A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

親父の助言 = 青山貴文

 社会人になって、はじめて、帰省した。
「酒の席が多くて、困ってしまうよ」
 と、アルコールに弱い私は、飲んべえの親父に言った。
「食べてから飲め」
 酒にだらしない親父の助言であった。

 彼は私が母親に似て、アルコールが弱い体質と知っていた。

 私は、父が酒好きで、沢山の酒を飲めるが、呑まれてしまう情けない男と見下していた。よって、彼の忠告は余り信用していなかったが、こと酒に関しては、変に説得力のある彼の戒めを守った。
 要するに、物を先に食べることによって、胃壁や腸壁に粘膜を作り、アルコール分を極力少なく吸収する方法だと勝手に解釈した。

 それからは、酒宴が始まると、刺身とか茶わん蒸しなど自分の好きなものを先に食べてから、好きでもない酒を飲んだ。酒好きには、食前のすきっ腹に酒は美味いという。しかし、私には食前も食後もどちらとも美味くなかった。

 上司や先輩の中には、
「酒が飲めない奴は仕事も出来ない」
 と言う人がいた。そういう人にかぎって、酒が強い。同じように、ゴルフが強い人は、「ゴルフが上手い者は、仕事もよくできる」という。

 私はどちらも弱かった。特に、酒は盃に2~3杯飲むと、目のまわりが赤くなる。さらに飲みつづけると、顔全面が真っ赤になって、心臓が大きく動悸してくる。それでも無理して飲むと、吐き気を催してくる。

 堪え切れないので、トイレで飲み食いしたものをすべてを吐きだす。仕事が出来ない男だと思われては、この会社ではやっていけない。吐いてから、何食わぬ顔つきで、また飲む。上から入れて、上から出す。なんとも、不経済なことをしていたものだ。

 そのうち、顔が蒼白になってくる。すると、もうどうしても飲めない。しかたがないから、先輩だろうが、誰だろうが酒をさされても飲まない。青山は、酒に弱いとレッテルを貼られる。親父のように、酒に呑まれるよりはましだと、誰が無理強いしてもそれ以上は飲まなかった。

 幸い、体力には、自信があった。あまりしつこく注ぐ奴には、にらみつけて拒絶する。若い時、酒屋で住み込み店員をして、力仕事をしたことが幸いした。
 そのうち、注ぐ方に回り、にらむこともなくうまく立ち回れるようになった。

 私は、酒に呑まれるどうしようもない親父をもって、気楽であった。たとえ仕事ができないで落ちぶれても、親父のように、妻子を困らせることはしないという自負があった。経済的には、父より優位であった。そういう意味で、親父は私の精神的な下支えであり、防波堤であった。

 仕事ができて酒の強い親父であったら、彼を追い越せなかったであろう。そういう意味では、非の打どころがない立派な父でなくてよかった。

 私に息子ができたら、大いに酒を飲んで、親父のようにベンチで寝むり込んでみたり、終電車で介抱すりに給料袋を盗られてやろうか。酒が飲めなければ、女遊びをおおいにして、どうしようもない親父を演じてやるか。すると、息子は「親父はどうしようもないな」と、優越感を感じ、力強くなるだろうとすら思っていた。

 いかんせん、生まれたのは娘二人であった。平々凡々の家庭的な親父になった。娘の教育は、主に妻にまかせ、自分を偽り、背伸びする必要もなかった。

 また、お客との酒宴では、直ぐ赤くなるので、「あいつはすでによく飲んだのだろう」と、余り注がれることもなかった。仲間との一杯では、大きな声で騒いでいれば、いつとはなしに酒宴はおわっていたものだ。

 そこへいくと、酒に強く飲んでも顔に出ない人は、ぐいぐい飲まされる。赤くなるのは恥ずかしかったが、これもありかと、酒宴も嫌いでなくなってきた。しかし、真の男は武将の如く泰然と飲めなければだめだと、今でも信じている。

 私は入社して、研究係に配属された。諸先輩は、専門書を読みながら、あるいは議論をしながら、たばこを思慮深く吸っていた。私は、たばこはうまくなかったが、格好だけは先輩たちを真似て思慮深い態度でうまそうに吸っていた。

 親父は、ヘビースモーカーでもあった。
「たばこは肺や胃に吸い込まないで吹かせ。身体にいい吸い方だ」
 と云いながら、彼はたばこを美味そうに吸い込んで、鼻から煙を出していた。

 海外勤務になって、年増でなかなか理知的なアメリカの美人秘書が、「テッド(私のアメリカンネーム)はなぜたばこを吸うのか。ここでは仕事の出来る男はたばこを吸わない」と親切に教えてくれた。
 さすればと、黙ってたばこを吹かすのをやめた。
 たばこをやめるのはすごく難しいといわれていたが、私には簡単であった。親父の助言どおり、肺や胃にたばこの煙を吸い込んでいなかったからだと思う。

 父は、肺気腫になり、たばこの害を息子に示してから死んだ。
 
 今思うに、親父は小心者の私の先行きを見通し、自分のような大物には育たないとみて、いろいろ助言してくれていたのだろう。


  イラスト:Googleイラスト・フリーより

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