A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

六兵衛さんの徳利  石川通敬

 私はこよなく酒を愛す。その種類はいとはない。料理も好き嫌いがないので、仕事に出向いた世界各地で、それぞれのご当地自慢の酒と料理を楽しんだ。
 しかし最近は年のせいか、日本酒と日本料理の比重が上がってきた。その際重要な役割を果たすのが酒器だ。

 そんなある日、妻が興奮して徳利を持ち帰ってきた。
「これH子ちゃん(妻の従姉妹)にもらったの」という。
 それは彼女たちの祖父の遺品整理の時見つかったのだ。白と藍色が美しいひょうたん型だ。
「六兵衛さん作のものだけれど、注ぎ口が欠けているので捨てようと思っているの。よければあげる」と言われたそうだ。

 私は一目見て気に入った。ひょうたんの形がバランスよく、持ち具合もいい。欠けがあっても、実用には差し支えない。
 調べてみると五代目(1875~1959年)の作品だ。もし傷がなければ私が買える品ではない。いつもの性癖で、何とかかけを修復したいと情報を集めながら、毎日晩酌で使っていた。
 しかし修復不能と分かりあきらめかけていた。そんなとき妻の兄が、日曜職人で修復してくれるというので早速頼んだ。うれしいことに結構見栄えが良くなったので、しばらくよろこんで使っていた。

 ところが寿命なのか、半年もしないうちに、突然粉々に自壊してしまった。私は、大いにショックを受けた。実は10年ほど前に京都で買った猪口が気に入り、以来愛用していた。これに六兵衛さんが加わり、満足度の高い晩酌を楽しんでいたからだ。

 最近目に着くのが、ネオジャポニスムという言葉だ。一九世紀に浮世絵が頂点になり、フランスを中心に日本ブームがあった。
 今回はアニメ、漫画等を中心に形を変えた日本ブームの再来らしい。しかしそれをさかのぼること三百数十年以前の17世紀に、ヨーロッパの人々が、日本の磁器に熱い視線を向けていたことを、多くの日本人は忘れている。
 学校教育ではろくに教えてもらった記憶がない。近年日本人が、気軽に海外に行けるようになり、各地の美術館を訪ねて、始めてその偉大な存在と歴史を知るのだ。

 ボストン、大英博物館に陳列される有田焼、古伊万里、鍋島、柿右衛門、古九谷等見ると圧倒される。小、中規模の美術館に行ってもヨーロッパの王侯貴族に、これらがいかにもてはやされたていたかがわかり驚かされる。

 一方ブランド志向の日本人が憧れる西洋の磁器、例えばドイツでマイセン、デンマークのロイヤルコペンハーゲン、イギリスのボーンチャイナ等が日本からの輸入品に刺激されてヨーロッパ人が必死に開発したなどという苦労話は、日本にいては、実感がわかない。

 茶人であれば別だが、今日自宅に自慢の陶磁器をそろえてお客をもてなす人は、ほとんどいないのではないだろうか。
 その結果、家庭内に自慢の陶磁器を揃えもつ風習はすたれる一方だ。私の両親の世代はそれでも明治、大正の生活風習が抜けなかったのだろう、今の時代では考えられない程、いつの間にか和、洋食器を買いそろえていた。遺産整理をして初めて知った始末だ。

 現在私の机に「徳利購入券 3万円」というカードが飾ってある。六兵衛の徳利を失い、嘆いている私を見て、誕生日に妻がくれたものだ。もらって直ぐ神楽坂の陶器屋に行ったが、気に入ったものは見つからない。
 話を聞くと
「近年徳利型は流行っていないので東京ではおいていない。今度京都に仕入れに行くとき探してみる」と言ってくれた。

 東京では無理かとあきらめかけていた2018年冬に、東京ドームで開催された「テーブルウェア―・フェスティバル」が目に留まった。
 さっそく期待をもって会場に向かった。しかし場内は大変にぎわっていたが、出点数が少なく、プレゼンテーション・ブースも、欧米と比較すると質量ともに貧弱で、迫力にかけておりがっかりした。
 それでもひょうたん型の徳利が一つ見つかった。当代の柿右衛門の作という。値段を聞くと十万円だ。それもさることながら、図柄が好みでなかったので買うのは見送った。

 今私が後悔しているのは、何一つ本腰を入れて勉強せず、記録を残さなかったことだ。欧米での見聞録をエッセイにしておけばよかったと今頃悔やんでいる。
 その一方で時間もなく、お金もない自分には、陶磁器を趣味にすることも、道楽に走ることもできなかった。この点いついては、自然な結果で、無駄遣いをしないで済んでよかったとよろこんでいる。

 徳利カードを眺めながら、京都の骨董屋に夢を託している毎日だ。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

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