元気100教室 エッセイ・オピニオン

対話   筒井 隆一

 コロナ騒ぎが始まって以来、外出の機会が激減した。今まで、いかに不要不急の外出を続けていたか、あらためて気付かされた。また、普段出歩いている私が家に居るので、思いがけず夫と妻との対話の機会が増えた。
 家内は、読書、編み物、脳トレパズルなどをやったり、庭での花作りが好きで、家に居ることが多い。

 一方の私は、飲み会、ゴルフ、コンサート、絵画展など、趣味、道楽の集まり、催しには積極的というより節操なく参加し、週の半分は都心に出ていた。声がかかると、断らない付き合いの良さが自慢だ。日常の生活スタイルが、かなり異なるその二人が家に籠り、一日の大半を、顔突き合わせて過ごすようになった。


「最近分かったけれど、あなたは怒りっぽくて、威張るわね」
「そんなことないよ。我々年代の男なんて、こんなものさ」 
 家内は、結婚即同居で気丈な姑に仕え、二人の息子を育てた。今は息子の嫁さんたちとも仲良く付き合いながら、三人の孫を可愛がっている。今さら好きだ、愛している、という関係ではないが、世間並み以上に信頼関係は強い夫婦だと思って感謝してきた。

 それが、怒りっぽくて威張る亭主、とは何だろう。相手の性格を見直し、残り少ない人生を理解し合って暮らす、そのきっかけをつくる時が来たのかも知れない。


 よくよく考えてみると、家内は私が新聞を読んでいたり、テレビを見ていても、突然話しかけてきて、一方的にしゃべりだす。話の内容もくるくる変わって付いていけない。
 私は元々企業人として慣らされたせいか、普段の会話でも先ず結論を述べ、それに至った経緯、今後の対応などを、相手が理解しやすいように順序よく説明しているつもりだが、家内は違う。

「急に話し出すとびっくりするじゃないか。おまけに話があちこちに飛ぶから、何を言いたくて、結論が何なのか、分からないよ」
「私が話しかけたら、『うん、そうだね』と合鎚を打ったり、『そこをもう少し分かりやすく説明してくれよ』など言って下されば、話が滑らかにつながるんじゃないかしら」
「そんなこと言われなくてもやっているよ」

 私は話がかみ合わないと、ブスっとして口をきかなくなる。
 会話の作り方、まとめ方が家内とは違うので、いちいち逆らっているより黙っていた方が上手く収まると思い、口をつぐんでしまう。決して怒っているのではないのだが、そのように取られるのだろう。


 巣ごもり生活の対話で、自己反省点が、ひとつ明らかになった。
 一方、家内との対話で、彼女の話かけをじっくり観察して分かったことがある。ひとことで言うと、私を試しながら対話をしているように感じられるのだ。

「試す」という言葉は、あまり聞こえが良くない。自分の喋ったことが、相手に聞こえているのか、また、相手がそれを理解できているのか、疑いを持ちながら伝わりを確認しているのである。


 八十歳直前になれば、聴力も落ちてくる。聞き違いもあるだろう。また、周りの同世代の老人が、物忘れで失敗した話を聞けば、家内はそれを自分の亭主に置き換えて、考える時もあるのだろう。
 決して悪意の問いかけ、確認ではなく、心配、思いやりからくるもの、と善意に解釈しているが、少々気になる。

 年明けに、ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤーコンサートを、家内と二人でテレビのライブで聴いた。
「今年の指揮者リッカルド・ムーティ―、よかったわね」
「うん。ムーティ―は二年前にウィーンに行った時に、ウィーンフィルの定期演奏会で聴いたよね」
「あの時は何を演奏したかしら」
 それとなくお試し、聞き取りが始まる。
「直前に運よくチケットが取れて、一番後ろの壁際の席で聴いたのは覚えているけれど、曲目は何だったっけ」
 咄嗟に言われても、すぐ出てこない。
「確かモーツァルトのフルート協奏曲と、ブルックナーの交響曲との組み合わせだったわ」
 そういえば主席のシュッツが独奏者だった、と思い出した。


 相手の記憶を、物忘れしているのか、と勘繰らず、二人の認識を共有しようとする家内の問いかけだと思いたい。
 また、我々の年代になれば、老化の進行を確認するのは必要だと思う。
 コロナがきっかけで、夫と妻の対話が復活し、残された限りある人生を充実して過ごせれば、何よりである。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

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