A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

特急「しなの7号」  林 荘八郎

 3月中旬に、伊勢神宮に参拝した。翌日、長男一家が住む直江津を目指し、名古屋から中央線に乗車し、長野に向かった。

 特急「しなの」は、木曽川の上流を目指して走る。多治見を過ぎると、間もなくポツンと雪山が一つ見えた。近くの山に遮られ、隠れたり現れたりするが、その姿は青い空に映えて美しい。
 山並みが左右から木曽川を挟み込む。狭くなった川沿いに鉄道と道路が走る。鉄橋を渡るたびに、川は車窓の右へ左へと移る。そして次第に細くなっていく。


 ゆれる列車に身をゆだねて、ぼんやりと飽きず景色を眺め続ける。
 山のふもとの街道沿いに並ぶ黒い屋根の古い家、赤いトタン屋根の農作業用のような納屋が日差しを浴びている。新幹線に比べゆっくり走るおかげで、線路わきの野草まで目に入るのがいい。日本の風景も捨てたものではないと思う。


 わたしは中学・高校時代は名古屋で過ごした。
 登山やキャンプ、スキーに出かけるのは長野方面が多かったので中央線を良く利用したものだ。久しぶりの乗車なので、その頃のことを次々と思い出す。


 木曽福島駅を過ぎると、木曽川が一段と細くなり、水が澄んできた。まもなく分水嶺の筈だ。トンネルを抜けると、案の定、水の流れの向きが変わっていた。峠を越えたのだ。すると景色が一変し、遠くに北アルプスが姿を現す。

 特急「しなの」は、塩尻駅で東京方面からのわずかな乗り換え客を積み松本へ向かう。北アルプスを望む壮大な景色が進行方向の左側に広がった。
 一瞬、厳かな静寂が漂う気がした。濃い紺色の空、それを切り裂くような山頂の真っ白な雪、雲の下に拡がる黒い山。あいにく山々の稜線の多くが雲に隠れているため、雪を頂いた山頂がところどころに見えるだけだ。

「あれは乗鞍かな。もう一つは穂高かな」
 もし全山が晴れていたら、どんなに素晴らしい屏風絵になることかと思う。
 尾根のわずかな部分が見えるだけでは、わたしにはそれぞれの山を判別できない。しかし山々は美しく、そして冷たく聳えている。

 列車は松本から篠ノ井線に入り長野に向かう。再び登り続ける。「姨捨駅」を過ぎるとゆっくりと下り始める。目の前には広大な善光寺平が広がる。千曲川の流域だ。この眺望が、JR日本三大車窓の一つとされていることを後で知った。そこには雪はもう無い。


 ぶどう棚、桃畑が暖かい陽を浴び、田んぼは稲を刈り取られたままだ。間もなく耕され田植えが始まるのだろう。近くの山は稜線が黒ずんでいて、まるで淡い水墨画のようだ。


 車掌は、長野到着に備え、忘れ物の注意、乗り換えの列車案内を始めた。車内では読書もせず居眠りもせず、窓の外の目をやり物思いにふけってきた。
「あそこに『くるまや』が見えますよ」
 木曽福島駅では、名古屋の人たちに人気の蕎麦屋を見つけ、家内が教えてくれる。二十年ほど前に、その店に寄るため中央道をわざわざ降り旧道伝いに走って、立ち寄ったことがあった。たしかにあの蕎麦は美味しかった。

 細くなった木曽川を眺めては、群馬の山奥でイワナを追って渓流をさかのぼったことまでも思い出した。10匹も釣れて楽しかった。
 隣に座る家内は、次々と移り変わる景色を眺めて、自分の世界に浸り、懐かしい思い出に酔っていたのだろう。いつもと違って口数が少ない。

 今回は、あっという間の3時間だった。ローカル線はのどかだ。これからは、できれば途中下車し、もっとゆっくり旅をしてみよう。
 10時に名古屋を発った「しなの7号」は、午後1時に長野に着いた。

写真:Google写真・フリーより

「元気100教室 エッセイ・オピニオン」トップへ戻る