元気100教室 エッセイ・オピニオン

大観からの手紙 ~祖父清のこと~」 井上清彦

 夏の朝、「オーシーツクツク」とツクツクボウシが鳴いています。
 鳴き声に耳をすますと、「夏が過ぎてゆくのだなー」と感傷的な気分になります。8月は、沖縄忌、広島・長崎の原爆忌そして終戦記念日と続く「死者を悼む月」です。


 母は東日本大震災の2ヶ月前に亡くなり、母屋にあった仏壇を隣の我が家に移しました。
 私は、朝晩、仏壇で拝んだあと、書斎机にある、母、父そして祖父の写真に語りかけます。祖父は、明治8年に生まれ、私の誕生する3年前昭和十四年に亡くなりました。


 親は、私たち兄弟3人に「祖父は美術学校の卒業で、神社仏閣の調度品のデザインを仕事とした大変尊敬すべき人だ」と子供のころから教えた。

 母が嫁いだ際に「祖父のものは一木一草たりとも手を付けてはいけない」と祖父を尊敬すること尋常でない父から、きつく言われたという。


 子どもたちに、時々、祖父が昭和7年に建てた母屋の書院造りの座敷で、遺品の数々を広げて見せてきた。

 父が、昭和60年に80歳で亡くなったあと、母は、祖父の遺品の扱いに苦慮し、主だった遺品(殿内調度及び御神宝裂地資料)を、平成8年、神社本庁に寄贈した。

 昭和62年「東亰藝術大学創立100周年記念展」が都内各地で開催され、「デザイン・建築」展を見に行った。祖父は明治二十六年、岡倉天心が校長を務める東京美術学校に入学、絵画本科を経て、天心の発議により新設された図案科3年生に編入した。

 展覧会では、図案科の一期生(明治31年卒)の祖父の卒業制作「室内装飾図」が最初に掲げられていた。


 昨年5月、「国立近代美術館」で開催された「生誕150年記念の横山大観」展を鑑賞した。大観は明治元年生まれ、昨年は明治維新150年だった。

 美術評論家によれば、大観は夭折した画友の菱田春草と比べ、決してうまくはない。
 ただ、「朦朧体」と呼ばれた輪郭をはっきりさせない描き方や新しく作られた岩絵の具をいち早く取り入れたりするなど、新しいものを取り入れる先進性、冒険心がある。また、発想が豊かで「奇想天外」なところがあるという。


 彼らが「大観は線の書き方が下手だ」
 と批評しているのを聞くと、大家を引き合いに出して恐縮だが、74歳近くで水彩画を描き始め下手を自認する私としては、そういう大観にどこか親しみを感じる。


 祖父は東京美術学校8期生で、1期生の大観は図案科時代の恩師である。大観との関係は2つの遺品で伺える。

 一つには祖父が昭和13年に内務省を退官後、病に伏せた時に、大観からお見舞いの行灯が届けられたことだ。
 子供の頃に見せられたが、木製枠に和紙が貼ってあって、緑と墨で松林が鮮やかに描かれていたことを思い出す。
 後に母から木の枠や和紙が傷んで、保存できなかったと聞いた。


 もう一つは、大観から祖父に教えを請うことがあり、墨痕鮮やかな短い手紙と絵馬額2つが残っている。
 額は「海辺の松と朝日」と「紅梅」の2つである。「大観」のサインと落款が入っている。同封された手紙は、大きく雄渾な筆致で書かれている。


 大観が祖父に聞きたいことがあって都合を伺っている内容のようだが、くずし字でよく判読できず、ずっと気になっていた。
 先日、エッセイ教室仲間の吉田さんが、書道を通じ、文字解釈に造詣が深いことを知って、思い切ってこの手紙の解読をお願いしたところ、快く引き受けてくれた。次の教室の時に、判読結果を頂いた。
 やはり、大観が何か教えてもらいたいことがあって、祖父に都合を聞いている内容だった。

 吉田さんは、「教え子であるお祖父に、随分へりくだってお願いしていることに驚いた」と言っていた。
 大観については、亡くなる直前まで好物の日本酒を飲む酒豪で、髭をはやした豪放磊落な人物像を想像していただけに、その文面に、私は大観の人となり、人物の大きさを感じた。
 今では確かめようもないが「大観は、何を祖父に聞きたかったのか」と興味を覚えた。

 
 神社本庁の神保郁夫さん(昭和35年生まれ)には、平成8年の遺品寄贈時や、東日本大震災後、母屋を取り壊す際の遺品の扱いで大変お世話になった。
 5年前、神保さんは寄贈した祖父の作品のカラー写真と経歴・功績を7ページに渡ってまとめ掲載した鶴岡八幡宮・季刊誌『悠久』第133号を送ってくれた。

 その中に「美術学校の講師であった伊東忠太の勧めで造神宮司庁、内務省に技手として奉職。神宮を中心に殿内調度及び神宝の図案、今で言うデザイナーとして活躍した」とあった。
 読んで、初めて知ったことが殆どで、祖父清の実像がはっきりと浮かんできた。


 ちょうど1年前の8月の朝、久しぶりに神保さんから電話を頂いた。「伊勢神宮から連絡があって、祖父の遺品がたいへん役に立った。
 祖父のサンプル通りだった。天皇退位の儀式関連のようだ」との内容だった。これを聞いた私の胸に熱いものがこみ上げてきた。

 今朝も、職人のように短く刈り込んだ髪、ふちなしメガネの気難しそうな叙勲時の祖父の写真を見ていると「おれのことを、書き残すのはお前だ」と言われているように感じる。
 喜寿を迎え父の没年齢に近づいてきた私だが「祖父のことを調べる」と妻に告げたら、「自分のことも中途半端なのに、何言っているのよ」と即座に言い返されそうで、そのまま胸に留めている。


イラスト:Googleイラスト・フリーより

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