A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

柚子を採る

 庭の南東に柚子の木がある。
「柚子の木って、どこで苗木を買ったんだっけ」と妻に尋ねると「杉並公会堂前の植木市じゃないかしら」との返事が返ってくる。苗木から育ててもう何年になるだろう。高さは、3mほどになった。

 近年、柚子が豊作のステージに入り、庭木の中でも存在感を増している。

 陽のあたる南側のガラス窓を通して見ると、例年に比べ、今年の柚子は、たわわに実っている。高いところを採るのは私だ。
「もうそろそろ採ってもいいかな」と妻に聞くと、「そうねえ、下の方は私でもとれるけど、上の方は任せるわ」とのこと。


 三箇日をすぎた明くる日、柚子採りに乗り出した。物置から高枝バサミを取り出し、枝幹や葉の付け根にある鋭い棘に刺さらないよう厚手のバラの剪定手袋をはめる。
 2時間ほどの作業で、高いところをほぼ採り終わった。小枝や葉が邪魔をして、ハサミの操作がしづらく、実を切ってしまうこともある。隣家との境目は落とさないよう気をつけているのだが、物置の屋根に、2・3個、ドスン、ドスンと音を立てて落ちてしまった。

 木の周りから角度を変えて実だけを切り離そうとピンポイントで狙うが、実と一緒に付いてくる葉や小枝も少なくない。ハサミの操作が難しい。見上げてばかりの作業を続けていると首が疲れる。もとの姿勢に戻すとフラフラする。


 ひとあたり採り終わると、こんどは、小型の庭バサミで落とした実から葉だけを切り離す。冬の間に溜まった白樺などの枯れ葉と一緒に用意したゴミ袋にまとめる。
 可燃物のゴミ出しの日まで、玄関脇に置いておく。こうした一連の作業を終えると、妻の要求に応えたことになる。
 ちょうど翌日は、燃えるゴミを出す日なのでタイミングが良かった。


 作業を終え、収穫物である柚子の実を玄関に置く。妻が見に来て、「ずいぶんいっぱい採ったわね」と感心する。
(めったに褒めない妻としては、最大限の褒め言葉だ)。
 この反応を聞くと、達成感と満足感が湧いてくる。

 実から葉を切り離す作業をしていて、足の裏に鋭い痛みを感じた。足を持ち上げてゴム靴裏を見ると、柚子の鋭い棘が刺さっている。
 夢中になって作業をしていて気が付かず踏んでしまったようだ。恐る恐るゴム底に刺さった棘を引き抜いた。
(油断もすきもあったものではない)。
 家に戻って妻にこのことを話したら、「葉っぱは棘があるから踏まないようにちゃんと分けておくのか常識よ」と言われてしまった。

 我が家では、成果物である柚子をレーズンとプルーンを赤ワインで煮た夕食後のデザートに、絞った果汁をかける。
 甘い味に柚子の香りと酸味が加わってしあわせな気分になる。
 朝食の米国産の「ビヨンドグリーン」と呼ぶ植物由来の製品を使った特性飲料にもかける。残った皮も、妻は黒いところを取るが、私はもったいないとかじって全て食べてしまう。

 たくさんあるので、妻は、隣家の同じ年の隣家のご主人を亡くしてひとり暮らしの方にお渡しする。
 柚子が大好きで、毎年我が家からの贈り物を待ちかねているという。よろこんでもらえて、収穫した私もやりがいがある。

 西荻句会を紹介してくれた方にもお渡しした。自宅での「ゆず湯」や娘さんに渡したという。有効に使ってもらって
(柚子もさぞ、本望だろう)。


 2度目の柚子採りは、一月末だった。
 木に残っている柚子が気になって仕方がない。
(今日は暖かいし、全部採ってしまえ)と庭に乗り出す。
 
 前と違うのは、新兵器の登場だ。
 高枝鋏でなく、中間や低い場所用のハサミだ。短い分ハンドリングが楽だ。全部取るのはちょっと無理かなと思っていたが、やりだしたら止まらなくて、全て採ってしまった。
 途中、小路をゆく、幼い男の子が「あれなあに」と父親にたずねると「柚子というんだよ」と会話が聞こえる。
(ちょっと誇らしい気持ちになった)
 収穫した成果をスマホ写真に撮ろうと屈んで数ショット。これで全て終了と、やっこらさと立ち上がろうとしたら、立ち上がれない。
(足に来てしまった)
 何回も試みたができない。そうしているうちに、よろよろとスローモーションのように後ろに倒れてしまった。
(脳裏に、ボクシングのノックアウトシーンの映像が浮かんだ) 

 家では消費できないほどで、西荻句会の会員に配ったり、郷土博物館分館の企画展「角川源義コレクション」を一緒に見学した人にプレゼントした。
 後で聞いたら、恵方巻きの酢の代わりに使ったり、柚子の甘煮にしたという。うまい使い方をするものだと感心した。

 
 先日の朝、鳥が騒ぐので、妻に尋ねると、「餌がないからよ。いつも上の柚子は、餌に残すのに、全部採っちゃうから、今年はないと騒いでいるのよ」と。(そうだ。いくつか残さなくちゃいけなかったんだ)言われて初めて気がついた。

 今日も南の窓から、柚子の木を見る。立春を過ぎ、日増しに暖かくなる陽光のなか、ひとまわり小さくなって佇んでいる。
 豊作の柚子は、まだかなり残っている。「男の台所教室」や「おとこのおしゃべり会」でお世話になっている、近所の「ゆうゆう桃井館」の皆さんにお持ちしようかと思っている。


イラスト:Googleイラスト・フリーより

                           【了】

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