元気100教室 エッセイ・オピニオン

お茶会 = 筒井 隆一

 ここ靖国神社の境内は、新緑が美しい。

 今日は和服で正装した二人の女性と待ち合わせ、本殿の裏手にある「洗心亭」で開かれるお茶会にやってきた。
 我々三人を招いてくれたのは、中学・高校同期の男だ。彼は後期高齢者になるまでサラリーマンを勤め上げ、この三月で退職した。
 数年前から、飲むたびにこぼしていた。
「仕事一本で、僕には趣味、道楽がない。退職後は何を楽しみに過ごせばいいのかな」
「趣味、道楽なんてものは、待っていてもできるものじゃない。俺もこれからの人生楽しんで生きていこうと、道楽つくりにはずいぶん金と時間をかけたよ」
 私も、えらそうな説教をしてきた。


 私のアドバイスを、まともに受けてくれたのか、彼は退職の二年ほど前から、茶道の稽古を本格的に始めた。
 元もと彼の母親は裏千家の大師匠で、茶道教室を開き、手広く後進の指導をしていた。十年ほど前に亡くなったが、彼も生前の母親の教室に出入りしていたので、それなりの知識と素養は、持っていたのかもしれない。
 母親の一番弟子だった女性を師匠として、稽古に励んだようだ。今日のお茶会でお披露目をするから、ぜひ来てくれ、と招待してくれた。


 私は、茶道は日本の大切な伝統文化とは思いつつも、妙な気取りがあると勝手に極めつけ、馴染めないでいた。茶席では、政治、経済、宗教などの話をしない。議論を避け、文化の薫り高い会話をしなければならない、と聞いていた。
 加えて、茶器、花卉、掛け軸などを、見え透いたお世辞で褒めちぎる。どうも私の好みに合わない。そのようなわけで茶道とは縁がなく、本格的な茶席は今回が初めてだ。

 私の初陣を心配して、家内があれこれ指導する。扇子、懐紙、黒文字を取りそろえ、白い靴下を準備し、
「畳の縁は踏まないように」
「茶器を拝見する時には間違っても高く持ち上げないように」
 などなど、基本的なマナーを教えてくれる。
 家内も長年お茶を続けているので、気になるのだろう。まず入門書を一冊読まされた上、手持ちの道具で、リハーサルをしてくれた。

 同行した同期の女性は、二人とも茶道の嗜みがあり、うち一人は、自宅で弟子を取って指導するほどの実力者だ。彼女が正客となった。
「筒井さん、私の隣に座って次客でやればいいわ。私のやることを見ながらその通りにやってちょうだい。分からなければそっと聞いてね」
「君が隣にいてくれれば心強いよ。よろしく頼む」
 席に案内された。正座をするのに座布団がない。
 お茶をふるまって客をもてなすのに、座布団もないのかと、まずおどろいた。お茶はもともと修練の場だったとかで、その名残が残っているのだろうか。

 亭主が静々と出てきた。着慣れぬ和服の裾を踏むのではないかと、はらはらしながら見ていたが、無事所定の位置に着き、お点前の開始だ。

 お点前が進むうちに、正客と師匠との対話が始まった。
「本日はお招きをいただき、ありがとうございました」
「ご多忙中にもかかわらず、皆さまお揃いでお出かけいただき、誠にありがとうございます。ちょうど時候もよろしく、結構なお茶事となりました」
「お軸も時節に相応しく、結構に拝見させていただき、目の保養になりました。どちらの作でしょうか」
 これらの対話を聞き、経験を積んだ茶人同士の会話で、よどみのない立派なもの、と感心した。
 反面、形式的で、表面的で、薄っぺらなやり取りだ、と複雑な気持ちになる。

 菓子を取り分け、お茶をいただき、茶器を見るときも、その都度次席の人に「お先に」「お先に」と言わなければ、ことが進まない。何回言わなければいけないのかと、ぞっとする。


 半面、日常でも人を差し置いて、我先に物事を進めるのでなく、譲り合いの心を大切にするように、という教えかもしれない。
 誉め言葉の洪水に抵抗を感じていたが、席が進むにつれ、それにも慣れ、歯の浮いた言葉のやり取りにも、抵抗を感じなくなってきた。
 そして、人を招くときの心得、招いた客をどのように誠意を尽くしてもてなすか。自分にはできないし、やりたいとは思わないが、参考になった。

 茶席が終わり、彼が私たちを見送りに来た。
「今日はありがとう。ガチガチに緊張したが、君たちが見守ってくれている、と思ったので少し気が楽になった」
「俺の方も正客と次客だったので、お前さんの立ててくれたお茶を飲めてよかったよ。美味しかった。でもマナーには、とてもついていけないね」
 招いた客に気を配り、喜んでもらえるサービス精神が発揮される。招かれた側は、亭主の意図を受け止め、心尽くしに率直に感謝の意を表す。

 その誠意の交換が、人と人との間の理解と共感を生むのかな、と少しわかった靖国神社の一日だった。


                  イラスト:Googleイラスト・フリーより

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