元気100教室 エッセイ・オピニオン

長唄―愛犬バニラのご縁―  石川 通敬

 この1年私は、長唄にはまっている。
 それは我が家の愛犬バニラがもたらしたものである。生きていれば、今年7月で20歳になるが、残念なことに彼女は3年前に死んだ。

 バニラ色のミニチュア・ダックスフンドで、当時人気の犬種だった。その上、彼女はとびっきりの美人で、愛想がよく皆に可愛がられた。

 私が住んでいるのは目黒駅に近い杉野学園の裏だ。学園のメインストリーが「ドレメ通り」と言われ、通学時には、大勢の学生で溢れかえる。

 そんな時間に散歩に連れてゆくと、一斉に「可愛い」と数人の学生たちが駆け寄ってくる。彼女は愛想よく、歓び、仰向けになる。お腹をなぜてもらうのが大好きだった。
 あまりにも皆が「可愛い」と呼ぶので、一時期これが自分の名前と錯覚していたふしがあると思ったほどだ。

 ある時、通りかかった外国人が思わず、「オオ、フレンドリー・ドック」と可愛がってくれたこともあった。


 そんなバニラの大ファンだったのが、昨年来長唄を教えていただいているM先生だ。
 ドレメ通りを挟んで、我が家の反対側に住んでおられる。歩いてゼロ分のご近所だ。バニラへの気に入りぶりは、ご自分もダックスフンドを買われたほどだ。
 そんなご縁がありながら、うかつにも私は長唄を教えていただく機会を長年逸していた。

 小唄と津軽三味線は長年やっているが、長唄にまで手を広げようとは、考えたこともなかった。
 そんな自分にチャレンジする気を与えてくれたのが、百歳クラブの「邦楽音いろサロン」だ。同サロンは、当初小唄のメンバーを中心にスタートした。が、老人ホームや大学の留学生の忘年会などでボランティア演奏をしていたところ、日本舞踊や長唄に関心を持つメンバーが増えた。
 その影響から、長唄を習うことが私の夢になっていった。

 それが2年前、偶然、実現したのだ。  
 実は我が家では毎年クリスマスツリーを飾ることが恒例となっている。発端は、私が結婚した年に赴任したニューヨーク時代にはじまる。
 当時、アメリカ人社会では、旅行したとき、各地のスプーンを記念に買い集めることが流行っていた。そうした風潮に対し、会社の上司Tさんの奥様が、
「うちでは、スプーンではなく、旅行先のクリスマスオーナメントを買い集めているの。その方が思い出の幅が広がるわよ」
 と教えて下さったのだ。

 我が家もそのアイディアに共感し、以来、半世紀、家族旅行、私の業務出張で気に入った思い出の品々を買い集めてきた。
 これまでに、アメリカ、ヨーロッパ、中国等で買い集めたものは、ゆうに百以上になる。
 毎年これを取り出し、来し方を偲ぶが、それにとどまらず、飾り終わると、親しい友人に見に来ていただくのが、我が家の年中行事になっている。

 その友人の一人が、一昨年の暮れにはじめてお招きする機会ができたM先生だ。その機会をとらえ、長唄を教えてくださいとお願いする機会を得たわけだ。

「石川さんは、大好きだったバニラちゃんのご主人だから、特別にお友達としてお教えします」
 と先生は、快諾してくださった。

 あとで伺ったのだが、習いたいとお願いした曲は、中級以上の人が演奏するもので、普通は許されない例外扱いだったのだ。
 その上、その後バニラのご縁には、大きなおまけがついた。
 お稽古が始まって、しばらくしたある日、目黒駅前のヤマハ音楽教室で、芸大出身の山口先生に、津軽三味線を教えていただいていると、お話ししたところ、
「山口君と言っては失礼になりますが、彼は私が大学の若手教官時代、学生だったのでよく知っています」
 と驚かれたのだ。
  
 山口先生にこうしたことをお話ししたところ、当然M先生を覚えておられ、

「目黒駅周辺という狭いところに、ご縁のある人々が集まっているのは不思議ですね」
 と感慨深げに話された。更に、
「石川さん、M先生は長唄界の名門のお嬢さんで、大学、そのOB会の重鎮です。よくそんな方に教えていただけることになりましたね。常識では、考えられないことです。よくよくバニラに感謝しなければいけませんよ」
 と強調されたのだった。
 山口先生は、10年以上も前からのバニラのファンで、音色サロンの応援者の一人でもある。百歳クラブや品川区の芸術祭でも長唄を演奏する夢があるとM先生にお話ししたところ、
「素人だけで長唄を合奏するのは無理です。山口先生に助けていただきなさい。私からもお願いしてあげます」
 とアドバイスして下さったのだ。
 お粗末ながら、以上が長唄とバニラのご縁の顛末話だ。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

【了】

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