A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

アホらしい話だったけど  林 荘八郎

 大阪にいる父からの突然の電話だった。
「気をつけろよ。お前が自動車事故で大けがをするか死ぬという相が出ていると八卦見にいわれた」
 またかと思った。

 父は家に神棚も仏壇もおいて、毎朝のお祈りを欠かさない人だった。何事につけ八卦見へ行き、占ってもらう。お寺でも神社でも構わず詣でた。

 わたしは就職し上京して間もない頃で、昼も夜も自分で車を運転する外回りの仕事を受け持っていた。確かに事故の心配がないわけではなかった。さらに仕事柄、酒気帯び運転をすることが多いのを父は知っていた。
 しかし、そんなことを言われても仕事を変わるわけにもいかないし、笑って過ごしていたが、やがて父は上京し、一層注意するよう真面目な顔で言い残して帰っていった。


 父の八卦見頼みの歴史は長い。わたしの名前を決めたときの話を聞いた。
「荘」という字が好きなので、親が徳太郎だったことから「荘太郎」と名付けたかったという。しかし八卦見に、
「『太』の字の中の『﹅』は災いのもとだ。末広がりの『八』が良い」
 といわれ今の名前に決めたそうだ。

 商売の都、大阪にはお稲荷さんを敬う人は多い。

 わたしの勤め先は大阪が本社の会社だったが、創業家はお稲荷さんを社長室に祀り、稲荷祭りという行事を設けていた。その日は業務はせず、役員一同が参拝したあと各部署が順次お参りし、社員は稲荷寿司をもらって昼に退社した。

 父は終戦後十年経ったころから、大阪の船場で毛織物の仲介業を始めた。
しかしそこは、誰かが儲けた分を別の誰かが損をしているような厳しい世界だった。父はたたき上げの商人ではないため厳しさに欠け、お人よしで決して商売上手ではなかった。思うに切羽詰まった状況に追い込まれることが多かったのだろう。お寺も神社も当たり構わず詣でたことからも分かる。

 わたしが結婚相手を決めて両親に報告したら、暫くして八卦見の結果を伝えてきた。
「運勢を見ると、相手の星の方が強い。このままでは結婚後、直きに別れるかお前の方が若死にする。二人にとって不幸だ。ふたりで八卦見へ行って直接に話を聞いてきた方が良い」

 しつこく促され、二人で大阪まで行き、父の信用する八卦見を訪ねるハメになった。そこは三軒長屋の中の一軒で、厳かな構えではなかった。先客が去ったあと、六畳くらいの部屋に通されて、四角い大きな火鉢を挟んで易者と向かい合った。
 彼は灰の上に火箸で字を書き、
「あなたの若死にを防ぐには、相手に名前を変えてもらうのが良い」
 という。
 説得力がなく、根拠が疑わしい、非科学的なアホな話と思った。
二人で顔を見合わせ、どうする? と聞くと、
「私は名前を変えません」
 相手の気持ちを尊重したわたしは、父の心配を押し切るような形で結婚した。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」というが、思うにあの頃は生きるために、みな必死だったのだ。家内安全、無病息災、商売繁盛を願い、八卦見を頼る人は多かった。
 父もその一人だった。

 わたしはこれまで切羽詰まった立場に追い込まれて神仏を頼みにしたくなる状況に出会っていない。運転では、いつの間にか丁寧で慎重なマナーが身に付いた。これは父の願いが通じているということなのだろうか。

いまも八卦見の言葉を思い出す。

 妻の星は確かに強い。しかし、わたしの人生の末広がりは当たっていたのであろうか、それともこれから実現するのだろうか。

 日の出、日の入りの神々しい太陽に、あるいは雪を頂いた富士山の厳かな姿に出会うと、自然と手を合わせる。家族の安全と幸せを願っている。
 父と似たことをしている自分に気づき苦笑している。

 
イラスト:Googleイラスト・フリーより

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