話すは敏になる 青山貴文
我が家の近くには美土里町という風情のある名の街がある。
その住宅街の北東隅に、茂木浩一先生のお住まいがある。茂木先生は、十数年まえに籠原公民館で、私たちに習字を教えてくれていた。習字の合間に、奥さんと日本の各地をドライブされたお話をよくされていた。いつもにこやかで話好きな先生だった。
毎朝の日課は、般若心経(約260文字)を達筆な楷書で写経されることであった。80歳を過ぎた頃、ご高齢を理由に習字の先生を自ら辞退された。
先日、小春日和の昼下がり、久しぶり先生宅の前を通り、
(先生は、お元気かな。お一人でお寂しくされておられないかな)
と思いながら、私宅への道に向かった。
途中にある外原公園の広場を斜めによこぎっていると、前方から自転車に乗って来る人がいる。どこか、茂木先生に背格好が似ている。自転車など乗られるわけがないと、上目つかいに仰ぎ見ると、
「これは珍しい、青山さんですね」
と、先方から私の名を呼ばれる。
懐かしいご尊顔が、満面に笑みを浮かべて、自転車を降りられた。
以前、習字を教えておられたころよりも、顔に張りがあり、生き生きしたお顔だ。
「今、先生宅の前を通り、お元気にしておられるかなと思いながら、歩いて来たところです。あの頃と少しもお変わりなく、本当にお元気そうですね」
と、7~8年振りの再会を心から喜んで、声がはずんで言うと、
「青山さんも、お元気そうですよ。今、グランドゴルフのことで、仲間とお話をしてきたところです」
と、先生は、赤銅色のお元気そうな顔をほころばされる。
内心は今の今まで、「茂木先生」と、苗字を覚えていたのに、「苗字の茂木」が出てこない。思い出そうと焦るほど、その名前が出てこない。
こういうことが、このごろよくある。どうも、脳が委縮してきているのか、数分前までは明らかに覚えていた人の名前が、いくら思い出そうとしても出てこない。
致し方ないので、先生と再会したことを心から喜んで、あれからエッセイ教室に通っていることなど、話をつづけた。
丁重な口調でお話をしながら、その間も、何度も先生の苗字を思い出そうとしたが、どうしても思いだせない。別れ際に、
「先生も、お元気で」
といって、最敬礼してからお別れをした。
直後に、なぜ、苗字まで言えなかったのか、自分の記憶力の乏しさに情けなくなった。家に着いて、妻に習字の先生にお会いしたことを話す。
「ところで、習字の先生の苗字は、何だっけ」
と、問うと、
「先生のお名前はねー、えーと。ここまで、出てきているのだけど」
と、妻も首をひねっている。
「そうだわ、先生が清書された『般若心経』の掛軸が床の間の左側面に飾ってあるわよ。あそこに先生のお名前が記述してあるわ」
と、彼女も、私も同じ事を瞬時に考えている。
茂木先生は、確か90歳以上なのに、私を見るなり、青山さんと私の苗字を躊躇なくはっきりと発せられた。私とはすごい違いだ。
私は、外観は年相応に先生より若いはずだが、脳年齢は先生より遙かに劣っている。
先生は、私より受け答えが機敏で、はっきり発音されていた。固有名詞などもスムーズに几帳面に話されていた。脳は柔らかく、記憶力もすぐれているのだろう。
仲間とグランドゴルフをされていると仰っておられた。あのグランドゴルフで大きな声を出しあったり、仲間と談笑されていることが、機敏さを生み、記憶を良くする方法に結びついているのではないだろうか。
私は毎日、一人で黙々と1時間ばかり歩いて、足腰を鍛えている。さらに毎週2~3日は、公民館で同好の志の集まりに出かけて、手足をうごかしている。
その多くの人たちが休み時間にいろいろ世間話しをかわしているが、わたしは入り込まない。考えるに、このような無駄話が脳を活性化する大切な働きがあるのかもしれない。
そういえば、最近、足腰の強化はしているが、脳の働きを機敏にする運動はどうも、おろそかにしている。脳の運動とは、いったい何か。昔から、読み、書き、そろばんというではないか。それに「話す」ことか。
わたしは妻と話す以外に、一日中口を開かないことがある。他人ともっと話さなくてはならない。話すことは人を機敏にすると言うではないか。
イラスト:Googleイラスト・フリーより