元気100教室 エッセイ・オピニオン

スカイバス  石川通敬

 私がスカイバスを知ったのは運行が開始された2005年のことだった。

 このバスは日本初の二階建て観光バスである。中央郵便局横、丸ビルのとなりから出発し、所要時間45分で皇居、銀座、丸の内を見るコースが設定されている。その特徴はロンドンの二階バスに似た赤い色だが、違う点は二階席に天井がなくオープンなところである。



 知るきっかけとなったのは、当時2、3講座をもっていたK女子大学のT学部長からある日突然、依頼された要請にある。

「石川さん、近年大石晃一著『大阪学』が先駆けとなり、都市別学がブームになっているのをご存知ですか。本校でもこれにあやかり、『東京学』を特別講座として開設したいと思うのですが、協力していただけませんか」
 との打診だ。

 彼の発想の原点の一つは、定年間近な教育者の優しい親心にあったと思う。
 もう一つは、彼が東京大学の出身だったからではないかと推測した。私も感銘を受けた夏目漱石の三四郎の影響ではないか。
 田舎から出てきた三四郎が、東大前の市電の雑踏、古い江戸が取り壊され急ピッチで日々建設されていく東京の街の活気とダイナミックな変化に驚嘆する様の描写が、同氏の脳裏に残っていたのではないだろうか。稲城の学生達に進化を続ける東京を見せたいと思ったに違いないと私は勝手に想像している。


「本校は東京の大学ですが、郊外地稲城にあり、学生はこの辺りに下宿し、残り時間をこの近辺でアルバイトをしています。歴史ある東京を知らないまま卒業するのです。気の毒な子供達です」と。

 同氏が提案した特別講座は、東京・江戸についての講義と東京都庁、浅草をはじめとする伝統的江戸情緒の街、銀座・丸の内に代表される首都東京の顔を見学する会の設定であった。
 これを数人の教師が、ボランティアとして役割を分担した。私の担当は「東京学(その一)首都東京、(その二)銀座文化諭」であった。面白い発想と思ったのが担当分けの理由だ。

「あなたは慶應義塾を卒業し、丸の内で働いていたのでそのキャリアーをベースに講義をし、現地を案内してください」と。
 同大学で正規に受け持っていた講座は、経済学と海外生活論で6年間教えた。経済学をわかり易く教え、公務員試験に合格する水準に教育することは至難であったが、海外生活論は、大人気化し、教える自分も勉強出来て楽しかった。 

 こんな中依頼された東京学の講義と見学会は3年間と短期の体験であったが、忘れがたい思い出が数々残った。その一つがスカイバスだったのだ。バス代金が1人1200円で、大学の予算では負担できない、学生もお金を払ってまで参加しないはずだとの状況判断があった。
 そこでこの窮状解決のため私は一肌脱ぐことにした。授業に先立ちビデオカメラをもって同バスに乗車、ガイドの案内と風景を撮影して、見学会前の教室で学生に見せたのである。

 もう一つは、この機会に得られた新しい知識だ。銀座の歴史と担ってきた役割。日比谷を作った日本の公園の巨匠本田静六。銀座、丸の内に残る歴史的建造物群等改めて認識したことは枚挙にいとまがない。

 特に忘れがたい楽しい思い出が、30数人の若い女子学生を引率して歩いた銀座、新橋、日比谷丸の内の体験である。


 本稿を書くにあたり、書棚にあった「首都東京」と「銀座文化論」という二つのファイルをしばらくぶりに開いてみた。
 第一の感想は、何事も時間をかけ、本気で勉強し、発表することがいかに大切かという点だ。授業からすでに十数年経っているが、東京、銀座に話が及ぶとき、その時の努力がいかに今の知的生活の助けになっているかを改めて悟った次第だ。

 第二が、この時始めた勉強を、全く継続して来なかったことに気が付いたのだ。なにごともその場限り、喉元を過ぎるとすっかり忘れるという自分の欠点の典型事例だったので情けなく思った。

 最後は、スカイバスの後日談だ。私はスカイバスが好きで、機会があればいつも乗ってみたいと思っている。その理由は東京の街を見るのが好きだからだ。毎年乗っても新たな発見があり見飽きない。

 そんな思いがかなったのがK女子大の後、群馬のG女子大で教える機会ができたときだった。T学部長のことを思い出し、毎年ゼミの学生を東京ツアーに招待することにしたのだ。日本橋にある貨幣博物館、スカイバス、外国人記者クラブでのドリンクのセットコースを提供した。愛する東京と教え子のため奉仕できたと今も喜んでいる。

 残っていた機会も同大学の退職を機に終了した。今は孫との観光だけになったが、これもいずれ終了する。
 東京に元気をもらうため、一人になっても定期的に同バスには乗るつもりだ。


              イラスト:Googleいらすと写真・フリーより

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