元気100教室 エッセイ・オピニオン

大活字本  青山 貴文

 我家は熊谷の西北寄りに所在し、深谷図書館の方が、熊谷図書館より近い。十数年前、深谷図書館の閲覧室で、大活字本の蔵書を3000冊くらい揃えたコーナーを見つけた。その陳列された書籍は、有名作家の司馬遼太郞などの時代物や夏目漱石などの近代の作品群であった。そのころは、ひと気の少ないコーナーで、私も興味がなく寄り付くこともなかった。


 ところが、このごろ視力が落ちてきたのか、従来のメガネでは通常の文字が楽に読めない。特に、画数の多い複雑な文字などが出てくると、どうしても普通の姿勢で読めない。背を丸め、あごを突き出して本に近づくか、あるいは、本を手に持って目前に紙面を持って来なくては読めなくなった。


 若いころは、紙面から4~50センチ離れた本を、背筋を伸ばし胸を張って姿勢を正して読んだ。さながら、古い書物に出てくる寺子屋の子供たちが、本を立てて、姿勢を正して読んだ姿に似ていた。

 そんなことなら、眼鏡店で検眼してメガネを新調すべきだと思うがどうも面倒くさい。なんと言っても、新たにお金がかかることは億劫になる。今かけているメガネでも、新聞は読めるし、運転もできる。日常生活には支障はない。だが、読書となると、新たにメガネを作るべきか否か逡巡する。

 一方、好きな日本酒を買うために、酒専門店には気軽に立ち寄れる。高価な旨い大吟醸酒を数本買えば、メガネ代くらい何でもないのだが、眼鏡店には足が向かない。


 要するに、どちらに優先して金を使うかと言う問題になる。メガネを買い変えて姿勢を正して読書するか、あるいは、美味い酒を愛飲して生活に潤いを与えるかだ。
 そう考えると、残り少ない人生、後者の方が大切のような気がする。酒が無性に好きだった亡き父にだんだん似てきている自分がいる。

 さらに、当用漢字ではない画数の多い知らない漢字に接することが多くなってきた。その漢字の読み方や正確な字体をはっきりしようと辞書で調べる。なかなか目的の漢字が探りあてない。やっと目当ての漢字にたどり着いても、メガネの度数が合っていないのか、虫眼鏡を使っても良くわからない。


 その解読方法として、簡便な方法を見つけた。スマホにインストールした「漢字辞典」の手書き個所に、正確に知りたい漢字を人差し指で大きく書く。細部のはっきり分からない所は、いい加減に似せて書く。
 すると難しい画数の多い漢字でも、簡単に見つかる。そして、その漢字の正しい書き順、音・訓の読み方、意味、さらにその漢字を用いた述語の例まで、大きな字体で示してくれる。これはすごい。メガネを新しくする必要などさらさらなくなった。


 雨天や体調がかんばしくなく、終日書斎で過ごす時がある。そういう日は、テレビの大相撲やサッカーなどを観ながら、合間に池波庄太郎の「剣客商売」などの軽い内容の時代小説を読む。机に真正面に向かわずに、半身に構えて椅子に座る。

 ひどい時は、両足を机上の片隅に置いて背筋を伸ばして椅子にふんぞり返って観たり、読んだりする。

 これは、昔ミシガン州のエドモア工場事務所で体験した仕草だ。安全靴を履いた同僚のボブ・ハンドリーが、昼休みなどに長い足を机に置いて、新聞や雑誌を読んでいた。
 彼は、技術者でありかつポリスマンだ。米国では、人徳のあるひとでないとポリスにはなれないらしい。

 私も書斎でリラックスするときは、彼を真似て短い足だが、両足を机の上に置いて、本を読んだりテレビを観たりする。疲れて窓辺に目をそらすと、一羽の雀が電線に止まってこちらを見ている。

 そんな時、字体の小さな本を手で持って顔に近づけたり、辞書などいちいち引いてはいられない。深谷図書館で借りた大活字本を利用する。

 この本は、従来の普通書籍の字体の2倍の大きさで、行間も2倍くらい広い。80センチくらい離れても楽に読める。テレビ方向に本立てを置き、この大活字本とテレビを、目玉を少し動かすだけで見られるようにする。

 加えて、この大活字本は読み易く親しみやすい。敬遠しがちな小難しい内容の書物、例えば市川浩著「哲学とは」などの書もあまり抵抗なく読める。

 どうも、大活字本が似合う歳になって来たようだ。

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