A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

故(ふる)きを温(たず)ねる = 廣川 登志男

 老舗そば屋の「神田まつや」前にちょうど差しかかった。途端にお腹がグーッと鳴った。現金なものだ。お腹は正直なのだろう。

  上野から歩き出し三時間ほど経っている。昼時だったためか、店は満員に近かったが、入り口に近い四人席が空いていて案内された。
 隣には、高齢とおぼしき和服姿の旦那さんが、板わさとお新香を肴に升酒をのんびりやっている。昔、この店を贔屓にしていた池波正太郎も、ここで舌鼓をうっていたことだろうと頭に浮かび、「うーん! どうしよう」と一瞬心が動いたが、これから皇居一周を歩く予定にしている。

「やっぱり止めとこう」と、後ろ髪を引かれながらもりそばだけを注文した。
 上野から皇居の辺りまで歩くのは、いつも楽しい。史跡や寺社など、見ておくべきものが本当に多い。

 上野を十時前に出立して、湯島天神、神田明神、湯島聖堂を巡った。

 何度も通っているところだが、その都度新しいことに気づくのでいつも時間がかかる。皇居周りも、これまでに2回ほど歩いていたが、国会議事堂周辺にまでは足を伸ばしていない。
 今回はじっくり見てやろうと、美味しいそばをすすり終え歩き始めた。

 以前はほとんど気づかなかったが、議事堂前に樹の生い茂った庭園があった。さして期待はしていなかったが、コンクリート造りの味気ない大通りを歩くよりは楽しかろうと、寄り道することにした。

 庭園内は結構な斜面だが、歩きやすい歩道となっていて、園の入り口には、「桜の井」と記された井戸があった。
 江戸時代から名水で知られる井戸であり、当時から近くを通る通行人にも提供されていたと碑に記載されている。安藤広重の絵にもなっているという。

 さらに坂を上ると、すぐに大老井伊直弼の上屋敷跡がある。地図で確認すると、ここから四,五百メートルで桜田門に到る。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼は、この先に暴漢が待ち受けていようとは思いもしなかったに違いない。

 議事堂に向かって右側に、小さいながらも立派な石造りの洋風建築があった。碑には「日本水準原点標庫」とある。

 全く知らなかったが、ここが日本各地の標高原点だった。さして期待をせずに入った庭園に、思いもかけない場所があって深く感動したことを覚えている。

 水準原点が、なぜこの地に設置されたのか疑問がわいた。家に帰って調べると、この地には、明治時代に陸軍参謀本部陸地測量部があったと記載されている。
 そういえば映画「剱岳 点の記」で、陸軍の陸地測量部が映し出されていたが、それがこの地だったのだろう。ここを起点に、日本全国八十六カ所に基準水準点があり、さらに多くの水準点が設置されて、各地の高度が測量される。


 調べると、さらにいろいろなことを知ることができた。国土地理院の水準点は、全国の主な国道や県道等に沿って約2kmごとに二万二千点ほど設置されている。
 その水準点の高度差を測っていくのだが、2kmの間の高度差を一回で測量するわけではない。短い距離の測量を何十回も積み重ねて測量する。
 どれほどの回数が必要なのかは、専門家でないからわからないが、膨大な労力を要するだろう事は理解できた。また、江戸時代に「大日本沿海輿地全図」を完成させた伊能忠敬の業績や、今後の測量がGPSに取って代わることなども勉強できた。


 このように、散策などで湧いた興味や疑問については、図書館やインターネットで調べることにしている。今回も、日本地図作成に関する多くの知識を得たし、井伊直弼一行の辿ったルートや、襲撃の状況も克明にわかった。そして、襲撃の起こった背景も理解できた。

 これが、史跡や名所、寺社などを訪れる意味合いだろうし、それをエッセイとして紙に書き残す努力が、それらの正確な理解につながり、ひいては日本人としての知見が深まるものと思う。
「故きを温ねる」努力があってこそ、真の日本人たり得るのではないだろうか。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

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