A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

変わらない坂道 吉田 年男

 中学校の正門まえの路を歩いた。そこは自転車に乗って走ってみないと判らないくらいのわずかな起伏がついている。

 我が家からその路までは、トウモロコシなどが植わっていた広い畑を通って行かれた。直線にすると500mにも満たない距離であった。その路に立っていると、始業ベルを聞いてから畑を突っ切って登校していた懐かしい中学生のころを思い出す。

 畑だったところは、今では全て宅地に変わってしまい、二階建てなどの高いたてもが立ち並び、路も、中学校の校舎も我が家からは見えなくなった。
 都内を歩いていると、目印にしていた家やビルなどが、いつの間にか取り壊されて、街並み、風景が変わってしまうことがある。ここはどこなのか? 一瞬迷ってしまう。

 そういう時に、私がたよりにしているのは、路の起伏であり、曲がり角などの形だ。建物は変わっても、わずかな路の起伏や曲がり角をチエックすることで、変わる前の街の風景が見えてくる。


 JR市ヶ谷駅をおりて、外堀通りを飯田橋方面に向かって歩いた。いつも定量の水を蓄えている堀は、どこからの水なのか? ふっと思った。
 都内でも比較的高台の城西地区に水源をもつ、何本かの河川からという話を聞いたことがあった。起伏のことを考えながら歩いているうちに詳しく知りたくなった。
 時間をつくって調べてみたいと思う。
 東京の坂を撮影した写真展を観た。大きいサイズのものから小作品まで50点の、魅力ある写真が並んでいた。リストには、なんと展示作品の十倍の501か所の坂の名前が記されていた。あらためて東京の起伏の多いことにビックリした。


 501か所のうちの神田明神坂や昌平坂など300以上の坂の名前は、江戸時代からのものとリストに書かれていた。起伏や土地の形状は、大火や震災、戦災などに遭っても、そう簡単には変わるものではないのだと改めて思った。
 中学校正門前の緩やかな坂道は、周りの景色は目まぐるしく変わっても、そのたたずまいは、中学生のころから半世紀以上も全く変わっていない。

 その坂道を見たくなれば、思い出した時に、いつでもすぐそこに行かれる。ながく地元に住んでいるからできるありがたさだ。

 些細なことであるが、中学校正門前の、緩やかで変わらない坂道をみると、落ち着いてきて幸せな気持ちになる。

【了】


           イラスト:Googleイラスト・フリーより

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