私はあきれていた。
 しかしタヨはそれを巧みに実行に移した。
「この話は、私がひとりでやる。他の誰にも手伝ってもらわない。」
 そう宣言したタヨは、本当にひとりで美智子さまに電話をかけ、説得したらしい。お答えは「いくつか訳してみますけど、どうぞ、ほかの方にもお願いしてみてくださいね。」であった。

 しかし、タヨは他に人を探すことをしなかった。そんな顛末があって暫く経った。或る日、日本支部には『The Animals  どうぶつたち」と題した手作りの小冊子が届く。それは、美智子さまが数多いまどさんの詩から20編を選び、原詩の形式を変えることなく、子どもにもわかりやすい英語に訳された詩集であった。

 宇宙詩人と言われ、地上のあらゆる存在に敬意を払うまどさんの思いがよく伝わるものであった。本は見開きの横書きで、左頁にまどさん、右頁には英語というしゃれたレイアウトでできている。翻訳についてまどさんは、「英語は分からない」とおっしゃったが、美智子さまは原詩の音とイメージをそこなわないよう再現した翻訳文を朗読し、テープに吹き込み、まどさんはそのリズムを確認出来た、という話だ。

 美智子さまは詩人であり翻訳者であり、優れた編集者である。
 IBBYには、この20編のまどさんの詩が美智子さまの翻訳とともに提出された。惜しくも国際アンデルセン賞は逃したが、1922年『The Animals  どうぶつたち』は日米で出版された。私はアメリカ側の出版社と、宮内庁、まどさんとの間で印税などの出版契約をする経理担当として関わった。

 一方、美智子さまはご公務の間を縫って、ずっとまどさんの詩を読み続けられた。出来上がったのが、60篇の詩の翻訳、『にじ』、『けしゴム』、『不思議なポケット』の小冊子3冊であった。

IBBY日本支部では、再び、まどみちおさんを国際アンデルセン賞候補に挙げた。その時、タヨは日本支部ではなくIBBYの世界会長に選ばれていた。
 1994年、選考結果を緊張して待っていた日本支部に、日本人審査員の松岡京子さんから電話が入った。「まどみちおさんの電話番号を、お知らせください。」
 この電話によって、まどさんの受賞を心待ちにしていた日本のみんなは、まどさんの受賞を確信したのである。
 不思議なめぐりあわせでによってあまり縁のなかった詩の世界で私が出会った二人の詩人の話である。

  イラスト:Googleイラスト・フリーより

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