視点を変えよう 森田 多加子
私には歩きなれた数通りの散歩道がある。夏場は陽が落ちるのを待って歩くことにしている。中でも第一コースは、一番のお気に入りだ。人通りの少ないことがいい。
散歩中には、なるべく知人に会わないようにしたい。
万が一出会ってもわからないようにと、帽子とサングラスは必須だ。冬場はこれにマスクが加わるので万全だ。どうしてここまで武装? するのか。
最近の私は、デレデレと怠惰な毎日を送っている。顔にも身体にも緊張感というものがない。一日中スッピンで、だらしない風体だ。
しかし、歩くことだけは、毎日律儀に続けている。
(今日は面倒だなあ)
そう思っても、自身で決めたことなので頑張っているが、緊張感のない身体をなるべく人様に見せたくない。いや、見られたくないのだ。
少し薄暗くなって、右側が高い崖になっている静かな道を歩く。計算通り、知人にはほとんど出会うことがない。
人馴れした猫が寝そべっている。猫には、ネコナデ声で話しかける。
(私はなんて優しいのだろう)。
猫は私を見送るために首を半周させた。軽く手を振る。
(う~ん、いい気持ちだ)
幸福感の中でふと思う。もしも、この道が未知の場所だったら、この時間には怖くて歩けないだろう。
人通りのない道なんて誰が襲ってくるかもわからない。特に外国だったら……。おおいやだ、思考停止。
別の日、第二コース。門を出たところで、いつもの方向に誰か立ち話をしているのが見えた。犬を連れているのは……、急に思いついて逆方向に向かった。
(おや、なんだか新鮮)
同じ道なのに全く違う景色になっている。逆方向から歩くと、景色がこんなに違うなんて、改めて驚いた。
ある家は、なんだか塀ばかりだ、と思っていたのに、逆から行くと、横に立派な玄関が見えた。印象ががらりと変わった。
十数年前、北海道の旭川動物園が、ただ檻の中にいる動物を見るだけではなく、上下から、外から、水中からといろんな角度から動物を見られるようにしたことで一躍有名になった。全国から旭川動物園に人が集まった。
(我々も旭川動物園に行くぞ!)
友人たちと一緒にでかけた。
上野動物園に比べると、なんと小さな動物園だ。しかし、上野では檻に入っている動物たちが、飼育員の発想の転換から、ここでは動物たちの生活が見られた。
ゴリラが外で遊んでいる。アザラシは、水槽で全身を見せてくれた。ライオンは、すぐそばの草の上に寝そべっている。
この方法を手本にして、今では多くの動物園が、どうやって動物の生態を見せるか、を真剣に考え始めている。
今年、池袋の水族館が、地上40メートルの屋外に水槽を作り、ペンギンを住まわせるそうだ。私たちは、空を飛んでいるように泳ぐペンギンを、見られるという。
今まで遠くにいたペンギンが、旭川動物園では、目の前をよちよち歩いていて感激したが、今度は泳いでいる全身を眺められるという。
最近話題の、史上最年少棋士の藤井四段は、普段は対局側からしか見ない将棋盤を、相手の方にまわり、そこから盤を見ることがあるという。対座して相手の盤上を見ているので、いつもは相手の駒は逆さに見えるだろう。それを相手側にまわって違う視点から見ると、何かひらめくのかもしれない。
天橋立の「股のぞき」もそうだが、ふと視線を変えると、まったく違うものが見える。思わぬアイデアも浮かぶようだ。
さて、私はというと、視点が変わって驚いた景色から、何か生まれるのか? 残念ながら古い頭脳からは、今のところ何も浮かんでこない。しかし……、
(驚くことはいいことだ)
少なくとも緊張感のなかった体中が、ピンとした。
【了】
イラスト:Googleイラスト・フリーより