A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

大山詣り 石川通敬

 11月21日朝9時、バスは丸の内を出発した。目指すは縄文時代から2000年の歴史を誇る大山の阿夫利神社である。

 この日は、前日の雨が嘘のようにあがり、年に何日あるかと思われるほど、雲一つない秋晴れとなった。
 お陰で首都高速を経て厚木までの一時間、道路の屈折に従い左右の窓ガラス越しに、次々青い空を背景とした雪化粧の富士山の姿が、ダイナミックに目にも鮮やかに表れた。大山詣りというと地味な印象を与えるが、期待以上のサプライズの発見と感動に満ちた小旅行だった。
 富士山はその始まりだ。
 厚木インターを出ると、伊勢原経由大山のふもとに半時間ほどで着く。

午前11時少し早いが、当地の目玉料理、豆腐のうまい茶屋で昼食をとる。腹ごしらいが終わると行動開始だ。神社参拝には、ケーブルカーも利用するが、まず乗車駅まで400段の階段を登らなければならないという問題がある。
 私はこのツアーの幹事の一員だったので、企画を考えた時この点を心配したが、歩き始めてみると、左右に切れ目なく並ぶお土産物屋や、豆腐料理が売りの旅館、お休みどころが点在し、階段を上る苦労を忘れさせてくれた。
 なかでもひときわ目を引くのが、赤、青、紫の絵付けで仕上げられた縞模様の「大山コマ」だ。江戸時代から300年以上子供たちに人気があったそうだ。地元では「人生が上手く回る」等といい、縁起物だという。

 その他にも、昔ながらの銘菓やキャラブキ等の山菜の佃煮、地元の名水で仕込まれた酒など、バラエティーに富んだ品々がいろいろ並んでいる。
 つい衝動買いをしたくなるが、バスガイドさんから、買物は重くなるので帰りにしなさいとアドバイスされていたので、誘惑に負けず、400段の階段を登り無事駅に着けた。


 平日にもかかわらずそこは混雑している。会社は10分おきに臨時便を運行して対応していたが、それでも全便満席で、通勤電車並みの混み具合に驚かされる。なぜか考えてみると、三つのことに気が付く。

 大山は平成28年に日本遺跡に指定された。これを記念して50年ぶりにケーブルカーを新造したところ、同年のカーオブザイヤー賞の栄誉に輝いた。加えて我々が来たこの週が紅葉を愛でるライトアップの週であったということだ。

 混み合う車内で6分ほど我慢し、ホッとした気持ちでケーブルカーの終点駅を出ると、想定外の情報が伝えられた。
 なんと参拝する阿夫利神社までさらに100段階段を登る必要があると言われたのだ。ちょっとショックだったが、気を取り直し歩くことにした。

 こうした気分を吹き飛ばしてくれたのが、見ごろの紅葉だ。
 特に済んだ空気から差し込む太陽光を受けたもみじが、真紅に輝くさまは芸術品だ。神殿は、赤、黄色の木々が色付く山を背に正面に鎮座している。今登ってきた方向を振り返ると、眼下に明るい水色の相模灘が広がり、はるか遠くには伊豆大島がかすんで見える。その雄大さは感動的だ。

 紅葉を愛でた後、直ぐ参拝。その流れで同神社内にある、さざれ石の展示会場を訪ねた。さざれ石と言えば、誰もが君が代を思い出す。
 しかし、それがどういうものであるか、誰からも教えてもらった記憶はない。そこには石灰を含んだ水が小石を固め岩のように育った高さ一メートル程のものが置いてある。展示物以外何の説明もないので、家に帰ってからいろいろ勉強した。

 まず原産地は岐阜県伊賀山。全国の神社仏閣に奉納されている。その中にはずいぶん大きいものもあり、苔が岩を覆うように生したものもある。ついでに君が代ができた経緯を調べると、歌詞は10世紀の「古今和歌集」にある短歌で、以後江戸時代まで広く祝い唄として邦楽の中で唄われてきたそうだ。明治になり外交儀礼上国歌が必要となった政府が、これに目をつけ曲をつけたというのが歴史だ。

 まさか、ここで君が代につき勉強させられるとは思いもしなかった驚きだ。

 参拝後は、お土産物屋さんを冷やかしながらの下山でなかなか楽しかった。境内の案内板によれば、江戸時代人口が100万人の時、年間二〇万の参拝客でにぎわったと書いてある。当時の様子が今も落語や浮世絵に遺されているそうだ。
 大山信仰の特徴は、他に例を見ない庶民参拝で、江戸の鳶など職人衆が、巨大な木太刀を担いで運び、滝で身を清めてから奉納と山頂を目指したと言われている。東京にいると過疎地と思いがちな大山だが、参道沿いで営業している店、豆腐料理屋、旅館の賑わいを見ると、そうだったのだろうと納得する。

 下山する途中ふと気が付いたことがもう一つある。
 昼食の時給仕してくれた仲居さんの言葉だ。夫は大工さんだという明るい女性だ。自分は自由気ままに生活しているといいながら、気さくに老人たちの相手をしてくれた。
 お陰で華やいだ気分で食事が楽しめた。思いだしたのは、彼女が老人たちをからかうように「私現役よ」と笑いながら立ち去ったときの言葉だった。忘却の彼方に沈んだ昔懐かしい男社会の温泉旅館時代の香りが残っていたのだ。

 大山詣は、信仰と参拝後の楽しみを求めて集まった江戸庶民の一大歓楽街であったのだとの
認識を新たにした。これが最後の発見だ。
 大山は、山まるごと一つのミュージアムだと誰かが書いているが、全くその通りと同感できたバス旅行だった。


イラスト:Google写真・フリーより

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