A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

住所録  筒井 隆一

 年の瀬が近づくと、年賀状を書く時期になる。私は学生時代に手書きの住所録を整備し、以来それを利用している。
 B-5版で黒いビニールの表紙の付いた住所録は、氏名、郵便番号、住所、電話番号を、一頁に八名分書き込めるようになっており、五十音順に集計されている。
 幼なじみに始まり、学生時代の友、企業人・社会人としてお付き合いいただいた方々、趣味・道楽の仲間まで、およそ1300名分のリストだ。

 また、年賀状をやり取りした結果が一目でわかるよう欄外に、私から葉書を出した相手には○印、賀状を送ってくれた相手には□印を、必ずつけるようにしている。
 スペースの関係で、その記号は3年分しか書き込めないが、送った相手から返事が来ないのが3年も続けば、今後続けて出すかやめるかの判断材料になる。


 近年、コンピューターで住所録を管理するようになってから、イラストの入った挨拶文と宛名書きは、ずいぶん楽になった。反面、頭を悩ませるようになった問題がある。

 自分も高齢化してきたので、年賀状は今回限りとし、以後不要にしてほしい、という連絡が、年々増えている。
 年を取れば、年に一度とは言え、年賀状のやり取りは億劫になる。親しく付き合ってもらっていた友人、知人と縁が切れ、近況を共有できなくなるのは残念だが、トータルで考えて今後は遠慮したい、という気持ちなのだろう。
 決して相手を避けるわけではないのだが、年賀状を毎年貰っているのに、自分が出さないのは失礼で申し訳ない、という気持ちからだと思う。

 こういう人は住所録から削除すればよいが、悩ましいのは逝去の連絡があった人たちへの対応である。
 普通に考えれば、亡くなった人たちはこの世に居ないのだから、住所、氏名の記載を、そのままにしておくのはおかしい、ということで、最初は太い二重線を引いて故人の住所、氏名を削除していた。

 しかし、今まで長い間親しく付き合ってもらった、先輩、仲間の場合は、黒い太線で塗りつぶすのは気が引ける。
 細い二重線を引いて、死去した年月日を記入し、住所、氏名は、そのまま残すことにした。その二重線が、目立って増えてきた。死者たちの住所録になりつつある。

 その様なわけで私の住所録には、死者も生者と同じような位置づけで載っている。本来の住所録とすれば、おかしなものかも知れないが、私自身の感情からすると、一番しっくりくる。

 何年も使っている住所録だが、その変遷を見ていると、面白いことに気付く。最初住所録がスタートした時は、生者だけだった。
 時間が経つとともに、生者は死者に移行する。最初は生者が圧倒的に多かったが、住所録作成の私が老いていくのに合わせ、死者たちが優勢になり、まさに死者たちの住所録だ。

 住所録は、自分の人生の歴史だ。葉書、手紙を書くときに使うだけでなく、たまにパラパラ開いてみてみるとよい。
 目にとまった人物と、どの時代にどのような付き合いをしたのか、その付き合いで何を学んだか、を思い出すとなつかしい。リストの大半は、名前と住所を見れば、いつ頃どこで付き合った人間か、その容貌も性格も解るが、さっぱりわからない人間も増えてきた。

 名前は憶えているが、いつどこで会った相手だろうか。日記のように詳しい情報ではなく、名前と住所だけで思い出そうと努力してみる。
 私たち高齢者にとって、古き良き時代に付き合った懐かしい人物を思い出すのは、一苦労だが、楽しいことだ。

イラスト:Googleイラスト・フリーより
                        【了】

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