青い眼がほしい 金田 絢子
2019年8月、黒人の女性作家トニ・モリスン(米国人)死去の報が、新聞に載った。
彼女は、1979年「青い目がほしい」で文壇にデビューし、自分の子が奴隷になるのを逃れるため殺害する女性を描いた「ビラヴド」で88年ピュリツァー賞を、93年にはノーベル文学賞を受賞した。
まず私は、デビュー作の「青い目がほしい」を読みたいと思った。
書店に置いてなかったので、アマゾンから娘に取り寄せてもらった。題名に魂をゆさぶられ、黒人のみじめさ、黒人の少女ピコーラのかなしみに、単純にひき入れられると決めてかかっていた私は、正直まごついた。
同書は、私がこれまで手にしたどの物語ともちがっていた。
私は、つっかえ、つっかえ読んだ。二度目にやっと半分くらい理解した。モリスンさんは「ピコーラを憐んでしまう解決法は避けたかった」としている。
急に、それまでとまるで関係のない場面が出てくるが、それらをていねいに読み解くと、モリスンさんの言いたいことが見えてくる。
例えば、チョリーーピコーラの父ーの生い立ちが語られるが、チョリーは生まれてすぐに母親に捨てられ、親から何も教えてもらえずに育った。
黒人故に貧しく、それは代々続く屈辱的なものである。
チョリーがたえず酔っぱらっていることは、妻のプリードラヴにとって自分たちの人生を何とか耐え得る材料になる。チョリーにとっても妻は、実際手で触れ、傷つけることのできる数少ないものの一つなのだ。
妻の上に、はっきり言葉にできない怒りや、挫折した欲望のありったけをぶちまけ、暗い野獣のような形式にしたがって、お互いに傷つけ合う。二人とも口には出さなかったが、殺し合いはしないという了解が成り立っていた。
ピコーラは思う。この眼があおかったら、私の顔が黒くなくてかわいかったらチョリーもミセス・プリードラヴもちがっていた筈だ。
「まあ、きれいな眼をしたピコーラをごらん。わたしたち、あんなきれいな眼の前じゃ悪いことをしてはいけないわね」
チョリーもプリードラヴも、どうしようもない黒人の宿命に苛立って、激しいけんかをするのだ。モリスンさんは言う。
「人種差別が毎日の生活の中で、いかにひとを傷つけるか。黒人対白人の人種差別だけでなく、人種差別のある社会では、その影響は人種内にも出てくる。
昔、子供たちと読んだ「ドリトル先生」にしろ「チボー家の人々」、シュトルムにしても白人優位の小説である。
彼らは有色人種を虫けらのように思っていたのだ。
アメリカが日本に原子爆弾を落としたのだって、東京大空襲で、未曾有の殺戮を行なったのも、人種差別と無縁ではあるまい。
でも、時代は大きく変わった。少なくとも1960年代から、アメリカの黒人たちの公民権運動がさかんになった」と解説にもあるが、黒人が声をあげはじめてからの小説は、白人至上主義の内容ではなくなっていよう。
20数年前、私と夫はスペイン旅行のツアーに参加した。旅のおわりはおさだまりのパリであった。
パリへ向かう飛行機を待つ空港で、私とツアー仲間のS夫人とは、老いた白人夫婦を中に、四人がけの椅子にかけた。するとやにわに、心持ち体をふるわせながらマダムが、皺だらけの右手で、同じようにしわまぶれの夫の左手を固くにぎりしめてこう言った。
「ねぇ、あなた日本人よ。いやだこと」
ただし、この語は私の創作である。彼女は険しい表情で前方を見つめたまま、無言であった。
いくら世をあげて人類平等を唱えても、潜在意識は変わらない。
「青い眼がほしい、誰よりも青い目にして下さい」
とピコーラは祈り、奇跡を夢みて、聖職者をたずねる。
黒い肌という地獄から浮かび上がって、青い眼でこの世を見たいという小さな女の子に、奇跡を行うことができたら、と心底彼は思う。そしてピコーラは、青い眼、だれよりも青い眼を得るが、その青い眼はピコーラにしか見えない。
ところで私には、どうこのエッセイをまとめたらいいかがわからない。ただ、人種差別は人類永遠のテーマにちがいない、と思うばかりである。
イラスト:Googleイラスト・フリーより